220話 牧場調査、新たな手掛かり
ーーユグアッシュ王国・郊外
「港町を調査しなくていいんですか?」
リュシアさんは首を傾げる。
「港町は最初の感染地ではあります」
私は前方を見据えたまま答える。
「ですが、感染源と思われる鳥型魔物は、既に王都郊外の牧場まで流通しています」
一拍。
「まずは実物を調べて、どのような特徴があるのかを把握する必要があります」
「感染源かどうかも含めて、ですね」
「はい」
私は静かに頷く。
「もし本当にこの鳥型魔物が関係しているのであれば、港町へ向かう前に得られる情報は多いはずです」
「逆に違っていれば、港町で調査する内容も変わってきます」
「なるほど……」
リュシアさんは納得したように頷いた。
「まずは現物を確認してから、港町へ向かうわけですね」
「その通りです」
実際のところ、現時点で感染源を断定できる証拠は何一つない。
鳥型魔物は、数ある候補の中で最も可能性が高いというだけだ。
もし違っていれば、調査は振り出しへ戻る。
だからこそ、思い込みは禁物だった。
「振り出しに戻らなきゃいいのですが……」
小さくそう呟いた頃には、目的地が見えてきた。
王都郊外にある、大規模な牧場。
広大な牧草地には牛や羊がのんびりと草を食み、少し離れた場所では羊型の魔物や豚型の魔物が飼育されている。
一見すると、ごく普通の牧場だった。
「のどかですね……」
リュシアさんは思わず呟く。
「そうですね」
私は牧場全体を見渡しながら頷いた。
「ですが、どれだけ穏やかで可愛らしく見える魔物でも、未知のウイルスや病原体を保有している可能性はあります」
一拍。
「現時点では鳥型魔物が最も有力な候補ですが、それもまだ仮説に過ぎません」
「だからこそ、鳥型魔物だけではなく、この牧場で飼育されている家畜や魔物も一通り調査します」
そう言って私は防毒魔法を発動した。
「防毒魔法は発動しましたが、万能ではありません」
私は全員を見回す。
「感染を完全に防げるわけではありませんので、魔物に触れた手で傷口や目、鼻、口などの粘膜には絶対に触れないでください」
「また、調査が終わるまでは不用意に顔へ触れることも避けてください」
「「「はい!」」」
全員が真剣な表情で頷く。
「それと、採取に使用した器具も、その都度消毒します」
「万が一にも、別の個体へ病原体を移してしまっては意味がありませんから」
そう言って私は採取用の魔道具を取り出した。
「それじゃあ調査を開始します!」
「「「はい!!!」」」
全員がそれぞれの役割へ散っていく。
私は採取用の魔道具を手に、最初の区画へ足を踏み入れた。
「まずは一般的な家畜から確認していきます」
牛型魔物。
羊型魔物。
豚型魔物。
一頭ずつ鑑定を行い、羽毛や体毛、唾液、血液を少量ずつ採取していく。
「体温は正常……」
「呼吸にも異常なし」
「食欲も問題ありませんね」
私は鑑定結果を手帳へ書き留める。
リュシアさんも後ろから記録を取っていく。
「今のところ異常はありませんね」
「はい」
私は頷いた。
「だからこそ、最後の鳥型魔物が気になります」
視線の先。
牧場の一番奥には、他の家畜とは少し離すように造られた柵が見えていた。
その中で、灰白色の羽毛を持つ鳥型魔物たちが、静かに餌をついばんでいた。
「あれがその魔物ですね……」
リュシアさんが低く呟く。
「鳥型のアルファインフルエンザは強力なので調査は最後に行います」
そう言って次の区画の調査を開始する。
私が柵の中へ足を踏み入れると――
「メェェーーー!」
羊型の魔物が興味津々といった様子で駆け寄ってきた。
そのまま私の足へ頭を擦り寄せ、気持ちよさそうに身体を預けてくる。
「わっ……!」
思わず一歩よろける。
「ふふっ」
リュシアさんが思わず笑みをこぼした。
「ずいぶん懐かれていますね」
「初対面なんですけどね……」
私は苦笑しながら、羊型魔物の頭をそっと撫でる。
「人懐っこい子ですね」
「この子たちは小さい頃から人に育てられていますから」
牧場主が優しく微笑んだ。
「知らない人にも自分から寄ってくるんですよ」
「なるほど……」
私は羊型魔物の様子を観察する。
食欲もある。
目に濁りはない。
鼻汁や咳などの症状も見られない。
一通り視診を終えると、私は魔法で羊毛を数本採取し、小さな容器へ収めた。
「では、次の個体もお願いします」
牧場主に案内され、隣の区画へ移動する。
すると――
「メェェェ!」
今度は別の羊型魔物が勢いよく駆け寄ってきた。
そのまま私の足元まで来ると、頭を何度も擦り寄せてくる。
「わっ、ちょっと待ってください」
私は思わず笑みを浮かべる。
「そんなに歓迎してくれるんですか?」
