210話 歴史の薬、未来の薬
今日は七夕花火大会!!
楽しんできますー♪
ーーユグアッシュ王宮・第一会議室
「全員揃いました」
近衛騎士の報告と共に、重厚な扉がゆっくりと閉じられる。
部屋に集まっているのは、ユグアッシュ王国の中枢を担う者たちだった。
ラグナード陛下。
宰相。
宮廷医師団長。
騎士団長。
そして、各分野を代表する重臣たち。
誰もが険しい表情で円卓を囲んでいる。
「セレスティア伯爵は薬を作れたのでしょうか……」
宮廷医師団長が不安そうに呟く。
「正直、期待するしかあるまい」
騎士団長が腕を組み、低い声で答えた。
「日に日に患者は増え続けています。このままでは王都だけでなく地方都市にも被害が拡大するでしょう」
宰相の言葉に、会議室は重苦しい沈黙に包まれる。
報告書の山は積み上がる一方だった。
発熱。
激しい咳。
呼吸困難。
そして、死者。
これまで経験したことのない流行病を前に、宮廷医師団ですら決定的な対策を見つけられずにいた。
だからこそ、この場にいる全員が一人の少女へ希望を託していた。
その時だった。
コンコン。
静かなノックが会議室に響く。
「失礼いたします」
近衛騎士が扉を開ける。
その先には、私たちの姿があった。
「セレスティア伯爵エレノア様、ご到着いたしました」
私は一歩前へ進み、ラグナード陛下へ深く一礼する。
「お待たせいたしました」
アランさんとリュシアさんも続いて礼をした。
ラグナード陛下は静かに頷き、私へ席を勧める。
「まずは座りなさい」
「はい」
私たちは用意されていた席へ腰を下ろした。
会議室には、張り詰めた空気が流れている。
誰もが私の次の言葉を待っていた。
陛下はゆっくりと口を開く。
「率直に聞こう」
陛下の金色の瞳が真っ直ぐ私を見据える。
「流行病を止める術は見つかったか?」
会議室の空気が、一瞬にして凍り付く。
私は静かに立ち上がり、持参した資料を机の上へ広げた。
「結論から申し上げます」
一呼吸置いて、私は全員を見渡した。
「現時点では、大元の原因を特定するには至りませんでした」
一拍。
「ですが、治療薬の試作には成功しております」
その一言で、会議室の空気が止まった。
「…………は?」
誰かが思わず声を漏らす。
「ち、治療薬……ですと?」
宮廷医師団長が椅子から立ち上がり、目を見開いた。
「まさか、本当に完成させたというのですか?」
「はい」
私は静かに頷く。
「まだ万人に使用できるものではありませんが、一定の条件下であれば十分に治療薬として機能することを確認しております」
会議室中がざわめいた。
「そんな馬鹿な……」
「宮廷医師団が何日も研究して何一つ手掛かりを得られなかったというのに……」
「セレスティア伯爵は、いつから研究を始めたのだ?」
重臣の一人が恐る恐る尋ねる。
私は少し考え、
「昨日の夜からです」
と答えた。
一瞬の静寂。
次の瞬間――。
「「「たった一晩で!?」」」
会議室中から驚愕の声が上がる。
宮廷医師団長は信じられないものを見るような目で私を見つめていた。
「一晩で薬効を調べ上げ、作ったとでも言うのですか……」
宮廷医師団長が信じられないという表情で私を見つめる。
「試作品ですので、まだ課題は残っています」
私は静かに首を横へ振る。
「ですが、命を救うという目的は十分に果たせる性能を確認しております」
一拍。
「万人には使えませんが……」
その一言で、ざわついていた会議室が再び静まり返る。
「どういうことだ?」
ラグナード陛下が静かに問いかける。
「この治療薬には、有精卵から抽出した生命液を使用しています」
私は資料を一枚めくりながら続ける。
「この成分は薬効を大きく高める一方、人によっては命に関わる症状を引き起こす可能性があります」
「命に関わる……?」
宮廷医師団長が息を呑む。
「特定の食べ物を口にすると、身体が異常な反応を起こしてしまう奇病ーー私は『アレルギー』と呼んでいるものです」
「身体を守るはずの働きが、誤って無害な食べ物まで敵だと判断してしまう奇病です」
私は会議室を見渡しながら続ける。
「その奇病を持つ方が、この治療薬に含まれる卵由来の成分を摂取すると、アナフィラキシーショックを引き起こす危険があります」
一拍。
「呼吸ができなくなり、最悪の場合は命を落とします」
その言葉が静かに会議室へ落ちた。
先ほどまで歓喜に包まれていた空気が、一変する。
誰もが言葉を失っていた。
「……つまり」
最初に口を開いたのは宰相だった。
