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間話3:新しき風、天秤の先へ

数日後。ベルンハルト伯爵邸。

かつての活気を失い、ひっそりと静まり返ったその屋敷の書斎で、ベルンハルト伯爵は独り、古びた肖像画を見上げていた。


そこに描かれているのは、先妻――メルセデスの実の母親だ。

冷徹なまでに知性的で、それでいて慈愛に満ちたその瞳。メルセデスに受け継がれた、あのアイスブルーの輝き。


「……私は、二度までも彼女たちを裏切ったのだな」


伯爵の手には、王宮から届いた一通の通告書があった。

ローゼンタール大公との癒着に関する嫌疑は、メルセデスが提出した「清算書」によって、最低限の減封と隠居という形で収められた。

娘が、父である自分を、文字通り『買い取った』のだ。


『お父様。あなたの価値は、このベルンハルト家の名を汚さない程度の隠居生活に相当します。それ以上の欲は、命を対価にすることになりますわ』


最後に見送った際、メルセデスが冷たく告げた言葉。

それは、親子の情など微塵も感じさせない、純粋なビジネスの提案だった。

伯爵は、娘が自分を「家族」としてではなく、守るべき「看板」の一部として処理したことに、深い絶望と、同時に奇妙な安堵を覚えていた。


「メルセデス。……お前は、この家よりも、もっと遠い場所へ行くのだな」


伯爵が呟いたその時、屋敷の外から、力強い馬の嘶きと、多くの人々の活気ある声が聞こえてきた。


それは、東部の魔力結晶を運ぶ商隊の列だった。

メルセデスが興した事業は、いまや王都の経済を牽引する巨大な動力源となっている。

古びた貴族の形式に固執する者たちが淘汰され、実力と価値を持つ者が報われる。メルセデスが望んだ新しい世界の風が、この保守的な屋敷の庭にまで吹き込んでいた。


一方、その頃。

王宮のテラスでは、メルセデスとディートリヒ殿下が、並んで王都の夜景を眺めていた。


「――お嬢様。そろそろ、第2段階の準備に入りますか?」


背後に控えるセバスチャンが、静かに問いかける。


「ええ。王都の浄化は終わったわ。……次は、王国全土。そして、この結晶の価値を理解できない隣国との『交渉』に入るわ」


メルセデスは、夜風にプラチナブロンドの髪をなびかせ、不敵な微笑みを浮かべた。

彼女の隣で、ディートリヒ殿下がその手をそっと取る。


「君の行く道は、常に嵐がつきまとうな、メルセデス。……だが、今度は私が君の盾になろう。君の天秤が、常に正しく機能するように」


「殿下。私の盾になるための対価は、非常に高くつきますわよ?」


「望むところだ。私の人生すべてを賭けても、お釣りがくるほどだと思っている」


二人の視線の先には、街の明かりが星のように輝いている。

それは、かつての「復讐」という名の暗い情熱が、新しい「創造」という名の光に変わった瞬間だった。


メルセデス・フォン・ベルンハルト。

彼女が手にする天秤は、これからも世界の歪みを正し、不当な略奪を許さないだろう。

割に合わない等価交換を仕掛けた者たちが消え去り、今、彼女の目の前には、果てしない可能性に満ちた未来が広がっていた。


「……さあ、セバスチャン。行きましょう。次の取引が待っているわ」


「畏まりました、お嬢様。どこまでも、お供いたします」


月明かりの下、彼女の左手の甲が、かつての誓約の紋章よりも強く、自らの意志の輝きで光っているように見えた。

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