227話 謎多き伯爵、深まる疑念
ーーユグアッシュ王宮・小会議室
エレノアがミストルティン様達とNTEレース大会を開催している最中ーー
この国の重鎮と呼ばれる者たちだけで会議を開いていた。
「現状での報告は以上です」
医師会や衛生局等を束ねる衛生省大臣が分厚い書類を置き、静かに座る。
「……なるほど」
宰相は手元の資料へ目を落とすと、次の報告者へ視線を向けた。
「では、密偵から見た評価を聞こう」
「はっ」
「セレディア国内でも調査を行っていたな?」
「はい。しかし――」
密偵を束ねる男は僅かに表情を険しくする。
「セレディアでの情報収集も行いましたが、不自然なほど情報がありません」
「やはり、意図的に隠されていると?」
「その可能性が高いかと」
一拍。
「ですが、これだけは言えます」
宰相が視線を上げる。
「なんだ?」
「――エレノア・フォン・セレスティア伯爵を、決して敵に回してはなりません」
「元々友好国の貴族である時点で、敵対する考えもない」
宰相は静かに呟く。
「その点は余も同意だな」
「陛下?」
それまで黙って報告を聞いていた陛下が、初めて口を開いた。
「セレディア王国とは長年友好関係を維持している。ましてや今回、我が国からの要請に応じて派遣された者を敵に回す理由などない」
「仰る通りです」
「だが――」
陛下はそこで言葉を切る。
「お前がわざわざそう口にしたということは、それだけではないのだろう?」
「……はい」
密偵を束ねる男が静かに頷く。
「友好国の貴族だから敵対してはならない、という意味ではございません」
「ほう?」
「仮に両国の関係が悪化したとしても、エレノア伯爵個人との敵対だけは避けるべきだ――という意味です」
「…………」
空気が変わった。
先ほどまで資料へ目を落としていた大臣たちも、一斉に顔を上げる。
「そこまで言うか」
宰相の問いに、男は迷うことなく頷いた。
「はい」
「理由を聞こう」
「まず、我々がセレディア国内で彼女について調査した結果ですが――」
男は手元の資料を開く。
「不自然です」
「何がだ?」
「情報がなさすぎます」
「…………」
「まだ成人していない少女でありながら確認できた功績はセレディア王族の命を救ったことと港湾都市バレンシアでの食中毒調査の件のみです」
一拍。
「公式以外では様々な憶測や功績を言う者はいても、それを裏付ける証拠がない時点で不自然だと思いませんか?」
「……確かにな」
宰相は腕を組み、僅かに眉を寄せる。
「王族の命を救った件だけでも、伯爵位を与えられるだけの功績ではある。だが――」
「それだけでは説明できないことが多すぎます」
密偵は静かに言葉を重ねる。
「彼女に付けられている護衛の規模。王家との距離。そして何より、国外へ出た途端に確認できる数々の知識と技術」
「…………」
「我々がこの国で直接確認したエレノア伯爵と、セレディア国内で得られるエレノア伯爵の情報が、あまりにも釣り合っていないのです」
一人の大臣が資料へ視線を落とす。
「つまり……」
「はい」
密偵は頷いた。
「功績がないのではありません」
一拍。
「公表されていない、と考える方が自然です」
小会議室が静まり返る。
「どの程度隠されていると考える?」
宰相の問いに、密偵は首を横に振った。
「分かりません」
「分からない?」
「はい。それこそが最も不気味なのです」
密偵は机上の資料へ指を置く。
「通常、情報を隠せば痕跡が残ります。関係者の証言、記録の食い違い、不自然に欠落した文書……どこかに綻びが生じる」
「だが、今回は?」
「ありません」
「…………」
「まるで最初から、国外へ出してよい情報と出してはならない情報が明確に分けられているかのようです」
「そこまで徹底しているのか……」
「少なくとも我々はそう判断しています」
そこで陛下が静かに口を開いた。
「では逆に聞こう」
「はい」
「セレディア王国が、そこまでしてエレノア伯爵の情報を秘匿する理由はなんだ?」
「それも断定はできません。ただ――」
密偵は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「今回の派遣で、我々はその理由の一端を直接見ることになったのではないかと」
「……なるほどな」
宰相が深く息を吐く。
「知れば知るほど、表に出せない理由が分かってしまう、と」
「はい」
その言葉だけでも会議室内を静寂が支配する言葉として十分すぎるが追い打ちを掛けるように言う。
「それと......」
「密かに人物鑑定を行ったのですが......」
そう言って密偵は別の資料を提示する。
「......ひょっとしてギャグで言っているのか?」
「そう思いになるのも無理がありません」
「俄には信じがたいが……」
宰相は差し出された資料をもう一度確認する。
