蓬
書きたいことを書いています。なにか意見あれば何でも言ってください
※「カクヨム」にも重複投稿しています。
「あきつ島」 大和の国の、言の葉は。
「あづさ弓」 引くとも強き 力をば秘めて。
あるいは政の具となり、あるいは富を呼び、名声を高め、その人の人となりをも映し出す。ゆえに、言を巧みに操る者は、すべからく深き教養を備えたる高き位の者とされてきたり。
されど、「あしひきの」 山のあなたも 里の居も、言の本質は平等なるべし。
いかなる身分の者にあれ、心が震えるほどの発見があり、己ひとりだけの眼差しがあるはずなれば。
ただ、その紡がれたる言が、主を救う光となるか、あるいは身を滅ぼす刃となるかは、誰にも測り知ることは叶わぬ。
「ひさかたの」 光に満てる 未来の世、数百年後の読み手たちの心に委ねられておれば――。
――なんていう、教科書の1ページにあるような「言葉の重み」だの「平等さ」だのを、あの日のおれがこれっぽっちも分かって weいるはずがなかった。
現代。世間では、ある有名作家のゴーストライター発覚のニュースが、不毛な論争を巻き起こしていた。
他人のゴシップ記事に、よくもまぁこれほど感情的になれるものだ。おれの気はちっとも向かなかった。
しかし、感心だけはしていた。人が、これほどまでに誰かの気持ちを動かす「文章」を作れるということに対してだけは。
三畳ほどの狭い部屋。
寝転がりながら携帯画面を伏せ、机の上の履歴書を睨む。
名前の欄には、『浅葱 薊』、男、18歳。
書いたはいいものの、そこから先へ筆が進まない。
進まないのではない。自分という人間に、書き進める『中身』なんてものが、最初から存在しないのだ。
有耶無耶な心に嫌気がさして、おれは突発的に部屋を飛び出した。
縒れたパーカーと、底の擦れたスリッパのまま。
何でもいい。自分を繋ぎ止める、ちっぽけな自己肯定感が欲しかった。
どこかへ行きたかった。自分の存在を誰も知らないような場所へ。
時計を見れば、まだ22時前。終電にはギリギリ間に合う。
吸い寄せられるように、飲み会終わりの人々を避けて電車に乗り込んだ。
降り立った無人駅には、冷たい虎落笛が吹き鳴らしていた。
これから先、誰を頼ればいいのだろう。
死ぬのが苦なのではない、生きることこそが苦なのではないか。
そんな取り留めのない思考に呑まれながら、暗い山道をあてもなく登り進める。
考え事をしていたせいか、今頃になって恐ろしいことに気づいた。
夜の山なんて登っても風景など見えるはずもなく、遭難の危険すらある。
ポケットの中で、霜焼けで少し痒く痛むつま先を縮こませながら、焦って下山しようと足を動かした。
だが、夜道は甘くない。急な暗闇と寒さが体力を奪っていく。
どこでもいい、灯りのあるところに縋りたい一心で身を縮めさせた。
「……くそ、寒すぎる……」
このままここで動けなくなって死ぬのだろうか。
生きても人生に希望はない。人望もないおれの言葉は、これまで誰も聴いてはくれなかった。
「言葉は平等」だなんて嘘だ。届く人を選ぶのだから。
過去を恨んでも意味はないのに、ネガティブな感情が押し潰してくる。
その時、急に月明かりすら消え失せ、視界が完全な漆黒へと染まった。
貧乏ゆすりが止まらない。
怖さを紛らわそうと目をつむったが、余計に聴覚が敏感になり、心拍数は跳ね上がる一方だった。
――何か来るなら、来い。半ば投げやりな心地で体を強ばらせる。
その時だった。
閉じた瞼の裏が、妙に温かく、眩しく照らされた。
「?……見ない顔だね。旅の御人かい? おい。息はあるかい?」
しわがれてはいるが、芯の通った声。
驚いて目を開けると、そこには竹の籠を背負い、燃え盛る松明を掲げた老人が立っていた。
衣服は薄汚れており、まるで時代劇から抜け出してきたような奇妙な格好をしている。
「え……あ、えええ……?」
声にならない声でしどろもどろになるおれの服装を一瞥し、老人は短く息を吐いた。
「まあいい。ここにいても体が冷えて、明日は来ないだろう。近くに小屋があるから、ついてきなさい」
拒否する気力もなく、おれはふらつく足で老人の後ろを必死について行った。
小さな木造りの小屋に入ると、中には炭と煙の匂いが微かに満ちていた。
「私の名は、韋駄 勘兵衛と申します。この年ですが、飛脚をしております」
この風貌で飛脚?
頭の中に強烈な違和感が突き刺さる。
(いやいや、なんだよこれ……ドラマのロケか? ドッキリか? それに飛脚って、いつの時代の話だよ……!)
