61話 王国の要請、毒の町⑧
まだ夜が完全に明ける前。
オスバルト伯爵の別荘では、空はまだ暗いものの、各部屋に明かりが灯っていた。
時刻は朝の三時頃――こんな早朝から行動するには理由があった。
「エレノア様、今日の鉄砲魚の調査ですが、近海で行います」
「わかりました」
この世界で鉄砲魚と呼ばれる魚――いわゆるフグの調査を極秘裏に進めるため、私たちは朝早くから動き出していた。
メンバーは私、アメリアお姉様、メル、カイル。そしてミストルティン様とアル様に加え、数名の騎士たちである。
「船はすでに前日のうちに準備を終えています。後は、領兵が立っている場所を目印にしてください」
「ありがとうございます」
別荘を出ると、海面が青白く光り、遠くには明かりを灯した船が数隻浮かんでいた。
「あの船の中に、鉄砲魚を違法に獲っている漁船があるのかしら……」
「可能性はゼロではありませんね」
騎士の言葉に、私とカイルは小さく頷いた。
本来、安全が確認されるまでは流通も口にすることも禁じられている鉄砲魚。
それでも闇取引や口にする者がいるということは、この地域で鉄砲魚が大切な食文化として長く受け継がれてきた証でもあった。
「エレノア様、ご存知かとは思いますが、今回の調査は極秘裏に進めるものとなります。
そのため、乗船の際にはご面倒をおかけしますが、速やかにご乗船いただけると助かります」
「えぇ、わかっています」
今回の調査は、絶対に外部に知られてはいけない。
もし鉄砲魚の漁が行われていることが周囲に知られれば、連鎖的に漁が広がり、この地域の食文化に取り返しのつかない影響を与えてしまうかもしれない。
私は一瞬、自分の心臓の音が耳に届くほどの緊張を感じながら、深く息を吸い込んだ。
そして、周囲の視線や海の静けさに意識を集中させ、決意を固める。
――この調査を、必ず成功させる。
別荘を離れ、私たちは海風に吹かれながら船着き場へと向かった。
夜明け前の海はまだ静かで、海面は青白く光っている。だが、船着き場にはすでに活気があった。
漁師たちは網を整え、桶を積み込み、甲板では船員たちが手際よく道具を運ぶ。
軽く掛け声を交わしながら慌ただしく準備を進めるその様子は、日常の風景でありながら、今日の特別な目的の前ではどこか緊張を孕んで見えた。
「おはようございます、エレノア様。今回の調査でお世話になります、船長のラディンです」
白い髭をたくわえた船長が、にこやかに頭を下げる。私たちも礼を返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ミストルティン様やアル様も軽く会釈する。
船長の横には、今回の調査に必要な手慣れた船員たちが数人控えていた。
私たちの目の前で、船員たちは素早く縄を結び直し、網を巻き上げ、出航の準備を整える。
波音と掛け声が混ざる甲板は、まるで小さな戦場のようだ。
船の匂い、潮風、木の軋む音――それらがすべて私の五感に入り込む。
同時に、緊張が体中に張り巡らされ、今日の調査の重要さを改めて実感させられた。
「エレノア様、どうぞこちらへ!」
騎士が私の手を取り、海へ落ちないようエスコートしてくれながら船へと乗船した。
「みんなは、私が魔法で船まで送るね!」
ミストルティン様はそう言うと、指をパチッと鳴らし、アメリアお姉様やメル、カイルを宙に浮かせた。
「うわぁ! 俺たち宙に浮かんでる!?」
「はわわわわ……!」
「私まで浮かべなくても……」
反応はそれぞれだった。
「さすが、ミストルティン様ですね!」
「別に大した魔法じゃないわよ」
「お前は、いろいろな意味で規格外だがな……」
アル様がぼそっと呟く。
するとミストルティン様は軽く詠唱し、アル様の頭上に金属製のたらいを出現させた。
ガンッ!!
「ぐはぁぁっ!!」
「まったく……人の悪口を言うからこうなるのよ」
「事実を言ったまでだが!?」
「二人とも、こんな朝早くからコントをしないでもらっていい……?」
私は二人に視線を向け、小言を言った。
「いいじゃありませんか。仲が良さそうで」
船長さんがにこやかに微笑む。
「腐れ縁だけどな――」
ガンッ!!
