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第25話 動き出す影







 ここで、アロンという男の実力について、一つの仮定を置いてみよう。


 もし、仮に。

 アロンが単独でこのダンジョンを攻略していたならば────。



 第七階層に吹き荒れるこの突風も、全てを飲み込もうとする闇の吸引も、彼には欠片も通用しなかっただろう。

 たとえ世界がひっくり返ろうとも、彼はただ街中を散歩しているかのような涼しい顔で、瞳を一度も曇らせることなく、淡々と攻略を進めていたはずだ。

 

 それこそが、自称SSSランクを冠する男の、剥き出しの地力なのだから。



 次に、リンカと二人で攻略していた場合。



 この場合、アロンの戦術は一変する。

 彼は自らが持つ膨大な魔力リソースの殆どを、自分自身の強化ではなく、隣に立つリンカの保護へと注ぎ込む。

 物理障壁、精神防壁、魔力中和────。

 彼という盾がある限り、穴に落ちるなどという最悪の事態は、確率論的に見てもまず起こり得ない。



 ここまでは、理論上の話だ。

 そう、ここまでは何の問題もない。


 真に解決すべき欠陥が露呈するのは、次の場合だ。

 アロンとリンカ、そして彼が雇い入れた、三人で攻略に臨む時である。

 


 この場合においても、アロンが優先順位を違えることはない。

 彼は魔力リソースの大半を、迷わずリンカへとつぎ込む。

 だが、問題はその『残り』だ。

 彼は、削り取られた僅かな余剰魔力すらも、もう一人の無能な仲間を救うために割いてしまう。


 これの、何が問題なのか?

 最も分かりやすい実例が、かつてのヘリックの失態だろう。


 エンバリ街近郊のダンジョン。

 攻略の最中、ヘリックが不用意にトラップを踏み抜いたことで、一行はダンジョン最下層へと叩き落とされ、意識を失った。


 これこそが、リソースを分散させたことによる致命的な弊害だ。

 本来ならば、たとえ空の果てから落下しようとも、アロンの手中にあるリンカが無傷で済むことは前述した通りだ。


 いや、そもそも彼が単独、あるいは二人であれば、落下などという事態は起こり得ないし、稚拙なトラップに引っかかることも万に一つも有り得ない。



 だが、三人になると話は変わる。



 一度パーティーを組んだ仲間は、必ず、最後まで守り抜く────

 それは、アロンが自らに課した、数少ない不文律の一つであった。

 

 だが、最強を自負する彼のポテンシャルを以てしても、守るべき『お荷物』が二人以上に増えるとなれば、その防護の網には致命的な目詰まりが生じる。




「────俺は自分の限界を知っている」




 以前、アロンが吐き捨てるように漏らした言葉。

 彼は知っていた。自らの魔法理論が、何人を救い、何人を零し落とすのかを。

 

 ゆえに、彼は仲間の数を制限した。

 リンカを除いた枠は、常に一つ。

 それ以上を雇えば、自分の管理下に置けない『不条理』が生まれることを理解していたからだ。




 話を戻そう……




 第七階層。

 巨大な『口』がすべてを飲み込み、引きずり込むような突風が、アロンとリンカを襲っている、この異常事態を。


 リンカ一人であれば、アロンの魔力は間に合った。

 どのような物理干渉、あるいは空間の歪みであろうとも、彼は理論の力でそれをねじ伏せることができた。

 だが、現在は三人での攻略中。









































 ────ミカは?









































 アロンが、自らのリソースを、その『三人目』の保護へと反射的に割こうとした、その一瞬。

 落下する暗闇の淵で、アロンとリンカの瞳に、その姿が映り込んだ。



 ニヤ──────



 松明の消えゆく火光に縁取られ。

 救われるべきはずの少女、ミカの口元が、三日月の形に歪んでいた。

 それは、恐怖に震える占い師の顔ではなかった……




 ◆




 セイドウ街・ギルド長室……



 オルテは、ようやく一息ついたところだった。

 アロンたちが潜った後の、嵐の前の静けさ。

 そんな時だった…


 

