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第18話:牙を剥く古き権力

ディートリヒ殿下との密会から一夜明け、王都を包む空気は、いよいよ逃げ場のない熱を帯び始めていた。


私は執務室の椅子に深く腰掛け、窓の外を眺めていた。セバスチャンが強化した警護の者たちが、庭園の影に、あるいは屋敷の回廊に、音もなく配置されているのを感じる。

表面上の平穏は、今や薄氷のようなものだ。


「お嬢様、やはり動きがございました」


セバスチャンが扉を叩かずに入室してきた。その手に握られているのは、一通の無造作に封じられた手紙だ。


「今朝方、屋敷の勝手口に届けられたものです。差出人の名はございませんが、使われている紙は、ローゼンタール大公家が公式に用いる最高級の羊皮紙。……暗殺計画の『最終通告』といったところでしょう」


「読み上げてちょうだい」


私は紅茶を一口含み、視線は窓の外に向けたまま応じた。


「『賢明なるメルセデス嬢へ。若き才能が潰えるのは王国の損失だが、秩序を乱す毒草は根から抜かねばならない。明日の夜、月の光が差す前に、東部の利権を放棄する旨の誓約書に署名し、王都を去れ。さもなくば、汝の命を対価として、我らが法と秩序を執行する。』……以上でございます」


「法と秩序、ですって。笑わせてくれるわね」


私は思わず失笑した。

自分たちの利権を守るための暴力行為を「秩序」と呼び、未来を切り拓く技術を「毒草」と断じる。その歪んだ認識こそが、この王国を蝕んでいる病そのものなのに。


「署名などするはずがないことは、彼らも承知の上でしょう。……つまり、明日の夜、彼らは本気で私を殺しに来るということね」


「左様でございます。大公家が雇ったのは『黒蠍くろさそり』と呼ばれる暗殺者ギルドの精鋭。彼らは目的のためなら魔法すら無効化する特殊な装備を持っているとの噂もございます。お嬢様、明日一晩だけでも、やはりディートリヒ殿下の元へ――」


「いいえ、セバスチャン。逃げれば、私は一生逃げ続けることになる。これは私が自分自身に課した『等価交換』よ。奪われ続けた過去を、未来の勝利で清算する。そのためには、ここで彼らの牙を正面からへし折らなければならないの」


私は立ち上がり、壁に飾られた東部の地図に目を向けた。

そこには、私が人生を賭けて掘り起こした魔力結晶の鉱脈が記されている。あの子たちが「価値のないボロ別荘」として私に押し付けた土地。そこから生まれた富が、今や王国の歴史を動かそうとしている。


「セバスチャン。屋敷の防衛には、東部から取り寄せた『結晶増幅式クリスタル・アンプ』の防護陣を使いなさい。彼らが魔法を無効化するなら、こちらは魔法そのものの『密度』で圧倒するまでよ。……それから、あの子たちは?」


