209話 錬金術師の夜、希望の一滴②
「想像はしていましたけど、やっぱり対処療法が中心になりそうですね……」
先程までの賑やかな雰囲気から一転。
馬車内には重苦しい空気が漂っていた。
誰もが分かっている。
相手は目に見えない病。
しかも、この世界には前世のような抗ウイルス薬という概念すら存在しない。
つまり――。
「症状を和らげながら、患者自身の回復力に賭けるしかない……ということですか」
リュシアさんが静かに口を開く。
「現時点ではそうなります」
私は小さく頷いた。
「もちろん、症状を抑えるだけでも助かる命は増えます。高熱を抑え、脱水を防ぎ、肺への負担を軽くする。それだけでも死亡率は大きく変わるはずです」
それでも――。
私は机の上に広げた資料へ視線を落とす。
「それだけじゃ足りないんです」
「……」
誰も言葉を返さない。
答えは皆、分かっていた。
この流行病を本当の意味で終息させるには、原因そのものへ働きかける方法を見つけ出さなければならない。
そのためには――。
「まずは、この世界の薬草を一つずつ洗い直しましょう」
私は静かに一冊の薬草図鑑を開いた。
「私も使えそうな薬草を探すわ」
ミストルティン様の声に、アランさんやリュシアさんも次々と薬草図鑑を手に取る。
「とりあえず使えそうな薬草があったら片っ端からメモしてください!」
「「「わかりました!!!」」」
返事と同時に、部屋中へ本をめくる音が響き始める。
机の上には薬草図鑑、古い文献、薬学書が次々と積み重ねられていく。
「これは解熱作用があります」
「こちらは咳を和らげるそうです」
「こっちは体力の回復を助けるみたいですねー」
皆が見つけた情報を次々に紙へ書き出していく。
私はその内容を見ながら、一つ一つ鑑定を繰り返した。
(解熱……有効)
(鎮咳……効果は限定的)
(滋養強壮……回復後の体力維持には役立ちそう)
思っていた通り、症状を和らげる薬草はいくつも存在する。
けれど――。
(原因そのものへ作用するものが見当たらない……)
私は無意識に眉を寄せた。
ーー数十分後
机の上には大量のメモでいっぱいになっていた。
だがーー
「どれもあまりピンときませんね......」
風邪や関節痛等それぞれに有効で且つ短期間で作用する薬草は一通りある。
「薬効という概念から見ると相性があまりよくないんですね......」
「薬効……ってなんですか?」
リュシアさんが首を傾げる。
「簡単に言えば、その薬草が『何を得意としているか』です」
私は一枚の紙を取り出し、さらさらと書き始める。
「例えば、この薬草は熱を下げるのが得意。この薬草は咳を鎮めるのが得意。そして、この薬草は傷を治すのが得意というように、それぞれ役割があります」
「あぁ、薬草ごとの特性ということですね」
「その認識で大丈夫です」
私は頷く。
「今回問題なのは、この流行病が熱だけでも、咳だけでもないことです」
紙に次々と書き込んでいく。
「高熱、咳、喉の炎症、全身の倦怠感……。患者さんによっては肺まで侵されます」
全員の表情が真剣になる。
「つまり、一つの薬草だけでは対応しきれません」
「だから組み合わせる必要があるのね」
ミストルティン様が腕を組みながら呟く。
「はい。ただ、組み合わせれば何でもいいわけでもありません」
私は机の上に並ぶ薬草へ視線を向けた。
「相性が悪い薬草を掛け合わせるとその薬草本来の効果が半減したり失われてしまいます」
そう言って机の上にある『シロップ草』を手に取る。
「例えばこれなんかそうですね」
「これってシロップ草ですよね......?」
「そうですね」
リュシアさんの言葉に私は頷く。
「これはポーションや丸薬に混ぜて使うと、薬の苦みが苦手な子供でも苦痛なく飲めるのでよく使われています」
一拍。
