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第16話:静かな午後のティータイム

裁判まで、残り二週間。

王都の喧騒を遠くに聞きながら、私は旧クロフォード公爵邸の裏庭にある、かつて手入れが放棄されていた温室の中にいた。

今は見違えるほどに整えられ、希少な青い薔薇が咲き誇る、私のささやかな休息の場となっている。


「お嬢様、本日はこちらの紅茶を」


セバスチャンが差し出したのは、東部の別荘で採れたばかりの、繊細な香りを放つ特別な茶葉を使用した紅茶だ。

私は温室の椅子に腰を下ろし、ゆっくりとカップを手に取った。

張り詰めていた神経が、温かな湯気と共にふわりと解けていくのを感じる。


「……セバスチャン、王都の貴族たちは、今の私をどう噂しているのかしら?」


「左様でございますな。お嬢様がローゼンタール大公家の後ろ盾を得たフロリナ様たちに対し、正面から受けて立つ構えを見せていることで、社交界は賭け事の話題で持ちきりでございます」


セバスチャンは表情を変えず、銀盆を脇に抱えて続けた。


「『氷の令嬢が、ついに大公家に引導を渡す』と囁く者もいれば、『若き商才も、大公家の権力の前には無力だ』と冷ややかな目を向ける者もおります。しかし、お嬢様のビジネスが順調であることを知る者たちは、皆一様に沈黙を守っておりますよ」


「沈黙、ね。……賢明なことだわ」


私はカップをソーサーに置き、庭園の向こうに広がる澄み渡った空を眺めた。


今の私は、かつての「ベルンハルト伯爵家の長女」ではない。

東部の魔力結晶を支配し、王家との密約を結び、自分を陥れようとする者たちの不正をすべて掌の中で転がしている。

フロリナたちが今、大公家の金でどれほど豪遊しようとも、それはただの「死の舞踏」だ。

彼女たちが法廷で声を上げれば上げるほど、彼女たちの無知と罪深さが、より鮮明に世間に晒されることになる。


そう思えば、この束の間の静寂が、とても愛おしく感じられた。


「お嬢様、少し外を歩かれますか? 庭園の木漏れ日が、今はちょうど美しい頃合いでございます」


「ええ、そうね。少しだけ、歩きましょうか」


私は温室を出て、手入れの行き届いた庭園を散策し始めた。

かつてはこの屋敷の庭も、ギルベルト様たちが無秩序に薔薇を植え、手入れを怠ったせいで荒れ果てていた。

私が主となってから、すべてをやり直した。土を入れ替え、枯れた根を取り除き、魔術的な結界を張り直した。

そうしてようやく、この庭はかつての美しさを取り戻したのだ。


(人も、同じね)


私は自分の人生を思う。

理不尽な婚約破棄、家からの追放。あの日、私の人生は一度、完全に破壊された。

けれど、その破片を一つずつ拾い集め、自分の手で組み直した結果、今の私は以前よりも遥かに強靭で、自由な人間になれた。


あの子たちが私にくれた「捨て去られた日々」は、今の私を形作るための、欠かせない礎だったのだ。


散策の途中、屋敷の入り口の方から、一台の馬車が近づいてくるのが見えた。

王家の紋章が入った、控えめな馬車。

扉が開かれ、降りてきたのはディートリヒ殿下だった。彼は、いつもの軍服姿ではなく、紺色の落ち着いた私服に身を包んでいた。


「やあ、メルセデス嬢。少し時間を貰ってもいいかな?」


「殿下……今日は、公務ではないのですか?」


「ああ。今日は一人の友人として、君に会いに来た。……法廷での『演技』の打ち合わせばかりでは、君も疲れてしまうだろう?」


殿下は屈託のない笑みを浮かべ、私の隣に並んで歩き始めた。

彼の翡翠の瞳が、庭園に咲く花々を眺める。


「君の庭は、いつ来ても美しい。……メルセデス、君は、裁判が終わったら、その後は何をするつもりだい?」


「そうですね……。魔力結晶の事業をさらに拡大し、精製技術を国全土に広めたいと思っています。そして、あの子たちが二度と私の人生に干渉できないよう、この王国の法制度そのものにも、関わっていくかもしれませんわ」


「はは、君らしいね。君のいないこの国など、想像もつかないよ」


殿下は少しだけ表情を曇らせ、庭の池を覗き込んだ。


「……私の父である国王も、君の経済手腕を高く評価している。……だが、同時に、君のその『氷のような合理性』を、少しだけ怖がってもいるよ」


「怖い?」


「ああ。君にとって、人生とは、常に損得と天秤にかけるべきものだからね。……時には、何の損得もない、ただの無駄な時間が、人を救うこともあると、私は思うのだが」


彼はそう言って、私に視線を向けた。

その瞳には、私という人間に対する、奇妙なまでの理解と、それ以上の深い関心が宿っているように見えた。


私は一瞬だけ、言葉に詰まった。

私にとって、時間はすべて契約であり、労力であり、結果を出すためのリソースだった。

「無駄」を慈しむことなど、考えたこともなかった。


「殿下。私は、無駄を愛せるほど、裕福な心は持っていないかもしれませんわ」


「……いつか、君がそう思えるような時間が、君にも訪れることを願っているよ」


殿下はそう言うと、満足げに微笑み、馬車へと戻っていった。

彼を見送った後、私は再び庭を歩いた。


静かな午後。

風が揺れる薔薇の枝。

セバスチャンが淹れた紅茶の香り。

裁判のために積み上げた、冷徹な計算書。


今の私には、このすべてが「私の人生」として積み重なっている。

フロリナたちが今、必死になって奪おうとしている「偽りの栄華」とは、比較にならないほどの、重く、確かな「価値」が、ここにはあるのだ。


(いいえ、無駄なんてないわ)


私は、風に揺れる青い薔薇を見つめながら、静かに呟いた。


「すべては、等価交換。私が支払った努力と代償の分だけ、今の私の幸福があるのですもの」


裁判まで残り二週間。

私は、この午後の安らぎを、自らの内なる天秤に刻み込んだ。

これは、次に訪れる嵐を乗り越えるための、ささやかな、しかし決して揺るぐことのない、私の決意だ。


私は再び、セバスチャンが待つ執務室へと足を進めた。

手元には、まだ解かなければならない、法的な難問がいくつか残っている。

だが、今の私には、それを解き明かすための冷静な判断力と、そして何より、この「庭園」という守るべき場所がある。


負けるはずがない。

私は自分の手で、この美しい世界を護り抜いてみせる。

氷のように冷たい私の心は、あの日からずっと、復讐と、そして愛すべき未来のための情熱で、静かに、しかし力強く燃え続けているのだから。

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