第三話 『 最果ての民 』
……〝安全地帯〟最果ての居住地――テルー第二〇農村区にアイズ=シファーはたどり着いた。
朝方に出発したものの、今ではすっかり日が暮れ、辺りは暗く冷えきっていた。
〝安全地帯〟は王都クロスガーデンより半径五〇里、その中にある〝居住区域〟は王都より半径四八里であり、あと数キロ外へ出れば〝金喰〟のはこびる〝暗黒大陸〟である。そして、テルー第二〇農村区はそんな〝暗黒大陸〟に最も近い農村なのだ。
「……ふぅ、丸一日も掛かっちまったな」
馬を近所のおじさんから借り、最短距離である中央道を駆け抜け、やっとのこと目的地の半分を抜けたアイズは馬のロッキーから降りた。
ここで一晩休憩を挟み、そのまま次の夜までにシファー邸を目指す算段である。
アイズは馬を引き、第二〇農村区を見渡した。
「……馬だ、馬」
「……いい服着てんなァ、あの坊主」
「……今日は運がいいな、獲物が二つだ」
閑散とした農村のみすぼらしい農民らが、アイズと馬のロッキーを舐めるように品定めする。その眼光は鋭く、まさにハイエナを思わせるそれであった。
(……噂通り、だな)
アイズはそんな農民らを見て、冷や汗を垂らした。
――テルー第二〇農村区。
〝安全地帯〟最果ての農村区、つまり〝金喰〟に襲われる危険の最も高い地区であり、ここに住まう者のほとんどが犯罪者及び税金未納者というならず者である。土地も品性も底辺中の底辺であり、他の管区の者はまず近寄らないほどの無法地帯である。
(……とはいえ、十九も十八もそんな変わんないからな、明朝に出るなら近い方がいい)
アイズの計画では今日の早朝にクロスハート邸を出発し、第二〇農村区で一晩休憩して、明けた早朝に出発し、日暮れまでにシファー邸に到着する。それから必要な資料を確保して、次の早朝に出発して、帰還するという流れである。
長い時間乗り慣れない馬に乗って移動したアイズの腰と背中は悲鳴を上げており、一刻も早くベッドに飛び込みたい、アイズは切実に思った。
とは言うものの、ロッキーを外に繋がなければならなくて、この第二〇農村区でそれはとてもリスキーなことであるのだ。単刀直入に言うなれば「窃盗恐い」である。ミロさんやガクさんもロッキーの持ち主であるジニーも皆口を揃えて「第二〇農村区はヤバい」と語っていた。
「ロッキー、ヤバくなったらヤバいって言えよ」
この辺境の地に悲しいことながら馬小屋は建てられておらず、アイズは宿の近くに立つ一本木にロッキーを繋ぎ、真顔で言い付けた。
『……』
ロッキーがそれは無理だろ、という冷たい視線をアイズに向けた。
「じゃあ、鳴け! ヒヒーンって鳴くんだ!」
『ヒヒーン』
「よしっ、偉いぞ! 褒美に人参を授けよう!」
『ヒヒヒヒヒヒーーーン!』
「……お前、わかりやすいな」
アイズはしばらくの間、ロッキーと戯れた。ロッキーとは幼い頃からの付き合いで、〝暗黒大陸〟から避難し、第二農村区に引っ越して以来、ロッキーとはオルカ共々何度か背中に乗せてもらった仲である。
「じゃっ、俺は宿で寝とくから何かあったらヒヒーンだからな」
ヒヒーンとロッキーは鳴いた、それを訊いたアイズは満足して民宿の玄関を潜った。
……そのときのアイズは油断していた、本当の盗賊の恐ろしさをまだ知らなかったからだ。
「えーと、金論術には三つの召喚方法があります」
……今日も今日とてリゼ=マリア大尉がオルカ=クロスハート含む訓練兵らに教鞭を取っていた。そして、本日の議題は金論術の使い方である。
「一つは〝契約召喚〟。代金を払って召喚し、一定時間内の間召喚し続け、一定時間が過ぎると召喚物は消滅します。これは召喚時間が短ければ短いほどに浪費する金額を抑えることができます」