「ただし、この薬草は味をまろやかにする代わりに、他の薬草の成分を穏やかにしてしまう性質があります」
「その結果、薬効が半減してしまい、本来の半分くらいしか効能を発揮できません」
「なるほど……」
「勿論、気にしないで使う人もいますけどね」
私は苦笑を浮かべる。
「風邪のように症状が軽く、多少薬効が落ちても問題ない場合や、小さな子供にどうしても飲んでもらいたい時には便利な薬草ですから」
「ですが、今回は話が違います」
私はシロップ草を机へ戻した。
「相手は命に関わる流行病です。一つ一つの薬効を最大限引き出さなければなりません」
「だから、安易な組み合わせはできないのね」
「はい。薬草は数を増やせば強くなるわけではありません。組み合わせ次第では、お互いの長所を打ち消してしまうこともあります」
部屋の空気が再び引き締まる。
私たちは改めて机いっぱいに並ぶ薬草へ視線を向けた。
「そうなると......詰んでいません?」
「完全に詰んでいるわけではありません」
一拍。
「一種類だけならもう理論上完成しています」
「なら、それを作ればいいんじゃないんですか?」
アランさんの言葉に、私は静かに首を横へ振る。
「それができるなら苦労はしません」
「えっ?」
「全員平等に使えるわけではないので」
「どういうことですか?」
リュシアさんが不思議そうに首を傾げる。
「材料に卵の有精卵を使うんです」
「手に入りやすいじゃないですか!」
「問題はそれじゃありません」
私は静かに首を横へ振る。
「人によっては卵を口にするだけで体調を崩す方がいるんです」
「そんなことがあるんですか?」
アランさんが驚いたように目を見開く。
「はい。この世界では珍しい奇病として扱われていますね」
私は小さく頷く。
「前世では『アレルギー』と呼ばれていました」
「あれるぎー?」
聞き慣れない言葉に、全員が首を傾げる。
「簡単に言えば、身体が特定の食べ物を異物だと勘違いして、過剰に反応してしまう体質です」
「なるほど……」
「軽い人なら発疹程度で済みます。でも、重い人になると呼吸ができなくなり、そのまま命を落とすこともあります」
部屋の空気が一気に張り詰める。
「だから、有精卵を使うこの方法を治療法として広めることはできません」
私は資料へ視線を落とした。
「流行病は身分も年齢も関係なく襲います。だからこそ、誰でも安心して使える薬でなければ意味がないんです」
「……そうなんですね」
アランさんは少し考え込むように腕を組む。
「でしたら、その治療法も別に作っておきましょう」
「え?」
「流行病を止めるには誰でも使える薬が必要なのは分かります。でも、それが完成するまで何もしないわけにはいきません」
私はアランさんへ視線を向ける。
「使える人だけでも助けられるなら、それだけで救える命はあります」
「……」
「最終的には万人が使える薬を目指す。その考えには賛成です」
一拍置いて、アランさんは真っ直ぐ私を見る。
「ですが、それとは別に、今すぐ使える治療法も用意しておくべきではありませんか?」
部屋が静まり返る。
その言葉は、誰もが心のどこかで考えていたことだった。
「……そうですね」
私はゆっくりと頷いた。
「二本立てで進めましょう」
私は机の上の紙を二枚取り出し、それぞれに大きく書き込む。
『緊急治療用』
そして、その隣に。
『万人向け治療薬』
「まずは命を救う。そして、その後に誰もが使える治療薬を完成させる」
私は二枚の紙を見つめながら、小さく微笑んだ。
「両方とも、必ず完成させます」
そう言って調合の準備をする。
「では、まずは緊急用ポーションを作ります」
私は机の上に材料を並べる。
「使う素材は全部、王国内で手に入る一般的なものです」
そう言って一つずつ並べていく。
「解熱草」
高熱を和らげる薬草。
「白蜜花」
喉の炎症を鎮め、咳を和らげる花。
