229話 消えた関係者、広がる懸念
ーーユグアッシュ王宮・中庭
昼食を食べ終え半ば強引に食後休憩を取った後、私は作業を開始した。
机う上に置いてある検体は相変わらず特に異常を示していない。
「やっぱり牧場の個体からはアルファインフルエンザに関する異常はない......」
勿論まったく病気に観戦していないというわけではない。
一部の羊型魔物に発生する皮膚病に罹患しかけている個体はいたがそれはダニやノミが原因なので刺されない限りは人間に害が及ぶことはない。
だがーー
「こうなってくるとリュシアさんの調査が重要な鍵を握ることになりますね......」
少なくとも牧場の個体に原因がない以上私にはどうすることもできない。
せいぜい今後感染しないようにワクチンの研究をすることくらいしかない。
現在進行形で発症・まん延している時点で、ワクチンを作って接種できるようにしても焼け石に水だ。
「もちろん、今後のことを考えれば必要なんですけどね……」
私はそう呟きながら、検体の入った容器を一つ手に取る。
ワクチンがあれば、まだ感染していない個体を守ることはできる。
感染地域がこれ以上広がることを防ぐ意味でも、研究する価値は十分にある。
でも――
今、この瞬間にも苦しんでいる個体を助けることはできない。
「まずは感染源を突き止めないと……」
そして。
もし本当に輸送中に感染が始まったのなら――
「どこで感染したのか」
一つ。
「何から感染したのか」
二つ。
「そして、どうしてここまで広がったのか」
三つ。
そこまで分からなければ、仮に今回の感染を抑え込めたとしても、同じことがまた起きる可能性がある。
「…………」
私はもう一度、検体を鑑定する。
しかし――
「何度見返しても変わらない物は変わらないわよ?」
ミストルティン様が紅茶を飲みながら静かに言う。
「少しでも痕跡がないか確認しているだけです」
「それ、さっきも聞いたわよ?」
「…………」
「その前にも」
「…………」
「何回目?」
「数えてません」
「私は数えてるけど?」
「数えなくていいです!!」
ミストルティン様は楽しそうに笑いながら、紅茶へ口をつける。
……とはいえ。
言っていること自体は正しい。
同じ検体を何度鑑定したところで、突然アルファインフルエンザの痕跡が現れるわけではない。
分かっている。
分かっているけど――
「ここまで何もないと、逆に不安になるんですよ……」
「どうして?」
「今まで調べた範囲が全部違うなら、原因は私がまだ調べられていない場所にあるってことじゃないですか」
「それはそうね」
「しかも今、一番怪しいと思っているのが輸送中です」
だけど。
輸送中の状況について、私が持っている情報はあまりにも少ない。
どこを通ったのか。
どこで休憩したのか。
何を食べさせたのか。
どこで水を飲ませたのか。
他の動物との接触はなかったのか。
そして――
輸送中に異常を示した個体はいなかったのか。
「結局、当時そこにいた人から話を聞くのが一番早いんですけどね……」
「それをリュシアが調べに行ってるんでしょ?」
「はい」
「なら待ちなさい」
「…………」
正論。
ものすごく正論。
だけど――
「待ってるだけって苦手なんですよぉ……」
「知ってる」
「即答しないでください!」
「だってエレノアだもの」
どういう意味ですか。
私が頬を膨らませていると――
「エレノア様」
「――!」
聞き慣れた声が馬車内に響いた。
「リュシアさん!」
私は勢いよく振り返る。
調査から戻って来たリュシアさんは、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
「どうでした!?」
「輸送を担当した商会と、護衛については確認できました」
「本当ですか!」
私は思わず立ち上がる。
ようやく。
これで当時の輸送状況を直接聞ける。
「それなら、その人たちから――」
「それが……」
「?」
リュシアさんの歯切れが悪い。
「何かあったんですか?」
「まず、輸送を担当した商会の関係者なのですが――」
一拍。
「現在、どこにいるのか分かりません」
「…………はい?」
「自宅にも、ここ一か月ほど戻っていないそうです」
「仕事で遠くへ?」
「それも分かりません」
「商会の人なら知ってるんじゃ?」
「確認しましたが、行き先を伝えずに出ているようです」
「…………」
なんだろう。
その言葉を聞いた瞬間――
胸の奥に、妙な引っ掛かりを感じた。
「……一か月」
私は小さく呟く。
「エレノア様?」
「いえ……」
まだ何も分からない。
これだけで何かがあったと考えるのは早すぎる。
だけど――
「護衛を担当した人は?」
「そちらは冒険者でした。ただ、特定の街を拠点としない放浪型の冒険者だったようで」
「現在地は?」
「分かりません」
「…………」
聞きたかった人が。
誰も捕まらない。
護衛については仕方ない。
元々放浪している人なら、今どこにいるか分からなくても不思議じゃない。
でも――
「偶然にしては出来すぎている......」
「はい?」
リュシアさんは首を傾げる。
アルファインフルエンザの感染源と思われる鳥型の魔物を輸入したのは一か月前ーー
