218話 残された足跡、消えた男爵
ーーユグアッシュ王宮・合同詰め所
今日もエレノアが病院での臨床データを集めいている頃ーー
ユグアッシュ王宮の一角に設けられたユグアッシュ王国近衛騎士団とセレディア王国第一騎士団と王命錬金護衛隊の合同詰め所では不穏な空気が流れていた。
「......これは一大事だな」
指揮をとるアラン隊長は眉をひそめる。
目の前にはセレディア国王自身が送ったと証明する蝋印に緊急を知らせる内通言葉 が書かれた封筒。
その中に記載されていたのは、クラウゼル男爵が国外逃亡したこと。
ユグアッシュ王国に不審な馬車が多く通過していることを知らせる内容だった。
「……クラウゼル男爵が国外逃亡した、か」
アラン隊長は静かに報告書を閉じた。
「タイミングが良すぎますね......」
副隊長ミィナが腕を組む。
「エレノア様がユグアッシュ王国に入国したあたりに逃亡したことを考えると......」
「当然把握していなかっただろうな......」
アラン隊長はミィナ副隊長の言葉を引き継ぐように言う。
「男爵家には影の諜報部隊の存在は知られていないよな?」
「はい」
ミィナ副隊長は迷うことなく頷く。
「存在そのものを知る者は、セレディア王国でもごく一部です」
「ですが、あのタイミングで国外へ逃亡したことを考えると――」
一拍。
「エレノア様が動けば、影も動く」
「それを最初から分かっていたかのような逃亡です」
詰め所に重苦しい沈黙が流れる。
アラン隊長は静かに目を閉じた。
「偶然とは考えにくいな」
「はい」
ミィナ副隊長が頷く。
「クラウゼル男爵は、あの一件以降ずっと影による重要監視下にありました」
「だからこそ、監視が手薄になったタイミングを狙って逃亡したわけか……」
アラン隊長は腕を組み、ゆっくりと息を吐く。
「問題は、そのタイミングを男爵がどうやって知ったかだ」
「単なる勘で動いたとは思えませんな」
隊員が静かに口を開く。
「影全体が動いたわけではありません」
一拍。
「通常よりも監視体制が手薄になっていたとはいえ、その僅かな隙を突いて国外へ逃亡するのは極めて困難です」
「つまり……」
アラン隊長が低く呟く。
「監視の配置や動きを把握していた可能性があるということか」
「はい」
隊員は静かに頷いた。
「少なくとも、監視が薄くなることを知っていなければ、あのタイミングで逃亡を決断する理由がありません」
詰め所に重苦しい沈黙が流れる。
「協力者……」
誰かが小さく漏らしたその一言に、誰も否定の言葉を返せなかった。
「上層部に協力者がいるとは思えませんが……」
「上層部はないだろうな」
アラン隊長が静かに言う。
「王や宰相をはじめ、上層部は皆エレノア様の後ろ盾だ」
一拍。
「ましてや神族と直接接触できる立場にありながら裏切れば、その先に待つ結末は火を見るより明らかだ」
「となると……」
ミィナ副隊長が静かに続ける。
「帝国、あるいは他国の工作員がクラウゼル男爵へ情報を流していた可能性が高いですね」
「そう考えるのが自然だろう」
アラン隊長は頷いた。
「セレディア王国の内部だけを探していては見つからん」
「視野を国外まで広げる必要がある」
詰め所にいた全員が静かに頷く。
敵は、彼らが想像していたよりも広範囲に手を伸ばしているのかもしれなかった。
コンコンッ。
「お待たせしましました!」
1人のユグアッシュ王国近衛騎士団が書類の束を抱え入室する。
「念のため、ユグアッシュ王国が管理する国境検問所および各街・村の出入り口の通過履歴をまとめました」
そう言って近衛騎士は分厚い資料を机へ並べた。
「期間は?」
アラン隊長が尋ねる。
「エレノア様が入国される一か月前から、本日までです」
「比較ができるように、入国前と入国後で分けてあります」
アラン隊長は無言で資料をめくる。
「……前半はほぼ通常通りだな」
「はい」
近衛騎士が頷く。
「ですが、エレノア様が入国された直後から様子が変わります」
ミィナ副隊長も資料へ目を落とす。
「馬車の往来が急増していますね」
「しかも、同じ商隊が短期間に何度も国境を越えている……」
