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第五話『ありとあらゆる面で足手まといほど嫌なものは無いであります』
降り注ぐ豪雨の中、分厚い雲の下で暗澹と蠢く闇を爆音と雷光が切り裂いた。
瞬間的に白く浮かび上がった無数の亡者達の軍勢を前にして、教会騎士ハルディーンは戦慄した。
まるでこの雨を待ち受けていたかのように亡者達が城壁の前を埋め尽くしている。
火矢が使えない場合に備えて大量の聖水と聖別矢を用意はしていたが、とても間に合う量ではない。
街を取り囲んだ亡者達は明らかにこれまでの襲撃の倍以上の数が居る。
死闘が始まった。
雨と共に降り注ぐ矢、悲鳴じみた兵士の雄叫びと耳を劈くような剣戟音、そしてそれを掻き消さんばかりの雷鳴。
錆びた剣で胸を、首を、刺し貫かれ、赤い塊を吐いて次々と倒れる兵士達。
砕かれ、踏み拉かれ、死体と混ざり合うスケルトン達の骨。
夥しい死が猛然と積み重ねられてゆく。
騎士は兵士達を必死で鼓舞して奮戦したが、とても抗いきれなかった。
スケルトン達は自らの体で梯子や階段をくみ上げて次々に城壁へ取り付く。数の暴力に任せた攻勢は落とされる岩や丸太をものともせずに壁を突破した。
「下がれッ! 第二次防衛線まで撤退だ!」
騎士は城壁を放棄して兵を後退させる。
もはや勝ち目は無い。
騎士は教会の聖別結界に一縷の望みを託した。
◆
四方八方から街へなだれ込んできた亡者の群れに、住民達は逃げ惑うばかりだった。
誰も彼もが逃げ場を求めて右往左往し、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
「お姉ちゃん!」
「アンナ!」
逃げる群集の一人に突き飛ばされた少女が姉に助けを求める。
姉は自らの身も省みず少女に駆け寄った。
彼女は一も二も無く躓いた少女を抱き起こしたが、その時には既に亡者に囲まれていた。
彼女は妹守るように抱きかかえ、思わず目をぎゅっと瞑る。
だが、覚悟した痛みも終わりもやっては来なかった。
恐る恐る目を開くと周囲にはバラバラ白骨死体に戻った元亡者達が散らばっている。
そして息を呑むほど美しい少女が手袋に付いた泥を叩き落としていた。
「教会へお逃げなさい。今一番安全な場所はそこです」
少女は赤紫の瞳で姉妹を見つめて静かに告げる。
そして鳥のように高く跳躍して夜の雨の中へ消えた。
「お、お姉ちゃん。あの人…天使様?」
「わからない…けど、あの人が助けてくれたんだわ。とにかく教会に逃げましょう。アンナ、走れる?」
「うん!」
アーリヤは建物の屋根から屋根へと飛び移り、ノロノロと彷徨う亡者達と教会へひた走る群集を見下ろしていた。
「はぁ……何故あの方のお傍を離れてまで、無知蒙昧な愚図どものお守りをしなければならないのでしょうか。おまけに相手は吹き上げる血も引き裂ける肌も千切れる肉も無い無粋極まる白骨死体。ああ、つまらないつまらないつまらない。全くもって理解に苦しみます」
長い独り言とため息は雨粒に溶けてぱらりと散らばる。
アーリヤは次の大きな群れに向かって跳んだ。
◆
グリムもアーリヤと同様に住民の避難誘導に奔走していた。
二手に分かれたグリムとアーリヤはそれぞれ街の東西に回り、人々を街中央の教会へ追い立てるようにしている。
要所要所で亡者の集団を潰しながら軍勢の方向をコントロールし、被害を最小限に食い止めながら人々を逃がす。
二人の動きは羊を追う牧羊犬に似ていた。
だがいかんせん亡者の数が多く、二人で守るには街が大き過ぎた。