例えるならば大衆浴場である。一回分の使用料を払い、一回だけ入浴する、もう一度入浴したいのならもう一度使用料を払い入浴する。手元に形は残らないが購入するより遥かに低額で済む、これが〝契約召喚〟なのだ。
「もう一つは〝永久召喚〟。それ相応の代金を払って、半永久(破損すれば直らない)に召喚することができます」
これは何度も同じものを召喚して出費が原価より高くなってしまう場合、いっそのこと原価で購入しようという考えであり、この〝永久召喚〟は召喚者が絶命しても、地上に残るという特性がある。
「最後に〝一日利権〟。これは多額の代金を払って、一日(二十四時間)の間、一切のコストを払わずに金論術を発動することができます……但し、物凄ーーーく高額ですので、戦争規模でないとまず使われません」
〝一日利権〟とはつまり、金論術の利権を一日だけ買い取ることであり、その額は見上げるほどの金塊の山を消費するなど、余程大規模に使用しなければ寧ろ大損する召喚形式である。
「この三つを巧く使い分けて〝金喰〟と戦いましょう……まあ、基本は〝契約召喚〟しか使わないですけどね」
リゼは黒板に今回の内容を書き留める。リゼが黒板に文字を書くと、滅茶苦茶うるさくなる。とにかくカッカッカッとカッコいい筆記音を奏でるのだ……文字は丸文字なのに。
【よくわかる☆金論術】
契約召喚:金銭を対価に短期的に金論術を召喚する。召喚するもの・召喚する時間によって使用料が変化する。
永久召喚:金銭を対価に半永久的に金論術を召喚する。召喚するもの価値そのものの代価を払う。召喚されたものは時間が経過しても消滅しない。
一日利権:巨万の金銭を対価に契約より二十四時間以内な間、対価無しに召喚することができる。
「……という感じです、何か質問はありませんか?」
リゼがパンッパパパァーンとリズミカルに手に付着したチョークの粉を落とした。
「……ふむ、無いようなので次に進みまーす」
リゼは再びチョークを拾い、カッカッカッと騒がしく黒板の上を走らせた。
「次に紹介するのは召喚体の種類で、これも三つあります」
リゼはふーんふふふーんと鼻歌混じりで〝通常論法〟と黒板に書いた。
「まず一つ目は〝通常論法〟という水とか塩とか鉄とか、シンプルな召喚体です」
これは一番簡単に修得することができる金論術の基礎である。アイズはこの一番簡単な基礎ですらできないが、地上にいる人類の大半ができない為、別に恥じることではない。
「二つ目は〝創造論法〟という頭の中で組み立てられた完成品です。つまり剣や拳銃みたいなものが当てはまりますが、知識が無ければできません」
ナイフなどのシンプルな構造のものは〝通常論法〟とそう変わらない要領であるが、高度なレベルの者は人体(ただし生命反応の無いただの脱け殻)の召喚もできるなど、〝創造論法〟は極めれば伸び代のある分野である。
「三つ目は〝武装論法〟と呼ばれる個々オリジナルの超常現象です。他の二つと比べて特殊ですが、超能力を買い取るという認識です」
金銭を対価に炎を操る、肉体を強化するなど基本オリジナルであるが稀に他人と〝武装論法〟が被る場合もある。
「えー、まとめますとぉ……」
【よくわかる☆金論術2】
通常論法:材料そのもの(超簡単)
創造論法:完成品(要知識)
武装論法:超能力
「……こんな感じです、何か質問はありませんかー?」
リゼが座学を受ける訓練兵らに質問を促した。
「リゼ=マリア大尉、一つ質問しても宜しいでしょうか」
