空飛ぶ少女と飛べない少年(7)
今思えば、まあ、どうせこんなことだろうと思うようなことだ。
元々、彼女は言葉が足りない。
だからか、いつもだったら言われていない言葉を察することも出来た。
だが、昨日のアレには期待が先走って、家に帰っても冷静に考えることが出来なかった。それくらい浮かれてしまったのだ。
その日、待ち合わせ時間の十五分前には、コンビニに着いた。
いつも滉征が夜に行き、昨日、青子との再会を果たしてくれたコンビニ。そこは住宅街を抜けた大通り沿いにある。
皮膚を焼くような暑さの中、外で待つなんて出来ないため店内に入った。
レジの中にいるのは、いつも見る金髪のバイトじゃなくて五十代くらいのオバサンだ。
オバサンに「いらっしゃいませー」とはきはきと言われて妙な違和感が生まれた。
金髪バイトの声は小さく、しかも「らっせー」としか聞こえないのだ。
中に入って一通り店内を見ると、少年雑誌を立ち読みし始める……が頭の中に入ってこない。
時間が進むほどに、ドキドキと胸がうるさくなっていく。
どうしよう。なにしよう。どうしたんだろう。どうすればいいんだろう。どうするどうするどうするどうする……。
コンビニの中は涼しいはずなのに、背中に汗をかいてきた。
やべえ、俺大丈夫かな。
ドキドキやら不安やら興奮やら、頭の中が混乱している。
コンビニのドアの開閉の音に反応しながら待つこと十分。
青子はやってきた、が。
「滉くん?」
小首をかしげる青子の後ろを、ジッと見る。
青子の背中に隠れるように立っていた少女も、滉征を見ていた。
同年代の中でも小柄な体に、それに見合った小さな顔。背中にかかるほどのストレートの黒髪に、まっすぐな眉に、奥二重の大きな目。小さなアゴ。
顔立ちはキツネのようで、でも、子ダヌキのような愛らしさがある。
柊だ。
小学校卒業以来に会った、成長した彼女の姿を見た瞬間、滉征は分かった。
あ、これデートじゃねえ。
「柊も一緒だったんだ」
悪あがきのような確認をすれば、青子は小首をかしげる。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「うん、言ってなかったかな」
これはやっぱり、柊が偶然コンビニに来て一緒になったわけでもないってことで。
つまり昨日した約束は、最初から『二人で』という前提ではなかったようだ。
もともとそんなこと言ってなかったし、青子は言葉が足りないことも分かっていた。分かっていたが……マジか……。
そんな滉征の気持ちも知らずに、青子はのんびりと言った。
「柊が滉くんに勉強教えてもらえってうるさくて」
「青子さんが受験生なのに、全然勉強しようとしないからでしょ」
青子の腕に腕を回して、柊が言った。
柊も相変わらずのようだ。青子に精神的にも身体的にもべったりとくっついている。
二人の会話に、滉征はまた確認する。
「えーっと、もしかして、俺が柳さんに勉強を教えるって話だった?」
「うん。あれ、言ってなかったっけ?」
「うん、言ってなかったかな」
また同じ会話を繰り返す羽目になる。
しかし、これはやばい。
滉征はまったく勉強をしていない。授業にもついていけてない状況だ。
小学生の時のように青子に教えられるだろうか……。
「ダメだった?」
青子が小首をかしげて聞いてくる。
「うん、ダメだった」と答えることも出来ず、昨日の内に言ってくれればと責めることも出来ない。
青子の前ではどうしても見栄をはりたい。
今は柊の姿もあるのだ。
情けないところは見せたくない。
だから、滉征は心の中はともかく、顔面では完璧に笑って見せた。
「いや、大丈夫だよ」
※ ※ ※
勉強は市立図書館でしようという話になった。なってしまった。
そのためにはバスに乗らなくてはいけない。
バス停までは、ここから五分。
コンビニを出ると、重く熱い空気が体を包んだ。
太陽の容赦ない熱気で、じりじりと音を立てて皮膚が焼かれていくようだった。汗がにじみ出てくる。
滉征の前には、並んで歩く青子と柊がいる。
歩いている青子がなんだか新鮮だ。重力に縛られた彼女は、滉征より数センチ低い。
……いい。なんか、いい。
「ねえ、滉くん」
青子が急に振り向いて、同意を求める。
「え、ごめん。なに? なんの話だった?」
「勉強じゃなくて、フツーに遊べばいいよね」
どうやら勉強をしたくないと柊に主張して受け入れてもらえなかったらしい、と察する。
勉強に不安しかない滉征としても、青子の意見には強く同意したいところだ。
「そうだね。柊とも久しぶりに会ったし」
滉征がそう言うと、柊はチラッと振り返る。しかし、すぐに青子へと視線を戻した。
「なに言ってるんですか。今日は勉強。あなた、宿題だって手をつけてないでしょ」
柊は青子の鼻を人差し指で指した。
青子はその指を払う。
「宿題なんてやらなくてもいいじゃん」
「ほんとに何言ってんの。もー、せめて夏休み最終日にやるって言えば可愛げがあるのに!」
「だって、したくないし」
「そんな問題じゃないでしょ。そんなんじゃ山央に受かりませんよ」
「山央!?」
突然、声を上げた滉征に、二人の視線が一気に向けられた。
「柳さん、もしかして高校は山央を受けるの!?」
「一応、そのつもり。……あれ、滉くんの学校って山央だっけ?」
「あ、うん。山央」
滉征が山央学園に行くことは伝えていたはずだが、青子は覚えていなかったらしい。まあ、それは仕方ないだろう。全然ショックを受けることじゃない。
