表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/33

第20話:魔導の残り香、あるいは新時代の予兆

王立高等裁判所での衝撃的な判決から、数ヶ月の時が流れた。

かつて王都を騒がせたベルンハルト伯爵家の内紛劇は、いまや人々の記憶の隅へと追いやられ、代わりに街の至る所で「新時代の音」が響き始めている。


カラン、カラン、という規則正しい音を立てて、石畳の道を一台の車両が通り過ぎていく。それは馬に引かれる客車ではなく、メルセデスが開発した高純度魔力結晶を動力源とした「魔導乗合馬車」の試作機だ。煙を吐かず、馬の嘶きも聞こえないその静かな走行は、王都の人々に、自分たちが歴史の転換点に立っていることを否応なしに実感させていた。


旧クロフォード公爵邸――現在はメルセデス・フォン・ベルンハルト侯爵令嬢の公邸として知られるその屋敷の執務室。

窓の外には、夕闇が迫る王都が広がっている。街路樹の合間に設置された魔導街灯が、夕焼けの茜色を塗り替えるように、澄んだ青白い光を放ち始めた。


「……お嬢様。本日の分の、王立技術院からの報告書です。結晶の出力安定化に関する実証実験は、すべて予定通りの数値を叩き出しております」


セバスチャンが、音もなく歩み寄り、机の上に厚い書類の束を置いた。

メルセデスは羽ペンを置き、凝り固まった肩をわずかに回すと、差し出された書類に目を通した。その瞳は、以前よりも深みを増し、冷徹な計算の奥に、成し遂げた者だけが持つ静かな充足感が宿っている。


「予定通り、ね。……でも、セバスチャン。価値が普及すればするほど、それは日常という名の『当たり前』に飲み込まれていくわ。人々はもう、街灯が灯ることに驚きもしない。それは喜ばしいことだけれど、同時に新たなリスクを孕んでいるということでもあるわ」


「左様でございますな。需要が爆発的に増えれば、供給側の僅かな揺らぎが、国家規模の混乱を招くことになります。……そして、その『揺らぎ』を意図的に作り出そうとする者たちが、国境の向こう側で動き始めたようでございます」


セバスチャンの声が、わずかに低くなった。

彼は銀盆の上に載せていた、もう一通の手紙を差し出した。それは、公的な外交ルートを通さず、商務ギルドの極秘回線を経由して届いた、隣国「バルツァー帝国」からの非公式な通告だった。


メルセデスはその手紙を手に取り、封を切った。

上質な紙に刻まれているのは、軍事大国として知られる帝国の、力強い、しかしどこか傲慢な筆致だ。


「……『帝国の特許法に基づき、結晶精製技術の開示、ならびに大陸全土におけるエネルギー統制への協力を要請する』……。要約すれば、私の結晶を帝国の管理下に置き、その利益の半分を上納しろ、ということね」


「外交上の体裁は整えておりますが、内容は略奪に近いものですな。帝国は、我が王国の急速な技術革新を、自国の覇権を脅かすものとして警戒し始めております。……特に、バルツァー帝国の商務部を率いる第一皇女、カトリーナ殿下が、直接この件に乗り出してきたとの情報がございます」


「カトリーナ皇女……『鋼の薔薇』と称される、あの合理主義者ね」


メルセデスは、手紙を机の上に置いた。

カトリーナ皇女の名は、王都の社交界でも有名だった。武力による領土拡大を是とする帝国において、彼女だけは「経済と法」による他国の実質的な支配を提言し、数々の属国を無血で帝国に組み込んできたという。

ある意味で、メルセデスと同種の、あるいはメルセデスが最も嫌悪する「奪うための知性」を持った女だ。


「彼女のやり方は、フロリナたちのような子供騙しとは次元が違うわ。法を盾にし、権威を笠に着て、相手が拒めない状況を作り出してから、優雅に息の根を止める。……等価交換を謳いながら、その実、天秤の裏に重りを隠しておくような人間よ」


「お嬢様、いかがなさいますか。ディートリヒ殿下を通じて、正式な抗議を行いますか?」


「いいえ。そんなことをすれば、帝国はそれを『交渉の拒絶』と見なし、原料である魔石の輸入制限という実力行使に出てくるわ。……今の王都の街灯を支えている原石の三割は、帝国の影響下にある採掘場から来ているもの。それを止められれば、街は再び闇に包まれるわね」


メルセデスは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。

眼下に広がる青白い光の列。彼女が守り、育ててきた、新しい世界の景色。

それを理不尽な暴力で奪われることなど、メルセデスのプライドが、そして彼女の「天秤」が、断じて許さなかった。


「……セバスチャン。私は、他人に自分の人生の主導権を握られるのが、何よりも嫌いなの。たとえそれが、大国の皇女であってもね」


「心得ております。お嬢様なら、そう仰ると思っておりました」


「原料を止められるなら、別の場所から手に入れればいい。……母の残した手記に、一つだけ、誰の手も及んでいない『聖域』の記録があったわね」


セバスチャンの眉が、微かに動いた。


「……西方の辺境、『最果ての砂漠』でございますか? あそこは過酷な気候と、排他的な部族が支配する、文字通りの禁忌の地。伯爵家ですら、一度も手を出せなかった場所ですが……」


「ええ。でも、あそこには帝国も知らない、最高純度の原石が眠っている可能性があるわ。……母がなぜ、あのような荒野を最期まで研究し続けていたのか。その理由を、確かめる時が来たのかもしれない」


メルセデスのアイスブルーの瞳に、静かだが消えない闘志が宿った。

第1章で彼女が戦ったのは、身内の裏切りと古臭い貴族の因習だった。だが、第2章で彼女の前に立ちはだかるのは、国家という巨大な怪物と、自分に似た冷徹な知性。


「等価交換の神髄は、相手が提示した条件に従うことではないわ。……相手の予測を超える価値を創り出し、天秤そのものを自らの支配下に置くこと。――カトリーナ皇女、あなたの言う『鉄の掟』が、私の『黄金の天秤』に通用するか、試してあげましょう」


夜風が執務室に吹き込み、メルセデスのプラチナブロンドの髪を優雅に揺らした。

彼女は、窓から見える街路灯の光を愛おしそうに見つめた後、迷いのない足取りで、机の上に広げられた「西方の地図」を指先でなぞった。


新しい嵐が近づいている。

だが、その嵐を越えた先には、誰も見たことのない、真に自立した「価値」の世界が広がっているはずだ。


メルセデス・フォン・ベルンハルト。

彼女の第2の取引は、いま、灼熱の砂漠と凍てつく帝国の狭間で、静かに幕を開けた。


「……セバスチャン。旅の支度をして。ディートリヒ殿下には、『少し母のルーツを探しに行ってくる』とだけ伝えておいてちょうだい」


「承知いたしました。……最果ての地まで、このセバスチャン、お嬢様の天秤の支柱としてお供いたします」


主従の影が、魔導の光に照らされて長く伸びる。

それは、これから始まる長く険しい、しかし気高き「独立への道」の、確かな始まりの光景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