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空飛ぶ少女の恋(4)


 青子はいまだにスマホの使い方をよく分かっていなかったようだ。

 メッセージで地図アプリを開くように送っても、分からないと返事があるだけ。

 柊は青子のスマホに入っているアプリをなぜか把握しているらしい。画面の真ん中くらいにあるからと説明している。

 隣の市の駅に着いてからも説明は続き――時間をかけて、なんとか青子の現在地を掴むことができた。

 動画に映っていたビルの近くにある、五階建てマンションの非常階段にいるらしい。

 そこに着地した後、疲れて寝ていたというから色んな意味で力が抜ける。

 地図アプリの使い方も分かっていない青子を下手に移動させれば、また迷子になるだけだ。

 やはり柊と佐南の二人で、青子のところまで迎えに行くことにする。

 バスの時刻や路線を調べて、バス移動と徒歩で約四十分。

 青子がいるはずのマンションの近くへと、二人は来ることができた。

 もう太陽は沈み、その光だけがまだ空に残るだけになっていた。もうすぐ夜がやってくる。

 目的のマンションの外側には鉄製の非常階段があった。それを上から順に確認している途中で……。

 人影が見えたと思えば、その影が非常階段の柵を飛び越えた。

 思わず悲鳴が出そうになるが、影はふわふわと危なげなく二人の前に降り立つ。

 もちろんその影の正体は、青子だ。

「青子さん!」

「青子!」

 その姿に、柊にも佐南にも一気に安心が広がった。無事だと分かっていても、やはり不安は大きかったのだ。

 しかし、軽くなった気持ちはすぐに驚きに変わった。

 青子の顔を見て、佐南は思わず声を失う。

 しかし、柊はふっと吹き出した。

「もー。なんて顔してんですか」

 泣きはらしたのだろう。瞼は腫れて頬に涙の跡を残す青子に、柊は笑った。しかも、その声が酷く優しくて甘い。

 佐南はその柊の反応にも驚く。

 あの青子が泣いたのだ。柊ならもっと大騒ぎしてもおかしくないだろう。

 そう思って柊の顔を見た佐南は息をのんだ。

 柊は愛おしそうに、青子を見ていた。口元は仕方ない、と言うような柔らかな苦笑。

 柊の両手が、青子の頬を優しく包む。

「どうしたの? 滉くんとなにがあったんですか?」

 その声に反応したのか、青子の目からまたぽろっと涙が落ちた。

 自分の頬に触れる柊の手に、青子は手を重ねる。

「滉くんに見捨てられた……。もう関係ないって……あたしのことはどうでもいいって……」

「さっきもそんなこと言ってたけど……そんなわけないでしょ」

 柊はバッサリと言い切った。

 しかし、青子は情けなく眉尻を下げる。柊の言葉はまるで信じられないというように。

「でも……言ってた」

「それ、なにか勘違いしてますよ。だって滉くん、青子さんに惚れまくってるじゃないですか」

「えっ! 滉くんって青子が好きなのか!?」

 驚いて声を上げた佐南を、やはり驚いた顔で柊が見る。

「今更!? むちゃくちゃ分かりやすかったでしょ」

「分かりやすいって……」

 青子のことを気にかけていたのは知っているが、佐南に言わせれば、滉征は柊のことだってよく気にかけているし、佐南のことも気にしてくれている。

 面倒見がよくて、優しいのが滉征だ。青子に対して特別にそうだったとは思わない。

「それが勘違いじゃねえの?」

 佐南が思わず言えば、青子は眉間にしわを寄せて泣きだし、柊はキッと目尻を吊り上げた。

「勘違いじゃない! あれで惚れてないっていうほうがおかしい! 松田くんもモテてる割になんでそんな鈍感なの!?」

「佐南の言う通りだ。滉くんはみんなに優しいのに、特別なんだって勘違いしてたんだ」

「だから、勘違いじゃないですって!」

「でも、もう関係ないって……どうでもいいって……」

 さっきと同じことを言って、青子は柊の肩に頭を乗せる。

「あー、もう……」と柊は青子を抱きしめて、その頭を撫でた。

 それを見て、佐南が言う。

