空飛ぶ少女と奇跡の男(5)
例えば移動教室の途中で偶然見かけたときとか、昼休みに売店にパンを買いに行って会ったときとか、バイト帰りに迎えに来てくれたときだって。
青子と目が合えば、滉征はいつだって笑ってくれる。
それに気付いたとき、青子はなんだかとても嬉しくなった。
青子だって滉征と目が合えば、勝手に頬がゆるんで、へらりと笑ってしまう。
見つけて、目が合って、笑いあう。
それだけで、なんだか幸せで。
だから、青子はいつも滉征を見つけたくなるのだ。
それなのに、なぜだろう。
青子は最近、滉征と目を合わせることが出来なくなっていた。
※ ※ ※
『今、図書館にいますから。絶対に来て』
放課後、スマホを確認すれば、受信していた柊からのメッセージ。
それを読んだ青子の表情は、なんとも情けないものになってしまった。眉毛を下げてため息を吐くと、机の上に突っ伏した。
クラスメートたちが次々と部活かバイトか遊びのためにクラスから出ていく音をボーっと聞く。
中学校は今、テスト期間中であり、学校は午前中で終わる。
そのため柊は、去年の夏に勉強会をしていたあの図書館でテスト勉強をしているらしい。
勉強を教えてもらいたいから学校が終わったら図書館に来てくださいよ、と滉征を誘ったのは分かる。
しかし、どうして青子まで誘ってくるのか。青子に勉強を教えることなど無理だ。行く意味がないと思うが、柊が言うには「わたしが青子さんに会いたいからきてください」ということらしい。
それでも渋っていると「バイトは休みなんでしょ。こっちはそれくらい分かってますからね。絶対に逃げないでよ。ちなみに滉くんに青子さんを連れてくるように頼んでありますから。絶対に来てください。っていうか来ないと許さないから!」と昨日、電話で言われた。
確かに今日はバイトも休みだ。柊と会うのも別にいい。勉強は嫌だけど。
それよりなにより気まずいのは、滉征がいることなのだ。
最近、滉征と目が合わせられない。
移動教室の途中とか昼休みの売店とか、学校内で滉征を見かけたときも、滉征と目が合いそうになるとすぐに顔をそらしてしまう。
バイト終わりに迎えに来てくれたときも、その目を見ることが出来なくなった。だからつい「もう来なくていいよ」と言ったのだが、滉征はそれでも迎えに来てくれる。
前はそんなこと思わなかったのに、滉征と並んで自転車で帰っていると、自転車を捨てて飛んで帰ってしまいたくなった。
なぜだろう。今は滉征がそばにいることが少し怖い。
それなのに滉征と一緒に図書館まで行くとか……。
昼休みには滉征から『放課後、下駄箱のところで待ってるから』とメッセージが入っていた。
そして、今がその放課後。
「う~」と小さく唸り声をあげて、額をぐりぐりと机に押し付ける。
――飛びたいな。
飛びたい飛びたい飛びたい飛びたい!
唸るのをやめて、窓のほうへと顔を向ける。
今日はいい天気だ。
空が青くて、少しだけある雲は真っ白で、日の光は柔らかくてキラキラ。
飛びたいな。
胸の奥底からの欲求に上半身を起こした。
飛んでしまおうか。
「や、柳さん」
空への欲求でいっぱいな青子は、どこかぼんやりと目の前を見た。
青子の机の前に、クラスメートの女子が立っている。
藤井さんだ。青子とは挨拶をする程度の関係である。
教室の中には、いつの間にか青子と藤井さんだけになっていた。
「えっと……大丈夫?」
藤井さんはどこか戸惑いつつ聞いた。
「……なにが?」
「なんか……唸ってたから」
「あー……うん」
大丈夫ではなかったが、とりあえずうなずいておく。
藤井さんは青子の前の席に、横向きで座った。
藤井さんはいつも二人の友達と一緒にいるが、今は一人だ。前に窓から滉征に声をかけていた、あの三人の内の一人である。
「柳さん、帰んないの?」
「帰るけど」
下駄箱に行きづらいだけで、帰る気はある。
「もしかして冴木くん待ち?」
藤井さんが、どこか期待を込めたように聞く。
待っているわけでもないが、待ち合わせの約束はある。
その複雑な心境から、青子の返答は「あー……うん」と曖昧なものになる。
藤井さんはそんな様子を気にしないらしく、「あたしも彼氏待ち」と笑った。
