空飛ぶ少女の恋(1)
現在、佐南たちが通っている中学校はテスト期間中である。
その間は部活も休みのため、佐南はテスト勉強をしようと部活仲間と一緒に図書館に来ていた。
図書館に来て勉強がはかどるかと言えばそうでもなく。
騒ぐことも出来ない場所で、部活仲間四人と勉強したり、勉強しているフリをしたり、マンガを読んだりしていた。
佐南たちは学習スペースの奥の机を陣取っているが、スペースの手前、窓側には柊もいた。
ここに来たとき佐南は気付いたが、柊は気付いていないようだ。
たまにチラチラと様子を見ていると、真面目に勉強しているが、ときどきスマホでなにかを確認しているようだ。
柊はクラスでは同じ美術部の友達と一緒にいるが、今は一人で来ているらしく隣には誰もいない。
小学校の時、青子が卒業した後にたまに学校で見かける柊は、いつも一人でどこか寂しそうに見えた。青子と一緒にいてはっきりと感情を表す柊を見たせいか、おとなしい柊には違和感すらあった。
そして、中学に入学してから青子と一緒にいるところをたまに見かけると、そのときの柊は素直に感情をぶつけていた。それが青子の前限定だと気付いたのは同じクラスになってからだ。
柊は同じ美術部の友達と一緒のときすら、どこか一歩引いているように見える。ただのクラスメート――佐南含む――だと、十歩くらい引かれているのではないだろうか。
そんなだから、滉征も柊を心配するのだろう。
去年の夏休み、金髪にした滉征と偶然会ったとき、「たまに柊のことも気にかけてやってほしい」と言われた。
深い意味はないけどと誤魔化していたけど、優しくて面倒見のいい滉征は、青子が卒業した後の柊のことを心配していたのだろう、と今になって分かった。
しかし、青子が中学を卒業してからも、柊はあまり変わらなかったように思う。小学生のときのように、あからさまに寂しそうな様子は見せていない。
ただ、友人にもクラスメート――佐南含む――にもどこか引いた様子なのは変わらない。
滉征に頼まれたこともあって、佐南はときどき柊を気にかけていた。それがなにかの行動につながることはなかったが――。
「きゃあっ」
小さな悲鳴に、佐南は思わず顔を上げた。
柊の声だった。
柊はスマホを握り、その画面を呆然と見ている。
佐南だけでなく、一緒に来た友達も他の利用者も柊のほうを見ていたが、その視線にはまるで気付いていない。
近くにいた図書館員が柊に近付いていった。
おそらく「どうかした?」とか「大丈夫?」的なことを聞かれたのだろう。柊はゆるく首を振る。その顔色は、佐南の位置からでも分かるほど青い。
柊は慌てて広げていた教科書やノートを片付けると、スマホを握りしめて図書館から出ていく。その足取りはどこか覚束ない。
「あれって、うちの中学の奴じゃね?」
「え、俺知らねーけど……。知ってる?」
友人たちが話す中で、佐南は立ち上がった。
「便所」
友人たちにはそう言って、佐南は柊を追いかけた。
※ ※ ※
佐南が図書館を出ると、入り口から少し離れた先で、柊が図書館の壁に半身をあずけてしゃがんでいた。
「大丈夫か!?」
慌てて駆け寄り、柊の横にしゃがみこむ。
スマホを握りしめていた柊は、ゆっくりと佐南を見た。
柊の目はいつも潤んでいるが、今はいつも以上に潤み、涙がこぼれそうだった。
「松田くん……」
柊は震える声で、佐南を認識する。
「こ、これ……」
柊が差し出したスマホの画面には、静止になっている動画がある。
わけが分からないまま画面中央の再生マークを押すと、動画が再生された。
画面に映し出されたのは、空とビルの屋上。そのさらに上にいる人間。
顔も見えない、姿も小さいものだ。
それなのに見た瞬間、青子だと思った。