「惚れてるかどうかはともかくさ。それ、本当に滉くんが言ったのか? 滉くんがそんなこと言うなんて、俺も信じられねえ」

 優しい滉征が、そんな風に青子を突き放すとは思えない。

「青子、もしかして滉くんを怒らせるようなこと言ったんじゃないのか?」

 青子はグズグズ鼻を鳴らして、柊から離れる。

 体を離した青子の手を、柊が両手で握った。まるで青子を地上に引き留めるように。

 青子は視線を二人からはずして言う。

「言ってない。でも……滉くんは怒ってたみたいだった」

「なんで?」

「分かんない」

 ふるふると頼りなく首を振る青子は、いつも以上に会話が成り立たない。

 しかし、柊は根気よく青子に話を聞いた。

 そうやって時間をかけて聞いた内容に、柊は納得したようだった。

「原因はたぶんそれですよ。クラスメートの人に、滉くんに彼女が出来ても関係ないって言ってるのを、滉くんが聞いちゃったこと」

「え、それがか!?」

 驚きの声を上げたのは佐南だ。

 青子と滉征は付き合っているわけでもないのだ。滉征に彼女が出来ても、確かに青子には関係ない。それを青子はいつもみたいに淡々と事実として話したのだろう。間違っているとは思えない。

 しかし、柊は佐南に対して呆れたような視線を向ける。

「言ったじゃないですか。滉くんは青子さんが好きなんですよ。好きな子に、そんな遠回しに興味ないみたいなこと言われて、さすがに滉くんも傷ついたか、怒ったか、拗ねたのか。それで八つ当たりみたいに、青子さんに言っちゃったんですよ、きっと」

「えー……滉くんがそんなことするか? ってか、それだと滉くんがマジで青子のこと好きみたいじゃん」

「だから好きだって言ってるじゃないですか」

「……違うよ、違う」

 ポツリと否定したのは、やはり青子だ。

「滉くんはあたしのことなんか好きじゃない」

 その声は震えていて、自分の言った言葉で青子自身が傷ついているように見える。

 それを敏感に感じ取ったのか、柊は慰めるようにまた青子の頬に触れた。

「なんで、そう思うの? 青子さんだって本当は気付いてたんじゃないの? 滉くんが青子さんのこと好きだって」

 青子は顔を上げて、へらりと笑った。

 いつもと違う、不器用で不細工な笑い方だった。

「ちょっとそうかもしれないって思ってた。でも、違った。滉くんはただ優しいだけだ。あたしが特別だったわけじゃない。だから、見捨てられたんだ……」

「もー、またそれ言う……。見捨ててないですよ、絶対。これは本当に言い切れる」

「でも……」

 青子の潤んだ目が、柊を見る。

「柊も言ってた。クロも。いつかあたしが滉くんに見捨てられるって……」

 思ってもみなかった言葉に、柊がギョッとする。

「え、わたしそんなこと言ってないですよ!?」

「言ってた。滉くんが可哀想だって……」

「あー……それは言ったかもしれないけど」

「言ってた」

「でも、違うでしょ! それはそういう意味じゃない。滉くんが青子さんを好きなのに、青子さんがそれを誤魔化してるから、滉くんにほんの少しだけ同情するって意味で……!」

 そこまで言うと、柊は勢いよく青子に抱き付いた。

「ごめんなさい! そんな不安にさせるなんて思ってなかったんです。ただ青子さんも滉くんを好きなのかもしれないって思って……だから、誤魔化さなくてもいいのにって思って……ただそれだけで、不安にさせるつもりはなかったんです!」

「でも、クロも言ってたんだ。いつか見捨てられるって……」

「クロって確か青子さんの弟の名前ですよね?」

 柊は体を離すと、青子を見上げる。

 青子はこくんと、小さくうなずいた。

「クロくんがなんでそんなこと……。滉くんのこと知ってたんですか?」

「バイトの迎えに来たときに会った」

「滉くんのお迎えと鉢合わせたわけですね?」

「は、お迎えってなに?」

 なにも分からない佐南が聞くと、柊が簡単に説明した。

「滉くんは青子さんのバイト終わりに、バイト先にわざわざ迎えに行ってたんですよ。塾帰りのついでとか、夜遅いからとか言い訳がうるさかったけど、ただの牽制と過保護と愛情ゆえの行動ですね」

