空飛ぶ少女と奇跡の男(6)
滉征と目が合うと、青子は自然と頬が緩む。
青子と目が合うと、滉征も嬉しそうに笑う。
しかし、今、青子は滉征の顔を見て笑うことはできない。
滉征は笑っているが……本心から笑っているわけではないとよく分かる。それくらい、青子は滉征の笑顔を見ていたのだ。
「なかなか来ないから、先に帰ったのかと思った。……良かったよ、まだクラスにいてくれて」
滉征は仮面のような笑みを浮かべながら言う。
「行こう。柊が待ってる」
「……うん」
うなずくことしか青子には出来なかった。カバンを持って立ち上がる。
「じゃあ、藤井さん。また明日」
「え、あ、あ、……また明日ね」
妙に慌てて、どこか心配そうな顔で、藤井さんが言う。反射的なものか、中途半端に上げた手をぎこちなく振った。
それに手を振り返すことは出来なくて、青子は滉征の後を追う。
滉征は、青子を振り返らずに廊下を歩いていった。
こんな風に黙って歩くのは初めてかもしれない。
バイト帰りでもなんでも、二人きりでいて沈黙が訪れることはあった。しかし、こんなに気まずく感じることもなかった。
滉征はなにか怒っているのだろうか。
それは青子がいつまでたっても待ち合わせ場所に行かなかったからだろうか。
今まで滉征ならなんとなく許してくれると思っていた。
でも、もうそうじゃないのかもしれない。
もういい加減、見捨てたくなったのかもしれない。
「滉くん」
下駄箱で靴を変えて外に出たところで、青子は滉征を呼んだ。
自分の声を聞くと、なんだか妙に焦ったものになっていた。
滉征は振り向いて、青子を見る。やっぱり笑わない。今は仮面の笑みすらなくて、青子はまた妙に怖くなる。
「……ごめんね」
「なにが?」
「…………待ち合わせに遅れて」
「ああ……いいよ。先に帰ってたわけじゃないんだし。……柳さん、自転車だよね? どうしようか。図書館行くにも、この時間の二人乗りはさすがに目立つし」
滉征はバス通学のため、学校に自転車はない。
「ここから図書館まで歩いていくなら三十分くらいかな。俺が自転車押してくから、歩いていこうか」
滉征が自転車置き場まで歩いていくのを、青子はまた追いかけた。
「自転車置き場ってクラス別になってたよね。柳さんのクラスってどこなの?」
滉征が振り返る。
青子はその目を見ることが出来なくて、滉征の左肩を見た。
「滉くん……あたし、やっぱり今日は帰る。勉強は滉くんがいればいいと思うし」
もともと柊のテスト勉強のために図書館に行くことになったのだ。
青子が行かなくても問題はない。
滉征の顔を見ることは出来なくても、その視線は感じる。
青子は顔を伏せて、自身のつま先を見た。
「……あのさ、柳さん。最近、なんか俺のこと避けてるよね? ……俺、なにかしたかな?」
青子は顔を伏せたまま、首を横に振った。
滉征はなにもしていない。変わっていない。
それなのに……どうしていきなり滉征が怖くなったのだろう。
「まあ……いいんだけどさ」
滉征はため息と同時に言う。
それはどこか諦めも含んでいて――。
「ねえ、青子ちゃん。……俺もさ……正直、もうどうでもいいんだ」
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。
思わず顔を上げれば、声色と同じ諦めを含んだ表情の滉征を見てしまう。
青子の表情を見て、滉征が笑った。苦いものを含んだような笑い方。
「青子ちゃんの気持ちとか、もうどうでもいい。青子ちゃんは好きにすればいいよ。俺にはもう関係ない」
『もう関係ない』
その言葉を聞いた瞬間、青子の頭の中は真っ白になった。
だから、そこから先のすべては無意識のものだ。
青子の足の裏が地面から離れる。
突然浮かぶ青子に、滉征が軽く目を見開いた。
驚く滉征の目の前で、青子の身体は地面から突き上げられたように、空へと舞いあがった。
※ ※ ※
『お母さん、もう疲れた。だから、もういい。もうどうでもいい。あんたは好きにすればいいわよ。お母さんはもう関係ないから』
昔、言われたお母さんの言葉。
このときから、お母さんは青子のことを徹底的に見なくなった。無視するようになった。話しかければ嫌がり拒むようになった。
青子はお母さんに見捨てられたのだ。
空の中、風に流され飛びながら、青子はやっと気付く。
急に滉征が怖くなった理由。
『滉くんが可哀想だと思う』
『いつか見捨てられるわ』
見捨てられる可能性に気付いてしまったから。
だから、お母さんみたいに滉征にまで見捨てられると思うと怖くなったのだ。
でも、もう駄目だった。
『もうどうでもいいと思ってる』『俺にはもう関係ない』
お母さんと同じことを滉征にまで言われてしまった。
青子は滉征にも見捨てられたのだ。
ボロっと涙がこぼれる。
「うー……」
頬を次々と伝う雫は、空に落ちていく。
青子は泣きながら、空に逃げていた。
あのときのように――。