「肺葉草」
呼吸を楽にし、肺への負担を軽減する薬草。
「滋養草」
体力の消耗を抑え、回復を助ける薬草。
「清水草」
薬効を安定させ、抽出した成分を均一に保つための薬草。
そして最後に一つ。
「有精卵から抽出した生命液です」
「これが例の……」
アランさんが小瓶を見つめる。
「はい。この生命液が薬草同士の薬効を繋ぐ触媒になります」
私は薬草を種類ごとに細かく刻み、それぞれ純水を入れたビーカーへ分けて投入した。
「薬草は一緒に煮ればいいというものではありません」
私は解熱草の入ったビーカーを弱火にかけ、ゆっくりと攪拌する。
「熱で有効成分が抽出されるものもあれば、逆に熱を加えることで薬効が失われるものもあります」
次に白蜜花のビーカーを手に取り、こちらは加熱せず、一定の速度で丁寧に攪拌を続ける。
「そのため、薬草ごとに最適な抽出方法を選ばなければなりません」
部屋の全員が固唾を呑んで作業を見守る。
やがて、それぞれの薬草から十分に有効成分が抽出されたことを確認すると、私は一つの大きなビーカーへ順番に注いでいく。
最後に有精卵から抽出した生命液を数滴加え、魔力を流し込みながら静かに攪拌した。
すると、それまで淡く濁っていた液体がゆっくりと澄み渡り、透明感のある翡翠色へと変化していく。
私はしばらく様子を見守り、ゆっくりと頷いた。
「これで完成です」
完成したポーションは柔らかな光を帯び、まるで生命そのものが宿っているかのように静かに輝いていた。
「一度鑑定しますね」
そう言い鑑定スキルを発動する。
【鑑定結果】
名前:アルファインフルエンザ用薬(仮称)
分類:ポーション
品質:最高品質
備考:アルファインフルエンザの治療薬と言っても過言ではない出来栄え
毎日服用すれば重症化リスクはなくなり完治する。
但し、一部の人には命の危険がある材料が含まれている。
「......どうでした?」
リュシアさんが恐る恐る聞く。
「効果は私の想定以上でした」
一拍。
「治療薬としても使えるレベルです」
そう言うと、馬車内の雰囲気は一気に明るくなった。
「やりましたね!」
「これでユグアッシュ王国を救えます!」
誰もが安堵の表情を浮かべる。
ただ、その空気を壊すようで心苦しかったが、私は首を横に振った。
「ただーー」
全員の視線が再び私へ集まる。
「やはり、卵の成分のせいで全員に使うことはできません」
一拍。
「この薬は緊急時の治療薬としては十分すぎる性能です」
「ですが、王国中へ配布する薬としては失格です」
私は完成したポーションへ視線を向ける。
「卵を使用しない治療薬も、早急に研究・開発しなければなりません」
重苦しい空気が馬車内を包む。
誰も言葉を発することができなかった。
そんな中、一人だけ静かに口を開いた。
「ですがーー」
アランさんだった。
「全く誰も治療法が分からなかった病を特定し、治療薬まで作り上げた」
一拍。
「その事実は、決して変わりません」
「そうですよ!」
リュシアさんも力強く頷く。
「全員が平等に使えないとしても、大勢の人がこの薬で助かるんです!」
一拍。
「もっと誇りに思ってください!」
「それに」
今度は優しく微笑みながら続ける。
「エレノア様なら、きっと卵を使わない治療薬だって完成させてしまいます」
「私たちは、それを信じています」
その言葉に、張り詰めていた胸の奥が少しだけ軽くなる。
「……ありがとうございます」
私は完成したポーションをそっと見つめた。
まだ完成ではない。
でも、確かに希望は形になった。
この薬で救える命がある。
そして、その先には誰もが安心して使える治療薬がある。
私は静かに完成したポーションを大切に箱へ収める。
「まずは救える命を、一人でも多く」
その言葉に、馬車の中には再び力強い笑顔が広がった。