訓練兵の一人、ノヴァ=ウルフアイが静かに挙手した。ノヴァは十年前の〝金喰〟襲来で両目に怪我を負い視力を無くしていて、その傷を隠すように包帯が巻かれていると、オルカは人づてに聞いていた。ちなみに彼への第一印象は寡黙な少年、である。
「構いませんよ、ウルグアイ訓練兵」
……ウルグアイではないウルフアイ訓練兵が微かにこめかみを引き攣らせた。他の訓練兵らはこの教官、日に日にユルくなっていくなと戦慄した。
「……〝特別規格〟の〝金喰〟はどこまで金論術を操れますか」
リゼは腐っても上官なので、ノヴァはツッコミを胸にしまって質問をした。
「うーん……たぶん〝通常論法〟と〝武装論法〟ぐらいだと思います、たぶん。でも純粋な破壊行動ぐらいしかできないと思います、たぶん」
腐った上官であるリゼはしどろもどろしながら解答した。これは純粋に〝特別規格〟の数が少なく、データが揃っていないのが原因なのであって、リゼが特別〝無能〟というわけではない……と思われる。
「ありがとうございました」
ノヴァは形式的に一礼して、静かに着席した。
「他に質問のある人いませんかー」
「はい、リゼ=マリア大尉」
「何ですか、オルカ訓練兵」
オルカが挙手して、リゼが再び質問を促した。
「一体、〝金喰〟とは何ですか?」
……それは物事の本質、オルカがずっと知りたかったことだ。
「……」
オルカの質問に、リゼが神妙な眼差しを向けた。
「それは」
リゼがゆっくりと口を開いた。
緊張で汗が滴り、心臓の動悸が加速した。
「……」
「……」
「わかりません♪」
「……」
……オルカが言葉を失った。
……同期の訓練兵らが言葉を失った。
……そして、一同は思った。
……この教官、もう駄目だ。
……夜、窓の隙間から満天の星空を眺めながらアイズはベッドの上で寝転がっていた。
「……寝れん」
アイズはベッドの上で寝返りを打ちながらぼやいた。
「クソッ、来るならさっさと来いよな」
眠れない理由、それは茂みの影にいるであろう第二十農村区の住人にあった。
今夜強盗に来ると確実にわかっていて熟睡できるほど、アイズの神経は野太くなかった。
アイズにとってロッキーはこの旅に欠かせない〝脚〟で、それ以上に十年間御世話になった〝友〟なのだ。だから絶対に失いたくなかった。
アイズはあばら屋と形容するのがしっくり来る宿の壁を注視していた。
……そこには小さな穴があった。
僅か数センチの小さな穴、それはアイズが宿に着いてすぐに空けた穴である。
この穴の先には一本木が立ち、穴を覗くと……
……ロッキーが粗相をしていた。
「……」
アイズが微妙な表情をした。
何はともあれ、アイズはこの穴を覗いてロッキーの様子を窺っていたのだ。
好きで他人(他馬?)の粗相を見るような変態ではないアイズはそっぽを向いた。
(……アイツ、盗賊に襲われたら燻製肉にさせられるとわかっているのかなぁ)
アイズは緊張感の無いロッキーを心中で皮肉った。
――……ギシィッ
……何かが軋む音が聴こえた。
(……誰か来たのか)
アイズにはこの音が何なのかわかっていた。
再三記したようにこの宿はとても〝ボロい〟……なので、床を歩く度にギシギシと音を立てるのだ。
可能性は二つある。
一つは私用の為に廊下を歩く宿主。
二つは俺の荷物を狙う盗賊。
(……はたしてどっちかな)
アイズは懐に短剣を忍ばせ、近づく足音に耳を澄ませた。
……心臓の動悸が速まる。
……冷や汗が頬を伝う。
……短剣を握る右腕が微かに震える。
――ヒヒーン!
……ロッキーが哭いた。
「……っ!」
アイズは咄嗟に扉から壁穴へと視線を逸らした。
そこには人影が三つ、ロッキーの周りを囲んでいた。
(……しまった! 足音に気を取られてロッキーへの注意を怠った!)