その言葉に、青子はキョトンとする。
「藤井さんは滉くんが好きなんじゃなかったの?」
滉征を見かければ楽しそうに騒いでいたため、彼女たちはてっきり滉征を好きなのだと思っていた。
今までの青子なら、そうは思ってもそんなことを聞いたりはしないだろう。
しかし、なぜか今、青子はそれを聞いてしまっていた。
青子の問いに、藤井さんはキョトンとする。だが、すぐにニヤリと笑った。
「あたしたちは冴木くんのこと好きだけど、それはファンとして好きってだけ。冴木くんは人気あるけど、ほとんどがあたしたちみたいにファンとしてだから。……まあ、本気の子もいるだろうけどさ。あたしたちは違うから安心して?」
そして、青子の机に腕をつくと上半身を乗り出す。
「なになに? 柳さんもさ、そういうこと気になってきた? それとも、ついに冴木くんと付き合ったわけ?」
その目の中にキラキラとした好奇心を見つけて、青子はキョトンとした。そんな目を向けられる理由が分からない。
「付き合ってないよ」
「えー……そうなの。なーんだ」
藤井さんはつまらなそうに呟くと、乗り出した上半身はそのままに上目遣いで青子を見上げる。
「柳さんはさ、どうして冴木くんと付き合わないの?」
「…………え?」
「実はさ、冴木くんと柳さんって付き合ってると思ってたんだよね。そう思ってる子って結構いるよ。柳さんもそういうこと聞かれない?」
「聞かれる」
今まで何回聞かれたか分からないことだ。
その度に「付き合ってない」と答えて「本当に?」と念押しされて「付き合ってない」と答える。それがもう一連の流れになっていた。
そのことを知っているかのように、藤井さんは何度もうなずく。
「だよね。こっちはさ、むしろ付き合ってないって聞いて驚いたくらいだったんだけど」
「なんで?」
「えー、だってさー、二人むちゃくちゃ仲いいじゃん! 小学校からの友達で、今も仲良くて? で、あれだけカッコよくて、自分にだけ特別優しいってなったらさー、好きになっちゃわない? 付き合おうってなんない?」
「考えたことない」
「えー、マジでー!? もしかして、柳さんって他に好きな人いたりする?」
「いないけど」
「それなら冴木くんと付き合っちゃえばいいのに」
「なんで?」
「だって冴木くんが彼氏だったら最高じゃない? カッコいいし優しいし頭いいし、なによりむちゃくちゃ分かりやすく一途じゃん! 自分のこと大事にしてくれて、スペックも高いって、ほんと自慢の彼氏だよ。そう思わない?」
「……彼氏じゃなくても、滉くんは十分、自慢の友達だけど」
「友達……友達かー。……ねえねえ、柳さん。お節介だとは思うけどさぁ、一回、ちゃんと考えてみたほうがいいと思うよ」
冴木くんファンとしては見てられないよ、と続けた藤井さんに、青子は小首をかしげる。
「なにが?」
「だからさ、冴木くんと付き合うこと! もしくは冴木くんに彼女が出来たらってこと! このままだとさ、本当に冴木くん、他に彼女作っちゃうかもよ?」
これは柊にも何回か聞かれたことがある。
『滉くんが彼女を作ったらどうする?』
柊には「どうもしない」と答えていた。
でもそれは、どうしても滉征が彼女を作ると考えられなかったからだ。
しかし、今は――
『滉くんが可哀想だと思う』
『いつか見捨てられるわ』
柊と黒介に言われたことが頭に浮かぶ。
もし滉征が青子を見捨てることになったら――なったとしても――
「いいんじゃないかな」
「え?」
「別にいいよ。彼女が出来ても」
それはもう、青子にはどうすることも出来ないことだ。仕方ないことだ。見捨てられたら、もうどうしようもない。どうすることもできない。
「滉くんが誰を好きになっても……そのときはもう、あたしには関係ない」
見捨てられた青子にはもう関係ないことになるのだから。
自分の言葉に心臓が傷めつけられる。
思わず胸を押さえる青子に対して、藤井さんは「え? え?」と戸惑っている。予想と違うと言いたげな表情。
そのとき
「柳さん」
聞きなれた声に、青子はビクッと震えた。藤井さんまで軽く飛び上がりそうなほど驚いている。
クラスの出入り口に立っていたのは、滉征だった。