 滉征がそんなことをしていたとは知らなかった佐南は、思わず言葉を失う。

 優しいとは思っていたが、そこまでしていたとは……。これでは青子に惚れていると判断されても仕方ない。

 柊はまた青子へと視線を戻すと、話を進めた。

「クロくんと滉くんが会ったのはそのときだけ? それでなんで見捨てられるなんて話になったの?」

「分かんない」

「もー……分かんないじゃなくて思い出して。でないと青子さんの余計な心配がなくならないでしょ」

 青子は眉間にしわを寄せる。思い出そうとしているのだ。

「…………滉くんのこと彼氏かどうか聞かれた」

「それで?」

「友達って」

「それだけ? 他には?」

「そういえば柊のことも聞かれた」

「え、わたし!?」

 予想外の答えに、柊が思わず自分を指す。

 青子はまたうなずいた。

「そう……夜に飛んで行ってるところも滉くんのところか聞かれて、柊のとこに行ってるって。……そしたらいきなり怒って? そんなことしてたらいつか見捨てられるって」

「え、どういうこと?」

「分かんない」

 青子が気付いていないだけで話を聞けば解決すると思っていた柊にも、これはさっぱりと分からない。

「それ……高野のこと、男だと思ったからじゃないか?」

 黙って話を聞いていた佐南が、突然言った。

 青子も柊もキョトンとして佐南を見る。

「今のって、青子は高野のところに夜に行ってるってことだろ?」

 答えたのは柊だった。

「今はそうでもないけど……前はよく泊まりに来てましたね」

「だから、それが男の家に行ってると思われたんだろ。シュウって名前で男だと勘違いしたんじゃないか。青子のことだから名前しか言わなそうだし。わざわざ女の後輩なんて説明してないだろうし」

 佐南は眉間にしわを寄せていた。自分にも当てはまる勘違いだからこそ面白いものではない。

 柊は「あー、もう!」と声を上げた。

「そうですよ。それですよ。青子さん、クロくんに二股かけてると思われたんですよ。だから、見捨てられる発言に繋がるんだ」

「二股?」

「クロくんの勘違いです。青子さん、帰ったらクロくんにわたしの性別言っておいてください! 青子さんの名誉がかかってますから!」

「え?」

 いまいち理解が追いつかないのか、青子ははっきりとした返事をしない。

「だから、クロくんの勘違い。見捨てられる発言も全部そう! だから、青子さんが滉くんに見捨てられるなんてないの!」

「……でも、クロの言う通りだった」

 青子がポツリと言った。

「クロに言われて、なんか見捨てられるんだと思ったら滉くんのことも怖くなって……滉くんと一緒にいたくないって思った。そうしたらやっぱり滉くんにも見捨てられた」

 青子が続けて言った言葉に、柊は焦った。

「ちょっと待ってちょっと待って! もしかして滉くんにもそれ言った!?」

「どれ?」

「怖いとか、一緒にいたくないとか!」

「言った……かな。バイト先には来なくていいって言った。あと……目が見れなくなった。怖くて……」

「あー、もう……。それも原因ですね。いきなり避けられて、彼女いても関係ない発言されて、それで滉くんも思わず言っちゃたんですよ。さすがの滉くんも傷ついちゃったか」

「え……」

 なぜか青子がショックを受ける。

「やっぱり見捨てられた……」

 柊に改めて指摘されたように感じて、青子の目が潤む。

 それに気付いた柊が、また青子の頬を挟んだ。

「もー泣かないの。大丈夫だから。……ちゃんと謝れば滉くんは分かってくれるから」

「……高野は青子に甘すぎだろ。ってか、いきなり避けたとか意味分かんねぇ。そんなん俺でも腹立つわ。それで見捨てられたとか言うの勝手すぎだろ。青子がそんな奴だとは思わなかった」

 佐南がムッとしたように言う。

 柊は佐南を責めるように睨むが、佐南は青子をじっと見た。

 青子も気まずいのか、視線をそらした。いつもはじっと人の顔を見るくせに。

「……ごめん、佐南」

「謝るの俺じゃねえだろ。謝るなら滉くんに謝れよ。弟の勘違いもあったかもしれないけど、青子も勘違いして酷いことしたんだからな。……ってか、俺たちに謝るならこんだけ心配かけたことだろ」

 青子はハッとしたように佐南を見る。そして、柊の顔を見た。

 柊の手をはずすと、数歩後ろに下がる。

「青子さん」

 思わず手を伸ばす柊の前で、青子は頭を下げた。

「ごめん。ごめんね、佐南、柊」

「…………おう」

「……無事だったからいいんですよ、もう」

 柊は泣くのをこらえるように眉間にしわを寄せると、青子にまた抱き付いた。

 青子もまた柊の背中に手を回す。

 抱き合う二人を見て、佐南は「ふう」と大きく息を吐いた。

 腹立つこともあるが、結局柊の言う通りで。


 青子が無事でよかった。


 それが、すべてでもあった。


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