「フロリナ様とギルベルト殿は、現在、大公家が主催する『裁判前夜の祝宴』に招かれております。今頃は、お嬢様の失脚を疑わず、美酒に酔いしれていることでしょう」


「そう。……なら、彼女たちの酔いが醒めないうちに、すべてを終わらせましょう」


***


翌日の夜。

王都の空を厚い雲が覆い、月の光さえも遮られていた。

旧クロフォード公爵邸は、不気味なほどの静寂に包まれている。表向きの灯りはすべて消され、まるで主が逃げ出したかのような、死んだ屋敷の装いを見せていた。


だが、その闇の中には、確かな殺気が蠢いていた。


シュッ、と空気を切り裂く微かな音。

黒い装束を纏った数人の影が、屋敷の塀を音もなく乗り越え、庭園へと侵入する。彼らの動きは迅速かつ正確。プロの暗殺者特有の、無駄のない殺戮の軌道だ。


「……誰もいないのか?」


先頭に立つ男が、低く掠れた声で囁いた。

庭園には見張り一人おらず、窓もすべて閉じられている。あまりの無防備さに、男たちは一瞬の躊躇を見せる。


だが、彼らが屋敷の玄関ホールへ続くテラスに足を踏み入れた瞬間――。


キィィィィン、と耳を突くような高周波が、闇を切り裂いた。


「な、なんだ!?」


テラスの四隅に配置されていた小さな青い石――魔力結晶が突如として眩い光を放ち、侵入者たちの周囲を円柱状の光の壁が囲い込んだ。

『結晶増幅式・拘束陣』。

かつての魔法が「糸」のようなものだとしたら、これは「鋼鉄の柱」だ。圧倒的な魔力密度に押し潰され、暗殺者たちはその場に膝をついた。


「魔法無効化の装備も、許容量キャパシティを超えればただの鉄屑ね」


静かな声が、テラスの奥から響いた。

扉が開き、そこから姿を現したのは、一振りのランプを手に持った私だった。背後には、氷のような冷徹さを湛えたセバスチャンが控えている。


「貴様……ハメたな……!」


「ハメた? 心外ね。私はただ、屋敷に不法に侵入した不審者に対して、正当な自衛権を行使しただけよ。……さあ、あなたたちの後ろ盾に伝えて差し上げなさい。氷の令嬢の首は、あなたたちの錆びた剣で届くほど安くはないわ、と」


私は、セバスチャンに目配せをした。

彼は音もなく暗殺者のリーダーの前に歩み寄り、その胸元から一通の書状を抜き取った。大公家との契約を示す、決定的な証拠だ。


「これでもう、裁判を待つ必要もなくなったかしらね」


私は、捕らえられた男たちを見下ろし、冷酷に微笑んだ。

暴力によって解決しようとした彼らの短絡さが、そのまま彼らの首を絞める鎖となったのだ。


***


その頃。

ローゼンタール大公家の華やかな広間では、フロリナが金色の刺繍が施されたドレスを翻し、上機嫌でワルツを踊っていた。


「ああ、ギルベルト様! 嬉しいわ。明日になれば、あのお姉様は犯罪者として捕まり、私たちは再び公爵家に戻れるのね!」


「そうだ、フロリナ。あの女は、自分の知性を過信しすぎたのだ。この国を動かしているのは、数字などではなく、古くから続く血筋と権力なのだということを、思い知らせてやらねばな」


ギルベルトもまた、手にしたシャンパングラスを掲げ、傲慢に笑う。

彼らの視線の先では、大公ハインリヒが満足げに頷いていた。

今夜、暗殺者たちが仕事を終えれば、明日の法廷はただの形式的な「葬送儀礼」になる。そう確信していたのだ。


だが、その華やかな祝宴の扉を、一人の兵士が荒々しく押し開いた。


「報告いたします! 最高法官ディートリヒ殿下の命により、当邸を包囲いたしました! 容疑は――国家反逆、および第一級殺人教唆罪です!」


一瞬にして、楽団の演奏が止まった。

フロリナの手からグラスが滑り落ち、高価な絨毯の上に真っ赤な飛沫が散る。


「な、何を言っているの!? 殺人教唆ですって? 誰がそんな……!」


フロリナが震える声で叫ぶが、その言葉を遮るように、広間の入り口から、凛とした足音が響いた。


そこには、ディートリヒ殿下にエスコートされ、一糸乱れぬ姿で立つ私がいた。

私の手には、つい数十分前に暗殺者から奪い取った、大公家の印章が押された殺害依頼書が握られている。


「こんばんは、お父様。そして、フロリナ、ギルベルト様」


私は、驚愕に顔を歪める彼らを見据え、最高に優雅な一礼を捧げた。


「祝宴の邪魔をしてしまって、ごめんなさい。でも、お互いの『対価』を清算する時間は、もう一分たりとも待ってはくれないようですわ」


闇を切り裂くような私の声が、豪華な広間に凍てつく沈黙をもたらした。

裁判の幕が上がる前に、すでに勝敗の天秤は、音を立てて私の側へと振り切れていた。

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