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空飛ぶ少女と奇跡の男(1)


 最近、青子には不思議に思うことがある。

 中学三年生の夏休み。

 全然勉強をしない青子を見かねた柊に勧められて、偶然再会した滉征に勉強を見てもらっている。

 小学生のときから優しくて、忘れ物したり勉強ができなかったりする青子を気にかけてくれていたが、再会した滉征はその優しさも変わらず……なんか、むしろもっと優しくなった。というより……。


「滉くん、なんかウザイ」


 ふと思って、そのまま口から出た言葉に、滉征がビシリと固まった。

 図書館で一緒に勉強をするようになってから、滉征の面倒見の良さは加速した気がする。

「なにか困っていることはないか」「分からないことはないか」「なにか困っていることはないか」「勉強以外でもなんでもいいから」「いつでも相談に乗るから」「なにか困っていることはないか」

 そうやって、今まで以上にやたらと気にかけてくれるのだ。

 なんで、そこまで言われるのか分からず、青子は小首をかしげる。

 困っていることなんて、この暑さと、やりたくもない勉強くらいで。

 初めて勉強会をしたときはバスを使ったが、毎日使っていてはお小遣いがなくなるので、今は自転車で通っている。それがもう暑くて、汗だくになって嫌だけど、それは柊も滉征もそうだろう。

 勉強のほうも滉征が教えてくれているし、なんとかなるだろうと思っている。

 相談したいことも、困ったことも、滉征に話さなきゃいけないようなことはない。

 だから、青子は不思議に思う。

 今だって図書館から帰ってきて。

 まず柊が別れて、それから滉征と青子が別れる分かれ道になって、滉征がなぜか「家まで送ろうか?」と言ってきた。

 滉征は最近、よくそう聞いてくる。

「家まで一緒に行こうか?」と。

 時間は五時。夏の空はまだまだ青く、危ない目にあうと心配するような時間帯でもなければ、そこまでの距離もない。

 なにより滉征は今から塾がある。

 青子は行けなかったが、滉征は今、塾に行っているのだ。

 今では昼の勉強会で、前日に塾で習ったことを青子にも教えてくれている。

 滉征は時間的にもギリギリで、すぐに塾に行かなくてはいけないはずなのに、そう言われる理由が全く分からない。

 さらに最近の滉征の様子も相まっての「うざい」発言だったのだが……。

「……滉くん?」

 固まったまま動かない滉征に、「おーい」とその目の前で手を振ってみる。

 ハッとしたように肩を揺らした滉征は、青子を見るとキュッと眉根を寄せた。

「え、と……大丈夫?」

 青子が小首をかしげて聞けば、滉征は曖昧に笑った。

「ハハハ。うん、ダイジョウブダイジョウブ。あっ、俺、塾の時間だ! それじゃあ!」

 慌てて言うと――なんか棒読みだった――滉征は自転車をこいで行ってしまった。

 一体なんだったんだろう……。


   ※   ※   ※


 青子の部屋にはクーラーがない。

 扇風機なら置いてあるが、それで乗り切るには部屋の中は暑すぎた。

 そのため、青子はいつも夜になるとこっそりとバルコニーに出て、そこから空に飛び出していた。

 そうして夜の散歩に出る。

 夜になっても蒸し暑い空気だが、昼間よりはマシだと思う。

 フラフラと気の向くままに飛んで、滉征と会うコンビニに向かった。

 しかし、そこに目立つ金髪の姿はない。

 しばらくコンビニの看板――鉄柱の上にある看板に座って待ってみるが、滉征はやってこない。いつも塾帰りにコンビニに寄っていたのだが、今日は来ないのかもしれない。

 なんだ、とちょっと残念に思いつつ、青子はふわりと浮かぶ。

 そして、住宅街の中。屋根の上を飛ぶ。

 暗い中、月明かりだけでは屋根を見下ろしていても、どの家のものかなんて分からない。

 しかし、青子は一軒だけ、この家のものだと分かる屋根があった。

 なんの変哲もない、夜の闇と辺りの家々にまぎれた屋根瓦だったが、夏に入って毎日のように通っている家の屋根である。間違えようがない。

 青子は高度を下げて、家に面した道路に人影がないことを確認した。

 そして、二階の窓をノックした。

 ノックもしないで開けると怒られるのだ。何度も何度も怒られて、最近になってようやく青子はノックするようになった。

「どうぞ」と声がかかったので、鍵がかかっていない窓を開ける。

 閉まっていたカーテンもあけて部屋の中に入れば、ベッドにうつ伏せになってスマホを見ていた顔が上がった。

 柊だ。

 青子の姿を確認すると、柊はベッドの壁側に寄った。

 青子はその隣に寝そべる。

 柊の部屋はクーラーがついていて、いつ来ても涼しい。

 だから、青子はいつもこっそりと柊の部屋に泊まりに来る。

 柊はノックさえしてくれるならいつ来てもいいと言ってくれたが、自分の両親に青子が泊まりにきていることは内緒らしい。

 説明が面倒くさいと言っていた。

 スマホに視線を戻して、柊が言った。

「今日は早かったですね。滉くんと会わなかったの?」

「会わなかった。コンビニにも来なかったし」

 滉征と再会したあの日も、こうして柊の家に行く途中のことだった。

 実はその前から何度も見かけていた。滉征っぽいと思いつつ確信が持てなかったのだが、それを柊に話すと「顔を確認すればいいだけでしょ」と言われて、確認してみれば滉征だった。

