214話 希望の治療薬、王の決断
「何回やっても媚薬成分が微量含まれる......」
もう何度目かわからない実験・改良を行ったがどうしても媚薬成分が生成される。
「この薬を飲んで発情されたら笑えないからどうにかしないと......」
私は額に手を当て、大きくため息をつく。
治療薬としては成功。
けれど、副作用だけはどうしても消えない。
「どうしてこんなところだけ完璧じゃないんですか……」
そう呟きながら研究ノートへ視線を落とした、その時だった。
「まだ悩んでいたの?」
聞き慣れた声に顔を上げる。
「ミストルティン様」
「再現実験は?」
「何度やっても同じです」
私は完成したポーションを差し出した。
「品質は最高品質のまま。治療効果も問題ありません」
「でも……」
鑑定結果の最後の一文を指差す。
『微量ではあるが、媚薬成分が生成されている』
「これだけはどうしても消えません」
ミストルティン様は鑑定結果を見て、しばらく考え込む。
「調合の過程で何かの素材同士が反応して生成されたんじゃない?」
「それは私もそう仮説を立てているんです」
「それなら、現状では副作用として受け入れるしかないでしょうね」
一拍。
「あっち系のお店で使われるような濃度なら問題だけど、この程度なら薬として使う分にはほとんど影響はないはずよ」
「そう……でしょうか」
私はまだ少し不安そうにポーションを見つめる。
そんな私を見て、ミストルティン様はくすっと笑った。
「もっとも――」
一歩だけ私との距離を詰める。
「エレノアになら、高濃度の媚薬を盛られても私は大歓迎だけど♪」
「なっ!?」
思わず顔が熱くなる。
「な、何を言ってるんですか!!」
「冗談よ♪」
「絶対冗談じゃないですよね!?」
「さあ、どうかしら?」
ミストルティン様は楽しそうに笑う。
私は小さくため息をつき、完成したポーションへ視線を落とした。
「ですが……」
「治療薬として完成したことに変わりはありません」
「副作用はあるけれど、治療効果は十分に確認できています」
私は研究ノートを閉じる。
「原因の究明は続けます」
「でも、このまま私一人で判断することではありませんね」
ミストルティン様は静かに頷いた。
「ええ。それがいいわ」
「患者さんが待っているもの」
「はい」
私は完成したポーションを専用の保管瓶へ移し替え、研究ノートと一緒に鞄へ収めた。
「まずは国王陛下へ報告しましょう」
「治療薬が完成したことも、副作用についても、全て包み隠さずお伝えします」
「それが研究者の責任ですから」
ミストルティン様は満足そうに微笑む。
「ふふっ、そういうところがエレノアらしいわ」
私は小さく頷くと、報告のため王宮へ向かって歩き出した。
完成した治療薬を抱えて。
ーーユグアッシュ王宮・中庭
私が馬車の扉を開けると、待機していたユグアッシュ王国近衛騎士団の方がすぐに気付いて駆け寄ってきた。
「エレノア様、本日はどちらへ?」
「国王陛下へお取次ぎをお願いします」
「陛下に、ですか?」
騎士の表情が少しだけ引き締まる。
「はい。至急ご報告したいことがあります」
私が抱えていた専用ケースへ視線を向けた騎士は、何かを察したように目を見開いた。
「……もしかして」
私は静かに頷く。
「アルファインフルエンザの治療薬が完成しました」
「!!」
騎士は息を呑む。
「た、ただちに陛下へお伝えいたします!」
一礼すると、そのまま王宮の中へ全力で駆け出していった。
その背中を見送りながら、私は腕の中の専用ケースを見つめる。
「……あとは、陛下たちの判断ですね」
治療薬は完成した。
けれど、副作用という課題は残っている。
だからこそ、その事実も包み隠さず伝えなければならない。
私はゆっくりと王宮へ向かって歩き始める。
途中、王宮の一角に設けられた臨時治療所の前を通り掛かった。
「熱がまだ下がりません!」
「次の患者さんをこちらへ!」
慌ただしい声が次々と聞こえてくる。
治療所の中では、医師や看護師たちが休む間もなく患者さんの対応に追われていた。
その光景を見て、私は腕の中の専用ケースをそっと抱き寄せる。
「もう少しです」
小さく呟く。
「もう少しだけ、待っていてください」
この薬が正式に認められれば、多くの命を救える。
そう信じて、私は歩みを止めなかった。
やがて王宮の正門へ辿り着くと、待機していた近衛騎士が恭しく一礼する。
「エレノア様、お待ちしておりました」
「陛下がお待ちです」
どうやら先ほどの伝令は、すでに陛下のもとへ到着したらしい。
「ありがとうございます」
私は小さく頭を下げると、近衛騎士に案内されながら王宮の奥へと歩みを進めた。
その先では、ユグアッシュ王国の未来を左右する報告が待っていた。
ーーユグアッシュ王宮・第一会議室
会議室へ足を踏み入れると、そこには国王陛下をはじめ、医師会長、衛生大臣、錬金術師ギルドの責任者らが既に席についていた。
私の姿を確認すると、国王陛下が静かに口を開く。
「エレノア殿」
「近衛騎士から、新たな治療薬が完成したとの報告を受けた」
「事実なのだな?」
