ランチタイム
鬼から逃げ惑った俺が人間相手に捕まるわけがない。遮蔽物をうまく活用し、時には飛び降りながらも1時間、なんとかして彼らから逃げ切った。人間、追い込まれたらなんだって出来るもんだ。
ハプニングが起きたが、こうしてなんとか迎えられた昼休み。ご飯を食べたり、遊んだり、勉強したりするこの圧倒的に自由な時間を前に、俺は屋上へと向かっていた。3時間目が終わった後の休み時間。イリナから「ご飯、一緒に食べよ?」というお誘いがあった。その時も鬼へと姿を変えつつある男どもの殺気を感じずにはいられなかったが………いや、でもね。イリナが1人でお弁当を食べるのが寂しいって言うのならやぶさかではないが一緒に食べてもいいよ?転入初日だもの、気まずいのよね、よくわかるよ俺。転校とかしたことないけど。………いや、俺が一緒に食べたいとかじゃなくてね?イリナが可哀想だから一緒に食べてあげるのであって、俺がイリナと喋りたいが為に一緒にお弁当を食べるのではないからね。あまりにも可哀想だから快く承諾して屋上で一緒に食べることになった。
男どもから逃げていた俺を待ってくれていたイリナのもとに駆け寄り、フェンスのなんというか堀っていうか塀っていうかよくわからない腰掛けるには丁度いいコンクリートの場所に腰を落ち着ける。
「ご飯に誘ってくれてありがとうございます。」
「なんでそんな口調なんですか?もっと崩して頂けると嬉しいです。」
うーん……お前のその口調には言われたくないな。
「それじゃあお言葉に甘えてラフにいかせてもらうよ。んで、いきなり本題に入らせて頂くけどその口調は何?人前では猫被ってるんですか?」
「…………………」
無言である。そりゃ、いきなりこんなこと言われたら誰だって無言になるよな。
「………猫を被ってると言うよりは、私の家柄で、こういうお上品で慎みを持った高貴な感じでいなさいって躾けられているんです。」
ふーん………色々とめんどくさいなー、家庭の事情ってやつか。
「でも、あの世界には現実の私を知る人はほとんどいないし、お父様はいるけどほとんど来ないのであんな態度や口調で喋れているんです。」
あーーー、忘れてた。そう言えばあの世界にはイリナの親も行けるんだったな。てか、イリナが生まれる前からあの世界はあるとも言ってたし、イリナの父さんたちが生まれる前からもあったとも言われてる。
「その………ご迷惑でしたか?コロコロと口調が変わるのは………嫌ならあの世界でもこの口調にしますけど………………。」
そう言って来たイリナはとても残念そうに聞いてくる。……何を言ってるんだ?
「変える必要はないよ。てか、俺だって女子と喋るのは苦手だからね。どことなく敬語を使ってしまうんですよ。いやー、今まで女子と喋ることがほとんどなくてね、こういう、いつも通り男子たちと喋る時の様にできないんです。」
「うふふ。そうですね、確かに変な口調です。でも、昨日は普通の喋り方でしたけど一体どうしてですか?」
「それは君が女子っぽくなかっ……………っ。」
はっ!横から異様なオーラを感じる!な、なんだ?この全てをチリにしてしまうような威圧感!今のは失言だったか……どうやって謝ろう………あー……見たくないなー横を見たくないなー。………腹を括るか。頑張って顔を横に向けよう。
ぎ、ギギギギっ
錆びた歯車のようにまるで滑らかではなく横を向いて見る。すると、彼女は僕の顔をじっと見ていた。じーっと、見ていた。そして、
「君なんて言わないでください。イリナと呼んでください!あ、で、でも、迷惑だったのなら君でもいいですけど…………」
目を潤ませながら尋ねてくる。いやーだからさぁー!そういう目で見ないでくれよ………
「…………いや、嬉しいよ。すごーく嬉しいんですよ。でも、さっきも言った通り俺は今まで女性と喋る機会がほとんどなかったから気軽に呼ぶことに慣れてないんですよね。常に[君]か、[さん]付けなんですよ。だから、ここで俺がイリナさんのことをい、イリナと呼んだら色々と周りにあらぬ誤解が生まれるというか、なんというか……。」
話していてなんて情けないんだと思う。虎という字が入っているのになんて情けないんだ…………だからよく名前負けしてるって言われるんだよな…………
「………あらぬ誤解?例えばどんなものでしょうか?」
「えー……それを言わなきゃいけないですか?」
「言わないといけませんね。納得出来るものなら納得しますが、納得しかねるものは否定させていただくので。」
えぇぇ………俺の事情も考えてよ。…………ふっ、だんだんとその傍若無人な本性を現して来たな……!!