「ぐはぁぁぁぁっ!!」
今度は先ほどよりも大きなたらいがアル様の頭に落ちた。
「お前! 少しは手加減しろよ!!」
ミストルティン様はアル様の叫びを完全に無視し、船に乗り込もうとしている。
「人の話を聞けーーーーー!!!!」
その光景に、船長さんは肩を震わせ、騎士たちは苦笑しながら声をかけた。
「アル様……出港できませんので、速やかにご乗船願います」
船はゆっくりと岸を離れ、近海の穏やかな水域へと進んでいく。
潮風が顔を撫で、甲板では船員たちが手際よくロープを締め、網を整える。
木の軋む音や波が船底を打つ音が混ざり、心地よいリズムを作っていた。
「さぁ、皆さん。準備はよろしいですか?」
船長さんの声に、船員たちは元気よく応える。
私たちも甲板にしっかりと立つ。
騎士たちは周囲を固め、ミストルティン様は余裕の表情で帆を見上げていた。アル様はまだむくれているが、仕方なく船に足を踏み入れている。
近海の水面は、港よりも少し青白く光っている。
遠くに浮かぶ漁船の明かりや、波間に揺れる灯りがちらちらと見え、今日の調査の重要さが改めて胸に迫ってきた。
「鉄砲魚の調査……絶対に成功させる」
小さく自分に言い聞かせ、私は甲板の手すりに手をかけた。
船の揺れと潮風が、まるでこの先に待つ調査の緊張を告げているようだった。
波音の中、船は近海での調査ポイントへと静かに進む。
船員たちの慌ただしい動き、潮の香り、木の軋み――すべてが、今日の極秘調査の幕開けを知らせていた。
東の空がわずかに白み始め、海面に朝の光が差し込む。
船尾に取り付けられた魔道具の力で、わずか十分で街の灯りが遠くに小さく見えるようになっていた。
「わぁ......もう街があんな遠くに!」
「俺、気持ち悪い......」
「ちょっと!? ここで吐かないでよ!?」
目を輝かせるメルに、船酔いでグロッキー状態のカイル――そしてカイルから後ずさりするアメリアお姉様。
そんな光景を見てふふっと笑っていると――
「お前ら! 少し風の影響を受けてる! 帆を調節してくれ!」
船長さんの声に、船員たちは慌ただしくも手際よく動く。
帆がカサリと軋む音、ロープを引く力の感触、潮風に混ざった木の匂い――五感のすべてが、今ここにある緊張と躍動を知らせていた。
私たちは甲板に立ち、海面に反射する淡い光を眺める。
遠くに揺れる漁船の明かりや、近くで波をかき分ける船の軌跡を見ながら、今日の調査がただの遠足ではないことを静かに実感していた。
私たちが乗る船は順調に進み、空が鮮やかなオレンジ色に染まる頃には、ポイントとなる水域に到着していた。
「エレノア様、こちらが本日の調査対象水域です! 早速始めますね!」
船長さんの声に、船員たちは手際よく動き出す。
大きな網を手に取り、船の縁から力強く投げると、網は水面で広がり、光を受けて銀色に輝きながら波間に沈んでいった。
「投網漁ですね……」
「さすが、エレノア様! よくご存知で」
「いえ、以前本に書いてあったことを覚えていただけです。
ですが、鉄砲魚って結構鋭い歯を持っていますよね? 網とか噛みちぎられないんですか?」
船長さんは微笑み、手をひらりと振る。
「大丈夫です。網には特殊な魔道具の補強が施してありますから、鉄砲魚の歯では破れません。それに、投網の範囲も広く、魚が逃げにくい設計です」
網が水を切る音、船体の揺れ、潮の香り――すべてが、近海での漁の臨場感と緊張感を私たちに伝えていた。
「そろそろ引き上げるぞ!!」
船長さんの掛け声で網を重そうに引き上げている。
その光景を見て私はワクワクが止まらなかった。
「もう少しだ! がんばれ!」
船員たちは掛け声を合わせながら、太い縄を力強く手繰り寄せていく。濡れた網がきしむ音と、海水が滴る音が甲板に響いた。
徐々に水面に近づく網には魚が大量に泳いでおり、銀色の光が水面をきらきらと輝かせていた。
「すごい……!」
思わず声が漏れる。
やがて網が完全に水面から姿を現すと、船員たちが一気に引き上げ、甲板の上へと持ち上げた。
ばしゃあっ――!