アイズは後悔の念を払い捨て、ロッキーを奪還せんと短剣を握ってベッドから飛び降りた。
――ガチャッ
……そして、アイズがベッドから飛び降りるのと同時に部屋の扉が開いた。
「……っ!」
ロッキーの鳴き声に気を取られていたアイズは迫り来る足音への警戒を怠っていたのだ。
しかし、それでもアイズの行動は速かった。咄嗟に標的の足下まで間合いを詰め、握られた短剣を標的の喉元に添え――……。
「……………………えっ」
……そして、困惑した。何故なら足音の主が――
「なっ、何だ何だ何だ、何をするんだよっ」
――この宿の宿主であったからだ。
だらしない無精髭に巨大な鷲鼻、腹を中心に贅肉を携え、小汚ない格好をした中年であった。
そんな宿主は喉元に短剣を添えられ、気が動転していた。
「わっ、悪かった」
アイズはすぐに短剣を下げ、間髪容れずに頭も下げた。
「悪気はなかったんだ、てっきり強盗か何かかと思ってな」
「……」
頭を下げるアイズに宿主が冷たい視線を向けた。無理もない、いきなり短剣を突き付けられたのだ、文句が無い筈がない。
「ふん、気を付けな」
「恩に着る」
宿主が突き放すように吐き捨て、アイズはもう一度頭を下げた。
「それよりさっきからあんたの馬が煩いんだが黙らせてくれ」
「……っ!」
宿主の言葉にアイズはハッとした。
今現在、ロッキーが盗賊の手に掛かろうとしていたことを思い出したからだ。
アイズは宿主を横目に駆け出した。
(……間に合ってくれよ!)
ロッキーがいなければこの旅は頓挫してしまう。
何より、もう嫌なのだ。
自分の無力せいで大切なものを失ってしまうことは嫌だった。
だから、ロッキーを守るんだ。
だから、急ぐんだ。
――ガッッッ、後頭部に衝撃が駆け抜けた。
「……っぅ!」
脳が揺れた。
視界がフラッシュバックした。
脚の力が抜けた。
アイズは不意に後ろに目をやった。
……宿主が金槌を手に笑っていた。
(……やられた、油断した)
足音の正体は一でも、二でもあった。
(……コイツもグルだったのか)
ここは第二〇農村区。
(……全員が盗人だ)
身体が床に叩き付けられた。
鈍痛が響いた。
意識が遠退いた。
(……早く)
……色が死んだ。
(……早く……行かないと)
……音が死んだ。
(……ロッキー)
……感覚が死んだ。
(……今……行くから)
……意識が死んだ。
「……」
そして、アイズは完全に沈黙した。
……………………。
…………。
……。
「ギャアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
……遠くなる意識の中、どこからか悲鳴が聴こえた。
その悲鳴に鼓膜を揺さぶられ、僅かに意識が覚醒した。
次に視覚が、その次に感覚が甦る。
……小汚ない床が見えた。
……小汚ない壁が見えた。
……小汚ない宿主が見えた。
小汚ない格好をした宿主は冷や汗を滴らせながら激しく動揺していた。
「あーあ、最悪の目覚めだ」
声が聴こえた。方向は前方だ。男の声だ。
「馬は煩いし、汚いオッサンに夜襲されるし、最悪だよ」
アイズは面を上げて、声のする方向に視線を傾けた。そこには……。
東洋の着物を見にまとい、一本の血濡れた脇差しと八本の鞘を腰に携え、筋骨逞しく肉体に数多の切り傷を刻んだ青年がそこにいた。
しかし、その青年が見にまとう着物、それは世にも珍しい〝暗黒大陸〟極東部の着物であった。
「……何だ……あんた、何者だ」
主が声を震わせ、青年に問うた。
青年は笑い、脇差しを染める赤を振り払った。赤は廊下に飛び散った。
「 カグラ 」
その男――……。
「〝金喰狩り〟のカグラだ」
……獅子よりも獰猛で、
……鳥よりも自由で、
……〝金喰〟よりも恐ろしい、
……そんな男であった。
「……〝金喰狩り〟」
アイズはカグラの発した言葉を反芻した。