そしてそこから爆発的に感染した。
それに加え関係者の行方がわからない。
それも『無断』でだ。
「やっぱりこれを偶然と呼ぶのは違和感がある......」
「エレノア様......一体何の話ですか?」
「……リュシアさん、商会の関係者を再度詳しく調べてもらえませんか?」
「それは構いませんが……何を調べれば?」
「まず、最後に姿を確認された日時と場所を正確に知りたいです」
私は指を一本立てる。
「それから、いなくなる直前に誰と会っていたのか。どこかへ向かうような話をしていなかったか」
「分かりました」
「あと――」
一瞬、言葉に詰まる。
まだ、私の考えすぎかもしれない。
というより。
そうであってほしい。
「その人と最後に会った人から、当時の様子も聞いてください」
「様子……ですか?」
「はい。体調が悪そうじゃなかったかとか、普段と違うところがなかったかとか……本当に些細なことでも構いません」
「…………」
リュシアさんはその言葉を聞き神妙な顔を浮かべる。
「エレノア様それって......」
「確証はありません」
一拍。
「ですが、もし輸送途中でなにかあった場合一番の濃厚接触者はその商会の関係者と護衛を担当した冒険者です」
さらに一拍。
「その人物の行方が分からないのであれば、高確率で既に亡くなっている可能性があります」
「…………」
リュシアさんの表情が完全に固まる。
「……感染して、ですか?」
「分かりません」
私は首を横に振る。
「だから確証はないと言っているんです」
ただ――
時期が一致しすぎている。
鳥型の魔物が輸入されたのがおよそ一か月前。
その輸送経路に沿うように、アルファインフルエンザの感染が拡大。
そして。
その輸送に直接関わった人物が、ほぼ同じ時期から所在不明。
「もちろん、普通にどこかへ行っているだけならそれでいいんです」
むしろ、そうであってほしい。
「ですが、感染した魔物と最も長い時間接触していた可能性が高い人たちが揃って見つからない以上、最悪の可能性も考えておくべきです」
「……なるほど」
リュシアさんが小さく息を呑む。
「もしエレノア様の予想が正しければ――」
「病原体は最悪国外にも流出している可能性があります」
一拍。
「もしそうなれば世界中で大規模なパンデミックが発生します」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も言葉を発さない。
先ほどまで聞こえていた食器の音すら止まっていた。
「……世界中?」
メルが不安そうに聞き返す。
「あくまで最悪の場合です」
私はすぐに付け加える。
「実際には濃厚接触=感染というわけではありません」
「そうなの?」
「はい」
私は頷く。
「どれだけ長い時間一緒にいたとしても、必ず感染するわけではありません。逆に短時間の接触でも、条件次第では感染する可能性があります」
「条件?」
「病原体の量や接触の仕方、その人の体調なんかですね」
もちろん、今回のアルファインフルエンザについては、まだ分かっていないことの方が圧倒的に多い。
だがーー
「動物から人間族に感染することは私の前世でも同じです」
私がそう言うとリュシアさんは静かに言う。
「それユグアッシュ王国の陛下にも伝えたほうがいいのでは......?」
「前世の話は流石に言えないのでまずは私たちだけで調査できる範囲で調べてからですね......」
「ですが、もし本当にその方たちが感染していたのであれば……」
「はい」
私は頷く。
「問題は、感染したかどうかだけではありません」
人間族から人間族へ感染することは、既に分かっている。
今こうして感染が拡大している以上、それ自体は今さら確認するまでもない。
問題なのは――
「感染した状態で、どこへ行ったのかです」
「…………」
「商会の関係者は一か月近く所在が分からない。そして護衛を担当した冒険者は、元々各地を渡り歩いている」
一か月。
それだけの時間があれば、どれだけ移動できる?
いくつの街を通れる?
何人の人と接触できる?
そして――
「もし国境を越えていたら……」
リュシアさんの表情が強張る。
「既に他国で感染が始まっている可能性がある?」
「はい」
だから怖い。
ユグアッシュ王国内で確認されている感染だけを抑え込んでも、それで終わりとは限らない。
感染者が国外へ出て。
そこで感染を広げ。
さらに別の国へ感染者が移動していたら――
感染経路は枝分かれするように広がっていく。
「だから、最初に輸送へ関わった人たちの足取りを可能な限り早く掴む必要があります」
「分かりました」
リュシアさんが真剣な表情で頷く。
「すぐに再調査します」
「お願いします」
「なら――」
ミストルティン様が静かに紅茶のカップを置く。
「セレディアの方は私から陛下に確認してみるわ」
「陛下に?」
「ええ。ユグアッシュからセレディアへ入ってきた記録がないか調べてもらえばいいでしょ?」
「……お願いします」
セレディアに入っていなければ、それで一つ可能性を消せる。
入っていたなら――
一刻も早く、その後の足取りを追わなければならない。