大量の海水とともに、魚たちが甲板へと落ちる。ぴちぴちと跳ねる魚の音が一斉に響き、甲板は一瞬で活気に包まれた。
「おお、なかなかの漁だ!」
船長さんが満足そうに頷く。
船員たちは手早く魚を仕分けしながら、その中に目的の魚がいないか確認していく。
私も思わず身を乗り出した。
「鉄砲魚……いるのかな……?」
私も鑑定を使い、魚を一匹ずつ調べていく。
すると――
「鉄砲魚いたぞー!!」
船員の大きな声が甲板に響いた。
「こっちは三匹いたぞー!」
次々と声が上がる。
事前に準備していたのであろう金属製の箱へ、鉄砲魚が次々と入れられていく。
仕分けが終わる頃には、その箱は半分ほど埋まっていた。
「エレノア様、お願いします。」
騎士さんの言葉に頷き箱の中の鉄砲魚を一匹ずつ大まかな特徴ごとに仕分ける。
そして仕分け終わった鉄砲魚は大まかに四種類獲れていることがわかった。
「じゃあ鑑定始めますね」
鉄砲魚に意識を集中し鑑定を開始する
【鑑定結果A】
名前:タイリクヒガンフグ
品質:最高品質
備考:身は上品でおいしいがそれ以外の部位には強毒を有する
特に肝臓や卵巣、腸に加え皮が強毒なので注意が必要
精巣は弱毒だが口にしないことを推奨
【鑑定結果B】
名前:冥毒フグ
品質:最高品質
備考:食べる事すら危険な種類のフグ
身を含め強力な毒を含み食べた量によっては命を落とす危険がある
触った手で粘膜に触れると激痛を伴う可能性がある為注意が必要
【鑑定結果C】
名前:キタマクラ
品質:最高品質
備考:浅瀬でよく見かけるフグの一種
無毒ではあるが個体により毒を有する場合があるので食用としては向かない
とても鋭い歯を持つのでむやみに触ってはいけない
【鑑定結果D】
名前:蒼灯フグ
品質:最高品質
備考:夜になると青白く発光し、メスを誘う性質を持つフグ。
セレディア王国近海を主な生息地とする。
鑑定を終え、私は小さく息を吐いた。
「思っていた以上に種類がいますね……」
鉄砲魚と一括りにされているが、実際には毒の強さや性質がまったく異なる種類が混ざっている。
これでは、正しい知識がなければ危険なのも無理はない。
「エレノア様、何かわかりましたか?」
騎士さんが興味深そうに箱の中を覗き込む。
「はい。やはり鉄砲魚と呼ばれていても、種類によって危険度がまったく違います。
食べられるものもありますが……絶対に口にしてはいけない種類も混ざっていますね」
私はそう言いながら、空間収納へ手を伸ばした。
次の瞬間、淡い光とともに一枚の板状の魔道具――タブレットを取り出す。
「では、記録を取りますね」
画面を軽く操作しながら、先ほど鑑定した内容を順番に入力していく。
種類、特徴、毒性、発見数、捕獲地点――。
調査結果を正確に残しておくことは、今回の調査で最も重要なことの一つだ。
カタカタと小さな入力音が、波の音に混じって甲板に静かに響く。
その様子を見ていた騎士さんの一人が、目を丸くした。
「……エレノア様、それは……?」
私の手元のタブレットを、興味深そうに覗き込んでいる。
「これは、ミストルティン様からいただいた記録用の魔道具です」
そう言って画面を見せると――
「なっ……!?」
騎士さんたちが一斉に目を見開いた。
「文字が……光っている……?」
「こんな板状の魔道具は初めて見たぞ!」
隣で見ていた船長さんも、思わず身を乗り出してくる。
「この魔道具、俺も欲しいな……帳簿管理が楽になりそうだ」
「すみません。ちょっと別の記録をしたいので、少し離れてもらってもいいですか?」
そう声を掛けると、
「あぁ、すまんすまん」
騎士さんや船長さんが、私から少し距離を取った。
私はもう一度鉄砲魚を鑑定し、記録した内容と相違がないかを何度も確認する。
そしてタブレットのカメラ機能を起動させた。
カシャ! カシャ! カシャ!
