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空飛ぶ少女の昔話(3)


 飛べるようになった青子は、放課後に防風林の広場で一人飛ぶようになった。

 飛行矯正施設の摘発でお母さんもなにか思ったのか、あのニュースが出てから縛られることもない。

 それもあってか、飛べるのが嬉しくて、安心できた。

 久しぶりの飛行に飽きることなんてなくて、お母さんに見つからないように、誰にも内緒で青子は一人で飛んでいた。

 しかし、いつからか広場で一人の少女を見かけるようになった。

 最初の頃、彼女はいつも泣いていたように思う。

 涙の跡を濃く残して、青子を見つけると怯えるように逃げて行った。

 青子が飛べることが見つかったわけだが、知らない子で、しかも泣いていたような子だったので、誰かに――青子のお母さんに告げ口することはないと思って放っておいた。

 いつからか少女は泣いていなかったが、強い視線を向けてくるようになった。

 敵意はない。それは分かったから、やっぱり放っておいた。

 青子が六年生に進級したとき、その子から初めて話しかけられた。

 その少女は――柊とは、放課後に毎日一緒に飛ぶようになった。正確には柊のピアノ教室がある日以外。

 いつも一人で飛んでいた青子だったが、柊と飛ぶのも悪くはなかった。

 柊はひっつき虫で、いつも青子にひっついてくる。それがうざいときも面倒くさいときもあったけど、別に良かった。

 柊のことを可愛いと感じたときもある。

 誰かにそう思ったのは、柊が初めてだったかもしれない。



 進級して一ヶ月が経つと、クラスで席替えがあった。

 そのとき隣の席になった冴木くんは、面倒見のいいしっかりものだった。

 ボーっとしている青子のことを、なにかと世話してくれた。

 真面目な子で良い子で、すごい子だった。

 こんな青子のことを気にかけてくれるのは、冴木くんだけかもしれないな、と思った。

 そんな冴木くんと一緒に日直当番になった日の放課後、なぜか一緒に帰ることになった。

 それもこれも一緒に校門を出たまでは良かったが、青子が防風林の方へ向かったことが、冴木くんには信じられないことだったらしい。

「寄り道なんて駄目だよ。ちゃんと一度家に帰らないと」

「えー……」

 嫌そうにする青子を「ほら、帰ろう」と冴木くんはうながす。

 仕方なく青子は一緒に帰った。

 これを断って、もし冴木くんまで怒りだしたら嫌だ。それに、また後で引き返せばいいか、と思ったのである。

 そして、その途中で。

 落ちていく子供を見た。



 ――助けた子供は、佐南と言う名前だった。

 冴木くんの知り合いだったらしい。

 佐南が落ちたことも、青子が佐南を助けたこともすごい騒ぎになっていて、青子は嫌だなと思った。

 冴木くんは「すごいことだ」と褒めてくれたけど、青子はこれがお母さんにバレるのが一番怖い。

 家に帰ると、まだ誰も帰っていなかった。弟と妹ももう学校は終わっているはずだが、友達の家にでも遊びに行っているのだろう。

 青子は自分の部屋に入る。

 青子の部屋は、物置部屋として使っていたところだ。

 窓もないそこは、家族のシーズンオフの服が入った衣装ケースやストーブ、扇風機などの家電、もう使わなくなった不要品などが置いてある。

 その隙間に、青子の布団が敷いてあり、実質青子が使えるスペースは布団の上くらいしかない。

 もともと妹が今使っている部屋を、青子も一緒に使っていた。しかし、妹が「一人部屋がいい」と主張し、「お姉ちゃんは窓がない部屋のほうがいいでしょ。また飛んだら嫌だし」とあの頃の青子はもう飛べなかったのに、そんな風にお母さんに言ったのだ。