だが、何度読み返しても内容は変わらない。
「……まだ十三歳、だよな?」
「間違いありません」
「職業、錬金術師」
「はい」
「そこまではいい」
宰相の指が、その下へ移動する。
「伯爵」
「はい」
「使用可能スキルと魔力量が妨害によりブロック」
「はい」
「この時点で既におかしいのだが......」
「ありのままの鑑定結果です」
「だからギャグではないのかと聞いている」
「私も最初は鑑定士の力量不足や鑑定魔道具の故障を疑いました」
「だろうな」
「そのため、別の鑑定士に鑑定させたり鑑定魔道具を用いて再度確認しました」
「結果は?」
「同じでした」
「…………」
「しかも、これを十回ほど行っています」
一拍。
「ただ、そのうち半分ほどは失敗しています」
「失敗?」
「はい。鑑定そのものを阻害された形跡があります」
宰相が眉をひそめる。
「エレノア伯爵本人にか?」
「いえ」
密偵は首を横に振った。
「常にエレノア伯爵の傍にいる女性です」
「……あの護衛か?」
「護衛なのか、召使いなのか。それすら判明していません」
「…………」
「少なくとも、我々が鑑定を試みると何度か明確にこちらへ視線を向けています」
「気付かれていたのか?」
「まず間違いなく」
「それでよく十回も続けたな……」
「必要な調査でしたので」
「…………」
宰相は呆れたように密偵を見る。
「ですが――」
「まだあるのか?」
「途中から、その女性は我々の鑑定を妨害しなくなりました」
「……何?」
「最初の数回はこちらを警戒するように見ていました。しかし何度か試みるうちに――」
密偵は僅かに表情を曇らせる。
「こちらの意図を理解したのか、見て見ぬふりをするようになりました」
「…………」
「つまり......」
一拍。
「開示しても問題ない部分だけを意図的に公開したというわけか?」
「そうなりますね」
「一応聞くが、その護衛もしくは召使いの素性は?」
「不明です」
「…………」
「名前は?」
「分かりません」
「出身は?」
「不明です」
「所属は?」
「それも分かりません」
「…………何なら分かっている?」
宰相の声に僅かな苛立ちが混じる。
「エレノア伯爵と極めて親しい関係にあること。そして、ほぼ常に傍にいること」
密偵は淡々と答える。
「少なくとも一般的な召使いではないでしょう」
「根拠は?」
「先ほど申し上げた鑑定への干渉です」
密偵は資料の一枚を取り出す。
「こちらも複数の手段で確認しましたが、鑑定を阻害したのは彼女で間違いないと判断しています」
「それほどの技量を持つ者が、素性不明か……」
「はい」
「セレディア国内でも調べたのだろう?」
「当然です」
「それでも?」
「該当する人物は確認できませんでした」
「…………」
宰相は深く息を吐く。
「エレノア伯爵だけでも情報がなさすぎるという話をしていたところに、今度は素性そのものが分からない護衛か」
「正確には――」
「まだ何かあるのか?」
「護衛であるという確証すらありません」
「…………」
「召使いとして接しているようにも見えますが、エレノア伯爵が彼女へ命令している様子はほとんどありません。それどころか、立場が対等に近いようにも見えます」
「主従ではない?」
「少なくとも、一般的な主従関係とは異なるかと」
陛下が資料へ目を落としたまま口を開く。
「ならば、セレディア王国が秘密裏に付けた護衛という可能性は?」
「否定はできません。しかし――」
密偵は少しだけ言葉を選ぶ。
「もしそうなのであれば、相当な者です」
「鑑定を阻害したからか?」
「それだけではありません」
一拍。
「我々が彼女自身を調べようとしたことにも、恐らく気付かれています」
さらに一拍。
「というより、調べたところで無意味だとでも言いたそうな表情を浮かべていました」
「実際、鑑定不能表記でしたし……」
「…………」
宰相はしばらく黙り込む。
「鑑定不能?」
「はい」
「妨害されたのではなく?」
「その可能性も考えました。しかし、エレノア伯爵を鑑定した際とは明らかに反応が異なります」
密偵は別の資料を取り出す。
「エレノア伯爵への鑑定が阻害された際は、単純に鑑定そのものが成立しませんでした。しかし彼女の場合は――」
一拍。
「鑑定は発動しています」
「ならば、何が表示された?」
「ですから――」
密偵は困ったように資料へ視線を落とす。
「『鑑定不能』と、それだけです」
「名前も?」
「不明です」
「職業は?」
「不明です」
「能力値」
「不明です」
「種族くらいは分かるだろう?」
「それも不明です」
「…………」
宰相の眉間に深い皺が刻まれる。
「何一つ鑑定できていないではないか」
「ですから、鑑定不能と申し上げています」
「それはそうだが……」
「しかも――」