「メェ~♪」
返事をするように鳴き声を上げると、さらに頭を擦り寄せてきた。
「……かわいいですね」
気付けば私は、その柔らかな毛並みを優しく撫でていた。
羊型魔物は気持ちよさそうに目を細め、嬉しそうに尻尾を振る。
「エレノア様」
リュシアさんが苦笑する。
「調査ですよ?」
「はっ!」
私は慌てて手を引っ込めた。
「つい……」
「まぁ、魔物の警戒心がないことを確認するのも調査の一つですね」
牧場主が笑いながらフォローしてくれた。
「ありがとうございます」
私は少し照れながら咳払いを一つすると、気持ちを切り替える。
「それでは、採取を始めます」
「ごめんね、少しだけ羊毛をもらうね」
「メェ?」
羊型の魔物は首を傾げている。
「私たちの言葉わかっているんですかね……?」
リュシアさんが静かに呟く。
「この魔物はとても賢い魔物なんですよ!」
一拍。
「知能で言えば六歳くらいはありますね」
牧場主さんが誇らしげに胸を張る。
「名前を呼べばちゃんと返事をしますし、自分の小屋も覚えています」
「簡単な指示なら理解できますよ」
「へぇ……」
私は感心しながら羊型魔物を見る。
「だからこんなに人懐っこいんですね」
「ええ」
牧場主さんは優しく羊型魔物の頭を撫でた。
「子どもの頃から人と一緒に育ちますから、人を仲間だと思っているんですよ」
「メェ~♪」
羊型魔物は嬉しそうに鳴き、再び私へ頭を擦り寄せてきた。
「ふふっ」
私は思わず笑みを浮かべる。
「調査が終わったら、たくさん撫でてあげますからね」
「メェ!」
まるで返事をするかのように元気よく鳴いた。
私は数頭の羊型魔物から少しずつ羊毛を採取し、続けて糞も少量ずつ採取していく。
採取した検体は混ざらないよう、それぞれ採取容器へ入れて空間収納へしまった。
「何頭くらい調べるんですか?」
リュシアさんが尋ねる。
「できるだけ多くです」
私は次の羊型魔物へ歩み寄る。
「一頭だけでは、その個体だけがたまたま健康だった、あるいは感染していたという可能性を否定できません」
「複数の個体を調べて初めて、牧場全体の傾向が見えてきます」
「なるほど……」
リュシアさんは納得したように頷いた。
「これで羊型魔物の調査は終了です」
私は最後の採取容器を空間収納へしまい、小さく息を吐いた。
「約束ですからね」
私はしゃがみ込み、先ほどからこちらをじっと見つめていた羊型魔物たちへ微笑みかける。
「いっぱい撫でてあげます」
「メェーー!」
待っていましたと言わんばかりに、一斉に羊型魔物たちが駆け寄ってきた。
「わっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
一頭が頭を擦り寄せれば、別の一頭は腕へ顔を押し付け、さらに後ろからもう一頭が服を引っ張る。
「順番ですよ、順番」
私は苦笑しながら、一頭一頭の頭を優しく撫でていく。
柔らかな羊毛は思わず頬ずりしたくなるほど気持ちがよかった。
「メェ~♪」
「ふふっ、いい子ですね」
気持ちよさそうに目を細める羊型魔物たちを見ていると、自然と頬が緩む。
「……エレノア様」
リュシアさんが苦笑する。
「完全に癒やされていますね」
「だって可愛いじゃないですか」
私は即答した。
「こんなに可愛い子たちが寄ってきたら、撫でない方が失礼です」
牧場主も思わず吹き出す。
「ははっ! この子たちもエレノア様が気に入ったみたいですね」
しばらく羊型魔物たちと触れ合った後、私は名残惜しく立ち上がった。
「さて……」
視線を牧場の奥へ向ける。
そこには、灰白色の羽毛を持つ鳥型魔物たちの区画が静かに佇んでいた。
「次はいよいよ本命ですね」
私はまだ撫でて欲しいと言わんばかりの羊型の魔物に別れを告げ、鳥型の魔物達の区画へと静かに歩き出す。
「エレノア様、別の班の検体採取も完了したとのことです」
「異常はありましたか?」
私は足を止めずに尋ねる。
「現時点では目立った異常は確認されていません」
隊員が手元の記録を確認しながら報告する。
「牛型魔物、豚型魔物、山羊型魔物ともに食欲・体温・呼吸とも正常です」
「採取した検体も予定通り確保できました」
「そうですか」
私は小さく頷く。
少なくとも、見た目で分かる異常はない。
だからこそ厄介だった。
病原体の中には、宿主へほとんど症状を出さないものも存在する。
健康そうに見える個体が、知らず知らずのうちに病気を運んでいることは決して珍しくない。
「引き続き、検体は全て保管してください」
「後ほどまとめて解析します」
「はっ!」
隊員は一礼すると持ち場へ戻っていく。
私は視線を前へ向けた。