テレビカメラを探すような気持ちで周囲を見回すが、当然そんなものはどこにもない。
本物の炭の熱気と、煤けた木材の匂いがあるだけだ。
まさかタイムスリップ、あるいは小説にあるような異世界……?
いや、そんな漫画みたいなことが自分に起こるわけがない。だが、この圧倒的なリアリティをどう説明すればいい?
パニックになりかける頭を、寒さと疲れが無理やり冷やしていく。
(……まあ、いいか)
ふと、投げやりで静かな思考が降りてきた。
あの三畳間で白紙の履歴書を睨みつけ、未来に絶望しながら生きるくらいなら。
このあり得ない状況の異常さごと、受け入れてしまった方がずっとマシかもしれない。
おれは腹を括り、覚悟を決めて本当のことを口にした。
「……信じてもらえないかもしれないですけど。おれ、未来から来たんです」
老人は驚く様子も見せず、ただ静かに小さく頷いた。
「そうですか。どこから来たどなたかなんて関係ないですよ。困っているのであれば助ける、それだけです。見たところ身寄りもないご様子。いま判断させるのも酷でしょう。まずはこれでも食べて休みなさい」
差し出されたのは、囲炉裏の鍋から木椀に装われた、温かいよもぎの御粥だった。
煤けた木の匙ですくい、口へ運ぶ。
冷え切った体とお腹に、少し苦味のあるよもぎの香りと塩気が染み渡っていく。
喉を鳴らして貪り食うおれを、勘兵衛は咎めることもせず、ただ優しげな目で見つめていた。
やがて老人は神妙な面持ちになり、懐から和紙と筆を取り出した。
おれが未来から来たという突拍子もない言葉を、頭から否定せず受け入れてくれたその手。
硯に軽く水を落とし、墨をすり始めると、流れるような手つきで文字をしたためた。
『旅人の増えて蓬を炊きにけり』
きりりと引き締まる墨の匂い。
五・七・五。それは、紛れもない俳句だった。
おれは今食べたばかりの御粥のぬくもりと、囲炉裏の下でパチパチと音を立て、よもぎの青い香りを煙とともに立ち昇らせている火を見つめる。
自分に句を詠むような風流な才能なんてない。
けれど、この十七文字が持つ意味が、頭の中で自然と紐解かれていった。
――蓬を焚く。
それは今、老人がおれのために火にかけ作ってくれたあの温かい御粥のことであり、その湯気が小屋に満ちているこの情景そのものだ。
そして「旅人が増えて」という言葉。
それは行き倒れていたおれという『異邦人』が、この狭い小屋の住人に加わったことを示している。
老人は、不審者であるおれを突っぱねる代わりに――
『お前という旅人を歓迎しよう。この温かい粥で、冷え切った体を温めていきなさい』
その温かな意志を、たった十七文字の詩に込めて手渡してくれたのだ。
「……言葉は、平等か」
おれは喉の奥で、ぽつりと呟いた。
紙を食い入るように見つめるおれを見て、勘兵衛は静かに筆を置いた。
そして、文字のまわりに広がる真っ白な余白を、節くれ立った指先で優しくなぞった。
「御人。言を扱う上で、何が一番大切か分かるかい?」
「え……」
「これだよ。この、何も書かれておらん『余白』さ」
老人は囲炉裏の火に照らされながら、含蓄のある声で続けた。
「言を連ねる時、おのれの心に余白を生むことが叶えば、決して情に流されることはない。地に足をつけ、日々の暮らしに確かな余裕を創り出すことができる。……そしてな、他人の言の『余白を読む』ということは、相手の真の意図を汲み取ること。書かれざる沈黙にこそ、その人の張り裂けそうな本音が眠っておる。余白を知ることで初めて、十七文字の短い言にも、千言万語に勝る深い意味を持たせられるのさ」
余白を生み、余白を読む。
老飛脚のその言葉が、おれの胸の奥にストン、と重く落ちた。
この老人がどんな人生を歩んできたのか、おれには分からない。衣服の裏にどんな過去を隠しているのかも知らない。
ただ、おれの中に芽生えたのは、圧倒的な「興味」だった。
この人の言葉をもっと知りたい。
この人が見つめている、言葉の『余白』のそばに、おれもいたい。
自分をこれほど震わせた「言葉の正体」が何なのか、知りたくてたまらなくなった。
「御人、夜が明けるよ。明日を始めよう」
勘兵衛の声に促され、おれは静かに立ち上がった。
自分がこれからどうやって食っていくのか、未来はどうなるのか、そんなことはまだ何も分からない。
けれど、胸の中に宿った小さく熱い興味だけを抱えて。
令和の世を捨てた青年・浅葱 薊の、新しい「明日」がここから始まる。
第1話 終
次回:第2話へ続く。
※Web小説の投稿は初めてのため、至らぬ点や拙い部分がありましたら温かく見守っていただけますと幸いです。