私は一礼すると、抱えていた専用ケースを机の上へ静かに置いた。
「はい」
「正確には、前回の治療薬を改良したものになります」
会議室の空気が一変する。
「改良……?」
医師会長が身を乗り出した。
「前回の治療薬は、有精卵を使用していたため、卵アレルギーを持つ患者さんには投与できませんでした」
私は専用ケースを開き、青く澄んだポーションを取り出す。
「ですが今回は、有精卵を一切使用していません」
その報告に、会議室内へ驚きの声が広がる。
「何だと!?」
「あの治療薬が完成してから、まだ一週間も経っていないというのに……!」
「つまり、卵アレルギーの患者にも投与できるのか!」
医師会長が思わず立ち上がる。
「これで全ての患者を救える!」
「事態は収束へ向かうぞ!」
張り詰めていた会議室に、ようやく希望の空気が広がった。
しかし――。
「ただ……」
私が静かに口を開くと、会議室は一瞬で静まり返る。
先ほどまでの歓声が嘘だったかのように、全員の視線が私へ集まった。
「一つだけ、解決できなかった問題があります」
国王陛下の表情が引き締まる。
「……申してみよ」
私は一度だけ深呼吸をした。
「完成した治療薬には、微量ではありますが副作用が確認されました」
「副作用……だと?」
ラグナード陛下は眉をひそめる。
「そんなに重大なものなのか?」
「命に関わるものではありません」
一拍。
「ですが、媚薬成分が含まれており、現状では臨床データもありません。そのため、陛下にご判断を仰ぎたく……」
会議室が静まり返る。
「……媚薬?」
医師会長が思わず聞き返した。
「はい。鑑定では『微量』と判定されています。ただ、どの程度の影響が出るのかは不明です」
誰も軽々しく口を開けなかった。
治療薬としては完成している。
しかし、副作用の影響が未知数である以上、安易に患者へ投与することはできない。
ラグナード陛下は腕を組み、静かに目を閉じる。
しばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「エレノア殿」
「はい」
「余は、その治療薬を使用するべきだと考える」
その言葉に、会議室がざわめく。
「陛下! 使用した者が発情する可能性があるのですよ!?」
医師会長が思わず立ち上がる。
「そうですぞ!」
衛生大臣も続いた。
「病室で淫らな行為など始まれば、医療現場は大混乱です!」
「感染拡大どころの話ではありません!」
「患者同士の接触も防がねばなりませんし、家族への説明も必要になります!」
次々と反対意見が飛び交う。
しかし、ラグナード陛下は静かに右手を上げた。
その瞬間、会議室は再び静まり返る。
「皆の懸念は理解している」
陛下はゆっくりとエレノアへ視線を向ける。
「エレノア殿」
「はい」
「鑑定結果には『微量』とあるな?」
「はい」
「現時点で、その副作用が実際に発現するという根拠はあるか?」
私は静かに首を横へ振った。
「いいえ。まだ臨床データがありません」
「鑑定結果のみです」
ラグナード陛下は静かに頷く。
「つまり、現状では『発現する可能性がある』という段階でしかない」
「それに、本来『薬』というものはリスクが常にあるものだ」
一拍。
「それはエレノア殿が改良前に作った薬で十分証明されたではないか」
その言葉に、会議室は静寂に包まれる。
「リスクなき薬は、もちろん一番の理想だ」
陛下は静かに続ける。
「だが、それは事態に余裕がある場合の話だ」
一拍。
「故に聞くが、今の状況に余裕があると言えるか?」
誰一人として答えられなかった。
毎日増え続ける感染者。
減り続ける医薬品。
疲弊しきった医療従事者。
そして、今日この瞬間も病と闘っている患者たち。
その現実を、この場にいる全員が知っている。
「答えられぬか」
ラグナード陛下は静かに会議室を見渡した。
「ならば余が答えよう」
「余裕など、一切ない」
その一言は重く、誰の胸にも突き刺さった。
「余が守るべきは、一人でも多くの民の命だ」
「副作用の可能性だけを恐れ、治療薬を棚へしまっておくことは、余にはできん」
「もちろん、副作用については十分な説明を行い、医師の監督下で投与する」
「その上で経過を記録し、エレノア殿には引き続き改良を進めてもらう」
陛下は静かに立ち上がる。
「余の名――ラグナード・フォン・ユグアッシュの名において命ずる」
「この薬を大至急医療現場へ投入し、全ての投与記録と経過を詳細に残せ!」
「少しでも異変があれば直ちに医師会とエレノア殿へ報告すること!」
「「「はっ!!」」」
医師会長、衛生大臣、錬金術師ギルド責任者は一斉に立ち上がり、深く頭を下げた。
「医師会は責任を持って患者の経過を観察いたします!」
「衛生省は各治療所へ直ちに通達を!」
「錬金術師ギルドは生産体制へ移行します!」
会議室は一瞬にして慌ただしく動き始める。
誰もが、この薬に王国の未来を託した。
その様子を見つめながら、私は胸を撫で下ろした。
「……お願いします」
まだ副作用という課題は残っている。
それでも、この一歩が、多くの命を救うことを信じて。




