208話 錬金術師の夜、希望の一滴①
ーーユグアッシュ王宮・中庭
会議の後私は、真っ先に馬車へと戻り薬に関する調査を始めた。
というのも――
「本来、薬学はできても医学はそこまでなんだよね……」
棚から薬草や医学に関する本を一通り取り出しながら小さく呟く。
「……その割には、エレノア様が知っている病気は結構多いですよね……?」
リュシアさんが首を傾げる。
「確かに」
アランさんも腕を組んだ。
「精神異常と一括りにされていたものを、それぞれ病名が違うと仰っていましたしね」
「共鳴熱もすぐ分かりましたよねー?」
私は苦笑しながら肩をすくめる。
「前世の知識と鑑定スキルがあるから分かるだけですよ……?」
「病名や特徴は分かっても、治療法まで頭に入っているわけではありません」
一冊の医学書を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。
「だから、こうして文献を調べながら薬を考える必要があるんです」
「なるほど……」
リュシアさんは納得したように頷いた。
「エレノア様でも、一から調べることはあるんですね」
「もちろんです」
私は笑みを浮かべる。
「分からないことを調べるのも、研究者の大事な仕事ですから」
「エレノア様らしいですね」
アランさんは感心したように頷く。
「ただ問題の本質はもっと別にあります」
「……どういうことですか?」
リュシアさんが不思議そうに首を傾げる。
私は一冊の医学書を閉じ、静かに息を吐いた。
「問題は大きく分けて二つあります」
そう言って私は指を一本立てる。
「一つ目は、流通や経済が停滞している今、高品質な薬草や素材を十分に確保できるかどうかです」
「薬は素材の品質で効果が大きく変わります。どれほど優れた調合法でも、材料が悪ければ期待した薬効は得られません」
私は続けて二本目の指を立てた。
「そして二つ目」
「この世界に、インフルエンザに対抗できる薬効そのものを実現できる素材が存在するのかという問題です」
「存在するかどうかも分からない……」
アランさんが険しい表情で呟く。
「はい」
私は静かに頷く。
「もし存在しなければ、新しい薬効を持つ薬を一から組み上げるしかありません」
「つまり今回は、薬を調合するだけではなく、この世界の薬草や素材がどこまで通用するのかを調べるところから始めなければならないんです」
「なるほど……」
リュシアさんは小さく頷く。
「薬を作ることよりも、その前の研究の方が大変なんですね」
「そういうことです」
私は静かに頷いた。
「前世であれば、インフルエンザに対する治療薬はいくつも存在しました」
一拍。
「ですが、それをそのままこの世界へ持ち込むつもりはありません」
リュシアさんとアランさんは顔を見合わせる。
「私たちだけが助かるのなら、それでもいいのかもしれません」
「ですが、前世の薬や製法を大量に持ち込めば、この世界の技術はそこで止まってしまいます」
さらに一拍。
「自分たちで考え、研究し、発展していく機会を奪ってしまえば、この世界の文明そのものが衰退する可能性すらあります」
「だから私は、この世界にある薬草や素材、この世界の錬金術で実現できる方法を探したいんです」
私は調合台の上に並ぶ薬草へ視線を向けた。
「未来のためにも、この世界の技術は、この世界の人たち自身の手で積み上げていかなければなりませんから」
そう言うと馬車の中は一気に静かになる。
「エレノア様でも、実現できるか分からないなんて……相当難しいんじゃ……」
リュシアさんは不安そうな表情で私を見る。
「ええ」
私は素直に頷いた。
「エレノアにしては随分弱気ね」
聞き慣れた声に、私は思わず振り返る。
「ミストルティン様……」
「いつの間に戻っておられたんですか……」
「さっきからいたわよ」
ミストルティン様は呆れたように肩をすくめる。
「あなたが難しい難しいって唸っているのが面白くて、黙って見ていたの」
「面白がらないでください……」
私がため息をつくと、ミストルティン様はクスッと笑った。
「話を戻すけれど――」
そう言うと、ミストルティン様は真面目な表情になる。
「私が調査した南部と西部では、エングラムに大きな異常は見られなかったわ」
「じゃあ……」
「少なくとも、今回の流行病がエングラムを起因として発生した可能性は低くなったと言えるわね」
一拍。
「もちろん、まだ東部と北部を調査したわけではないから確証はないけれど」
「そうですか……」
リュシアさんは胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「少し安心しました」
「でも、完全に安心するにはまだ早いわ」
ミストルティン様は静かに続ける。
「もし東部や北部でエングラムに異変が起きていたなら、話は変わってくる可能性もあるもの」
「現時点では、可能性を一つずつ潰していくしかないわね」
私は静かに頷く。
「けれど、長年エングラムを見てきた私の経験から言えば、今回の流行病がエングラムを起因としている可能性は限りなくゼロに近いわ」
一拍。
「エングラム起因だったら、もっと被害は大きくなっているもの」
「そうなると私次第ですね」
「そうね」
ミストルティン様は静かに微笑む。
「だからこそ、あなたがここへ呼ばれたのでしょうね」
