空飛ぶ少女と飛べない少年(5)
まず空が遠くなっていくことに違和感があった。
なんで、と思っていると、「滉くん」と力なく呼びかけられる。
今の自分の状況を思い出して「柳さん!?」と振り返ったが、また間近に見えた顔にすぐに視線を戻した。
気まずさとか気恥ずかしさとか感触とか色々と思い出して、顔とか体が熱くなるが……。
「滉くん、疲れた……」
青子の声にハッとする。
歩き続ければ、走り続ければ、動き続ければ、人は疲れる。当たり前のことだ。
それと同じで、飛び続けていても疲れるものだ。しかも一人抱えて飛び続けているのだ。疲れが倍増してもおかしくない、が。
ゆっくりとだが、確実に下がっていく高度に焦る。
このまま青子が疲れ果て、力尽きてしまえば二人は空から真っ逆さま。大事故だ。
高い建物があったらその上にでも着地できれば――。
位置を探ろうと視線を横に向ければ、月を映す世界が広がっていた。
「えっ……」
月の光を映すのは黒い海。ゆっくりとした波の動きが見える。
まさか海の上まで来てる!?
どこまで空に引き込まれていたのか。
ザザァと波の音も聞こえてきた。ずっと近くにあった音のはずだが、まったく気付いていなかった。
どっと冷や汗が噴き出る。
「ごめん、ちょ、頑張って柳さん!」
飛べない――飛び方も忘れてしまった滉征にはどうしようもない。
しかし、後ろからの声はなんとものんきだった。
「もう頑張れないぃ」
「柳さん柳さん柳さん柳さん柳さん柳さん柳さん!」
このままでは海の中だと、滉征は青子の名前を叫びながら目を強く瞑った。
そして。
「うぐっ……」
下からの潰れた声に、滉征は目を開けた。
「うわっ」
身じろぎしただけでバランスが崩れて、青子の上から落ちる。
落ちた先は海の中――なんてことはなく、ほんの少しだけ沈む、ギュっとした感触。
砂浜に落ちた――降りた、と気付いて、一気に体から力が抜けた。
さっきとは別の汗がまた噴き出る。
てっきり海の上に出たものだと思っていたが、砂浜の上を飛んでいたらしい。
海が見えただけで焦ってしまったが、そのときに反対側を見れば砂浜と道路、その向こうの坂の上にある防風林が見えただろう。飛んでいた高さによっては防風林のさらに向こうにある、滉征たちが通っていた小学校だって見えたかもしれない。
滉征は上半身を起こすと、まだ隣で寝そべっている青子を見た。
青子は遠くなった夜空をぼんやりと見ている。
「……なんでこんなことしたの?」
いきなり人を抱えて飛ぶなんて、一体なにがしたかったのか分からない。
すごく驚いた。でも、怒りはない。
むしろ妙にスッキリしている。
だから、単純に疑問に思った。
「滉くんも飛びたいのかと思って」
起き上がって、青子は力なく答える。
疲れたという言葉通り、本当に疲れているようだった。
「もしかして違った?」
小首をかしげて、滉征を見る。
その青子の判断は間違っていた。
滉征は高所恐怖症だ。飛びたいなんて思っていない。……思っていなかったけど。
滉征はそれには答えずに、スッキリとした笑みを浮かべながら別のことを言った。
「ここって小学校裏の海だよね。俺、海の上を飛んでいるのかと思って焦ったよ」
「……海の向こうまで行きたかった?」
「外国にってこと? さすがに無理でしょ」
「……無理かなぁ。滉くんと一緒ならどこまででも行けると思ったんだけど」
「へ?」
なんだか、とんでもないことをサラッと言われた気がする。
驚く滉征に気付かずに、「まあ、疲れちゃったから無理だったんだけど」とまたサラッと言われてしまったが……。
「や、柳さんは…………どこまでも行きたかった?」
俺と、とは繋げずに聞いてしまった。でも、期待はこもっている。
「考えてなかったなぁ……」
青子が手を後ろについて、夜空を見上げる。
滉征は、青子から目が離せない。
「でも、滉くんと一緒ならどこに行っても怖くないだろうね」
またまたサラッと普通にとんでもないことを言われた。期待通り……いや期待以上の答えだ。
滉征はなにも言えなくなった。
暗くて良かった。
顔が、全身が赤くなっていることが分かる。青子が気付けば不思議に思うくらいには。
青子の視線を追うように、夜空を見上げる。
青子と一緒飛んだ空。
久しぶりに飛んだ空。
滉征の身体を軽々と受け入れた空に、ずっと重かった心まで軽くなっていた。
そして、極めつけの青子の言葉。
――今日、青子ちゃんにまた会えて良かった。
「きれーだね」
青子が夜空を見ながら言う。
チラッと青子を見て、滉征もまた空を見た。
「うん。きれーだね」
それから言葉もなく、二人は空を見上げていた。