……〝金喰狩り〟、アイズはその名を文献から覗いたことがあった。
それは営利目的で〝金喰〟を狩る、非政府組織である。彼らは〝金喰〟を殺し、その皮膚を被う金を剥ぎ取り、都に売り払うことを生業とした組織である。
多くの〝金喰狩り〟は軍にも教会にも属さない所謂無所属の金論術師であり、〝金色の十字架〟の仕事は〝安全区域〟の拡大及び防衛である一方、〝金喰狩り〟は窮めて利己的な集団である。
「さてと、名乗ったことだしちゃっちゃと片付けますかァ」
カグラが脇差しを片手に歩み寄った。
「やめろ、殺すな」
脳へのダメージが回復したアイズは脇差しを振りかざしたカグラの前に立ちはだかった。
別にアイズは自分の命惜しさにカグラに制止の言葉を放ったのではない。
「コイツにもう戦う意思は無い」
……アイズはカグラに怯える宿主を庇っていた。
「助けてくれたことは感謝する、だが無駄に人を殺すな」
この小汚ない宿主は確かにアイズを殺そうとした。しかし、今の宿主は既に戦意喪失している、そんな人間を態々殺す必要は無かった。
「いや、俺は殺すぜ。この豚は俺を殺そうとした、だから俺にはこの豚を殺す由がある筈だ」
「駄目だ、させない」
「退けよ、ぶっ殺すぞ」
「嫌だ」
「……」
殺意を向けても動じないアイズにカグラが壁面した。
「……わからず屋が」
カグラが溜め息を吐いた――その瞬間。
――カグラの真横の窓ガラスが砕け散った。
……ガラスの破片が飛び散った。
……卸し包丁を握った男がカグラに飛び掛かった。
……カグラが脇差しを構えた。
「さっき言った筈だぜ」
カグラが狂暴に笑んだ。
「俺を殺そうとしたら、俺がてめェを殺すとな」
――卸し包丁が一刀両断された。
……そして、間髪容れずに飛び掛かった男の身体が半分に裂けた。
血飛沫が舞い、大量の血と内臓が小汚ない廊下に飛び散った。
「……っ」
その凄惨な光景にアイズは胃液が込み上げてくるのを感じた。
「コイツらは悪党だぜ、油断すれば殺される。お前の平和ボケした頭でもそれぐらいはわかるだろ」
カグラはそう言って、握られた脇差しを投擲の要領で――アイズ目掛けて投げた。
「……っ!」
カグラの不意打ちにアイズは咄嗟に屈んだ……しかし、アイズが避けずとも脇差しは当たらなかっただろう。何故なら。
「……ぐっ……ぁ」
――カグラの投げた脇差しの切っ先が宿主の額を貫いた。
……カグラが狙ったのはアイズではなく、アイズに金槌を振りかぶろうとした宿主の方だった。
「……ァ……ぁ…………」
宿主は頭から大量の鮮血を吹き出し、力無く崩れ落ちた。そして、暫くの間ピクピクと痙攣するもすぐに動かなくなった。
アイズはそれが何なのか知っている――〝死〟、つまり宿主は動かない肉塊となったのだ。
「……何で……こうなるんだ」
アイズは膝を着いて、頭を抱えた。
「……まただ、また死なせた」
救えなかった。エリザベスを失って十年、ミロとガクを失って五日間、アイズは心も体も強くなった。それでも……それなのに結局人一人救えなかった。
「良かったな」
俯くアイズにカグラが声を掛けた。
「お前は生きているぞ」
無神経なカグラの言葉に怒鳴ってやろうとアイズはカグラを睨み付けた。
睨み付けて、睨み付けて……何もしなかった。
自分が今生きているのはカグラのお陰……いや、カグラが盗賊を殺してくれたお陰だ。
カグラは命の恩人だ。そして、アイズには何としてでも生き残って果たさなければならないことがある、とてもじゃないが助けてくれたことを余計なお世話だと罵ることはできなかった。だからといって素直に感謝することもできなかった。
「ちくしょう……!」
だから代わりに自分自身を叱咤した。
……どうして自分は弱いんだ。
……どうしていつも誰一人守ることができないんだ。
悔しさを吐き出すようにアイズは小汚ない壁を殴った。
