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空飛ぶ少女の昔話(1)


 青子の中に残る一番古い記憶は、青い空だった。

 柔らかな青の中、刷毛で塗られたようなかすれた白い雲が描かれた、空。

 それを見ながら飛んでいる自分。

 たぶん、三歳くらいの頃だと思うが、そこがどこだったのかは覚えていない。

 ただ覚えているのは、あの頃から空を飛ぶのが好きだったということだけだ。


   ※   ※   ※


 小さい頃、青子は父方の祖父母の家に行くと必ず怒られていた。

「空を飛ぶんじゃありません! 危ないでしょ!」

 そうやって怒鳴るのはいつも祖母だ。

 青子を怒鳴りつけて、そして青子の母親に「飛んでいる子供から目を離すなんてどういうつもりなの!?」と怒鳴る。

 祖母はいつも怒っている印象しかない。

「危ない!」「みっともない!」「恥ずかしい!」「いい加減にして!」

 そのどれかをいつも青子に向かって怒鳴る。

 そして、幼い妹を抱っこしている母親にもいつも怒鳴る。

「空を飛ぶなんて危ない真似をさせるな」「空を飛ぶなんてみっともない」「いまどきは飛んでいる方が発育の遅い証拠になるんでしょう!?」「自分の孫がそうだなんて恥ずかしい!」「何度言っても言うことを聞かないし、いつもボーっとして、なにを考えてるか分かったもんじゃない!」「あの子は頭が足らないんじゃないの」「いい加減、あの子をどうにかして」「あなたの育て方が間違っているからこうなるんじゃないの!?」

 お盆や正月に行くたびに青子とお母さんを怒る祖母が、青子は苦手だった。

 そして、そう感じるほどに祖母の言うことは聞けなくて、青子はついつい空を飛んでしまうのだ。

 お母さんからもお父さんからも、「おばあちゃんの家に行ったときは飛んではいけないよ」と言われる。だからこっそり飛んでいるのに、祖母はいつでも青子を見張っているようで、空を飛んだ瞬間に怒鳴りだすのだ。

 毎年毎年そんなことがあって――。

 それが始まったのは、青子が小学四年生のときだった。

 夏休みに入るとお母さんが言ったのだ。

「おばあちゃんの家に行く前に、飛ばない練習をしようね」

 お母さんはそう言って、青子を椅子に座らせると、椅子の背もたれと青子の上半身をヒモでまとめて縛った。

「これで飛ぶことはできないでしょう? こうやって飛ばないように練習しようね」

 そう言うお母さんの顔は笑っているのになんだか怖くて、嫌だと言うことも出来なかった。

「じゃあ、青子。お留守番よろしくね」

 お母さんは青子の頭を撫でると、弟と妹を連れて買い物に出かけた。

 それからはお母さんが弟と妹を連れて買い物に行くときや、夕飯を作っているとき、お父さんがいないときはいつも椅子に縛られるようになったが、青子はこれがたまらなく嫌だった。

 縛られて身動きが取れない間、時間が何倍も長く感じていた。

 本当に嫌で怖くて辛くて気持ち悪くて、お母さんにそれを言ったこともある。

 そのときは「仕方ないでしょ! 青子が悪いからこんなことになるの!」とずっと怒鳴られ続けた。お母さんは、祖母みたいに青子にずっと怒鳴るようになっていた。

 だから、いつからかお母さんにも何も言えなくなった。

 言えないくらい、お母さんのことも怖くなっていた。


 ――その日も、同じように椅子に縛られていた。

 お母さんは弟と妹を連れて買い物に出かけている。

「テレビでも見ていてね」とお母さんはテレビをつけていったが、青子はアニメもドラマも興味がなかった。だからといって拘束されている青子はチャンネルを変えることもできない。

(飛びたい)

 青子は自分の足先を見ながら思った。

 こうして縛られているときはいつも思う。

(飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい)

 どこまでも広がる空を飛び回りたい。

 どこまでもどこまで飛んでいきたい。

 空に焦がれて焦がれて焦がれて――

 心が、体が、気持ちが、本能が、魂が。

 青子の全身が空を求めてしまう。

(飛びたい)


 ふわり、と。


 一瞬、青子もなにが起こったのか分からなかった。

 床に触れていた青子の足先が、浮かんでいる。

 慣れた浮遊感に、青子は驚きではっと息を吐いた。


 青子の身体が、縛られた椅子ごと浮かんでいる!


 今までずっとあった恐怖も嫌悪感も薄らいでいく気がした。

(飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる飛んでいる)

 青子は飛べている!

 それだけで泣きたくなるくらいの安心感が生まれる。

 青子の頬が緩み、唇が笑みを浮かべたとき――


「なにしてるの?」


 開けられていた居間の入り口には、いつの間に帰ってきたのか母親が立っていた。

 その後ろには弟と妹もいる。

「おかあさん……」

 青子の声に反応するように、無表情だった母親はカッと目を吊り上げる。

 持っていた買い物袋をその場に落とすと、浮かんでいる青子のもとへと駆けてきた。

「なにしてるのよ!」

 怒鳴り、青子の頬を引っ叩く。

 浮かんでいた身体が、椅子ごと床に落ちた。肩から全身へと痛みが走る。

 喉元が熱くなり、頭が揺れた。

「なにしてるのなにしてるのなにしてるの! もういい加減にしてよ! なんで飛ぶことくらい我慢できないの!」

 祖母と同じように怒鳴り、怒り狂った母親の姿に――ついに青子は泣き出した。

「わああああああ」

 青子がここまで声を上げて泣いたのは、このときが初めてだった。


 そして、青子はこの日から飛べなくなった。


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