グリムは貧民窟の少年達を動員して仕込んだ魔法陣の幾つかを既に起動している。
その効能は主に亡者の弱体化と認識阻害である。
白骨の節目を繋ぐ呪われた力を弱め、容易く打ち倒せるようにする。憎悪の瘴気に満ちた暗い眼窩と鼻腔を遮り、生者の気配を追いにくくする。
それらは人々に気付かれることは無かったが、兵士達の撤退と住民の避難を確実に助けた。だが同時に街全体に魔法陣を張り巡らせたグリムの魔力も確実に消耗していた。
最後の切り札も発動できるチャンスは一度。それで全ての魔法陣は負荷で焼き切れる。タイミングを外せば泥沼の消耗戦である。
この街で全てが決するならばそれでも構わないが、おそらく一件の本丸はこの街の外、土豪の墓だ。
グリムは出来るだけ魔力を温存しておきたかった。
だが状況はグリムの事情など慮ってはくれない。
「ひっ…ひぃい! たたたっ助けてくれェっ!」
スケルトンに襲われた男の悲鳴でグリムは路地裏から飛び出した。
人々は誰もが自分の命を守ることで精一杯であり、逃げ遅れた男に構う余裕など無い。
腰を抜かした男の腹へスケルトンの剣が振り下ろされた。
赤い飛沫が雨の中に散る。
「ひ……ひっ」
「早く立って逃げなッ! 教会だ!!」
男の目の前にずぶぬれになったつぎはぎローブの魔術師が腕を抑えて立っていた。
足元に赤い水たまりが広がり、その中央に切り落とされた腕が転がっている。
グリムは寸前で間に割って入り、腕で剣を受け止めたのだ。
「ひいいっ」
男は礼も言わずにバシャバシャとグリムに向けて泥水を跳ね飛ばしながら逃げ出した。
三体のスケルトン達が一斉にグリムへ襲い掛かってくる。
彼は素早く呪文を詠唱し、肘から先を失った右腕をスケルトン達へ向けて大きく振る。
真紅の血がスケルトン達の体に飛び散った。
「“戒めてあれ”」
短い結びの言葉と同時に飛び散った血液が白い骨の上で文様へ変化する。
途端に鎖のように伸びて広がりスケルトン達の全身を覆った赤い文字が彼らの動きを拘束した。
「俺の前で助けを求める相手に限って汚いケツのオッサンという不具合。たまにはプリンとしたお尻のカワイコちゃんが黄色い悲鳴を上げてくれてもバチは当たらないんじゃないですかねェ!」
死霊術を行使する姿を目撃されると厄介なことになるため、グリムは極力人目を避けながらスケルトン達の動きを妨害していた。
しかし目の前の命を救うためには贅沢を言っていられない場面もある。
グリムは無力化したスケルトン達をそのまま支配下に置いた。その分の消耗により魔力は更に底へと近付く。
スケルトンはぎこちなく落ちたグリムの腕を拾い上げて肘から先の切断面を合わせた。
「ちょっスイマセン、もっと宙で固定するような感じで……あっそうそう、そんな感じでオナシャス」
グリムは懐から針と糸を取り出し、その場で縫合手術を開始した。口で糸の端を咥え、片手で器用に針を動かしながら素早く縫い合わせる。降り注ぐ雨の中で消毒も何もあったものではないが、グリムはお構い無しである。
彼はものの五分と経たない内に骨、神経、血管、筋繊維、皮膚の縫合を完了した。
軽く腕を捻り、拳を握ってみる。
よし、OK。
しかし見てくれは悪い。
傷跡はローブと同じく乱雑なギザギザが丸出しだ。
だがグリムはすぐさまスケルトンを引き連れて駆け出した。丁寧な処置をする時間など許される状況ではなく、元から彼は自身の風貌にあまり頓着しない。どうせツギハギが一つ増えただけだ。
彼の心配は一つだけ。
「アーリヤが見たらキレるぞ絶対。言い訳考えとかないと街の前に俺が詰むわコレ」