右手が痛み熱くなった、右腕がビリビリと痺れた、それが無力な自分に対する罰であった。
「泣いているのか」
「……泣いてねェよ」
二つの亡骸の前で歯を食い縛るアイズにカグラは意味がわからないと呆れていた。
「コイツらはお前を殺そうとしていたんだ」
カグラは首を傾げ、宿主の額に突き刺さった脇差し引き抜いた。
「それで死んだんなら自業自得だろ」
その拍子に大量の鮮血が流れ出たが、カグラは至って平静で、手拭いで脇差しにこべり着いた鮮血を拭い、手慣れた手付きで納刀した。
「それにコイツら死んだ方がいい存在なんだよ」
「……どういう意味だよ」
カグラの剰りに冷徹な物言いに、アイズが噛み付いた。
「言葉通りの意味だ、コイツらは放っておけばまた別の旅人を襲う、そしてそれを繰り返す……この荒廃した土地じゃあそうでもしなければ生きられない」
この二十農村区は位置も悪ければ地質も悪い、とてもじゃないが野菜や果実が実るような環境ではなかった。
「この土地の人間はこの区域に送られた時点でそうなるような運命なんだよ」
……カグラの理屈はわからないわけではない。
……カグラの判断を否定できるほどにアイズは立派な人間ではない。
それでも……。
「だから、殺したのか」
それでも何処か納得できなくて、アイズはカグラに問い質した。
「いや」
しかし、カグラはすぐに首を横に振った。
「俺が生き残る為に殺した、それ以外は後付けだ」
カグラはアイズに背を向けた。
「俺には一つ果たさなければならない野望がある、だからそれまで死ぬわけにはいかねェんだよ」
その背中は筋骨逞しく、アイズにはとても大きく見えた。しかし、ほんの少しだけ……。
「じゃあな、縁があればまた何処かで会おうや」
……寂しげであった。
「……いや、待てよ」
そこでカグラの足が止まった。
「どうやら、まだ別れの刻じゃあないようだな」
「……?」
アイズにはカグラの言葉の意味と現状がわからなかった。
……しかし、すぐに知ることになった。
――窓の外の暗闇に、ぽつりと灯りが点った。
「……っ!」
更に二つ、間を空けず八つ、次々と灯りが宿を取り囲んだ。
そして、灯りの一つが放られた。
「……しまったな、この臭い」
滅多なことでは動じないカグラが冷や汗を滴らせた。
――轟ッッッ、あっという間に宿が大火に呑み込まれた。
「奴ら、灯油をばら蒔いてやがったか」
……一面が赤に呑み込まれた。
……窓が砕け散り、光と熱が押し寄せた。
……バチッバチッと木の壁が焼ける音が聴こえた。
「……しかも、奴ら殺る気満々じゃねェか」
カグラは大火に照らされ姿を見せる盗賊らを見て、舌打ちした。アイズもカグラの言葉に釣られて盗賊の姿を見た。
「……げっ」
……全員が鉈やら包丁を握っており、中には猟銃やナイフなどの凶器を持つ者もいた。
火に囲われ、盗賊に囲われ、まさに八方塞がりであった。
「これで逃げられねェぞ」
「……エゾとジーンとジェインの仇だ」
「燃え尽きちまえ」
盗賊らの怨念の言葉が大火を隔てて聴こえた。
もっと利己的な輩だとアイズは思っていたがその考えを改めた。第二十農村区の住人にも固い仲間意識はあるようである。
しかし、今はそのことに気に掛けている余裕は無い。大火は宿を焼き、確実にアイズとカグラの下へと押し寄せて来る、だから、二人は一刻も早くこの場所から離れなければならないのだ。
とはいえ、この大火をかわしきり、二人を待ち構える盗賊から逃れきる算段も無く、頼りのカグラは……。
「火の海を気合いで突破してその後に盗賊を斬り殺せば問題無いな」
「……(問題あるだろ)」
……馬鹿である。
取り敢えず火の海に向かって飛び出しそうなカグラをアイズは制止した。
「邪魔すんなよ、あと少しで行けそうだったぞ」
……行けねェよ、とアイズは冷たい眼差しを向けた。
「冷静になれ、お前がどんな強くても火って奴は人を殺せる凶器なんだぞ」
