213話 新たな突破口、予想外の副作用
ーーユグアッシュ王宮・中庭
「ん……」
私は重たい瞼をゆっくりと開けた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「……あれ?」
私は小さく首を傾げる。
確か、机に向かって素材を調べ、薬の組み合わせを考えていたはずだ。
そこまでは覚えている。
けれど、その後の記憶がない。
「おかしいですね……」
寝巻きに着替えた覚えもなければ、ベッドへ入った記憶もない。
どう記憶を辿っても、その部分だけがすっぽりと抜け落ちていた。
「ようやくお目覚め? 可愛い寝顔だったわよ」
聞き慣れた声に振り返る。
そこには、ティーカップを片手に優雅に微笑むミストルティン様の姿があった。
「ミストルティン様?」
「お寝坊さん」
「もしかして……」
私は自分の寝巻きを見下ろす。
「昨夜、私を寝室まで運んでくださったのは……」
「私よ」
あっさりと頷くミストルティン様。
「やっぱり……」
「研究に夢中になって、そのまま机に突っ伏して寝ちゃったのよ」
「止めようと思ったのだけれど、集中力が凄かったから」
「強制的に寝てもらったわ」
「すみません……」
思わず肩をすくめる。
「謝る相手が違うでしょう?」
ミストルティン様は少しだけ頬を膨らませる。
「あなた、自分が何日まともに休んでいなかったと思っているの?」
「それは……」
言葉に詰まる。
「患者さんを助けたい気持ちは分かるわ」
ティーカップを静かにソーサーへ戻し、私の前まで歩いてくる。
「でもね、救う側が倒れたら意味がないの」
「……はい」
その言葉には、不思議と反論する気になれなかった。
「分かればよろしい」
ミストルティン様は満足そうに微笑み、ぽんっと私の頭を軽く撫でた。
「それで?」
「まだ答えは見つかっていないんでしょう?」
私は少しだけ目を伏せる。
「……はい」
「色々と試してはいるんですけど、決め手になる組み合わせが思いつかなくて……」
「だから、自分を追い詰めていたのね」
優しく、それでいて全てを見透かしたような声だった。
私は小さく頷くことしかできなかった。
「焦る気持ちは分かるわ」
ミストルティン様は窓の外へ視線を向け、小さく息をつく。
「けれど、焦れば焦るほど単純な答えほど見えなくなるものよ」
「それどころか、最悪の結果を招くことだってある」
そう言うと、ミストルティン様は静かに立ち上がり、寝室の扉へと歩き出す。
「何事においても、適度に休息を取って自分に甘えること」
「それが成功への近道よ」
扉の前で立ち止まり、こちらを振り返る。
「エレノアの場合は、自分に厳しすぎるわ」
その言葉に、思わず苦笑してしまう。
「そう……なんでしょうか」
「ええ」
ミストルティン様は迷いなく頷いた。
「自分に厳しくあることは悪いことではないわ」
「でも、自分を追い詰めることとは違う」
「あなたは、その境界を越えてしまうの」
私は何も言えなかった。
図星だったからだ。
「誰かを救いたいと思う優しさは、あなたの長所よ」
「だからこそ、その優しさを自分にも向けてあげなさい」
「自分を大切にできる人ほど、多くの人を救えるものよ」
そう言い残すと、ミストルティン様は静かに寝室を後にした。
閉まる扉を見つめながら、私はそっと胸に手を当てる。
「……自分にも、優しく」
その言葉を小さく繰り返した。
「とりあえず……続きをやらないと」
私はベッドから降り、手早く身支度を整える。
顔を洗い、髪を整え、いつものローブへ袖を通す。
鏡に映る自分は、昨日よりも少しだけ表情が柔らかくなっていた。
「よし」
小さく頷き、私は寝室を出る。
馬車の中へ入ると、見慣れた調合台や薬品棚が目に入った。
昨日、夜遅くまで試作を繰り返していた試験管やフラスコは、片付けられたまま整然と並んでいる。
「ミストルティン様が片付けてくださったんですね……」