「そうですねー、俺が先日クラスで言ったことなんですけどね。ちょっと、カッコつけちゃって[俺がもし女性を呼び捨てにする様なことがあったら、その女性は俺の彼女だからな!]って言っちゃったんです。」
その時、そんなことは一生無いだろうな!ギャハハハハ!とクラス中に笑われたのは言うまでもない。な、なぜだ?なぜ俺はモテないんだ?勉強は出来るし、顔はまぁあれだよくはないな。皆が嫌がることもそこそこしてるし、女性には常にさん付け…………一体これのどこがいけないんだ!?
「なるほどですね。それは困ります。」
はっきりと困ると言われた………
あ、やばい涙が………………
「それじゃあイリナさんと呼んでください。それならなんの誤解も招きませんよね?」
「う、うん。そうっすね……………。そんなことよりなんで[君]じゃいやなんだ?」
君からイリナへの脅威のステップアップにとことん驚かされてしまったが、イリナは[君]と呼ばれた時は涙が出る程嫌がっていたからな……
「…………………」
数秒の沈黙の後ボソッと「なんとなくです。」
本当に聞こえるか聞こえないか分からない様な声でそう答えた。
あらら、また地雷を踏んでしまったのか……本当に喋ることに慣れてないから何を聞いていいのか、何を聞いたらダメなのかがわからない。
「そ、そんなことより!俺はあなたの事をイリナさんと呼ばさせてもらうけど、イリナさんは俺のことを何と呼んでくれるの?まさか、俺に君からイリナさんに変えさせたのにイリナさんだけは俺を君と呼び続けるわけはないよね?」
陰鬱な空気となったので話題を変えたが、本当は今日ここに来たのはこれを聞く為に来たのだ。女性からあだ名で呼ばれる………それは世間一般では当たり前のことかもしれないけど、俺からしたらとてつもないビックイベントなんだ!なんてったって人生で初めてだからね!
「あ、勿論飯田君でもいいけどなるべく飯田君じゃないほうが自分的には嬉しいですねー。」
あくまでサラッと自分の要望を言う。このサラッと感を演出する為に昨日家に帰ってからどれだけ計画して練習したことか…………
「飯田君以外なんて呼べばいいでしょうか……。」
その練習が身を結んだのか、イリナは飯田君以外で考えてくれている!やっほー!嬉しいな!女の子のセンスってのを感じる絶好の機会だ!
彼女は考え込む。そして、ニヤッと顔を歪めた。それは昨日のあのニヤニヤ顏と同じで、悪意を秘めた、何を考えているかさっぱりと分からなくなるようなそんな笑み。でもこの笑みを見てわかることは2つある。1つ目はその呼び方が良くないであろうこと。そして、2つ目は彼女はやはり昨日のイリナであることは間違いないということ。
「そうですねー、ミフィーなんてどうでしょうか?」
ぐほっ!な、なんて……なんて痛いところを突いて来るんだ。やはりこいつ………只者じゃない!なぜだ!あだ名なのにこんなにも嬉しくないんだ!
「………貴様ぁぁ、とうとう姿を現したな!イリナ!いや……生首製造機!」
ぐっ!
おおっと?叩こうとしたのかな?だが残念!ここは学校だぞ?もしここで俺を叩いたらお上品なそのキャラクターが崩壊してしまうもんな!俺を叩けるわけがないのさ!くっくっくっ!昨日の仕返しだ!ざまぁみろ!
「なんのことですか?私はバ○子さんじゃないですよ。それじゃあ、一体なんと呼べばよろしいですか?」
「生徒会長と呼んでくれたまえ。」
さらっと髪をたくしあげカッコつける。そう、俺は生徒会長なのだ。だから俺は金曜日の時に先生から早めに転校生のことも聞いていたしイリナの案内役も任されたんだ。結構信頼があるのですよ?
「そうなんですか?あなたが生徒会長なんですか……………」
驚いたと言うかどちらかといえば疑いの方が強い眼差しを俺に向けて来る。
「ふふふ、そうさ…………。確かに最近は女性が生徒会長という漫画やアニメ、はたまたラノベもたくさんある。だがここはあえて!男性が生徒会長の路線で行こうかと思う!」
「へ、へぇ〜そうなんですか………。それじゃあ君のことはこれからミフィーと呼ばしてもらうのでよろしくお願いします。」
………うん、気に入ってしまったようだ。だがまぁいい、ミフィーでもなんでもいい。ミフィーは可愛らしいもんな!大丈夫、俺の心はそんなことでは傷つかないしえぐることもない。えぐることなんか……………
悲しくなんか……………………うぅっ。
「そういえばこの学校の事なんですけど………。」
「どうすっかなー。答えるのちょっとやだなー。」
「ミフィー君…………そんなに怪我したいんですか?」
「遠慮なく聞いちゃって!」
うん、ダメみたい。
昼休みが終わるまで会話は続いた。