アイズは血気盛んなカグラをたしなめる。
「恐らく全身火傷は免れない。そして、もしこの火の海を乗り越えられてもその先には三十余の盗賊がいるんだぞ……そいつらに勝てる算段はあるのか」
アイズの言っていることは正しい。しかし、カグラは依然として納得していなかった。
「じゃあどうやってこの状況を乗り切るんだ」
「……」
……それを言われると苦しかった。
「はっきり言って三十人ぐらいなら何てことはねェ、だからどうやってこの火の海を乗り越えるかだ」
凶器を持った盗賊三十人を〝何てことはねェ〟と言い切るカグラの実力がどれ程のものなのか想像するに難かったが、取り敢えずカグラにこの火の海を無傷で突破する術は無いようであった。
つまり、それを考えるのがアイズの仕事ようである。
(……考えろ……燃焼範囲は推定三六〇度……直進しても恐らく五メートルは火の中にいなければならないから直進は論外……そして、徐々に酸素が失われている…………クソっ、駄目だ、思考が回らない)
脳への酸素不足か、はたまた緊迫した状況にパニックになっているのか、アイズは中々突破口を開くことができなかった。
そうこうしている内に火の手は侵食し、廊下も壁も天井も燃え上がらせた。
既にカグラが殺した二つの死体も火だるまになっており、その姿と自分を重ねて冷や汗を滴らせた。
(……早く、早く逃げないと俺もああなるんだ。だから、早く考えないと!)
しかし、焦れば焦るほど人の思考はまとまらなくなる。触れたものを消滅できるとはいえ、腐っても人間であるアイズも例外ではなかった。
……その焦燥感は、すぐ近くに火の手が迫っていることに気づけないほどに高まっていた。
「危ねェぞ、オイ!」
「……っ!」
アイズはカグラに手を引かれ、火から距離を取った。
――バキッッッ
……しかし、その際強く床を踏んでしまったせいで床に穴を空けてしまった。
「あぁー、ひでェな。どんだけ老朽してんだよ、このおんぼろ宿」
「……」
今更なことにカグラが毒を吐き、アイズは床にハマった脚をじっと見ていた。
「お前も気をつけろよ、危うく火傷するとこだったぞ」
「……」
叱咤するカグラであったが、アイズは自分の足下を注視したまま沈黙していた。
「……オイ、聞いてんのか」
「ああ、思い付いたよ」
「……あァ?」
淡々と床にハマった脚を引き抜くアイズにカグラが困惑した。
「ここから脱出する方法だ」
……アイズは不敵に笑って、右掌を小汚ない床に添えた。
――セントラル王国、テルー第二十農村区。
……大火が宿全体を呑み込んだ。
……宿は徐々に崩れ落ちた。
……空が赤く染まっていた。
「……死んだ、のか?」
鉈を握った盗賊の一人がぽつりと呟いた。
その言葉に同調するように盗賊らは互いの顔を見合わせ、不細工な笑みを浮かべた。
「やったぞ……!」
「でもどうすんだよ、全部焼いちまって……灰しか残らねェぞ」
「大丈夫だ、馬はここにいるしあの〝金喰狩り〟のあんちゃんが殺した〝金喰〟は少し熔けているだろうが売る分には問題ねェさ」
「エゾとジーンとジェインには悪いがこれで当分の生活には困らねェな」
「じゃあ、ちゃっちゃと鎮火して金品の回収に行くか」
――ザッザッザッ
「……おい、何か変な音しねェか?」
「あァ? 何にも聴こえねェぞ」
「木のざわめきだろ」
――ザッザッザッザッザッザッ
「……やっぱり聴こえる、下に何かいるぞ」
「馬鹿な」
「俺も聴こえた、何かが足下を歩いてやがる」
「幻聴じゃないのか」
――ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
「来るぞ……!」
「だから何が来るんだよ!」
「わかんねェけど何か来ているんだよ!」
「獣か! それとも〝金喰〟か!」
夜のテルー第二十農村区は騒がしかった。
……混乱する三〇人余の盗賊。
