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空飛ぶ少女の昔話(4)


 次の日、青子はいつも通りに学校に行った。

 もう登校していた冴木くんは青子が席に着くと、小声で言った。

「おはよう。……柳さん、昨日はありがとう」

「……」

 昨日のことを思い出して、青子はなにも答えられない。

 不思議そうな顔をする冴木くんに、思わず青子は聞いていた。

「助けなくてもよかったのかな?」

「え?」

「佐南」

「えーっと……」

 冴木くんは少しだけ考えてから

「もしかして、佐南を助けなくてもよかったってこと?」

 青子は小さくうなずく。

 冴木くんはキョトンとしてから、勢いよく首を振った。

「そんなわけないでしょ!」と強い声で言ってから、ハッとする。クラス中の視線を集めて、「ごめん、なんでもない」と周りに笑って言った。

 それからまた青子に小声で言う。

「柳さんが助けなかったら、佐南は死んでてもおかしくないんだよ。なんでそんなこと言うんだよ」

「他の子が助けたほうが良かったのかな」

「あのとき佐南を助けられたのは、柳さん一人だけでしょ」

「…………あたしだけ?」

「そうだよ。俺、柳さんがいてくれて本当に良かったと思ったんだから。佐南が死んだら嫌だし」

「うん……」

「なんで、そんなこと言うの? 誰かになにか言われた?」

「なんでもないよ」

 冴木くんの心配そうな声に、青子はへらりと笑った。いつもの気の抜けたものと違い、ぎこちないものだったが青子は気付かない。そして、そのときの滉征も気付かなかった。

 それより冴木くんは「あっ」と何かを思い出した。

「あのさ、佐南が飛行練習に付き合ってほしいって言ってて」

「練習?」

「佐南、飛べなくなったらしくて。それでまた飛びたいから練習したいって言ってたんだ。悪いんだけど、付き合ってやってくれない?」

「…………なんで、あたしなの?」

「それはだって」

 冴木くんはどこか誇らしげに、満面の笑みを浮かべた。


「柳さんの飛行が一番すごいからだよ」


「…………すごい?」

「うん、すごいよ!」

 冴木くんがどうして褒めてくれるのか分からない。

 青子は今まで飛んでいて怒られることしかなかった。

 そのせいでお母さんからだって見捨てられたのに。

 冴木くんは憧れすらにじませて、青子を褒める。

 そんなのおかしいと思いつつ、なんだか青子は泣きたくなった。

 だから、青子は放課後に飛行練習をしようと約束した。

 そして、放課後。

 いつもの防風林の広場で、飛行練習と言ってもどうすればいいのか冴木くんと佐南と話していたところに、柊が現れた。

 泣きながら青子に抱き付いて、プリプリと怒っている。

 でも、そうやって抱き付かれるのも、口うるさく言われるのもいつも通りだ。

 泣きそうな柊の目の中に自分の顔を見つける。

 柊は青子をいつもまっすぐに見ている。だから、どれだけ口うるさくても怖くない。

 またか、仕方ない。と思っても、そこには怯えも諦めもなくて、ただ可愛いという感情と一緒にある。

 ここにいると、少しだけいつも通りに戻れた気がした。


   ※   ※   ※


 今思えば、青子の人生は小学六年生のときに大きく変わった気がする。

 お母さんに完全に見捨てられた。

 でも柊や滉征、佐南といった可愛く優しい人たちに出会えた。


 それなのに。


 青子はついに滉征にも見捨てられた。

 青子はどこかで、滉征にとって自分は少し特別なのかもしれないと思っていた。

 そう思ったのは、高校に入ってからだ。

 青子と目が合うと、滉征が笑う。

 その当たり前が、実は特別ではないかと気付いた。

 滉征は誰に対しても優しく笑うが、青子に向けられたものは違うような気がした。

 だから、特別だと。

 だから、滉征は青子を嫌ったり見捨てたりしないと。

 馬鹿みたいにそう思っていた。

 ボロっと涙がこぼれる。

「うー……」

 頬を次々と伝う雫は、空に落ちていく。

 滉征は青子より特別だと思う人が出来たのだろうか。

 彼女が欲しいと思ったのだろうか。

 もう青子のことなど面倒臭くなったのだろうか。

 滉征がそう思ってしまったなら、もう青子にはどうしようもできない。

 青子より大事な人がいる滉征にとって、もう青子のことなど関係ないだろうから。

 だから、青子にはなにもできない。どうしようもない。

 もともと滉征が一緒にいてくれたのだって、ただの優しさでしかなかったのか。

 勉強の出来ない青子に勉強を教えて……色々と頼りない青子が心配で、だから特別優しくしてくれたのだろう。

 滉征にとって自分が特別だと思ったのも、青子の願望だったのだと思い知る。

 青子にとって、滉征はそんなふうに願ってしまうほどの存在で。

 見捨てられると思うだけで怖い相手だったのに。

 それなのに、それはもう現実になってしまった。


『もうどうでもいい』『俺にはもう関係ない』


 お母さんと同じことを滉征にまで言われてしまった。

 見捨てられてしまった。

 そして、あのときのように青子は空に逃げていた。

 誰もいない空。

 お母さんも滉征もいない。青子だけの空。

 あのときのように必死にその身体の中で耐えようとする。

 あのときと違うのはただ上に飛ぶのではなくて、風に流されるように移動しているところだろう。

 ただそれも分からず、青子は耐えるために飛び続けていた。

 悲しみも、

 絶望も、

 嘆きも、

 叫びも、

 怒りも、

 そのすべてを発散させるように。

 だが、青子は無意識に、そしてがむしゃらに飛び過ぎた。

 がむしゃらに全速力で走ると、すぐに疲れは出るものだ。

 そのとき速度を緩めて歩いてもいいし、立ち止まって休むのもいい。

 しかし、飛んでいるときは違う。

 疲れを感じても限界だと思っても、立ち止まることは出来ない。少しずつ高度を落としていくしかない。

 それなのに、このときの青子は、疲れを自覚したときには、もう身体が限界を迎えてしまっていた。

 がむしゃらに、ひたすら飛び続けた結果、遥か下の地上に見覚えのある建物はなく。

 その周辺を見回しても、どこだか分からない。

 遠く海は見える。防風林のこんもりとした木々も見えた。あの辺りが、青子の住む町なのだろう。

 ボーっとした頭でも戻らなければと思うが……しかし、一瞬だけよぎる。


 もういいか、と。


 家にも学校にも戻りたくない。もう、いい。

 青子が諦めた瞬間、全身から力も抜けた。

 飛行で疲れた体は、もう飛ぶことすら諦めてしまったようで。


 地上からおよそ百メートル。

 その高さで、青子の身体はついに重力に捕まり。


 落ちていった。


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