灰白色の羽毛を持つ鳥型魔物たちは、こちらを警戒する様子もなく、穏やかに餌をついばんでいる。
その姿は、どこからどう見ても平和そのものだった。
なるべく警戒されないよう静かに区画に入り一匹ずつ視診を開始する。
「特に異常はなさそうですね……」
みた感じ何も問題はなさそうには見える。
だがーー
「この子達が東の国から来た子達なんですよね?」
牧場主さんへ確認を取るとーー
「そうです!」
牧場主さんは迷うことなく頷いた。
「二ヶ月ほど前に東の国の動物商から輸入した子達です!」
「二ヶ月前ですか……」
私は小さく呟き、頭の中で時系列を整理する。
アルファインフルエンザが最初に確認されたのも、およそその頃だった。
偶然にしては、出来過ぎている。
「輸入後、この子たちに体調の変化はありませんでしたか?」
「食欲が落ちたり、急に死んだ個体がいたり、原因不明の症状が出たり……」
牧場主さんは腕を組み、少し考え込む。
「いえ、特にはありませんね」
「みんな元気で、病気らしい病気もしたことがありません」
「そうですか……」
私は静かに頷いた。
やはり宿主自身には症状が現れにくいのか、それとも全く別の原因なのか。
現時点では、まだ判断できない。
「この子達は特に注意深く鑑定する必要がありそうですね……」
私はそう言い、ゆっくりと牧場主さんの方を振り向いた。
「牧場主さん、この子達に鑑定スキルを使ってもよろしいですか?」
「もちろんです!」
牧場主さんは二つ返事で頷く。
「病気の原因が分かるのでしたら、いくらでも調べてください」
「ありがとうございます」
私は一礼すると、鳥型魔物へゆっくりと近づいた。
突然近づけば警戒させてしまう。
私は刺激しないよう静かにしゃがみ込み、一羽の鳥型魔物へそっと手を伸ばす。
「大丈夫ですよ」
優しく声を掛けると、鳥型魔物は小さく首を傾げるだけで逃げようとはしなかった。
「それでは──鑑定。」
私は鳥型魔物を意識し、一羽ずつ慎重に鑑定していく。
だが――
「……」
私は思わず黙り込んでしまった。
「……エレノア様?」
私の様子を見たリュシアさんが、静かに声を掛ける。
私はゆっくりと首を横に振った。
「どうやら、この子たちは正常な個体のようです」
「えっ……?」
牧場主さんだけでなく、その場にいた全員が驚いた表情を浮かべる。
「少なくとも鑑定では、アルファインフルエンザへの感染反応は確認できませんでした」
私はもう一度、鳥型魔物たちへ視線を向ける。
皆、元気に餌をついばんでいる。
鑑定結果とも矛盾はない。
「……仮説が外れた、ということですか?」
リュシアさんが静かに尋ねる。
「いいえ」
私は静かに首を横へ振った。
「まだそう判断するのは早いです」
私は鑑定結果の一文を読み上げる。
「この子達は、とても繊細な種類のようです」
一拍。
「強いストレスを受けると体調を崩しやすく、自ら羽を抜いてしまう個体もいると記されています」
「そんなことまで分かるんですか?」
牧場主さんが驚いたように目を見開く。
「鑑定では、生態や飼育上の注意点もある程度確認できます」
私はもう一度、鳥型魔物たちへ視線を向けた。
どの個体も羽並みは整っており、自ら羽を抜いたような痕跡は見当たらない。
「少なくとも、この牧場では十分な環境で飼育されているようですね」
「ということは……」
リュシアさんが小さく呟く。
「輸送中、あるいは東の国にいた頃の状況も調べる必要がありますね」
私は静かに頷いた。
「はい。もし何かあるとすれば、この牧場へ来る前の可能性も考えなければなりません」
私は鑑定結果を閉じ、小さく息を吐いた。
少なくとも、この鳥型魔物たちに目立った異常は見られない。
だからといって、ここで可能性を切り捨てることはできなかった。
「まだ調べることは残っています」
私は静かに牧場全体を見渡す。
「鳥型魔物だけが感染源とは限りません」
「飼料、水、飼育環境……確認すべきものはまだいくらでもあります」
「それに、この子達が本当に健康なのかどうかは、採取した検体を詳しく解析してみなければ分かりません」
リュシアさんも静かに頷いた。
「まだ調査は始まったばかりですね」
「はい」
私は採取した検体が収められた空間収納へそっと手を添えた。
今回の調査で、感染源を断定することはできなかった。
だが、それは決して無駄ではない。
鳥型魔物の生態。
飼育環境。
そして、現時点では目立った異常が見られないという事実。
一つひとつの情報が、確実に真実へ近づくための材料になっている。
「焦らず、一つずつですね」
リュシアさんの言葉に、私は小さく頷いた。
「はい」
「必ず原因を突き止めてみせます」
私はそう心に誓い、牧場を後にした。




