第7話:歪な歯車と破滅の足音
王都へ放った魔術的な罠と、着実に買い進めていた借用書。
私が仕掛けた見えない網は、確実に、そして音を立てずにギルベルト様の首を絞め上げていた。
東部の古い別荘の執務室で、私はセバスチャンが王都から持ち帰った、最新の調査報告書に目を通していた。
「……なるほど。思ったよりも早かったわね」
書類には、クロフォード公爵家が所有する直轄領で、今年の主産物である小麦の立ち枯れが相次いで発生したと記されていた。
もともと杜撰な管理と、土壌への過度な負担が重なっていた土地だ。そこに私が、東部の魔力結晶から抽出した『地脈を微かに狂わせる呪い』をほんの少しだけ流し込んだ。
結果、今年の収穫量は例年の半分以下になることが確定したのだ。
ただでさえ莫大な負債を抱え、今年の収穫を担保に新たな借金を重ねようとしていたギルベルト様にとっては、まさに致命的な一撃となったことだろう。
「お嬢様。王都の動きですが、クロフォード公爵家はついに、大手の商家からの融資をすべて断られた模様です。……当然ですな。彼らの持つ借用書は、今やすべてお嬢様の手元にあるのですから」
セバスチャンが、慇懃に頭を下げながら報告を続ける。
「ギルベルト殿は、ご自身の父親である現公爵と共に、連日、金策のために王都中を駆けずり回っておいでです。しかし、どこへ行っても門前払い。……それもそのはず、王都の金融を牛耳る者たちは皆、お嬢様が提示した『好条件の魔力結晶取引』を前に、完全に沈黙を守っております」
「ふふっ。素晴らしいわ、セバスチャン。あの子たちが私の地位を奪い、私を追い出したあの日から、まだ一ヶ月も経っていないというのに」
私は紅茶に口をつけ、優雅に微笑んだ。
フロリナは今頃、自分の選んだ道が、地獄への特等席だったと気づき始めているだろうか。
いいえ、あの子のことだ。きっとまだ「一時的な不運」だと信じ込み、ギルベルト様がなんとかしてくれると、都合の良い夢を見ているに違いない。
だが、夢から覚める時間は、もうすぐそこまで迫っている。
***
その頃、王都のベルンハルト伯爵家。
フロリナは、自室の豪奢なベッドの上で、青ざめた顔をして震えていた。
「どうして……どうしてこんなことになっているの……?」
手元にあるのは、ギルベルトから届いたばかりの、焦燥に満ちた手紙だ。
そこには、愛の言葉など一行も記されていなかった。
あるのは、ただ一つ。
『フロリナ、すまないが、君のお父上に頼んで、至急、我が家に一万ゴールドの融資を頼めないだろうか。これがないと、来月の不渡りを防げない。君との結婚式も延期せざるを得なくなる。頼む、君だけが頼りなんだ』
「一万ゴールドって……そんな大金、我が家にあるわけがないわ!」
フロリナは手紙を床に叩きつけた。
ベルンハルト伯爵家もまた、最近になって奇妙な資金難に陥っているのだ。
メルセデスが出て行ってからというもの、屋敷の帳簿の辻褄が合わないことが多くなった。
それもそのはず。これまでメルセデスが自身の私財や、母親の遺産を運用して補填していた伯爵家の赤字が、彼女の離脱によってすべて表面化したからだ。
「お父様! お父様、いらっしゃいますか!?」
フロリナは部屋を飛び出し、父であるベルンハルト伯爵の執務室の扉を乱暴に開けた。
しかし、そこにいたのは、いつものように娘を甘やかす優しい父親の姿ではなかった。
頭を抱え、山のような督促状を前に、髪を掻きむしっている、ひどく老け込んだ男の姿だった。
「お父様……?」
「フロリナか……。すまないが、今は取り込み中だ。話なら後にしろ」
「でも、お父様! ギルベルト様が、一万ゴールドの融資を求めていらっしゃるのです! 私たちの結婚式のためにも、今すぐ工面していただかないと……!」
「黙れ!!」
父が机を叩き、怒声を上げた。
フロリナは、生まれて初めて父親に怒鳴られ、恐怖に身をすくませた。
「融資だと!? ふざけるな! 我が家が今、どれほどの窮地に立たされているか分かっているのか!? ……お前が、あのエルナの遺品をメルセデスに譲るなどと、勝手な約束をしたせいだ!」
「え……? 私のお母様の遺品が、何か関係あるのですか?」
「関係大ありだ! あの遺品の中に、エルナが隠し持っていた秘密金庫の鍵と、預かり証が含まれていたんだ! 今日、王都の金庫から連絡があった。……エルナが溜め込んでいた莫大な裏金が、すべてメルセデスの手によって引き出されたと!」
父の言葉に、フロリナの頭が真っ白になった。
「あ、あれは……ただの壊れた鍵と、押し花のついた古い日記じゃ……」
「メルセデスは最初からそれを知っていて、お前から『等価交換』の体裁をとって合法的に奪い取ったんだ! その額、我が家の予算の三倍以上だぞ! それがあれば、今の伯爵家の赤字も、クロフォード家の借金も、すべて返済して余りあるはずだったんだ!」
「そんな……お姉様、私を騙したのね……!」
フロリナの顔が、怒りと絶望で歪む。
「お姉様から、一番いいものを奪ったはずなのに……。どうして……どうして私が、こんな目に遭わなきゃいけないの!?」
フロリナは、かつて自分がメルセデスと結んだ『等価交換の誓約』の呪いが、今、自分自身の首に巻き付いていることに、ようやく気づき始めた。
彼女がメルセデスから奪い取ったのは、輝かしい「次期公爵夫人」の座ではなく、莫大な負債を抱えた「底なしの泥沼」だった。
そして、メルセデスに押し付けたつもりだった「不幸」は、実は、彼女の未来を何倍にも膨らませる「黄金の果実」へと姿を変えていたのだ。
「……お姉様」
フロリナは、怒りに震える拳を握りしめ、窓の外の東の空を睨みつけた。
「絶対に許さない。……私のものを、全部返してもらうわ。今さら返せと言ったって、これはただの、割に合わない等価交換じゃないの!」
しかし、彼女のその悲痛な叫びは、誰にも届くことはなかった。
天秤の傾きは、すでにフロリナの手では、決して元に戻せないところまで、大きく傾いてしまっているのだから。