思わず苦笑が漏れる。
私は調合台の前へ立つと、大きく深呼吸をした。
「焦らない」
「一つずつ、確認していこう」
昨日までとは違う。
答えを急ぐのではなく、見落としているものがないか、一つひとつ確かめる。
私は新しい試験紙を取り出し、研究ノートを静かに開いた。
昨夜書き留めた内容へ一通り目を通し、改めて素材ごとの性質や反応を整理していく。
昨日の追い詰められていた自分とは違う。
頭は驚くほど冴えており、一つひとつの情報を冷静に組み立てることができた。
「まずは共通点……」
成功した試作。
失敗した試作。
症状が改善した患者。
改善が見られなかった患者。
研究ノートへ並ぶ情報を一つずつ照らし合わせ、違いを書き出していく。
「違いがあるなら、必ず理由がある」
私は焦ることなくペンを走らせた。
結果だけを見るのではなく、その過程まで丁寧に追っていく。
そうして何枚目かの資料へ目を通した、その時だった。
「……あれ?」
私は思わず手を止めた。
昨日は何度も見返したはずの記録。
それなのに、休息を取った今だからこそ気付く、小さな違和感がそこには残されていた。
「これ……使えそう……」
私の目に留まったのは、どこにでも生息している『スライム』由来の素材だった。
主に娼館では性交時の潤滑剤として利用され、用途によっては媚薬の基材にも用いられる、ごくありふれた素材。
けれど、私が目を付けたのは用途ではない。
スライムそのものに媚薬としての作用はない。
つまり、薬効を持つ別の素材と組み合わせても、その効果を阻害しないということだ。
さらに、高い保湿性と優れた粘性を持ち、生体への刺激も少ない。
皮膚の炎症を抑える塗り薬や、火傷用の軟膏などにも広く利用されている。
その汎用性の高さから、薬学の世界では『万能素材』とまで呼ばれていた。
「……そういうことだったんですね」
私は資料をめくりながら、小さく呟く。
これまで私は、有効成分ばかりに目を向けていた。
けれど、本当に重要だったのは、それをどう安定させ、どう患者の体へ届けるか。
スライム素材は、薬効を持たないからこそ、あらゆる薬を支える『土台』になれる可能性があった。
ただし、一つ懸念点があった。
娼館で使われる潤滑剤にしろ、皮膚の治療薬にしろ、どれも体内へ取り込む前提ではないということだ。
「経口投与では、どうなるんでしょう……」
資料をめくる。
しかし、求めている情報はどこにも載っていなかった。
「記録がない……」
正確には、『調べられた形跡がない』。
薬学書には外用薬としての用途ばかりが並び、飲用や注射による使用例は一つも見当たらない。
「副作用があるから使われていないのか、それとも誰も試していないだけなのか……」
そこは切り分けなければならない。
私は研究ノートへ大きく二本の線を引き、それぞれを書き記した。
『安全性に問題あり』
『前例なし』
この二つは、似ているようでまったく意味が違う。
「まずはここを確認しましょう」
私は鑑定結果と過去の文献を照らし合わせながら、スライム素材の成分を一つひとつ洗い直し始めた。
「スライム素材の鑑定結果としては……」
そう呟きながらノートをパラパラと捲る。
「……あった」
そこに書き留められていたのは、高い保湿性と潤滑性、そして他の素材との親和性が極めて高いという結果だった。
「求めている情報がない……」
経口摂取時の影響。
血液中へ取り込まれた際の変化。
毒性の有無。
私が知りたい項目だけが、綺麗に抜け落ちている。
「……いえ、違いますね」
私は小さく首を振った。
「"ない"のではなく、"誰も調べていない"」
そう考えた方が自然だった。
スライム素材は安価で、どこでも採取できる。
それゆえに外用薬としての利用だけで十分だったのだろう。
わざわざ経口薬や注射薬への応用を研究する必要がなかった。
「つまり、未知の領域ということですか」
私はノートへ新たな一文を書き加えた。