「……期待に応えられるよう頑張ります」
「頑張るのはいいけれど、一人で抱え込みすぎないこと」
ミストルティン様は優しくそう言った。
「最悪の場合は私がどうにかするから」
「なるべくその"どうにか"を使わせないように頑張ります」
「なんで!?」
ミストルティン様は思わず声を上げる。
「だって非常に嫌な予感がしたんですよ!!」
「失礼ね!!」
「だって、ミストルティン様の『どうにかする』って、ろくなことにならないじゃないですか」
「それは偏見よ!!」
「過去の実績です」
「うぐっ……」
珍しく言葉に詰まるミストルティン様を見て、リュシアさんとアランさんは顔を見合わせる。
「……否定できないんですね」
「否定できないようですね」
「ちょっと二人とも!?」
「その意見は物凄く妥当だと思うわよ?」
聞き慣れた声に振り返ると、パルシア様がエプロン姿で立っていた。
「パルシア様!?」
「私もそう思いますよー!」
パルシア様の後ろから、ぴょこっとメルが顔を出す。
「メルまで!?」
「ミストルティン様の『どうにかする』は、だいたい力技ですからねー」
メルはうんうんと何度も頷く。
「そうそう」
パルシア様も腕を組みながら頷いた。
「昔も『どうにかする』って言って山を一つ吹き飛ばしたものね」
「それは仕方なかったじゃない!!」
ミストルティン様は慌てて反論する。
「結果的には解決したでしょ!」
「解決はしましたけど、周囲は大惨事でしたよねー」
「うっ……」
「しかも後始末は全部私だったわ」
パルシア様は呆れたようにため息をつく。
「だから私はエレノアに賛成」
「なるべくミストルティンに"どうにか"させない方が平和よ」
「ひどい!!」
「それより、お夕食の支度が整ったから、そろそろ休憩を挟んだ方がいいわよ」
「じゃあ、そうさせていただきます」
私がそう言うと、皆ぞろぞろと食堂の方へ歩き始める。
「そういえば、お昼を食べていませんでしたよね!」
「到着後から忙しかったですからね」
アランさんが苦笑を浮かべる。
その背後では、ミストルティン様だけが呆然と立ち尽くしていた。
「私の扱い酷くない!?」
その悲痛な叫びだけが、誰にも拾われることなく馬車の中へ虚しく響いた。
ーー夕食後
私の研究が思うように進んでいないことを察したのか、皆には手分けして文献や資料を調べてもらっていた。
ただ一人を除いて――
「なんか最近エレノアが冷たい……」
馬車の隅で膝を抱えながら、ミストルティン様がぼそりと呟く。
「いつまで拗ねているのよ……」
パルシア様が苦笑を浮かべる。
「だって皆して私を酷い扱いするんだもの……」
「自業自得ですよー」
メルの一言が容赦なく突き刺さる。
「メルまでぇ……」
ミストルティン様は頬を思いっきり膨らませる。
「こうなったらエレノアを全力で抱きしめて寝ないとダメだわ!」
「え……嫌です」
「エレノア様ー!?」
ミストルティン様はがーんと肩を落とした。
「ミストルティン様にオーバーキルを決めてどうするんですか!?」
アランさんが慌ててツッコミを入れる。
「流石に今のはちょっと可哀想だったかしら……」
パルシア様が苦笑する。
「でも本心です」
「追撃したー!?」
ミストルティン様は両手を頭に当て、その場に崩れ落ちた。
「だってミストルティン様、寝相が悪すぎるんですもん!!」
「それ、わかるかも……」
メルが苦笑しながら頷く。
「メルまで!?」
「もう抱きしめるを通り越して、抱き枕なんですよね……」
私は遠い目をしながら呟く。
「あー……」
パルシア様まで納得したように頷いた。
「そういえば昔も寝返りだけで寝台を壊していたわね」
「それは昔の話よ!!」
「今もあまり変わっていないですよー」
「メルー!?」
リュシアさんはそんなやり取りを見ながら、思わず額に手を当てた。
「エレノア様……ミストルティン様にこれ以上追撃するのは流石に可哀想です……」
「……王都に戻ったら、一日デートだったらいいですよ」
「よし! 頑張る!!」
ミストルティン様は勢いよく立ち上がる。
「立ち直るのが早い!!!!」
アランさんの渾身のツッコミが馬車中に響き渡った。
「単純ですねー」
メルがぽつりと呟く。
「メル?」
「だってさっきまで世界の終わりみたいな顔していたのに、一日デートって聞いた瞬間に完全復活ですよ?」
「うっ……」
「否定できないわね」
パルシア様まで苦笑しながら頷く。
「違うのよ!」
ミストルティン様は慌てて首を振る。
「エレノアと一緒にいられる時間は、それだけ価値があるってことなの!」
その言葉に、馬車の中が一瞬静まり返る。
「……」
「……」
「……」
「な、なんでみんな黙るのよ!?」
「いえ……」
私は思わず苦笑する。
「そういうところなんですよ」
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
ミストルティン様の叫び声が部屋中に響き渡る。
「私をオチに使わないでよ!!!!!!」
「たまにはいいじゃないですか」
「たまにじゃないわよ!! 最近ずっと私じゃない!!」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃないわ!!」
部屋の中には再び笑い声が広がった。




