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第22話:黄金の風、鋼の追跡者

「オアシス・ラピス」の裏通りは、迷路のように入り組んでいる。土壁の建物が熱を放ち、頭上からは突き刺すような陽光が降り注ぐ。


「お嬢様、足元にお気をつけください」


セバスチャンの警告と同時に、背後で怒号が響いた。帝国の監視兵たちが、酒場から出てきたメルセデスたちの姿を捉えたのだ。


「止まれ! 貴族風の女と従者、止まらんか! 密輸の疑いがある、身分証を提示せよ!」


「……密輸、ですか。相変わらず帝国の方は、想像力が欠如していらっしゃるのね」


メルセデスは速度を緩めず、細い路地を曲がる。彼女の脳内には、先ほど老人の砂時計が見せた「地下水路の構造」が、完璧な立体図として描き出されていた。母の手記と老人の言葉。その二つが組み合わさった今、この街は彼女にとって庭も同然だった。


「セバスチャン、右よ。あの崩れかけの井戸へ」


「御意」


二人は、一見すると枯れ果てた古い石造りの井戸へ飛び込んだ。追ってきた兵士たちが角を曲がった時には、そこにはただ、熱気に揺れる陽炎と、砂塵にまみれた空き地が広がっているだけだった。


井戸の底。そこには、王都のそれとは比較にならないほど巨大で、冷ややかな空気を孕んだ石造りの空間が広がっていた。かつて高度な魔導文明が存在したことを証明する、精密な彫刻が施された地下水路だ。


「……ここが、砂漠の血管」


メルセデスは、懐から自作の小型結晶を取り出した。淡い黄金色の光が、湿り気を帯びた壁面を照らし出す。


「お嬢様、先ほどの老人が言っていた『星を読む一族』。彼らが母上と通じていたというのは、間違いなさそうです。この壁の模様……結晶の共鳴パターンを誘導するための幾何学図形です。母上の研究室にあったものと酷似しています」


「ええ。母は知っていたのよ。地上の部族が奪い合っている資源など、この砂漠が持つ真の価値の、ほんの表層に過ぎないことを」


メルセデスは壁に触れた。ひんやりとした感触と共に、微かな振動が指先に伝わる。地脈を流れる膨大な魔力の流れ。それは、バルツァー帝国が血眼になって探している、既存の石炭や旧魔石を過去の遺物に変えてしまうほどの、圧倒的なエネルギーの奔流だった。


だが、二人の背後から、不気味な金属音が響いた。


「――やはり、ここでしたか。ベルンハルト侯爵令嬢」


落ち着いた、しかし冷徹な女の声。

暗闇の中から現れたのは、帝国の軍服を優雅に纏った女性だった。燃えるような赤い髪を短く切り揃え、腰には一振りの細剣を佩いている。


「……カトリーナ皇女。いえ、その影武者かしら?」


メルセデスは振り返り、優雅に、しかし警戒を解かずに問いかけた。


「残念ながら、本物ですよ。貴女を『商談』に誘うには、これくらいの礼を尽くすべきだと思いまして」


カトリーナは微笑んだ。その笑みには、獲物を追い詰めた猛禽類のような、冷酷な美しさが宿っている。彼女の背後には、魔導強化された甲冑を纏う帝国精鋭兵「鋼鉄の牙」の面々が控えていた。


「王都での貴女の活躍は見事でした。法廷を舞台にした経済戦……。ですが、ここは砂漠です。貴女が重んじる『法』も『契約』も、私の剣の前では無価値だということを教えに来ました」


「無価値、ですか。それは聞き捨てなりませんわね」


メルセデスは、セバスチャンの前に一歩踏み出した。セバスチャンは剣を抜きかけていたが、彼女の静かな制止の合図に、その身を沈めた。


「カトリーナ様、貴女は『奪う』ことで価値を証明しようとなさる。ですが、それでは天秤は常に一方に傾き、最後には壊れてしまう。……真の強者は、天秤を均衡させることで、世界そのものを味方につけるのです」


「理想論ですね。均衡など、強者の慈悲によってのみ成り立つ脆い幻想に過ぎない。メルセデス、貴女のその知性と技術、帝国の国力と組み合わされば、大陸のエネルギー問題は一日で解決します。……貴女に『拒否権』という対価を支払う用意はありません」


カトリーナが剣を抜いた。鋭い金属音が水路に響く。


「ここで私と共に来るか、あるいは砂漠の藻屑となるか。……選んでいただきましょう。等価交換のルールに従って」


緊迫した空気が、地下水路を支配する。

メルセデスは、ディートリヒから預かった短剣の柄に触れた。王家の守護石が、彼女の決意に応えるように、わずかに熱を帯びる。


「……選択肢が二つしかないと考えるのは、商売人としては三流ですわ」


メルセデスは、手に持っていた黄金の結晶を、足元の水路へと投げ入れた。


「なっ……!?」


カトリーナが驚愕に目を見開く。

結晶が水面に触れた瞬間、地下水路全体が、眩いばかりの黄金色の光に包まれた。壁面に刻まれた幾何学図形が、眠りから覚めた巨人のように脈打ち始める。


「母は言っていました。この場所は『誠実』を試す場所だと。……私にとっての誠実は、自分の価値を安売りしないこと。そして、略奪者にはそれ相応の『損失』を与えることです!」


轟音と共に、水路の壁が崩れ、大量の地下水と魔力の奔流が溢れ出した。メルセデスは、母の手記に記されていた「緊急脱出用のバイパス」の存在を知っていたのだ。


「お嬢様、こちらへ!」


セバスチャンがメルセデスの腰を引き寄せ、崩落する壁の向こう側へと飛び込む。


「逃がしません! 追え!」


カトリーナの叫び声が、溢れ出す水の音に掻き消されていく。

光と闇が交錯する中、メルセデスは確信していた。

この理不尽な追跡劇すらも、彼女にとっては「市場調査」の一環に過ぎない。帝国の手の内、皇女の思考パターン。すべてを情報の天秤に乗せ、彼女はさらに深く、砂漠の核心へと潜っていく。


「……さあ、商談を続けましょう。皇女殿下。砂漠の最果てで、どちらの価値が本物か、はっきりとさせてあげますわ」


激流に飲まれながらも、メルセデスの瞳には、一切の揺らぎはなかった。

彼女が目指すのは、もはやただの資源ではない。

帝国という巨大な不条理を、自らの論理で屈服させるための、「絶対的な均衡」の鍵だった。


暗い水路を抜けた先、視界が開ける。

そこには、月明かりに照らされた、果てしなく続く銀世界の砂漠が広がっていた。

砂の海を渡る風が、メルセデスの髪を激しくなびかせる。


冒険は、ここからが本番だった。

メルセデス・フォン・ベルンハルト。

彼女の持つ天秤は、今や一国の命運ではなく、時代の行く末を計り始めていた。

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