『経口・体内投与時の安全性 未確認』
「なら、やることは決まりですね」
未知ならば、確かめるしかない。
私は研究ノートを開き、昨夜まで繰り返していた試作手順へ目を落とした。
「今回は手順は変えません」
変更点は一つだけ。
有精卵を、スライム由来素材へ置き換える。
それ以外の分量も、温度も、攪拌時間もすべて前回と同じ。
条件を変えてしまえば、正確な比較はできない。
私は薬草を正確に計量し、すり鉢で細かく砕いていく。
精製水を加え、一定量の魔力を流し込む。
淡い光が液体の中をゆっくりと巡り始めた。
ここまでは前回と同じ。
私はノートへ経過を書き込み、最後の素材へ手を伸ばす。
透明な容器の中で、淡い水色のスライム素材がぷるりと揺れた。
規定量を量り取り、静かにビーカーへ加える。
ガラス棒でゆっくりと攪拌すると、液体は抵抗なく混ざり合い、滑らかな乳白色へと変化していく。
「……順調ですね」
凝固はしない。
分離も起きない。
魔力の流れも安定している。
私はその変化を一つも見逃さないよう、研究ノートへ丁寧に書き留めていく。
ここまでは、予想通り。
問題は、この先だった。
「見た目はちょっと違う……」
有精卵入りのポーションは『透明感のある翡翠色』だった。
だが今回は、スライム由来の素材を使っているからなのか、全体的に濃い青色だった。
まるで、絵の具で描いた澄んだ水のような色合い。
透明ではあるものの、どこか深みを感じさせる青が液体全体に広がっている。
私はビーカーをゆっくりと持ち上げ、光にかざした。
液体は光を受けて静かに揺らめき、そのたびに淡い青い輝きが内部を流れていく。
「粘度も問題なし……」
ガラス棒をゆっくりと持ち上げる。
液体は細い糸を引くこともなく、するりとビーカーへ戻っていった。
有精卵を使った試作品との違いは、今のところ色だけ。
「やっぱり失敗かな……」
そう呟きながらも、私は完成したポーションへ鑑定魔法を発動した。
【鑑定結果】
名前:アルファインフルエンザ用薬(仮称)
分類:ポーション
品質:最高品質
備考:
アルファインフルエンザに対する治療薬と評価できる完成度。
即効性は有精卵を用いた試作品に劣るものの、継続的に服用することで症状は回復へ向かう。
他素材との親和性に優れ、品質も極めて安定している。
なお、製造過程で微量の媚薬成分が生成されているため、過剰摂取には注意を要する。
「…………え?」
私は思わず鑑定結果を二度見した。
「成功……した?」
もう一度、鑑定する。
結果は変わらない。
最高品質。
アルファインフルエンザの治療薬。
有精卵を使わなくても完成している。
「本当に……?」
胸の高鳴りを抑えながら、私は研究ノートを開き、調合手順を一つひとつ見直していく。
分量。
温度。
攪拌時間。
魔力量。
どこにも間違いはない。
「つまり……成功」
思わず椅子へ深く腰を下ろす。
有精卵を使わずに済む。
これなら大量生産も現実味を帯びてくる。
患者さんをもっと助けられる。
そう思った瞬間――
私の視線は、鑑定結果の最後の一文で止まった。
『微量ではあるが、媚薬成分が入っているので乱用には注意』
「…………」
私は静かに目を閉じた。
「……なんでですか」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
「どうして治療薬を作ったら媚薬成分が混ざるんですか……」
研究ノートを見ても理由は分からない。
調合手順を見直しても原因は分からない。
「…………」
私はもう一度、鑑定結果の最後の一文を見る。
『微量ではあるが、媚薬成分が入っているので乱用には注意』
「……なんでですか」
治療薬が完成した。
それは素直に嬉しい。
けれど。
「どうして最後だけ余計なんですか……」
私は机へ額を軽く預け、小さくため息をついた。
「原因の解明も、追加ですね……」