 柊にやっぱり滉征だったと言えば、次には勉強を教えてもらえと睨まれた。勉強をしなさすぎる青子に、柊はずっとイライラしていたのだ。

 なんで柊が怒るのか分からなかったが、柊曰く。

「わたしも高校は青子さんが行くところに行くって決めてるんです。青子さんが勉強しなくて不良学校に行ったら、わたしもそこに行かなきゃいけなくなるんですよ!? そんなの絶対嫌なんです!」

 偏差値が低く素行の悪い生徒が多く集まっている、とある高校は不良学校と呼ばれており、生徒たちからは嫌がられている。

 青子は高校に行けるならどこでもいいので、「じゃあ、柊は別の高校行けばいいじゃん」と言えば「だから別が嫌なんだって言ってるでしょ!」と怒られた。なんでだ。

「わたしは出来るなら山央に行きたいんで、青子さんもそこに行ってください。普通科だったら、青子さんもちょっと頑張れば行けると思うんで」

 そんな風に青子の進路は決まった。だから、なんでだ。……どこでもいいから、別にいいんだけど。

「そういえば、滉くんの様子がちょっと変だった」

 別れ際の滉征のことを思い出して言えば、「ああ……」と柊はちょっと遠い目をする。

「最近おかしくなりましたよね。……あそこまで態度に出ると思わなかった」

 後半は小声で言われたので、青子は聞き取ることができなかった。

「最近、滉くん、うざくなったね」

「うん?」

 青子が言うと、柊もまた固まった。

「うざくなった。って言ったら柊みたいに固まってた」

 ギギっと音が鳴りそうなぎこちない動きで、柊が青子を見る。

「あんた、なに言ってんですか!」

 そして、叫び、ハッとしたように口元を押さえる。

 親にバレるかもしれないと焦ったのである。

 一瞬ドアの方を見て大丈夫そうだと分かると、小声で怒鳴った。

「青子さん、さすがに言い過ぎ。言いたいことは分かるけど、ボーっとしてる青子さんがそう言っちゃうくらいうざかったのは分かるけど、滉くんの気の使い方が超絶ヘタクソなのは分かるけど、それを青子さんが言っちゃ駄目。滉くん、立ち直れなくなるから! むちゃくちゃ傷つくから!」

「え、そうなの?」

「当たり前でしょ、もー! なに考えてんの!」

「え、マジで? えー……どうしよう……」

 青子としては思ったことを言っただけのつもりだ。別に滉征を嫌がって言ったわけでも、傷つけたかったわけでもない。深い意味もなかった。

「ああ、もう……」

 柊が深いため息を吐く。

「一応、こっちでもフォローしておくんで。明日、ちゃんと謝ってくださいよ」

「分かった」

 柊がスマホを操作し始める。滉征にメッセージを送っているのだろう。

 シュッシュッとメッセージが往復されている音が聞こえる。

 その隣で青子は、くあ、と一つあくびを漏らす。ウトウトとし始めると、沈むように青子は眠りについた。

 滉くんを傷つけていたら嫌だなぁと思いながら。


   ※   ※   ※


 次の日、待ち合わせのコンビニ前で、青子は滉征に謝った。

「滉くん、昨日はごめんね。滉くんをうざいってちょっと思ったけど、嫌だったわけじゃないよ。あたしが滉くんのこと嫌だと思うわけないし。迷惑かけてばっかりだと思うけど、勉強だってそうだけど……滉くんには助けてもらってばかりだし、滉くんがいなかったらむちゃくちゃ困るし、あたしには滉くんが必要だから。滉くんに嫌われたくない。だから、本当にごめんね」

 今朝、家に帰るときに柊から、滉征は許してくれていると教えてもらったが――「滉くんのメンタルの強さと気持ちの重さに引くべきか感謝すべきか迷うところですね」と言っていた。いまいち意味が分からない――ちゃんと謝った方がいいというアドバイスもあり、自分の気持ちを正直に伝えれば、滉征はなぜかまた固まった。

 そして、「小悪魔かよ!」と叫び、崩れ落ちる。

「翻弄されてる。俺、翻弄されてる!」

 ブツブツとつぶやく滉征を、可哀想なものを見る目で柊が見ていた。


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