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第9話:舞台裏の精算

王都への旅路は、驚くほど快適だった。


東部を発つ際、私が乗ったのはベルンハルト伯爵家の使い古された馬車ではない。

東部別荘の地下から採掘された魔力結晶の利益で特注した、最新の魔術駆動式の四輪馬車だ。

振動を完全に吸収する術式が施された車内で、私はセバスチャンが淹れてくれた紅茶を楽しみながら、窓の外に流れる王都の景色を眺めていた。


一ヶ月前、私はこの街を「敗北者」として去った。

だが今、私はこの街の経済の心臓部を握る「最大の債権者」として戻ってきたのだ。


「お嬢様、王都のクロフォード公爵邸……いえ、旧公爵邸の前に到着いたしました」


馬車が静かに止まり、セバスチャンが扉を開ける。

目の前に広がるのは、白亜の壁と壮麗な彫刻が施された、この国でも屈指の歴史を誇る公爵邸だ。

これまではギルベルト様たちが贅沢の限りを尽くしていたこの場所が、今日からは私の所有物、メルセデス・フォン・ベルンハルト個人の別宅となる。


「……随分と、手入れが疎かになっているわね」


私は屋敷を見上げ、小さく呟いた。

美しい外観とは裏腹に、庭園の植栽は乱れ、窓ガラスの隅には埃が溜まっている。

主たちが金策に走り回り、使用人たちへの給金も滞っていたのだろう。かつての輝きを失ったその姿は、今のクロフォード家の凋落をそのまま映し出しているようだった。


「お帰りなさいませ、メルセデス様」


玄関ホールに入ると、そこには見知った顔ぶれの使用人たちが並び、私を出迎えた。

かつて私がギルベルト様の婚約者だった頃、彼らを束ね、屋敷の運営を支えていたのは私だ。

彼らは主である公爵家が破産寸前であり、かつて自分たちを救ってくれた「氷の令嬢」が新たな所有者になったことを知って、安堵の表情を浮かべていた。


「皆さん、ご苦労様。今日から私がこの屋敷の主です。これまでの未払い分の給金は、すべて本日中に私の個人口座から全額支給します。安心なさい」


「お、お嬢様……! ありがとうございます!」


涙を流して感謝する使用人たちを背に、私は二階の応接室へと向かった。


今日は、私が送った「招待状」の日。

かつて私を裏切り、嘲笑った者たちが、救いを求めて這いつくばるための舞台だ。


***


約束の時間。

応接室の重厚な扉が開かれ、セバスチャンに案内されて三人の男女が入ってきた。


私の父、ベルンハルト伯爵。

元婚約者、ギルベルト・ディ・クロフォード。

そして、義妹のフロリナ。


一ヶ月前、夜会で私を見下していたあの輝かしい姿は、そこにはなかった。

父の顔は心労でやつれ、ギルベルト様の自慢のシルバーアッシュの髪は乱れ、服もどこか着崩れている。

そしてフロリナは、お気に入りのピンクのドレスを着ているものの、その表情は恐怖と怒りで引きつっていた。


「お姉様……!」


フロリナが、入室するなり私の方へ駆け寄ろうとした。

しかし、その前にセバスチャンが静かに立ちふさがり、彼女を鋭い視線で制する。


「ここはすでに、メルセデスお嬢様の私邸でございます。許可なく主人に近づくことはお控えください」


「な、何よそれ! 私はお姉様の妹なのよ!? お姉様、早くその老いぼれを下がらせて! 私たち、お話があって来たの!」


フロリナは金切り声を上げたが、私は机に頬杖をついたまま、彼女を冷ややかに見つめ返した。


「セバスチャンの言う通りよ、フロリナ。ここは私の家。私の許可なく動くことは許しません。……それより、お父様も、ギルベルト様も、立ち話というのも何ですから、そちらの椅子にお掛けになってはいかが?」


私が指し示したのは、応接室の中央にある、簡素な木製の椅子だった。

かつては最高級の革張りソファが置かれていた場所だが、私がわざと「格下げ」をして用意させたものだ。


「メルセデス……お前、一体何の真似だ!」


父が絞り出すような声で言った。


「我が家の資産を奪い、クロフォード家の屋敷まで差し押さえるなどと、正気の沙汰ではない! お前はベルンハルト家の長女だろう! なぜ、実家を破滅させるような真似をする!」


「……正気の沙汰、ですか」


私は、ふっと氷のように冷たい笑みを浮かべた。


「お父様、言葉が過ぎますわ。私はただ、フロリナと交わした『約束』を果たしているだけ。……等価交換ですよ」


「等価交換……?」


ギルベルト様が、震える声で私の言葉を繰り返した。


「そうだわ、お姉様!」


フロリナが、ここぞとばかりに声を張り上げる。


「私、お姉様から『一番大事なもの』であるギルベルト様を譲り受けたの! でも、だからって、私のお母様の裏金や、別荘の権利まで奪うなんて、そんなの不公平じゃない! 割に合わないわ!」


「ええ、本当にその通りね、フロリナ」


私は微笑みを深くし、机の上に一枚の書類を滑らせた。

そこには、クロフォード公爵家が抱える負債の総額と、私が買い取った債権の明細が、恐ろしいほどの桁数で記されていた。


「あなたたちが言ったのよ。『互いの一番大事なものを交換して、等価交換にしましょう』と。――だから、私はあなたにギルベルト様を差し上げたわ。彼が、私にとって最大の『負債』だったから」


「負債……だと……!?」


ギルベルト様が絶句し、顔を真っ赤にして私を睨みつける。


「ええ、ギルベルト様。あなたという存在は、私にとって、ただの重荷でしかなかったの。あなたの放漫な生活、領地経営の無能さ、そしてあなたの実家が抱える天文学的な借金。私はそれを、すべて私の私財で埋め合わせ、あなたが『輝かしい次期公爵』でいられるように支え続けていたのよ」


私は立ち上がり、フロリナの前に歩み寄った。


「それを、あなたが進んで引き取ってくれた。つまり、あなたのおかげで、私は生涯背負うはずだった『ゴミ』を処分できたの。……天秤が、私の側に大きく傾くのは当然だと思わないかしら?」


「あ……あ……」


フロリナの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「私が引き取った裏金も、別荘の鉱脈も、あなたが手に入れた『ゴミの山』の価値に比べれば、まだまだお釣りが出るほどだわ。……でも安心して、フロリナ。私は優しい姉だから、あなたたちに最後の『選択肢』を与えてあげるために、ここへ呼んだのよ」


私は、書類の横に、もう一枚の新しい契約書を置いた。

そこに記された条件を見た瞬間、父とギルベルト、そしてフロリナの三人は、絶望に息を呑むこととなるのだった。

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