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第3話:隠された果実

「お姉様、本当に出て行かれるのですね。……私、お姉様がいなくなってしまうと、とても寂しいですわ」


翌朝、ベルンハルト伯爵家の馬車に荷物を積み込む私の背中に、フロリナの甘ったるい声がかけられた。

その声には、寂しさなど微塵も含まれていない。自分を脅かす唯一の存在であった実の姉を、この屋敷から完全に排除できたことへの勝利の悦びが、隠しきれずに滲み出ていた。


「ええ、フロリナ。お父様にお許しをいただいた通り、私は東部の別荘へ移ります。これからは、あなたとギルベルト様がこの家を支えていくのですもの。私のような行き遅れの姉が、いつまでも居座るべきではありませんわ」


私は荷物の中から、昨夜のうちに父とフロリナに署名させた「譲渡契約書」をそっと指先で確かめた。


そこには、東部の別荘の所有権の移転と、後妻エルナの遺品を私がすべて引き取る旨が明記されている。もちろん、フロリナも父も、この書類の裏に隠された真の価値など、露ほども疑っていない。


「ギルベルト様も、お姉様の処遇については胸を痛めていらっしゃいましたの。でも、お姉様がそうやって物分かりよく身を引いてくださるのなら、私達も安心してお祝いの準備ができますわ。お姉様から譲り受けた大切なギルベルト様ですもの、私、絶対に幸せになりますね」


フロリナは、私の左手の甲に刻まれた『等価交換の誓約アキュムレート』の紋章が、もう自分のものではないと言わんばかりに勝ち誇った顔を向けてくる。


(ええ、どうぞ存分に幸せを夢見ていなさい。その夢が、どれほど足元から崩れ落ちていくかも知らずに)


私は何も言わず、ただ弱々しい微笑みを返して馬車に乗り込んだ。


馬車が動き出し、屋敷の門をくぐり抜ける。

窓から振り返ると、フロリナが満足そうに、こちらへ向けて小さく手を振っているのが見えた。


「……さて。あの子の見送りに付き合うのも、これが最後ね」


私は馬車のカーテンを閉めると、深く息を吐き、これまでの「哀れな被害者」の仮面を脱ぎ捨てた。


手元に残された、後妻エルナの遺品が入った小さな木箱。

鍵を開けて中を改めると、そこには流行遅れの装飾品や、古びた手帳に混ざって、一本の奇妙な形状をした鉄の鍵が入っていた。


フロリナはこれを、ただの「壊れた古い家の鍵」だと思い込んでいた。

だが、後妻エルナの侍女だった者を事前に買収して調べておいた私にとっては、これこそが本命だ。


この鍵は、王都の地下深くにある秘密金庫の鍵。

かつてエルナが、違法な高利貸しや、他家の醜聞を握って脅し取った私財を保管している場所のものである。

そしてその金庫の預かり証は、エルナが遺した日記の、一見ただの押し花のように見える紙片の裏に、特殊な魔術のインクで隠蔽されて記されていた。


(エルナ、あなたは優秀な悪女だったけれど、一つだけ大きな失敗をしたわ。……自分の娘が、あまりにも愚かだということを見抜けなかったことよ)


エルナが遺したこの不正な資産の総額は、我が家の年間予算の約三倍。

フロリナが成人した際、あるいは結婚した際に譲り渡されるはずだったその権利を、私は昨夜の譲渡契約によって、一文字の狂いもなく「合法的に」手に入れた。


フロリナは、自分が受け取るはずだった莫大な「隠し財産」を、姉への哀れみと優越感のために、自ら進んで手放したのだ。

これこそが、契約の魔法がもたらした、第一の歪みの解消。


さらに、私がこれから向かう東部の古い別荘。

そこは、かつて我が家が所有していたものの、作物が育たない痩せた土地として、半ば打ち捨てられていた場所だ。

しかし私は、以前、領地の地質調査の記録を個人的に買い取っていた。


その別荘の地下深くには、極めて純度の高い「魔力を宿した結晶」の鉱脈が眠っている。

この結晶は、近年の魔術道具の普及に伴い、王家や大貴族が喉から手が出るほど欲しがっている希少な資源だ。

フロリナは、その価値に気づくこともなく、「価値のないゴミ」として私に押し付けたつもりでいたのだ。


(これでもまだ、天秤は釣り合わないわ)


私が手に入れた隠し資産と結晶鉱脈。

その総価値は、ギルベルトという「負債を抱えた、無能な男」の価値とは、比較にすらならない。

天秤はますます私の側に傾き、フロリナの持っているものをさらに吸い上げようと、魔力が私の左手で脈打っている。


「まずは、あの金庫の資産をすべて引き出し、ベルンハルト家の債務の整理に使いましょう。……いいえ、私の個人資産として運用して、ギルベルト様の公爵家の首を絞めるための資金にするのが、一番効果的かしら」


私の頭の中で、次の計画が完璧な形となって組み上がっていく。


ギルベルトのクロフォード公爵家は、現在、多額の借金に苦しんでいる。

これまでは私が、実家であるベルンハルト家の名義を使って、彼らの債務を密かに肩代わりし、利息の支払いを猶予させてやっていた。


しかし、私が家を出た以上、その「猶予」を続けてやる義理はどこにもない。

むしろ、私が引き出したエルナの裏金を使って、クロフォード公爵家の借用書をすべて買い取り、私が「最大の債権者」となればどうなるか。


「ギルベルト様、フロリナ。あなたがたが華やかな結婚式の準備を進めている間に、私があなたの家の『命綱』を握って差し上げますわ」


馬車は、静かに王都を離れ、東部へと向かってひた走る。


私がすべてを奪われたと信じ込んでいるフロリナは、今頃、自分が手に入れた「次期公爵夫人」の座に酔いしれていることだろう。

だが、その座の底には、すでに私が仕掛けた底なしの沼が広がっている。


彼女がかつて私に仕掛けた『等価交換の誓約』は、今や彼女自身の首を絞めるための、最も残酷な縄となっていた。

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