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第4話:不穏な足音

ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は手に入れたばかりの権利書や日記の記述を、何度も頭の中で反芻していた。


東部の別荘に到着するまで、あと数日。

周囲の景色は、王都の整然とした街並みから、次第に緑の深い田園地帯へと移り変わっていく。窓から差し込む木漏れ日が、私の手元にある古びた手帳を静かに照らし出していた。


(本当に、面白いほどすべてが私の手元に転がり込んでくるわね)


手帳の余白に記された、亡き後妻エルナの筆跡。

そこには、彼女がかつて王都の裏社会で通じ合っていた者たちの名や、不正な取引の記録、そして例の秘密金庫の管理番号が克明に記されている。


これをただの「母親の遺品」だと思い込み、私に差し出したフロリナの浅はかさには、何度思い返しても笑いが込み上げてくる。

彼女にとって、母エルナは自分を溺愛してくれた優しい母親であり、自分を伯爵家の令嬢に引き上げてくれた恩人でしかなかったのだろう。

だからこそ、その遺品に「犯罪の証拠」や「莫大な裏金の権利」が隠されているなどと、疑うことすらできなかったのだ。


だが、私は違う。

エルナが我が家に入り込んできた当初から、彼女の立ち振る舞いや、実母の不審な死の裏にある不自然な金の動きを、私はずっと監視していたのだから。


「ふう……」


私は手帳を閉じ、小さく息を吐いた。

手袋を外した左手の甲を見つめると、そこに刻まれた『等価交換の誓約アキュムレート』の紋章が、先ほどよりも一層、青白い輝きを増しているように見えた。


この魔法は、歪んだ天秤を元に戻すまで、その所有者に「略奪の権利」を与え続ける。

私がフロリナから「隠し資産の鍵」と「結晶の眠る別荘」を奪い取ったことで、本来であれば天秤は少しだけ均衡を取り戻すはずだった。


しかし、現実は違った。


(……魔法が、まだ足りないと告げているわ)


そう。ギルベルトという「負の遺産」を手放したことの価値は、私が思う以上に大きかったのだ。

私がこれまで、彼の無能さを覆い隠すために費やしてきた労力と時間、そして我が家の資金。

それを金額に換算すれば、フロリナの隠し資産や、開発前の別荘の価値を合わせても、まだ天秤の釣り合いを取るには到底及ばないということなのだろう。


つまり、私にはまだまだ、フロリナの持ち物を合法的に奪い尽くす権利が残されている。


「それなら……次は、あなたが一番誇りに思っている『誇り』そのものを、奪って差し上げなくてはね」


私は馬車の座席に深く背をもたれ、目を閉じた。


フロリナが今、最も誇らしく思っていること。

それは、自分が高貴なクロフォード公爵家の次期当主であるギルベルトを、姉から奪い取ったという事実。

そして、自分がまもなく「公爵夫人」という、この国でも指折りの地位を手に入れるという未来だ。


彼女は今頃、王都の屋敷で、ギルベルトと共に華やかな婚礼の準備に追われていることだろう。

社交界の友人たちに囲まれ、羨望の眼差しを向けられながら、さぞかし得意満面になっているに違いない。


「お姉様から、一番いいものを奪ってやったわ」と。


だが、彼女はその「一番いいもの」が、どれほど腐りかけの果実であるかを知らない。


先代のクロフォード公爵が残した、巨額の負債。

彼らが贅沢な暮らしを維持するために、王都の複数の大商人や、高利貸しから借り入れた金の総額は、公爵家の領地を丸ごと売り払っても返済しきれない規模に膨れ上がっている。


これまでは、私がベルンハルト伯爵家の名義を使い、密かにその債権を買い取ったり、返済期限を延長させるよう裏で手を回していた。

だからこそ、公爵家は破産を免れ、ギルベルトも「未来の公爵」として、何不自由のない暮らしを続けられていたのだ。


「私が手を引いた今、あの家を支える者は誰もいない」


そればかりか。

私は王都を出発する前、信頼できる腹心の従者に、ある指示を与えておいた。

私が伯爵家を出ると同時に、クロフォード公爵家の借用書を、エルナの隠し資産を使って「個人名義」で買い取るための手続きだ。


私が東部の別荘に到着する頃には、王都の主だった大商人たちが持つ、公爵家の借用書の半分以上が、私の息のかかった代理人の手に渡っているはずだ。


「そうなれば、ギルベルト様。あなたの生死の権利は、すべて私が握ることになりますわ」


彼らが結婚式を挙げ、愛の誓いを交わしたその瞬間に。

新婦であるフロリナに、新郎の実家が抱える莫大な借金の返済義務という「現実」を突きつけてやる。

そして、その債権者が、自分が追い出したはずの「哀れな姉」であると知った時、フロリナは一体どんな顔をするだろうか。


想像するだけで、胸の奥から心地よい愉悦が湧き上がってくる。


ガタガタ、と馬車が大きく揺れた。

どうやら、街道の舗装が途切れ、東部の領地へと続く未整備の道に入ったようだ。


「……そろそろ、着く頃かしら」


私は窓のカーテンを少しだけ開け、外の様子を伺った。

視界に飛び込んできたのは、手入れのされていない荒れ果てた土地と、遠くに見える、古びた石造りの小さな館。


あれが、私が譲り受けた東部の別荘だ。

世間からは「価値のないゴミ」と見捨てられた土地。


けれど、私にとってはここが、フロリナとギルベルトを地獄の底へと突き落とすための、最高の玉座になるのだ。


「お帰りなさいませ、メルセデスお嬢様」


馬車が館の前に止まると、かつて私に仕え、今はここで隠居生活を送っていた年老いた使用人たちが、涙を浮かべて私を出迎えてくれた。

彼らは、私が婚約者を奪われ、実家を追われるようにしてここへやってきたと聞かされ、同情してくれているのだろう。


「ありがとう、皆さん。心配はいりませんわ。……私はここから、新しい人生を始めるつもりですから」


私は車から降り立ち、完璧な微笑みを浮かべて彼らに告げた。


新しい人生。

それは、被害者としてひっそりと暮らす人生ではない。


奪われたものの何倍もの対価を、あの愚かな義妹から毟り取るための、優雅で冷徹な逆襲の人生だ。

私は館の重い扉を押し開け、確かな足取りで、その第一歩を踏み出した。

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