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第2話:不均衡な天秤

「……ふふっ。あはははは!」


夜会からの帰路、ベルンハルト伯爵家の馬車の中。

一人きりになった途端、私は堪えきれずに扇で口元を覆い、声を上げて笑った。


夜会の広間では、誰もが私を「惨めで哀れな被害者」として見ていた。

私が傷つき、絶望に打ちひしがれていると信じて疑わない周囲の視線。そして何より、私からすべてを奪ったと確信し、勝ち誇った顔でギルベルトの腕にぶら下がっていたフロリナの、あの浅はかな表情。


すべてが、私の計算通り。最高に滑稽で、愛おしいほどの喜劇だった。


(ありがとう、フロリナ。あの粗大ゴミを引き取ってくれて、本当に感謝しているわ)


私はそっと、左手の手袋を脱いだ。

青白い紋章が、今も微かに私の肌の奥で拍動している。禁忌の魔法『等価交換の誓約アキュムレート』。

かつて幼い私にこの呪いをかけた時、義妹の母――後妻のエルナ――は、私から全てを奪う魔法だと確信していたのだろう。


彼女たちがかけた術式は、こうだ。

『フロリナが、メルセデスの一番大事なものを手に入れた時。その価値に見合うだけの絶望を、メルセデスに与える』


しかし、この呪いには致命的な欠陥があった。

それは、魔法が測定する「価値」の基準だ。

術者の主観ではなく、魔法そのものが認識する「絶対的な価値」、あるいは「所有者本人がその対象に置いている価値」によって、天秤は傾く。


フロリナにとって、ギルベルトは「次期公爵」であり、自分を社交界の頂点へと引き上げてくれる「最高に輝かしい宝物」だった。

けれど、私にとってのギルベルトは違った。


彼は、私が裏で調整しなければ、領地経営の初歩的な計算すら間違える男だ。

彼の不倫を揉み消すために、私がどれだけの裏金を動かしたと思っているのだろう。

さらに、彼の公爵家は現在、当主の放漫経営によって莫大な隠れ負債を抱えている。私はそれを、ベルンハルト伯爵家の資金を融通して、辛うじて支えてやっていたに過ぎない。


つまり、私にとってギルベルトとの結婚は、公爵家の借金と無能な夫を生涯世話し続けるという、ただの「重罪」であり「負の資産」だった。


(それを、あの子はわざわざ自分から奪っていった。……天秤の均衡が、崩れないはずがないわ)


私は、馬車の窓から夜の街並みを眺めた。

暗闇の中、私の瞳に宿るアイスブルーの光が、妖しく反射している。


魔法の天秤は今、大きく私の側に傾いている。

フロリナが私の「負債」を引き受けたことで、私は莫大な「価値の余剰」を手に入れたのだ。

誓約のルールによれば、崩れた天秤を元に戻すため、私はフロリナから「彼女が持つ同等以上の価値あるもの」を、魔法の強制力をもって奪う権利を得たことになる。


「さて、まずは何から始めようかしら」


私の脳裏に、フロリナの「持ち物」がリストアップされていく。


彼女が持っている最も大きな価値。

それは、彼女の亡き実母――後妻エルナの連れ子であるフロリナに、エルナが残した「隠し資産」だ。


表向き、エルナはただの没落貴族の娘として我が家に嫁いできたことになっている。

しかし、私は知っている。彼女がかつて、ある怪しげな新興宗教や、違法な高利貸しと深く繋がっていたことを。

彼女が亡くなった際、フロリナ名義の秘密口座に、ベルンハルト伯爵家の年間予算の数倍に匹敵する、莫大な隠し資産が移されていることを、私はすでに調べ上げていた。


さらに、もう一つ。

父(伯爵)が、後妻への盲目的な愛ゆえに、フロリナに与えようとしている「ベルンハルト家の第二継承権」と「有望な鉱山の開発権」だ。


「お姉様、ただいま戻りました」


屋敷に帰着すると、玄関ホールで、すでに帰宅していたフロリナが私を待ち構えていた。

彼女の隣には、私の父であるベルンハルト伯爵も立っている。


「メルセデス。話は聞いているぞ」


父は眉をひそめ、私を責めるような視線を向けた。


「ギルベルト殿との婚約が破棄されたそうだな。……お前が、あまりにも冷淡で、彼を支えきれなかったからだと。フロリナから聞いた」


「……左様でございますか」


私は小さく息を吐き、悲しみに暮れる令嬢の表情を作って見せた。

視線を落とし、肩を微かに震わせる。


「お父様、申し訳ありません。私の力不足で、ギルベルト様のお心を繋ぎ止めることができませんでした。……ですが、まさかフロリナが、私の婚約者とあのような関係になっていたなんて……」


「お、お姉様! 誤解ですわ!」


フロリナが、わざとらしく涙を浮かべて私の手を取ろうとした。


「私、決してそんなつもりは……! でも、ギルベルト様があまりにも苦しんでいらしたから、ご相談に乗っているうちに、どうしてもお互いの気持ちが抑えきれなくなってしまって。お姉様を傷つけるつもりはなかったんです!」


「分かっている、フロリナ。お前が悪いのではない」


父がフロリナの肩を抱き寄せ、私を睨みつける。


「メルセデス。お前は昔から完璧すぎて、人に寄り添う心が足りない。ギルベルト殿がフロリナを選んだのも、当然の成り行きだ。……これ以上の醜聞を防ぐためにも、次の当主はお前ではなく、フロリナとギルベルト殿の血筋に継がせるべきだと、私は考えている」


父の言葉に、フロリナの顔に一瞬だけ、勝ち誇ったような歪んだ笑みが浮かんだ。


そう。彼女の狙いは、最初からこれだったのだ。

私から婚約者を奪い、その上で「ベルンハルト伯爵家の継承権」をも完全に奪い取ること。


「……お父様のご意志であれば、従いますわ」


私は、絶望に打ちひしがれた声を絞り出した。


「ですが、一つだけお願いがございます。……私にはもう、未来の夫も、この家での居場所もございません。せめて、亡きお母様が私に残してくださるはずだった、あの東部の古い別荘と……フロリナが管理している、エルナ様の遺品の一部を、私に譲っていただけないでしょうか。それを心の慰めとして、静かに暮らしたいのです」


「……ふん。別荘くらい、好きにするがいい。フロリナ、お前もそれでいいな?」


「ええ、お父様。もちろんですわ。お姉様があまりにもお可哀想ですもの。私のお母様の遺品くらい、いくらでも差し上げますわ!」


フロリナは、私のことを「すべてを失った哀れな敗北者」だと確信し、寛大な勝者を気取って微笑んだ。


(……愚かな子)


私は、俯いたまま唇を歪めた。


彼女が「ただの遺品」だと思っているその中には、フロリナの隠し資産へアクセスするための「鍵」と、彼女の母が遺した違法な契約書の数々が含まれている。

そして、私が要求した「東部の古い別荘」の地下には、フロリナが知らない、莫大な価値を持つ「古代魔力結晶の鉱脈」が眠っているのだ。


私が「負債ギルベルト」を一つ捨てた対価として、今、天秤が動き出した。


これから私は、フロリナの隠し資産を合法的に差し押さえ、彼女の継承権を無効化する。

彼女が勝ち取ったはずの「公爵夫人」という座が、どれほど凄惨な泥沼であるかを、じっくりと味わわせながら。


「ありがとうございます、お父様、フロリナ。……これで私も、諦めがつきますわ」


私は顔を上げ、儚げに微笑んだ。

その笑顔の裏で、フロリナの持つすべてを奪い尽くすための秒読みが、確かに始まっていた。

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