「オルテ様、ご報告が!!」



 重厚な扉を叩く、激しいノックの音。

 慌ただしく駆け込んできたのは、オルテの秘書を務めるミーウであった。



「どうしたミーウ君、そんなに慌てて……。何かあったのか?」



 オルテは落ち着かせるように声をかける。

 手元の紅茶からは、まだ安らぎの香りが立ち上っていた。



「以前、オルテ様が依頼された、ある女性の身辺調査が完了したとのことで!」


「ほう……まあ、俺の興味本位で依頼したんだ。そんなに急がなくとも良かったのだが……で、何か分かったか?」



 カップを傾け、静かに問いかけるオルテ。

 だが、ミーウが差し出した報告書の内容は、彼の安らぎを根底から叩き潰すものだった。



「冒険者カードを照合したところ、どうやら『偽造』の疑いが濃厚で……」


「なに……?」



 オルテの手が止まる。



「しかも、この偽造の手口……以前にも似たような案件がいくつか報告されており、詳しく調査したところ────」



 ミーウの言葉が、死の宣告のように室内に響いた。



「その偽造カードの持ち主は、全て、例の『無明の層』を探索し、そのまま消息を絶っている冒険者たちであることが…」



 オルテは、呆然としたまま手元のカップを取り落とした。



「つ、つまり何だ……? こいつは、何度も顔を変えて『無明の層』へと足を運んでいると……? そんな馬鹿な……。第一、そんな事をする理由が、どこにある」



 オルテの声は、震えていた。

 喉の奥でせり上がる吐き気を、無理やり紅茶の残香で抑え込む。



「……確かに、理由は分かりません。しかし、可能性として考えられる最悪なのは────」


「いやいや!! だとしても有り得ないだろ!!! 仮に、仮にだ! お前のその仮定が正しかった場合、このセイドウ街のギルドの審査が『ザル』であると言っているようなもんだぞ!!」



 オルテは椅子を蹴るようにして立ち上がった。

 激昂することで、己の内に広がる底なしの恐怖を塗り潰そうとする。



「何度も同じ偽造法のカードを使われているなど!! しかも今日この日まで……俺が調査を依頼するまで、誰も気づかないなど!!」


「……はい。しかしながら、カードを確認するのは受付の審査の際のみ、検査するのもパーティーのリーダーのみとされている現状…さらにほとんどが一度の探索で全滅。今回のように長期間の探索を続ける例は、これまで存在しなかったことが大きな原因ではないかと……」



 ミーウの言葉は、淡々と、けれど容赦なくオルテの逃げ場を奪っていく。



「オルテ様ご自身も……調査を依頼されたのは、つい先日のことですから……」


「………」



 オルテは、押し黙った。

 確かに、ミーウの言う通りだった。


 オルテが『興味本位』という名の、拭い去れない違和感に突き動かされたのは、つい二日前のことだ。

 報告によれば、アロンとリンカはそれなりの実戦経験を積み、幾多の修羅場を潜り抜けてきた熟練の二人組であるという。

 そんな手練れの中に、魔法もろくに使えない『初心者』が混じり、いきなり未踏破の、それも難度高いのダンジョンへと足を踏み入れる。

 


 『無明の層』────



 それは、並の冒険者であれば、入り口の闇に呑まれるだけで正気を失うほどの絶望だ。

 だというのに、彼らは無傷で帰ってきた。



 アロンが圧倒的に優秀だからだろうか?



 確かに、それもあるだろう。

 だが、オルテの胸の奥には、鉛のような重みが居座り続けていた。


 どれほどアロンが優秀であろうとも…


 その『守られる側の素人』が、十日間も一歩の遅れもなく、死の気配が満ちる闇の中を歩き続けられるものだろうか。


 オルテがミーウに極秘で調査を命じたのは、その『不自然な平穏』を疑ったからに他ならなかった。



「………確かあいつら、今日の探索で七階層の壁に行くとか言ってたな……」



 オルテは、掠れた声で静かに呟いた。


 今朝…

 光の差し込むギルドの前で、憎まれ口を叩きながら探索に向かうアロンたちを見送ったばかりだったのだ。

 

 もしかすると────

 先ほどミーウが口にした、想像を絶する最悪の事態が、オルテの脳裏を濁流のように過った。

 

 じわりと、額から冷たい汗が溢れ出す。

 嫌な予感が、鋭利な爪で胸の奥を掻き毟るようにざわめき始めていた。


 壁に掛けられた時計の針は、11時を回ったところを指している。

 アロンたちがこの街を、あの重厚な門を潜り抜けて出たのは八時頃。


 実力者であるアロンの足ならば、もはや七階層へと到達し、あの『魔力が歪む壁』の前へと辿り着いていても────何ら、おかしくはない時間だった。



 手遅れかもしれない……



 いや、冷静な判断を下すならば、既に手遅れなのだ。




 だが────




「ミーウ君、俺は少々出かける。ギルドを少し頼ん────」


「何を仰っているのですか? 私はオルテ様の秘書ですよ……ご一緒します」



 遮るように放たれたミーウの言葉。

 彼女の瞳は微塵も揺るがず、オルテの動揺を真っ向から射抜いていた。

 二人の間に、重い沈黙が走る。









































 オルテは、彼女の決意が岩のように固いことを瞬時に悟った。

 そして、根負けしたと言わんばかりに、苦笑を漏らして口を開いた。



「……お見通し、か。ミーウ君には敵わないな……ふっ、準備するぞ」


「はい」



 オルテの言葉に、ミーウはわずかに微笑んだ。

 その微笑みは、主の迷いを断ち切るための、何よりも鋭い刃であった。

 そうして、二人は激しく扉を蹴立てて部屋を後にした。

 

 

 

 誰もいない、静まり返ったギルド長室。

 

 

 

 窓から差し込む陽光が、オルテのデスクの上に残された報告書を空虚に照らしていた。

 


 そこには、死神の仮面をまるで被ったとある女の名前─────

 『ミカ』という歪な文字が、まるで呪いのように刻まれていた。



次回更新は火曜日です!

読んでくれている方、モチベーションに繋がってます、本当に嬉しさと感謝でいっぱいです!

ありがとうございます!

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