閑話休題.2 『 あの石 』
……あの石は一体、何だったのだろう?
クロスハート夫妻の墓前での誓いから三日、アイズは〝金喰〟襲撃で半壊した床や壁を修理し、王立図書館で蔵書を漁っていた。
何かヒントを掴めればと期待していたアイズであったが、アイズが知りたかった情報は何一つ得られなかった。
あの赤い石は何なのか?
〝金喰〟の腕を破壊した力の正体は?
右手に刻まれた紋章の真意は?
……わからないことが多すぎた。しかし、わからないことばかりではなかった。
「わかることは……」
アイズは床に転がるちり紙と小石を拾い上げ、握り潰した。そして……
――ちり紙、消えろ……。
……そう唱えた瞬間、手の中のちり紙が跡形もなく消え去り、小石だけが残った。
「触れたものを任意で消滅させられることと」
アイズは木製の椅子の一つに腰掛け、天井を見上げた。そこには五階までびっしりと収納された本棚の行列が広がっていた。
「これだけ探しても見付からないほどに珍しい事例だってことだな」
窓の外はすっかり暗くなっており、館内にも数えるほどしか利用者がいなかった。朝から始めた資料探しであるから、半日は経過していたであろう。その現実と埃と古い本の香りが益々アイズの気持ちを曇らせた。
……とはいえ、まったく手掛かりが無いというわけでもなく、心当たりはあった。
「……親父の書斎、か」
そう、アイズの父親でありアイズに深紅の石を託した張本人――バルトルト=シファーの書斎なら石の詳細が記された資料があるのかもしれない。しかし、シファー邸はここより一〇〇里離れたルーペン地区に位置し、〝安全地帯〟である王都より半径五〇里圏より外れ、多くの〝金喰〟がはこびっていた。
今のアイズは弱い、高い身体能力と謎の右手しか持ち合わせていないのだ。はたして、これだけで〝金喰〟のはこびる〝未開地帯〟で生きていけるのだろうか?
……もしかして、旅路の途中で死んでしまうのかもしれない。
……もしかして、何の手掛かりも掴めないのかもしれない。
「……それでも行くしかないんだ」
たとえ手足をもがれ命を落とすことになろうとも、死に物狂いで手に入れた結果が望むものではなかったとしても、何もせず大切な人を失うような真似はしたくなかったのだ。
「大丈夫だ、俺にはこの右手がある。この右手さえあれば〝金喰〟なんて……」
アイズは思い出す、鋭い爪と牙を。
アイズは思い出す、巨大な体躯を。
アイズは思い出す、鋭い眼光を。
「……うん、ナイフをもう二本買っていこう、とびっきり鋭い奴!」
……アイズは冷や汗を垂らしながら席を立ち、速やかに王立図書館を後にした。
「〝金喰〟には二種類のタイプがあります」
……場所は王都クロスガーデンの王城付近に位置する〝金色の十字架〟の基礎座学を学ぶ施設――『基礎習練所』である。
教壇に立つリゼ=マリア大尉の言葉を訓練兵である数名が傾聴する。
「一つは〝通常規格〟と呼ばれる、金論術を使えない〝金喰〟」
リゼは黒板に下手くそな絵を描いた。一瞬、何の絵を描いたのかオルカには判らなかったが、上に〝通常規格〟と書かれてやっとそれが〝金喰〟の絵であることに気がついた。
「もう一つは〝特別規格〟と呼ばれる、金論術を使える〝金喰〟です」
リゼは黒板に怪獣おぼしき絵を描いた。その上には〝特別規格〟と書かれていたので、これも〝金喰〟の絵かとオルカは理解した。もはやイラストはいらないなとも思った。
「見た目は知能の高い〝ヒト型〟・獰猛な〝トラ型〟・地中を潜る〝モグラ型〟など色々ありますがどのタイプも共通することは――」
オルカは〝モグラ〟という単語にぴくりと眉間に皺を寄せた。オルカにとって〝モグラ〟は両親の命を奪った〝金喰〟だ、嫌でも地濡れた二人の亡骸を思い出してしまう。
「――間接部・肉体の各器官は金ではないということです。〝金喰〟も歩いたり呼吸したりしますので間接運動や筋肉の伸縮の妨げになる場所は普通の生物と変わりません。つまり、もし火力高い金論術が使えない場合は間接を重点的に攻めるのが得策です」
一通り書ききったリゼは満足げに手のひらのチョークの粉を叩いて落とした。
「あの、リゼ=マリア大尉一つ御訊きしても宜しいでしょうか」
「良いですよ、万々歳ですよ」
オルカが挙手して、リゼが質問を促した。
「失礼します。あの、どうして〝金喰〟は金を喰らうのでしょうか」
オルカの質問にリゼはうんうんと頷き、おもむろに教科書を開き、淡々と質問に答えた。
「えー、一説によれば人間が身体に必要な成分を摂るように、〝金喰〟も身体の一部が金だから金を摂取する……んです」
リゼは噛まなかった自分凄いとガッツポーズをして、基礎座学を受ける訓練兵らはそんな府抜けた指導官であるリゼに冷たい眼差しを向けた。
「ありがとうございました」
オルカは一礼して、着席した。
(……肉体の一部が金だから金を喰う、それなら十年前の襲撃で金貨のみが食い荒らされたのは納得がいくの、かな?)
……オルカは胸中に言い知れない違和感を抱いたものの、振り払い残りの座額に集中することにした。
……よく晴れた秋空。
……午前六時半。
……クロスハート邸。
「さてと」
アイズは旅荷を背負い、早朝の澄んだ空気を肺一杯に吸い込んだ。
「出発かな」
……アイズは背伸びを一回して、長い間お世話になったクロスハート邸に暫しの別れを告げた。