60話 王国の要請、毒の町⑦
治療が終わり、男性が仲間に連れられて去ったあと――
私は再びアトリエの中へ戻っていた。
先ほどまで外で様子を見ていた街の人々も、少しずつ散っていく。
アトリエの中には、私たちと騎士団の人たち、そして白髪の女性だけが残っていた。
女性は腕を組み、作業台の上に置かれたビーカーをじっと見つめている。
さっき私が作ったポーションの残りだ。
しばらく沈黙が続いたあと――
女性が小さく息を吐いた。
「……まさか、本当に治るとはね」
ゆっくりとこちらへ振り向く。
「まだ自己紹介をしていなかったわね」
そう言って、女性は胸を張った。
「私はヘルガー。この街で錬金術師をやってる」
鋭い視線が、まっすぐ私に向けられる。
「さっきは子供扱いして悪かったね」
「私は王都から来ました、エレノア・フォン・レーヴェンといいます。
よろしくお願いします」
「俺はカイルです。エレノア様の執事兼、エレノア様の弟子です」
「私はミストルティンといいます」
「俺はアル! よろしくな、婆さん!」
アル様がそう言った瞬間――
ヘルガーさんは目を見開き、アル様に鉄拳制裁を食らわせようと拳を振り上げた。
「婆さんと呼ぶな!!」
そう言って振り下ろそうとした、次の瞬間――
「静止領域」
私の近くで寝そべりながら宙に浮いているクロノア様が魔法を発動する。
すると、ヘルガーさんの鉄拳制裁が、まるでスローモーションのようにゆっくりと動き始めた。
「アル……女性に婆さんは禁句だよ……。
次やったら助けないからね」
「すまねぇ」
アル様はお礼を言い、避けようとした。
その瞬間――
「ふぁぁ……」
クロノア様が大きくあくびをした。
次の瞬間、静止領域が、ふっと消えた。
「――婆さんって呼ぶな!!」
ゴンッ!!
鈍い音が響き、アル様の体がその場に崩れ落ちた。
「ぐはぁぁっ!!」
頭を押さえてうずくまるアル様。
「……だから言ったでしょ」
私は思わず小さくため息をついた。
クロノア様は宙に浮いたまま、眠そうに目をこすっている。
「んー……あくびしたら切れちゃった……」
まるで他人事のような口調だった。
「いやいやいや!? 今の完全に途中で解除されたやつだろ!!」
アル様が涙目で抗議する。
しかしクロノア様は気にした様子もなく、ふわふわと宙で寝返りを打った。
「だから言ったじゃん……次は助けないって……」
その様子を見ていたヘルガーさんは、腕を組みながらアル様を見下ろした。
「……まったく、礼儀のなってないガキだね」
そう言って小さく鼻を鳴らす。
それから、改めて私の方へ視線を向けた。
「それで、あんたがエレノアかい」
鋭い目つきは変わらないけれど、さっきまでの敵意はもう感じない。
私は軽く頭を下げた。
「はい。改めまして、エレノア・フォン・レーヴェンです。よろしくお願いします」
ヘルガーさんは少しだけ顎を上げ、私を見定めるように見つめる。
「さっきのポーションの腕は大したもんだったよ。正直驚いた」
そう言ってから、ふっと息を吐く。
「王都で噂になってる錬金術師ってのも、あながち嘘じゃないみたいだね」
そして――
「それで? 今日は何をしに来たんだい」
その言葉に、私は小さく頷いた。
「鉄砲魚の毒を治療するポーションを作りに来ました」
するとヘルガーさんの眉がぴくりと動いた。
「……鉄砲魚の毒だって?」
「はい。この街では被害が出ていると聞きました」
私がそう言うと、ヘルガーさんは腕を組みながら天井を見上げる。
「確かに最近、港の漁師や冒険者がやられてね。
解毒ポーションじゃ効きが弱いし、専用の解毒薬も材料が揃わなくて作れない」
そう言って、ちらりと私を見る。
「……で、あんたはそれを作れるってわけかい?」
私は小さく微笑んだ。
「はい。試してみようと思います」
ヘルガーさんは数秒ほど黙っていたが、やがて口元をゆっくりと歪める。
「……面白いじゃないか」
そして、作業台の方へ顎で示した。
「なら好きに使いな。材料も必要なら言いな」
そう言ってから、ぽつりと付け加える。
「この街で一番腕のいい錬金術師のアトリエだ。
半端なもんは作るんじゃないよ」
その言葉に、私はこくりと頷いた。
「もちろんです」
そう言って私は空間収納へ手を伸ばした。
――鉄砲魚の毒を治療する、新しいポーションを作るために。
空間収納から取り出した素材を机に並べていくと、ヘルガーさんは目を見開いた。
「ちょっと待ちな! お前さん、マンドラゴラの根も持っているのかい!?」
「え……はい」
「強力解毒ポーションを作るんだよね?