「この薬を国民全員へ配ることはできない、と」
「はい」
私は静かに頷く。
「現時点では、事前にアレルギーの有無を確実に判別する方法がありません」
「では、使えぬではないか!」
重臣の一人が思わず立ち上がる。
「薬で命を救うどころか、命を奪う可能性があるのだぞ!」
「落ち着きなさい」
ラグナード陛下の一言で会議室が静まり返る。
私はゆっくりと重臣へ視線を向けた。
「確かに危険性はあります」
「ですが、それはごく一部の方だけです」
私は資料を一枚めくる。
「卵を食べても何ともならない方であれば、この治療薬は十分な効果を発揮します」
「つまり、大半の患者様は救うことができます」
宮廷医師団長が資料へ目を落とし、小さく頷いた。
「……理論上は、その通りですな」
「であれば、なぜ完成としなかった」
ラグナード陛下が静かに尋ねる。
「九割、いや九十九人を救えるのであれば、それだけでも歴史に残る偉業だ」
一拍。
「この国では六割に効果があれば施策の段階を超えたと言われる」
さらに一拍。
「其方ならば、この薬を完成品として世へ出すこともできたはずだ」
会議室中の視線が私へ集まる。
私は少しだけ目を伏せ、ゆっくりと答えた。
「……できません」
その一言だけで、場の空気が張り詰める。
私は静かに顔を上げた。
「錬金術は、人を幸せにするための技術です」
「誰かを見捨てるための技術ではありません」
一人ひとりの顔を見渡しながら続ける。
「確かに、この薬は多くの命を救えるでしょう」
「ですが、その一方で『運が悪かった』という理由だけで命を落とす方がいるかもしれません」
私は静かに首を横へ振った。
「私は、そのような薬を完成と認めることはできません」
「一人でも安心して使えない人がいる以上、それは完成ではなく、妥協です」
会議室は静まり返っていた。
「人を救うための医療が、人を見捨てることを前提にして良いのでしょうか」
「人を幸せにするための錬金術が、誰かの犠牲の上に成り立って良いのでしょうか」
誰も答えない。
私は胸に手を当てる。
「私には、その答えは『いいえ』です」
「百人中九十九人が助かる薬ではなく、百人全員が安心して使える薬を作りたい」
「確かに、九十九人を救えれば立派な成果でしょう」
「ですが、残る一人にとっては違います」
「その人にとって、その薬は希望ではなく絶望です」
「だから私は、その一人を『仕方がない』では終わらせたくありません」
「それが私の目指す錬金術です」
「たとえ完成まで時間が掛かっても、一人を切り捨てることを当然にはしたくありません」
「だから私は、この試作品で研究を終えるつもりはありません」
「誰もが平等に使える治療薬を、必ず完成させます」
静寂。
誰一人として言葉を発する者はいなかった。
やがてラグナード陛下が静かに立ち上がる。
その瞳には、先ほどまでとは違う色が宿っていた。
「……見事だ」
陛下は静かに目を閉じた。
まるで、自らの価値観を見つめ直すように。
深く、心からの賞賛だった。
「余は王だ」
「だからこそ、多くを救えるのであれば、それで十分だと考えてしまう」
「国を預かる者として、それは間違いではないのだろう」
陛下は小さく笑う。
「だが、其方は違った」
「最後の一人まで救うことを諦めなかった」
「その志に、余は心を打たれた」
陛下は私へ向かって深く頷く。
「余は今日、治療薬だけではなく」
一拍。
「真の錬金術を見た」
「セレスティア伯爵」
「其方の理想は、この国の理想でもある」
陛下は会議室全体を見渡した。
「試作治療薬については、本人または家族へ危険性を十分説明した上で、自己申告制による運用を認める」
「卵で体調を崩した経験がある者、あるいは不安を訴える者には投与しないこと」
宮廷医師団長が力強く頷く。
「責任を持って運用いたします」
「そして」
陛下は再び私へ視線を向ける。
「万人が平等に使える治療薬の開発を、国家事業として全面的に支援する」
「必要な人材、設備、資材、予算。その全てを王国が用意しよう」
「セレスティア伯爵」
「遠慮なく、この国を頼るがよい」
私は深く一礼した。
「ありがとうございます」
「ですが、これはまだ始まりです」
「必ず完成させます」
「誰一人取り残さない、本当の治療薬を」
それこそが、私の目指す錬金術なのだ。
誰も言葉を発しなかった。
ただ、その場にいた全員が理解していた。
この日、ユグアッシュ王国の錬金術は、新たな時代への一歩を踏み出したのだと。




