間話2:国境の駅、泥の中の二人
王都から遥か遠く。
かつて華やかな社交界の中心にいた二人――フロリナとギルベルトは、いま、湿った泥と土埃にまみれた国境近くの宿場町にいた。
「……ねえ、ギルベルト様。いつまでここにいるの? もう三日も、まともな食事をしていないわ」
フロリナの声は、かつての愛らしい鈴の音のような輝きを失い、ひび割れた鐘のように掠れていた。
彼女の着ているドレスは、裁判の日に着せられた罪人用の安物ではない。追放の際、憐れんだ下女から譲り受けた古い古着だ。それでも、泥に汚れ、裾はボロボロにほつれている。
「うるさい! 私にどうしろと言うんだ。……銀貨一枚すら、あの兵士たちに没収されたのだぞ!」
ギルベルトもまた、悲惨な姿だった。
自慢だったシルバーアッシュの髪は汚れで固まり、かつての騎士のような体躯は、数日の逃避行ですっかり痩せ細っている。彼は宿場の軒下に座り込み、通り過ぎる商人たちの馬車を憎しみのこもった目で見つめていた。
二人は、ローゼンタール大公の連座として「永久追放」を言い渡された。
死刑こそ免れたものの、それは貴族としての死と同義だった。名前を奪われ、資産を奪われ、魔力すらも封印の枷で制限された。
「全部、お姉様のせいよ……。お姉様があんな魔法さえ使わなければ、今頃私は、公爵夫人として王宮で踊っていたはずなのに……!」
フロリナは泥だらけの拳を地面に叩きつけた。
彼女の中では、いまだに自分が「被害者」であるという物語が消えていない。
自分がメルセデスから何を奪い、どれほど彼女の心を傷つけたか。その代償として今の自分があるという「等価交換」の理屈を、彼女の魂は拒絶し続けていた。
「フロリナ。……お前が、あの時、メルセデスに余計な挑発さえしなければ。彼女だって、ここまで徹底的にはやらなかったはずだ」
ギルベルトが、ぽつりと呟いた。
その声には、怒りよりも深い、後悔の念が混じっていた。
「……何よ、今さらお姉様の肩を持つの!? あなただって、お姉様を『冷たい女だ』って笑っていたじゃない!」
「笑っていたさ。……だが、あの女が冷たかったのは、私が彼女の熱意に応えるだけの器を持っていなかったからだ。……今なら分かる。彼女がどれほどの重圧を背負い、この国を、そして私の家を支えていたか。それを、私は『愛がない』の一言で切り捨てた」
ギルベルトは力なく笑った。
追放されてからの数日間、彼は嫌でも思い知らされた。
火を起こすこと一つ、一日の宿代を稼ぐこと一つ。メルセデスがいれば、あるいは彼女から学んでいれば、これほど無様に野垂れ死ぬようなことにはならなかったはずだ。
彼らが享受していた「自由」も「愛」も、すべてはメルセデスが積み上げた「土台」の上で踊っていただけの、砂上の楼閣だったのだ。
「……あいつは、最初から最後まで、正しかった。……正しすぎて、俺たちのようなゴミが傍にいることすら、許せなかったんだろうな」
「ゴミ……? 私をゴミだと言うの!? 私、あなたのためにすべてを捨てたのよ!?」
「捨てたんじゃない。奪おうとして、失敗しただけだ。……俺たちは、あいつの天秤に載せられる価値すらなかったんだよ、フロリナ」
ギルベルトは立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩き出した。
「どこへ行くの! ギルベルト様!」
「どこでもいい。……あいつの目が届かない、地の果てまでだ」
フロリナは、去りゆく男の背中を見つめ、再び叫び声を上げた。
だが、その声は宿場の喧騒にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
泥の中に咲こうとした偽りの花は、根を持たぬがゆえに、ただ腐り落ちていく。
彼女たちの物語は、ここで完全に終わった。メルセデスの天秤が、彼女たちの価値を「ゼロ」と判定した、その瞬間に。