それよりもなによりも、滉征が通う私立山央学園は中高一貫校だが高等部から受験で入ってくる生徒もいる。
高等科への進学も危ぶまれている滉征だが、もし進学出来て、青子も合格したら、また一緒の学校に通えるということだ。
それはいい。とてもいい。
「じゃあ、また一緒の学校に通えるかもね」
青子も同じことを思ったのか、へらりと笑って言った。
同じ学校に通えることを青子も喜んでいるみたいで、滉征はさらに嬉しくなる。
二人見つめ合って同じようにへらりと笑っていると、柊が青子の腕に抱き付いた。
「そのためにも勉強、ですよ」
「……暑いよ」
青子は柊から腕を取り戻して、少し距離を取る。
柊は不満気な表情を浮かべた。本当に柊は青子が大好きだ。
バス停について、停留所のささやかな屋根の下に立ってバスを待つ。バスはもうすぐ来るだろう。
「……夏休み入ってるし、図書館の学習席ももういっぱいじゃないか?」
「じゃあ、やっぱ遊ぼーよ」
最後のあがきに滉征が言えば、手で顔を仰ぎながら青子も続けて言った。
しかし、柊はムッとすると、
「しつこーい」
青子の頬をむにっとつまんだ。
「それは柊でしょ」
青子も、柊の頬をむにっとつねった。
「ちょ、痛い」
「痛くなーい」
「痛いって。もー。そんなことするなら、こっちにも考えがあるんですよ」
「痛い痛い痛い!」
「痛くなぁーい」
「あ、バス」
柊の頬から手を離して言った青子の言葉通り、バスが向かってくるのが見える。
ふと視線を感じてその方を見れば、柊がどこか呆れたような目で滉征を見ていた。
滉征は思わず口元を隠す。
二人のやりとりに内心ニヤニヤしていたが、表情にも出たのだろうか。
口元から手を離して、改めてへらりと誤魔化すように笑うと、柊はふいと顔をそらした。そして、「行きますよ」と青子の手を軽く引いて、止まったバスに乗る。
滉征もその後を追った。
図書館に着くと、滉征と青子の願いも叶わず、学習席は空いていた。
十人掛けの長机に五人で向かい合って座る形だったが、ちょうど真ん中部分が空いていたのだ。
滉征、青子、柊の順番で並んで座った。
滉征は端にいた女子高生の隣に座ることになったが、彼女は滉征の髪の色を見て嫌そうに顔をしかめていた。滉征はその反応を無視する。
隣では青子が渋々、問題集を出していた。そのさらに向こうで、柊も問題集を出している。
夏休みの宿題にはまだ一切手をつけていない滉征だったが、もちろんここには持ってきていない。そもそも勉強会だなんて聞いてない。
そのため青子が持ってきていた教科書を借りて、中をパラパラと見ていると。
「滉くん、する?」
青子は問題文の初めの一文字で挫折したのか、持っていたシャープペンシルを滉征へと向けた。
「しないよ。勉強は自力でしてこそ、でしょ」
滉征は内心焦りながらも、苦笑を浮かべてみせた。
小学生の頃から滉征は青子自身に問題をさせようとしていたから、この反応でもおかしくはないはずだ。
ふと視線を感じて、その先を見れば、柊が滉征を見ていた。しかし、すぐに視線をはずす。
柊には滉征の見栄が分かっているのかもしれない。そう思うと、焦りと妙な意地が出てくる。
「柊も分からないとこあった?」
中学二年の問題ならまだ分かるかもしれない。
問題集を見ようと身を乗り出せば、柊が問題集を引いて首を振った。
そこでやっと、再会してから一度も柊と会話をしていないことに気付く。
青子優先、青子大好きな柊だから気付かなかった。
人見知りなところがあるから、久しぶりの再会にまだ慣れていないのか。それとも――小学生のころとは変わってしまった滉征に近付きたくないのか。
そう考えたときに湧き出たものは苛立ちとショックで……ショックの方が勝った。
柊に避けられるのは辛いかもしれない。柊がどう思っていたかはともかく、滉征にとっては可愛い後輩なのだ。
「なんか分からなかったら言えよ」
滉征が言えば、柊は声を出さずに小さくうなずいた。
「滉くん」
そういえば滉征の見た目が変わってもなにも変わらなかった青子は、問題集を滉征のほうへと差し出した。
「全部分かんない」
「いやいやいや、もうちょい頑張ろ。まだ始まって数秒だから」
「もう結構頑張った」
「……うん、まあ……そっか……。そういえば、昔は教科書すら開かなかったもんね」
そう思えば、成長したと言える。
……青子に激甘な判断をしていることを、滉征は分かっていない。
しかし、問題はこの差し出された問題集をどうするかだ。
冷房の効いた図書館の中、冷や汗を背中に流しながら、滉征は問題集を手に取った。取ってしまった。
なにやってんの、俺。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……と思いつつ、数学の問題を見る。
――っ!
滉征は拳を突き上げたくなった。
受験を控えた中学三年の夏休み。その宿題には一年、二年のときの復習問題が含まれており、青子が分からないと言ってきたのはまさにその問題で。
つまり、まだ滉征が勉強していたときのもので。
滉征には問題の解き方が分かるのだ!
これぞ昔取った杵柄! ありがとう、神様!
「これはね……」
青子からシャーペンを借りて、問題の解き方を教える。
今日はなんとか乗り切れそうだ。滉征はこっそりと安堵する。
ホッとしたように笑う滉征を、柊が見ていた。