いくらなんでも使用する素材と値段が釣り合わないよ!」
ヘルガーさんは呆れたように額に手を当てる。
「マンドラゴラの根なんて高級素材だよ!
普通は王都の上級錬金術師くらいしか使わない!」
そう言いながら、机の上の素材を指差した。
「強力解毒ポーションは、解毒草とミドリハコベ、それと湯冷ましの水で成分を抽出して、最後に魔石へ魔力を注げば完成する。
そんな高級素材を強力解毒ポーションに使うだなんて、もったいない!」
そう言いながら、机の上に乾燥させたミドリハコベを置く。
私は置かれたミドリハコベを鑑定してみた。
【鑑定結果】
名前:ミドリハコベ
品質:低品質ー
備考:本来であれば解毒草など一部の薬草の効果を高めるものだが、
状態がかなり悪く、その真価をあまり発揮できない。
通常の解毒ポーションより少し性能が高い程度になる可能性がある。
……わかってはいたけど、やっぱり状態はかなり悪いようね。
私はヘルガーさんの方へ向き、説明する。
「この素材は残念ながら使えません」
「……理由を聞いてもいいかい?」
「魚は、鮮度が良ければ良いほどおいしいですよね?」
「そうね」
「それは薬草も同じです。
鮮度が良ければ良いほど、成分をより多く抽出できます」
私はミドリハコベを指先で軽くつまみながら続けた。
「このミドリハコベは乾燥が進みすぎていて、成分がかなり抜けています。
これでは本来の効果を十分に引き出せません」
そして、机の上の器具へ視線を向ける。
「それと――湯冷ましの水では、十分に成分を抽出することができません」
「じゃあ、どうやって抽出するんだい?」
「私は、蒸留水を使って抽出します」
「蒸留水って……。
お前さん、蒸留水はそれこそ上級錬金術師のような設備が整った場所でないと使えない代物だよ!?
一般の錬金術師じゃ、蒸留するための設備すら買えやしない」
「ですが、蒸留水を使うべき理由があるんです」
その言葉に、ヘルガーさんは眉をひそめた。
「一体どういう理由なんだい?」
「ヘルガーさんは、ポーションを作るときにどういうことを意識して作っていますか?」
そう聞くと、ヘルガーさんは顎に手を当てて考え込んだ。
「うーん……どうやって成分をより多く抽出するか、くらいしか考えたことないね……」
「では、もし湯冷ましの水では成分を十分に抽出できない――と言ったら、どうしますか?」
「どういうことだい?」
「湯冷ましの水は、井戸水を煮沸して作るものですよね?」
「そうね。でないと腹を壊すし、ポーションの素材に使えば逆に毒になりかねない」
「実は、湯冷ましの水は一見きれいになっているように見えて、完全にはきれいになっていないんです」
「というと?」
「ポーションは、先ほどヘルガーさんが仰ったように、いかに成分を抽出できるかで性能が大きく変わります。
ですが、湯冷ましの水には不純物が多く、十分に成分を抽出することができません」
私は近くにあったビーカーを指差した。
「例えば、水に塩を入れると最初は溶けますよね。
でも、それをどんどん入れていくと、やがて溶けきれなくなります」
少し間を置いて、続ける。
「原理はそれと同じです」
「水の中に不純物が多いほど、薬草の成分が溶け込む余裕が減ってしまう。
だから私は、不純物を極限まで取り除いた蒸留水を使うんです」
「なるほどね……。じゃあ、あのポーションを作るときにやっていた下茹でも、同じ理由なのかい?」
「はい。苦味という余分な成分を取り除くための工程です」
私は軽く頷きながら続ける。
「この世界のポーションは、とにかく成分を抽出することばかり考えられています。
でも実際には、不要な成分を取り除くことも同じくらい大事なんです」
「……なるほどねぇ」
ヘルガーさんは腕を組み、感心したように小さく唸った。
「つまりお前さんは――『成分を増やす』んじゃなくて『邪魔なものを減らす』って考え方をしてるわけかい」
「はい」
私は小さく頷いた。
「錬金術って、よく“足す”学問だと思われていますけど……
私はどちらかというと、“引く”学問だと思っています」
「引く?」
「はい。余計なものを取り除いて、本来の力を引き出すんです」
しばらく沈黙が流れる。
ヘルガーさんは腕を組みながら、何かを思い出すように視線を落とした。
そして――小さく息を吐く。