「まだあるのか?」
「鑑定を試みた際、一度だけ目が合いました」
「…………」
「その時の表情が、なんとも……」
密偵は言葉を選ぶ。
「『好きにすれば?』とでも言いたそうなものでした」
「…………」
「こちらが何をしようとしているのか理解した上で、止める必要すらないと判断されたようにしか見えませんでした」
「随分と舐められたものだな」
一人の大臣が不快そうに呟く。
しかし密偵は首を横に振った。
「いえ」
「違うのか?」
「少なくとも、挑発するような意図は感じませんでした」
一拍。
「本当に、どうでもよさそうだったのです」
「…………」
その言葉に、先ほどとは違う意味で会議室が静まり返る。
「……余計に不気味ではないか」
「私もそう思います」
宰相は再び資料へ目を落とす。
十三歳にして、国家が情報を秘匿していると思われる伯爵。
その傍には、素性どころか名前すら分からず、鑑定さえ通用しない女性。
「…………」
宰相は深く息を吐いた。
「エレノア伯爵の人物評価をする会議だったはずなのだがな」
「はい」
「なぜ傍にいる者まで評価不能なのだ……」
「私に聞かれましても……」
密偵は困った表情を浮かべる。
「ここからは憶測になりますがーー」
そう言ったところで密偵は黙る。
「失礼しました。 この場では憶測を言うべきではありませんね」
「構わぬ。続けろ」
「……では」
密偵は一度だけ息を整える。
「あの女性は――護衛でも召使いでもないのではないかと考えています」
「…………」
「どういうことだ?」
「行動があまりにも不自然なのです」
密偵は手元の資料をめくる。
「護衛であれば、主人であるエレノア伯爵を守るために一定の警戒を続けるはずです。しかし彼女は、こちらの意図を理解したと思われる途端、鑑定への妨害をやめた」
「召使いなら?」
「なおさら不自然です」
一拍。
「エレノア伯爵が彼女へ何かを命じる姿はほとんど確認できません。それどころか――」
密偵は少しだけ言葉を選ぶ。
「時折、立場が逆に見えることすらあります」
「逆?」
「はい。彼女がエレノア伯爵を連れ回したり、何かを提案したり、エレノア伯爵がそれに振り回されたり……」
「…………」
「少なくとも、一般的な主従関係には見えません」
宰相が腕を組む。
「では、友人か?」
「それが最も近いようには見えます」
「ならば、なぜその友人が鑑定を阻害できる?」
「これはセレディア王国で耳にした話なのですが」
一拍。
「セレディア王国の上層部とセレスティア伯爵は我々が『神族』と呼称する種族と関係を持っているという噂を耳にしました」
「当然、公式情報もありませんし、あり得ないのでガセだとは思われますが」
「……神族、か」
宰相は呆れたように息を吐く。
「いくらなんでも話が飛躍しすぎだろう」
「私もそう思います」
「そもそも神族など、神話や古い文献の中に登場する存在だ」
「はい」
「それがセレディア王国の上層部と関係を持っている?」
「噂では、ですが」
「馬鹿馬鹿しい」
宰相はそう言って資料を机へ置く。
「エレノア伯爵について情報が少ないからといって、何でも結びつければいいというものではない」
「仰る通りです」
「なら、なぜその噂をこの場で出した?」
「…………」
密偵は黙り込む。
「何か引っ掛かることがあるのだろう?」
「……はい」
「言ってみろ」
「先ほど申し上げた女性です」
「あの護衛か召使いかも分からない者か?」
「はい」
密偵は一枚の資料を手に取る。
「素性不明。出身不明。所属不明。鑑定不能。そして、こちらがエレノア伯爵へ行った鑑定を妨害できるほどの能力を持っている」
「…………」
「もちろん、それだけで神族などと結論づけるつもりはありません」
「当然だ」
「ですが――」
密偵はそこで一度言葉を切った。
「もし、この噂が完全な作り話ではないとしたら?」
「…………」
先ほどまで馬鹿馬鹿しいと切り捨てていた宰相の表情から、僅かに笑みが消える。
「まさか、あの女が神族だとでも?」
「分かりません」
密偵は即座に否定する。
「むしろ、その可能性は極めて低いと考えています」
「ならば?」
「我々が注目すべきなのは、彼女自身の正体ではありません」
一拍。
「なぜエレノア伯爵の周囲には、我々では正体すら掴めない人物が当たり前のように存在しているのか――という点です」
「…………」
「そして、その疑問に対する答えを探していたところで、神族との関係を示唆する噂に行き着いた」
「偶然だと思うか?」
「現時点では、そう判断するしかありません」
「……歯切れが悪いな」
「密偵として、証拠のない話を事実として報告するわけにはいきませんので」
「では個人的には?」
「…………」
密偵は少しだけ考える。
「ガセであってほしい、とは思っています」
「…………」