この高さまで飛べるのは、青子しかいない。
『すげー。マジであんな高さまで飛べんの?』
撮影者の声が入りこんでいる。
『あれ、子供か? 結構でかくね?』
もう一人別の声が聞こえた。『この距離じゃ分かんね』と答えたのは撮影者。
その場には二人以上いるらしい。
風に流されるように飛んでいるのを追っていたが……その身体が空中で止まる。
そして、急に落下した。
下に向かって飛んでいるわけではない。
本当に、落ちている。
小学生のとき、佐南が落ちてしまったように。
『え、ヤバイヤバイヤバイヤバイ。ヤバイって!』
『ビルにぶつかる!?』
撮影者たちの焦った声。
頭から落ちていく青子は、そのまま行けば確かにビルの屋上にぶつかりそうで……佐南はひゅっと息をのんだ。
『うわあああ』
撮影者たちも悲鳴を上げる中で、しかし、青子の身体はビルにぶつかることなく、その裏側へと消えていった。
動画はそこで終わっている。
静止した画像を見ながら、佐南は確認するように言った。
「……青子、だよな」
「青子さんだよ」
柊は震える声で肯定する。
「あんなに高く飛べるのは青子さんしかいない」
「これ、続きは?」
「投稿されてない。でも、目撃した人は何人もいるみたい」
動画が投稿されたのが三十分前。動画のコメント欄には、確かに他の目撃情報が寄せられている。
しかも、どうやら隣の市で映されたものらしい。
そんな距離を青子が飛んでいったなんて信じられない。
それになにより……
「青子が、落ちたのか?」
あの青子が?
小学生の時、空から落ちた佐南を助けて、そして佐南をもう一度飛ばせてくれた、誰より高く誰より自由に空を飛んでいた青子が。
落ちた?
それがなによりも信じられない。
衝撃ですらある。
それに……。
「青子が落ちたら、誰が助けられるんだよ……」
佐南は青子に助けられた。
ならば、青子が落ちたとき、一体誰が助けられるのだ。
この動画に続きはない。
落ちた青子は再浮上したのか、それともそのまま――。
足のつま先から頭の先まで、恐怖が走る。
柊を見れば、左手で右手を握り口元に当てていた。そうやって、恐怖に耐えているように見える。
「青子に連絡……」
ハッとして、佐南は自分のポケットを漁る。
しかし、スマートフォンは図書館に置いてきたリュックの中だ。
「連絡つかない。メッセージは既読にならないし、電話にも出ないし……」
柊が顔を伏せて言う。もう青子に連絡はしていたらしい。
「滉くんとも……連絡つかない。青子さんのこと聞こうと思ったのに……。今日、二人とここで会う約束してて……それなのに全然来ないし、連絡もないし……」
柊との約束を無視する二人ではない。
それなのに青子は空を飛び、そして滉征とも連絡がつかないというなら、一体なにがあったというのか。
「その動画、滉くんにも送ったのか?」
「送った。……でも、見てるのか分かんない」
「俺からも連絡してみる。ちょっとここで待ってて」
佐南は図書館の中に戻る。
学習スペースにいた友人たちが「遅かったな」とか「大丈夫か?」と聞いてくる中で、さっさと荷物をまとめる。
「悪い。先に帰るわ。ホント、ごめん」
リュックの中からスマホを取り出すとそれを握って、驚く彼らの声も聞かずに背を向けた。
歩きながらスマホを操作して、滉征に電話をかける。
呼び出し音が鳴ったとき、佐南は図書館から出ていた。柊は同じ場所で、体を丸めたままだ。
そのとき、呼び出し音が切れた。そして。
「…………佐南?」
繋がった。
その瞬間、佐南から情けない声が出た。
「滉くん、青子が落ちた!」
電話の先で滉征が息をのみ、佐南の声が聞こえた柊が縋るように顔を上げた。