「さらに行き先が一定していません」
アラン隊長は資料の一ページを指で叩く。
「偶然ではないな」
「はい」
「エレノア様が到着した時期と、不審な馬車の動きが完全に一致しています」
アラン隊長は腕を組み、資料を静かに見つめる。
「近衛騎士団、この馬車は全て確認したのか?」
「はい」
近衛騎士は一礼して答えた。
「可能な限り検問で荷台の確認を行いました」
「ですが、商会所属の馬車や貴族家の紋章が入った馬車も多く、法的な制約から全てを詳しく調べることはできませんでした」
「当然だな」
アラン隊長は小さく頷く。
正規の手続きを踏んでいる以上、理由もなく拘束することはできない。
それが騎士団という組織だった。
「……しかし」
ミィナ副隊長が一枚の資料を抜き出す。
「この商隊だけは妙です」
「王都へ入り、翌日には別の街道から姿を消している」
「積み荷の申告内容も毎回微妙に違います」
「にもかかわらず、馬車の台数だけは一致している……」
詰め所にいた隊員たちも資料を覗き込む。
「偽装か」
アラン隊長が静かに呟いた。
「可能性はあります」
近衛騎士が答える。
「現時点では断定できませんが、重点的に調査する価値はあるかと」
アラン隊長は資料を閉じる。
「よし」
「この商隊の足取りを――」
「待ってください!」
ミィナ副隊長が静かに制止した。
「どうした、ミィナ副隊長」
「偽装にしては、あまりにも出来すぎています」
詰め所の視線が一斉にミィナ副隊長へ集まる。
「普通、追跡を警戒するのであれば、ここまで露骨な動きはしません」
「むしろ『怪しい』と思われることを前提に動いているように見えます」
「つまり……」
アラン隊長が目を細める。
「我々の目を引くための餌ということか」
「その可能性があります」
ミィナ副隊長は資料を一枚抜き取った。
「エレノア様が入国した直後から急に動き始める。」
「同じ商隊が短期間で何度も国境を往復する。」
「行き先も統一されていない。」
「……これだけ条件が揃えば、誰でも真っ先にこの商隊を疑います」
詰め所が静まり返る。
「ですが、本当に隠れたいのであれば、ここまで目立つ行動を取るでしょうか?」
その一言に、アラン隊長は腕を組んだ。
「……なるほど」
「『見つけてほしい』動きにも見えるな」
「はい」
ミィナ副隊長は静かに頷く。
「もしこれが囮なら、本命は既に別の場所へ移動している可能性があります」
一拍。
「特にクラウゼル男爵は切れ者です。ここで一つの可能性に断定するのは危険だと思います」
詰め所に静寂が流れる。
アラン隊長は資料へ視線を落としたまま、小さく頷いた。
「……確かにな」
「敵がクラウゼル男爵なら、こちらがその商隊を追うことまで計算に入れている可能性がある」
「はい」
「我々が一つの情報へ飛びつけば、その間に本命を見失う恐れがあります」
アラン隊長は資料を閉じると、ゆっくりと全員を見渡した。
「ならば答えは一つだ」
「商隊は囮の可能性を考慮しつつ監視を継続する」
「それと並行して、クラウゼル男爵本人の足取りを一から洗い直せ」
「出国記録、宿泊記録、目撃情報……些細なことでも構わん」
「情報を集めろ」
「「「はっ!」」」
隊員たちは一斉に敬礼した。
「こちらも相手の思惑通りに動くわけにはいかん」
アラン隊長の低い声が、静かな詰め所に響いた。
「ユグアッシュ王国近衛騎士団は引き続き街道と検問所の警戒を強化してください」
「王命錬金護衛隊はクラウゼル男爵本人の足取りを追います」
「影には別命を出す」
「商隊に囮の可能性がある以上、表だけを見ていては真実は見えん」
「「「はっ!」」」
その一言を合図に、詰め所は一気に慌ただしくなった。
地図が運ばれ。
伝令が各部隊へ走り。
新たな捜索命令が次々と発令されていく。
アラン隊長は窓の外へ目を向け、小さく呟いた。
「クラウゼル男爵……」
「必ず見つけ出す」
しかし、その決意とは裏腹に。
この時、誰一人として知らなかった。
自分たちが追っている影は、既にその手の届かない場所へ消えていたことを。