「なぜだ?」
「もし事実なら――」
密偵は、エレノアの鑑定結果が記された資料へ視線を落とした。
「我々はエレノア伯爵という人物について、根本から評価をやり直す必要があります」
「なるほどな......」
陛下が静かに呟く。
「我々は、欠けた情報があれば、それを憶測で補って答えを導き出そうとする」
一拍。
「だが、セレディア王国が国家機密に指定するほどの人物」
「謎の護衛又は召使いの存在」
「鑑定不能の存在」
「そしてーー神族と関わりがあるという噂」
「偶然にしては一致しすぎている」
「陛下は……神族との関係が事実だとお考えで?」
宰相の問いに、陛下は首を横に振る。
「そうは言っていない」
「では?」
「証拠がない以上、事実として扱うべきではない。それは密偵の言う通りだ」
陛下は机上に並べられた資料へ視線を落とす。
「だが――」
一枚。
エレノア伯爵について調べた資料。
「国家機密に指定されていると思われるほど、不自然に情報が少ない」
もう一枚。
「常に傍にいるにもかかわらず、名前すら分からない謎の人物」
そして――
「その人物は鑑定不能であり、こちらの鑑定を妨害することすらできる」
最後に、セレディア王国で収集された噂について記された資料へ目を向ける。
「そこへ神族との関係を示唆する噂だ」
「…………」
「一つ一つなら、いくらでも別の説明ができる」
陛下は静かに続ける。
「情報が少ないのは、単純に若いからかもしれない」
「謎の人物についても、セレディア王国が秘密裏に用意した護衛と考えれば説明はつく」
「鑑定不能についても、我々の知らない魔道具や技術を使っているだけかもしれない」
「そして神族の噂など、民衆が面白半分に作った話かもしれぬ」
「でしたら――」
「だがな」
宰相の言葉を遮り、陛下は資料を一つに重ねた。
「それらすべてが、一人の少女の周囲で同時に起きている」
「…………」
「それをすべて偶然として切り捨てるのもまた、憶測ではないか?」
「……なるほど」
密偵が小さく頷く。
「神族との関係があると決めつけるのも憶測。しかし、あり得ないと決めつけるのも憶測……ということですか」
「そういうことだ」
陛下は椅子へ深く腰掛ける。
「我々に必要なのは、真実を言い当てることではない」
一拍。
「分からないものを、分からないまま正しく扱うことだ」
「…………」
「少なくとも現時点では、神族との関係について肯定も否定もしない」
「では、引き続き調査を?」
「いや」
「……?」
「これ以上、積極的に探る必要はない」
「よろしいのですか?」
「友好国から我が国のために派遣された伯爵を、必要以上に嗅ぎ回る方が問題になる」
陛下は密偵へ視線を向ける。
「ましてや――」
一拍。
「もし本当に神族と関係があるのなら、なおさら余計な真似はするべきではあるまい?」
「……ごもっともです」
「それに」
陛下は僅かに笑みを浮かべる。
「これまでの行動を見る限り、少なくともエレノア伯爵が我が国へ害意を持っていないことだけは確かなのであろう?」
「はい。それについては断言できます」
「ならば十分だ」
「…………」
宰相が小さく息を吐く。
「敵か味方かも分からない者ならともかく――」
「既に友として来てくれている者の正体を、無理に暴く必要もあるまい」
「……そうですな」
宰相も静かに頷く。
「では、今後は必要以上の調査を控えるということで?」
「ああ」
陛下は机上に並べられた資料へ視線を落とす。
「少なくとも、我が国に害意がないことは分かっているのだろう?」
「はい」
密偵は即答する。
「その点については、まず間違いないかと」
「ならば十分だ」
陛下は静かに頷いた。
「エレノア・フォン・セレスティア伯爵」
一拍。
「我が国に多大な恩恵をもたらし、セレディア王国からも絶大な信頼を得ている人物」
「そして、その能力には未だ不明な点が多く――」
「場合によっては、神族との関係すら否定できない」
「…………」
改めて言葉にすると、とんでもない人物である。
「では陛下」
宰相が尋ねる。
「最終的な人物評価は、どのように記載いたしましょう?」
「そうだな……」
陛下はしばらく考える。
やがて――
「最重要友好人物。決して敵対するべからず」
「承知しました」
宰相が書類へ記していく。
これで、この会議も終わり――
「……あ」
かと思われたが。
密偵が小さく声を漏らした。
「どうした?」
「いえ……」
「何か問題でも?」
「一つだけ、書き加えていただきたいことが」
「なんだ?」
密偵は真剣な表情で答える。
「常識を基準に行動を予測しないこと」
「…………」
「…………」
「…………」
「それは人物評価なのか?」
「私にも分かりません」
「お前が言い出したのだろう!?」
会議室に、宰相の声が響き渡った。