「……なるほどね」
「王城にポーションを納品している同業者がね、こんなことを言っていたんだよ」
そう言いながら机を指先で軽く叩く。
「“最近、納品する量が減った”ってね。
貴族どもが抱え込んでいた粗悪なポーションの代わりに――十代の少女が作るポーションが王城に回るようになったって」
ヘルガーさんはちらりと私を見る。
「そのせいで、俺の納品量まで減ったってぶつくさ言ってたよ」
そして、ふっと笑った。
「でも……今ならなんとなく理由が分かった気がするわね」
私は思わず目を瞬かせる。
「……どうして、私が王城にポーションを納品しているって分かったんですか?」
そう聞くと、ヘルガーさんは呆れたように肩をすくめた。
「簡単な話さ」
そう言って、机の上の素材を指差す。
「その年齢で空間収納を使えて、マンドラゴラの根を当たり前みたいに持ち歩いて、蒸留水まで使う錬金術師なんて――王城に関わってる連中くらいしかいない」
そこで言葉を切り、今度はアトリエの入口の方へ視線を向ける。
そこには、扉の両脇に立つ騎士団の姿。
胸には王国騎士団の紋章が輝いている。
ヘルガーさんは鼻で笑った。
「それに――王国騎士団の紋章を付けた騎士が、お前さんを護衛してる時点で察しはつくさ」
「普通の錬金術師に、あんな護衛はつかない」
私は思わず言葉に詰まった。
「……あ」
確かに、その通りだった。
すると――
後ろに立っていた騎士の一人が、静かに前へ出る。
その表情は穏やかだったが、声にははっきりとした重みがあった。
「ヘルガー殿」
「……なんだい?」
騎士は真っ直ぐにヘルガーさんを見据える。
「今お話しされた内容についてですが――一つ、忠告させていただきます」
アトリエの空気が、少しだけ引き締まった。
「エレノア様は、本来であれば王命により限られた者しか接触することのできない、この国にとって非常に重要な錬金術師です」
騎士は淡々と続ける。
「今回、事情によりこの地を訪れておられますが……本来その存在は公にされるものではありません」
そして、ゆっくりと告げた。
「ですので――今お聞きになった話は、決して口外なさらないようお願いいたします」
言葉は丁寧だったが、その裏にある意味ははっきりしていた。
ヘルガーさんは一瞬黙り込み、やがて肩をすくめる。
「……なるほどね」
小さく息を吐く。
「つまり、私はとんでもない秘密を聞いちまったってわけか」
そう言うと、軽く手を振った。
「安心しな。別に王都で噂をばらまく趣味はないよ」
そして、ちらりと私を見る。
「それに――」
口元を少しだけ緩めた。
「こんな面白い錬金術師、余計な連中に知られたら取り合いになるだけだろうしね」
私は少しだけ苦笑する。
騎士は軽く頷いた。
「ご理解いただき、感謝いたします」
アトリエの空気が、再び少し柔らぐ。
ヘルガーさんは腕を組み直し、机の上の素材へ視線を落とした。
「さて……」
少し楽しそうな声になる。
「じゃあ、その理屈で作るっていう鉄砲魚の毒用ポーション――」
ヘルガーさんは私を見て言った。
「実際に見せてもらおうじゃないか」
「はい!」
私は頷き、強力解毒ポーションの調合を再開した。
マンドラゴラの根を細かく刻み、蒸留水に入れて加熱しながら撹拌する。
その間、解毒草も同様に細かく刻み、別の蒸留水に入れて撹拌した。
「お前さん、さっきもそうだったけど手際がいいね」
「さっき悪態を言ってたくせに……」
カイルがボソッと小言を言うと、
「誰だい!? 今、私の悪口を言ったのは!!」
「やべっ……」
その光景に思わず笑ってしまった。
そうしているうちに、二つの溶液から十分に成分が抽出され、一つの大きなビーカーにまとめる。
魔石を入れ、魔力を慎重に注ぎ込むと、ポーションは完成した。
完成したポーションをヘルガーさんに見せると、少し身を乗り出して言った。
「少しそのポーションを貰ってもいいかい?」
「えっ? いいですけど......」
そういうと、ヘルガーさんは棚からガラス棒と、よくわからない魔道具を取り出した。
ポーションを手に取り、慎重に観察し始める。
「ほう……まず香りが違うね」
ガラス棒をポーションに軽く差し入れると、魔道具から淡い光が漏れ、溶液の中で小さな渦を描いた。
「これは、何の魔道具ですか?」