……迫り来る謎の音。
「いや、〝金喰狩り〟だ」
……そして、足下から聴こえるカグラの声。
「……えっ?」
盗賊の一人がすっとんきょうな声を漏らした――次の瞬間。
――盗賊らの足下が瓦解した。
「ついでに旅人一名だ」
そして、崩壊した地面からアイズとカグラが飛び出した。
『以後、御見知りおきを』
アイズとカグラは着地し、盗賊の何名かは地面の崩壊に巻き込まれた。
「馬鹿な! 地面を掘り進んだだと!」
盗賊の一人が怒鳴った。
「有り得ない、ここまで何メートルあると思っているんだ」
もう一人の盗賊がその事実を否定した。
「いやいや、大したこと無かったぞ」
しかし……。
「一応、触れたものを消滅させるだけが取り柄の男なんでな」
アイズがあっさりと肯定した。
どのようにしてアイズとカグラはあの火の海を脱出したのか? ……それはとてもシンプルな方法であった。
足下を消滅させて地中に潜り、そのまま前方へ穴を掘り進め、概ね盗賊集団の中心地の地面を破壊した……ただ、それだけである。
「じゃあな、最果ての荒くれ共」
アイズは再び地面に右手を添え、盗賊らは顔を引き釣らせた。
「二度と会わないことを祈るよ」
――地面が瓦解し、残った盗賊らはその奔流に呑み込まれた。
「おーい、こっちは準備できたぞー」
カグラに呼ばれたアイズは、瓦礫の中で呻く盗賊らを横目に振り向いた。
カグラがロッキーの綱を引いていて、その足下には失神した盗賊の一人が横たわっていた……恐らく、逃げようとしていたところをカグラに襲われたのだろう。
「……って、お前も付いてくる気か?」
アイズはロッキーの背に乗り、その後ろに乗ろうとするカグラに問い質した。
「何だ、悪いか?」
カグラは悪びれもせずに質問を質問で返した。理由は不明瞭だが、どうやらカグラはアイズとの同行を望んでいるようである。
「いや、心強いよ」
アイズはそれだけ言って、ロッキーを走らせた。
カグラの心胆は読めないがかなりの実力者あることであることは確かであった。
アイズとして戦力の増強は願ってもないことであり、当然カグラの申し出を断る由は無かった。
ロッキーはアイズとカグラを背に乗せ、夜の第二〇農村区を駆け抜ける。
二人乗りである為、速くは走れなかったが心地よい向かい風が髪をなびかせた。
流れ行く景色の中、ロッキーの蹄の音だけがやけに響いていた。
「なあ、お前何て名前なんだ」
カグラが後ろから話し掛けた……その声はどこか愉しげであった。
「アイズ=シファーだ。ちなみに、この馬はロッキーだ」
名前を呼ばれたロッキーが上機嫌にヒヒーンと鳴いた。
「よし、アイズ。これからよろしくな」
「おう、こちらこそよろしくな」
『ヒヒーン』
アイズとカグラは不敵に笑い合い、ロッキーは高らかに鳴いた。
……天候は晴れ、
……気温は凡そ二〇度、
……コンディションは寝不足。
そんな中、遂にアイズは踏み込むのだ。
(……十年か)
あれから十年振り、過去に敗走したあの大地にアイズは還るのだ。
(……あのときより俺は強くなった)
身体を鍛えた、知恵を蓄えた、不思議な右手を手に入れた……それでも、足りなかった。
(……だから俺は必ず真実を掴み取り、もっと強くなる)
暗闇でわかりにくいが看板が見える、看板には『この先〝暗黒大陸〟、進むべからず』と記されていた。
見張りの兵士がアイズ一行に気付き、制止の声を上げるがアイズは無視した。
ロッキーは全速力で夜闇を駆け抜け――そして、看板を横切った。
……目の前に広がるのは青一色の草原。
……唯一の明かりは夜空の星と月。
……ロッキーの蹄が地面を叩く音ばかりが聴こえる静寂した世界。
そう、ここは人類最後の砦――セントラル王国ではない。
アイズの故郷であり、カグラの仕事場であり、そして〝金喰〟がはこびる未開の地――……。
……〝暗黒大陸〟だ。




