第8話:氷の令嬢の招待状
「……あら、ずいぶんと賑やかな手紙ね」
東部の別荘、薔薇が咲き誇るテラスにて。
私は、王都のフロリナから届いた二通目の手紙を、優雅に紅茶を傾けながら眺めていた。
前回の勝ち誇ったような文面とは一転し、そこには焦りと怒り、そして姉を詰るような言葉が乱雑に書き殴られている。
『お姉様、あなた、お母様の遺品を使って何か汚いことをなさいましたね? お父様からすべて聞きましたわ。あれは本来、私のものであるはずのお金です! 今すぐ王都に戻り、そのお金と別荘の権利を私に返しなさい! これは妹としての最後のお願いであり、警告です!』
「最後のお願い、そして警告、ですって」
私は思わずくすりと笑い、手紙をテーブルに置いた。
あの子は相変わらず、物事の本質を何も理解していない。
この契約は、力ずくで奪い返すような単純なものではないのだ。
彼女が私に仕掛けた『等価交換の誓約』という呪い。これによって引き起こされた「価値の移動」は、魔法の強制力によって完全に確定している。
フロリナは私の「不要なゴミ(ギルベルト様)」を奪い取った。
その代わり、魔法の天秤は、彼女の持つ「莫大な裏金」と「価値ある領地」を、対価として私に差し出させた。
これは至極まっとうな、世界で一番正しい等価交換だ。
「お嬢様、王都の代理人から新たな知らせが入っております」
セバスチャンが静かに歩み寄り、一通の羊皮紙を差し出した。
そこに記されていたのは、待ち望んでいた吉報だった。
「クロフォード公爵家が発行していた全ての借用書の買い取りが完了いたしました。……これで、公爵家が抱える全ての負債は、完全にメルセデスお嬢様、あなたお一人のものとなりました」
「……完璧ね、セバスチャン。これで役者は揃ったわ」
私は立ち上がり、テラスの手すりから東部の豊かな大地を見渡した。
別荘の地下鉱脈から採掘された魔力結晶の試験運用は、極めて順調に進んでいる。
王都の最高級魔術工房ともすでに独占契約を結び、私の個人口座には、毎日恐ろしいほどの金貨が流れ込み続けている。
もはや、ベルンハルト伯爵家の総資産など、今の私にとってはほんの僅かな小遣い銭に過ぎない。
「セバスチャン。王都へ向かう準備をしてちょうだい。……それと、フロリナとギルベルト様、そしてお父様へ、私から特別な招待状を送りなさい」
「招待状、でございますか?」
「ええ。もうすぐ、彼らが待ちに待った『結婚式の日』でしょう? だから、私から少し早いお祝いの夜会を開いて差し上げるの。――私が買い取った、あの王都のクロフォード公爵邸でね」
セバスチャンの目が、一瞬だけ鋭く光り、そして深々と頭を下げた。
「……畏まりました。最高に皮肉で、逃げ場のない舞台をご用意いたします」
***
その頃、王都。
クロフォード公爵邸の広間では、ギルベルトとフロリナ、そしてベルンハルト伯爵が青ざめた顔で立ち尽くしていた。
彼らの手元にあるのは、メルセデスから届いた美しい青い封筒の招待状。
だが、彼らが驚愕しているのはその内容ではない。
招待状の差出人の欄に記された、信じがたい文言だった。
『――クロフォード公爵邸・新所有者 メルセデス・フォン・ベルンハルト』
「な、なんだこれは……! どういうことだギルベルト!」
ベルンハルト伯爵が、震える手で招待状をギルベルトに突きつける。
「我が公爵邸の所有権が、メルセデスの手に渡っている……!? まさか、そんなはずはない! 誰が、あの女に家を売るものか!」
ギルベルトは髪を掻きむしり、狂ったように叫んだ。
しかし、彼の父親である現公爵が、力なく首を振った。
「……事実だ、ギルベルト。我が家の借用書を買い集めていた謎の投資家……その正体は、メルセデスだったのだ。彼女は我が家の負債を一括で清算する代わりに、この屋敷と、我が公爵領の半分を担保として合法的に差し押さえたのだよ……」
「そんな……お姉様が、公爵家の主になったというの!?」
フロリナは絶望に顔を歪め、その場にへたり込んだ。
彼女がメルセデスから奪ったはずの「公爵夫人」という地位。
だが、その肝心の公爵家は今や、追い出したはずの姉の所有物となっていたのだ。
「そんなの、おかしいわ……! お姉様はすべてを失って、あのボロ別荘で泣いているはずだったのに! どうして、どうしてこんなことになってるのよ!」
フロリナの悲鳴のような叫びが、無人の広間に虚しく響き渡る。
彼女たちが「価値のないもの」として姉に押し付けた東部の別荘。
そこから溢れ出る莫大な富が、今や自分たちの首を絞め上げる鎖となっていることに、彼女たちはまだ気づいていなかった。
「……行くしかないわ」
フロリナは、涙で滲んだ瞳で、姉からの招待状を強く握りしめた。
「王都に帰ってきたお姉様に、直接会って、魔法を解かせてみせる。……あの人は、私のお姉様なんだから。泣きついて、謝れば、きっと元に戻してくれるはずよ」
フロリナは、自分に都合の良い最後の希望に縋り付くようにして、唇を噛みしめた。
だが、彼女は知らない。
氷の令嬢と呼ばれたメルセデスが、一度手放した「ゴミ」に、二度と慈悲を与えることはないということを。
天秤の傾きは、もう誰にも止められない。
すべてを奪い尽くすための、最後の幕が上がろうとしていた。