「これは、ポーションの濃度や効果を測定する魔道具だよ。
大抵の錬金術師は持っているはずだけど……お前さんは使ったことがないのかい?」
「はい……鑑定魔法が使えるので……」
「錬金術師に鑑定魔法って……とんでもない組み合わせだわね……」
測定が進むと、魔道具から小さな音が鳴り、測定完了を知らせた。
ヘルガーさんはその音に顔を上げ、結果を確認する。
「……ほう!」
驚きが混じった声だった。
ヘルガーさんの目が大きく見開かれ、ポーションをもう一度手に取り、慎重に見つめる。
「これは……予想以上の出来だね。濃度も効果も、上級錬金術師が作ってもこんな性能は出ない!」
思わず私は少し笑ってしまう。
「そ、そんなにすごいですか……?」
「すごいどころじゃない。お前さん、この年齢でこれだけのものを作るなんて……正直、驚いたよ」
ヘルガーさんは軽く息を吐き、机の上にポーションを置いた。
「ふむ……いやはや、これは面白い。お前さんに習わなければいけないことも多そうだな」
そう言って、ヘルガーさんは少しだけ微笑んだ。
「どれ! オスバルト伯爵様の話では、相当な人数がいるんだろ? なら私も手伝わないといけないね」
ヘルガーさんは手を叩き、私の隣で作業を始めた。
「マンドラゴラの根は下茹でしていなかったけど、何か理由があるのかい?」
「マンドラゴラの根は雑味や余計な成分が少ないので、強力解毒ポーションであれば下茹では不要です」
私は年上であるはずのヘルガーさんに教えながら、必要数の150本を大急ぎで作り上げた。
完成したポーションをカゴに詰め、私たちはオスバルト伯爵領が運営するオスバルト病院・バレンシア分院へ向かった。
ヘルガーさんのアトリエから十分ほど歩くと、街の中心部の一角にレンガ造りの病院が見えてきた。
道行く人々は掲示板をちらりと見て足を止めるが、すぐに歩き出す者が多く、街は少し混雑していた。
病院に入ろうとすると、街の人々の文句が耳に入った。
「王命で鉄砲魚を食べるなだなんて、俺らの食文化を制限して何になるってんだ」
「バカバカしいったらありゃしない。そもそも鉄砲魚なんて、当たるのは稀じゃないか」
「大げさねー。子供に食べさせるものじゃないんだから、そこまで制限しなくたっていいじゃない」
その声を横目に、私は冷静に歩を進め、病院の中へ入った。
院内に足を踏み入れると、緊張と期待が入り混じった空気が漂っていた。
医師や看護師と思われる人々が忙しそうに行き交い、待合室にはお腹を押さえながら診察の順番を待つ人々の姿があった。
……やっぱり、この街の人々は鉄砲魚を大切な食文化として受け継いでいるのね。
私は受付の係に、オスバルト伯爵様からお願いされたポーションを届けに来たことを告げ、病室へと向かった。
扉を開けると、必死にお腹を押さえ、額に脂汗を滲ませる患者たちが大勢いた。
私たちが入室しても気づく者はいない——いや、激痛のせいで気にしている余裕がないようだった。
「かなり酷いわね……」
ミストルティン様が静かに呟き、私も頷いた。
私は小さく息を吸い、病室の人々に声を掛けた。
「皆さん! 王国の依頼により、強力解毒ポーションをお持ちしました!」
患者たちの視線が一気に集中する。
「今から配りますので、それを必ず飲んでくださいね!」
「おぉ!! 助かった!!」
「これで、鉄砲魚をたらふく食べても大丈夫だな!」
「早く、強力解毒ポーションをくれ!」
私たちが配ろうとすると、騎士さんたちが行く手を塞ぎ、別の騎士さんが前へ出た。
「鉄砲魚を流通させたり、口にすることは、王命により固く禁じられている!
これに懲りたら、必ず王命に従うことだ!」
患者たちは一瞬声を止め、騎士の言葉に耳を傾ける。
しかし、端の方で小声で悪態をつく者の声が耳に入った。
「まったく……王命なんて俺たちの腹には関係ないよ」
「この魚、食べたいんだよな……」
私はその声を聞き、少し苦笑した。
結局、このポーションを配っても、根本的な問題は解決していない。
鉄砲魚を食べたい人がいる限り、胃のトラブルは絶えないのだろう。
それでも、患者たちは私の手元に集中している。
小さな安心を届けることしかできないけれど、それでも意味はある——そう自分に言い聞かせながら、私はポーションを配り続けた。