撮影した写真を、該当する記録に添付していく。
あとで陛下やオスバルト伯爵様に報告する際、わかりやすいように工夫しながら記録を続けていると――
「なんと! 鉄砲魚の絵まで記録されている!?」
船長さんが思わず声をあげると、騎士さん達も私のタブレットを再び覗き込んだ。
「これは!!!! 絵というより実物そのものではないか!!!!」
「この板の中に鉄砲魚が閉じ込められているとでもいうのか!!!」
「違いますよ!? 閉じ込めてるわけじゃないです!」
慌てて否定する。
「これは“写真”っていって……その、景色をそのまま写して記録するものなんです」
けれど説明してみても、騎士さん達はまったく納得していない顔だった。
「景色を……写す?」
「つまり、さっきまでそこにいた鉄砲魚の姿を、この板が覚えているということか?」
「ええと……まあ、そんな感じです」
そう答えると、船長さんがタブレットをまじまじと見つめる。
「……信じられん」
ぽつりと呟いた。
「俺は長いこと海に出てきたが、こんな魔道具は見たことがない」
その横で騎士の一人が恐る恐る指を伸ばす。
「……触っても、よろしいでしょうか?」
「大丈夫ですよ」
私が頷くと、騎士さんは恐る恐る画面に触れた。
その瞬間――
画面がスッと横に切り替わる。
次の写真が表示された。
「うおっ!?」
騎士さんが飛び退いた。
「う、動いた!!!」
「鉄砲魚が消えたぞ!!!」
「いや待て、今度は別の魚が出てきたぞ!?」
一斉にざわめきが広がる。
「ち、違います違います!」
私は慌てて説明する。
「これは写真を切り替えただけで――」
「つまり」
船長さんが真剣な顔で言った。
「この板の中には、まだ他の生き物もいるということか」
「違います!!」
思わず大きな声が出てしまった。
騎士さん達は真顔でタブレットを見つめている。
(どうしよう……)
完全に誤解されている。
そのとき、別の騎士さんがぽつりと呟いた。
「エレノア様……この魔道具は、高確率で国家機密扱いになると思うのですが……」
その言葉に、別の騎士さんや船長さんも私の方へ視線を向けた。
「さっきまで見たことのない魔道具に興奮していたが……冷静に考えると、これはまずい気がしてきたぞ……」
「帳簿どころの話ではありませんね……。こんなものが外に出回れば、国の力関係が変わりかねません」
「いや待て……そもそもエレノア様は、一体どこまで特殊なお方なんだ……?」
「……下手をすると、陛下よりも重要な存在なのでは……」
「おい、それは流石に言い過ぎ――いや、でもこの魔道具を見ると……」
騎士さんたちは真剣な顔で小声の議論を始めてしまった。
船長さんも腕を組みながら、うんうんと頷いている。
「これはもう完全に国家機密案件だな……」
「護衛体制も見直す必要があるのでは……」
「あのー……みなさん?」
私は思わず声をかけた。
そのとき――
一人の騎士さんが、ふと耳元に手を当てた。
何かを聞くように数秒だけ目を細める。
次の瞬間、表情がわずかに引き締まった。
「……失礼!」
騎士さんは姿勢を正し、私たちに向かって一礼する。
「緊急の呼び出しを告げる魔導通信が入りました。一度、護衛の任から離れます!」
突然の報告に、周囲の騎士さんたちが驚いたように顔を見合わせた。
「このタイミングで……?」
「王都からの通信か?」
ざわめきが小さく広がる。
その騎士さんは少しだけ困ったように眉を寄せながらも、しっかりとした口調で答えた。
「詳細は不明です。ただし、“至急”とのことでした」
その言葉に、周囲の空気がわずかに引き締まる。
極秘調査の最中に入る“至急”の呼び出し――。
決して軽い内容ではないはずだ。
「わかりました。任務を優先してください」
私がそう言うと、騎士さんはもう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます。すぐに戻れるよう努めます」
そう言い残すと、騎士さんは甲板の端へ向かい、小型の魔導通信具を取り出して操作を始めた。
淡い光が通信具から浮かび上がり、周囲に静かな魔力の波が広がる。
私はその様子を少しだけ見つめたあと、再び鉄砲魚の入った箱へ視線を戻した。
(……調査は、まだ始まったばかり)
ここで手を止めるわけにはいかない。
「エレノア様、次の網も準備できています」
船員さんの声に顔を上げる。
見ると、先ほどとは別の投網がすでに甲板の端で整えられていた。
「ありがとうございます」
私はタブレットを軽く操作し、先ほどの記録を保存する。
そして改めて鉄砲魚の箱を見つめた。
四種類のフグ――。
同じ“鉄砲魚”と呼ばれていても、毒性も性質もまったく違う。
もしこれを知らずに調理してしまえば――。
最悪の場合、命に関わる。
「……やっぱり、きちんと調べないと」
小さく呟くと、ミストルティン様が横でふっと笑った。
「ずいぶん真面目ね」
「だって危険ですから」
「そういうところ、嫌いじゃないわよ」
そう言ってミストルティン様は海の方へ視線を向けた。
朝日が完全に昇り、海面がきらきらと輝いている。
穏やかな波の向こうで、船員たちが再び網を投げる準備を進めていた。
「よーし、行くぞ!」
船長さんの掛け声と同時に、網が大きく弧を描いて海へと投げられる。
ばさりと広がる網。
水面に落ちると同時に、ゆっくりと沈んでいく。
甲板には再び静かな緊張が広がった。
船員たちは縄を握り、タイミングを待つ。
私たちもその様子を見守りながら、海面に視線を向けていた。
(この海の中に、まだ知らない種類がいるかもしれない……)
そんな予感が、胸の奥に小さく灯る。
調査は、まだ始まったばかりだった。