 妹はお母さんの影響をより強く受けていて、飛べることも、青子のことも馬鹿にしていた。だからこそ、青子と一緒の部屋が耐えられなかったのかもしれない。

 お母さんは「飛ばなくて」「自分のいうことを良く聞く」妹のことをとても可愛がっていた。

 だから、お母さんも「そうね」とうなずいて、青子は物置部屋に移ることになった。

 お父さんは「可哀想じゃないか?」と言ったが、「仕方ないじゃない」というお母さんに、それ以上なにも言わなかった。お父さんは最終的にはいつもお母さんの味方だ。

 弟はこういうときいつも冷めた目をしていた。俺には関係ないと、お母さんがなにを言おうと、青子がどうなろうと、いつも冷めた目で見る。

 青子ももうそんなものだと受け入れている。

 しかし、お母さんのことは今でも怖い。怖いものは怖い。

 敷きっぱなしの布団に横になると、青子は今日のことがバレない様にひたすら祈っていた。

 ――いつの間にか眠っていたらしい。

 目が覚めると、上半身を起こす。

 ふとドアの方へ顔を向けると、お母さんが立っていた。

 その顔を見て、バレたと分かった。

 しかし、お母さんは怒鳴らなかった。

「青子」

 やけに静かな声で青子を呼ぶ。

 怖くて返事も出来ない青子に、お母さんは言う。

「今日、飛んでたね? 落ちていく子供を助けたのはあんたでしょう?」

「…………」

「黙ってても、分かってるから。動画見たとき、あんただって分かった。はっきり顔なんて映ってない小さな姿だったけど、これでも一応、あんたの母親だからね。分かっちゃったのよ」

「………………助けないとって思って」

「それで、飛んで助けにいったの? それ、あんたがしなきゃいけないこと? あんたじゃなくてもいいでしょ。ねえ、分かってる? あんた、ずっとお母さんのこと騙してたんだよ。飛べなくなったって思わせて、陰でずっと飛んでたの? あんた、どこまでお母さんのこと馬鹿にすれば気が済むの?」

 青子は小さく首を振った。

 しかし、お母さんはそんな青子を見ても表情を変えない。

 ふう、とため息をつくと、髪をかきあげる。

 そして、言った。

「もういい」

 今まで聞いたこと無いくらい冷たい声だった。

「もういいわよ。お母さん、もう疲れた。だから、もういい。もうどうでもいい。あんたは好きにすればいいわよ。お母さんはもう関係ないから」

 そうして背中を見せたお母さんに、青子は弾かれたように立ち上がった。

「待って、お母さん!」

 背中に縋った青子を、お母さんは振り払う。

 呆然とする青子を見下ろして、「泣きもしないのね。ほんと、かわいくない子」とポツリと言った。

 そして、部屋のドアを閉めて、お母さんは出て行った。

 青子は体から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。

 なんだそれ。

 泣いて縋ったら許してくれたのか。飛ばなかったら許してくれたのか。

 なんだそれは。

 なんで、こんなことになるんだ。

 なんで……。

 しかし、その怒りも、それを超えた絶望に塗りつぶされる。


 見捨てられた。


 その事実に青子の身体が震えだす。

 ハッとすると、震えた足を動かして部屋から出た。

 そして廊下にあるドアを開ける。その先はバルコニーだ。

 もうなにも考えられなかった。ただもう耐えられなかった。逃げたくなった。

 ベルコニーの塀に足をかけると、空へと飛び出す。

 下から突き上げられたかのように青子の身体は上空まであっという間に飛んだ。

 このとき青子が幸運だったのは、夜になっていたことだった。そのおかげで飛んでいる青子の姿は誰にも気づかれない。

 地上からおよそ六十メートル。

 重力から解放されたのに、青子の心は強張ったまま。

 呆然と空を飛ぶ。

 空の中、青子は「ハッハッ」と浅く息をしながら、必死に耐えていた。

 叫びも、

 恐怖も、

 絶望も、

 怒りも、

 すべてを小さな体の中に閉じ込めていた。


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