空飛ぶ少女の昔話(2)
お盆の時期になると、家族で父方の祖父母の家に行った。
遠方にある祖父母の家での滞在期間は毎年五日ほどだ。
いつもは毎日毎日祖母に怒鳴られていたが、今回はそんなことはなかった。
青子がいつ飛ぶのか。祖母はずっと目を光らせていたが、青子が飛ばないと分かると「飛ばないの?」と聞いてきたりした。
「飛ばない」と答えると、「やっとまともになったのか」と嫌そうな顔で言う。それっきり祖母が青子に構うことはなくなった。
その家で、青子はいつも暇だった。
大人たちは集まっていつも話しているし、弟や妹、いとこ二人も一緒に遊んでいる。
いとこを混ぜても青子は一番年上だったが、こんなとき青子はいつも一人でいた。
「お姉ちゃんとは遊びたくない」と妹が言うと、妹と同い年で女の子のいとこが「青子ちゃんは何を考えてるか分からなくて気持ち悪いからやだ」と同意した。
弟は自分より二つ下の男の子のいとこと遊んでいる。男の子同士で楽しそうだった。
一人でいることは別にいい。
むしろ一人で良かった。
空を飛んでいられたら、それだけで良かった。
だけど、今はもう飛べない。
暇を持て余した青子は、一人、縁側に座って空を眺めていた。
※ ※ ※
青子が空を飛べなくなってから一年。
青子が小学五年生のとき、そのニュースは流れた。
家族で夕飯を食べているときだった。
つけっぱなしのテレビから流れてきたのは、飛行矯正施設の摘発のニュース。
摘発されたのは三日前。それから施設内で行われていた虐待について明らかになってきたという報道だった。
「施設内では児童の身体を拘束、狭い部屋に閉じ込め、それでも飛行したときは引きずり降ろされ暴力も受けていたそうです」
家の中に気まずい空気が流れる。
お母さんも、青子も、弟も妹も、みんな同じことを思い出しただろう。
青子が拘束され、そしてお母さんに叩かれたところを。
それに、あれから青子は飛べなくなっていたが、それでもお母さんはまだ信じられないようで、今でも時々縛られることがある。
唯一、なにも知らないお父さんが「酷いもんだな」と軽く言った。お父さんの言い方は、完全に他人事だ。だからこそ言えたことだろう。
「酷いってなにが?」
お母さんが不機嫌に言う。
その気配を敏感に感じ取ると、お父さんは戸惑う。お母さんの顔色を窺うように言った。
「え、酷くないか? 子供が飛ぶのは当たり前で、それを理由に虐待っておかしいだろ。そんなふうにしなくてもいつかは飛べなくなるんだし。……青子もそうだっただろ」
お父さんは青子が飛ばなくなったのは、成長ゆえだと思っている。お父さんは本当になにも分かっていない。
だからこそ、お母さんはなおさら不機嫌になった。
「全然酷くないでしょ。子供なんてどれだけ言っても、言うことなんて聞かないんだから。そんな子には、もうそうするしかないじゃない」
そして、ため息をつく。
「仕方ないことでしょ」
「うん……まあ、そうかもな……」
お父さんは曖昧にうなずいた。
仕方ない……。
そのとき、青子は分かった。
青子が縛られたのも、叩かれたのも全部仕方ないことだったのだ。
青子はもう飛んでいないのに、まだ時々体を縛られることは仕方ないことで、お母さんが弟や妹ばかり可愛がるのも仕方ないことで、青子に話しかけられて嫌そうに顔をしかめるのも仕方ないことで。
全部がもう仕方ないことなのだ。
仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない。
そうやって無意識にすべてを諦めた青子だったが、数ヶ月後にふいに変化が起こった。
キッカケは本当にたいしたことじゃなくて。
夕方。家に帰りたくなくて防風林の中の広場にいたが、もう帰ろうと遊歩道を歩き防風林の中から出たとき。
ふと空を見上げれば、空を横切る遠い影――飛行機を見たのだ。
今までだって何回も見てきたものだ。
飛んでいる飛行機。ヘリコプター。ときに飛んでいる子供も。
いくらでも見てきた。
だが、その日、それを見たとき思った。思ってしまった。
仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない――――なにが?
なにが仕方ないことだ?
なんで青子は飛べないんだ。
飛べたときと、飛べなかったときの違いなんてなにもない。
それなのに、どうして青子は飛べない。
飛行機なんてクソ重い鉄の塊だって空を飛んでいるのに。
それよりずーっと軽い人間の子供が――青子が、飛べないわけがないじゃない。
青子はいつの間にか走り出していた。
小学校の校門前までつながる坂道を駆け下りていく。
風を頬に感じた。
空気の抵抗を体が感じた。
それでも速度はぐんぐんと増していく。
その勢いに、足が自分の意思を超えて走っていく感覚が生まれて。
飛ぶ。飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ――
飛べる!
足を踏み出して高く飛ぶ。
そうすれば――
ふわりと、重力から逃げられる。
体の隅々がどこまでも解放されて。
迫る空に、心が叫び出す。
もっと、もっともっともっと近くに――
どこまでも、どこまでもどこまでもどこまでも飛んでいきたい。
湧き出る渇望に、
溢れる歓喜に、
浮かぶ涙に、
叫ばずにはいられない。
「うわあああああああ」
青子は空に戻ることができた。




