207話 迫る危機、救国会議
ーーユグアッシュ王宮・第一会議室
「ーー以上がこちらで把握している現状です」
謁見後すぐに会議が始まり、医師会長や衛生大臣から現在の感染状況について説明を受ける。
「これは……想定以上ですね」
私は報告書へ視線を落とした。
そこには、
『推定感染者数 約六百万人』
という文字が記されていた。
「前回伺った時より増えていませんか……?」
ラグナード陛下は静かに頷く。
「エレノア嬢が来る前、王命により全国民を対象とした実態調査を実施した」
一拍置き、続ける。
「もちろん、様々な事情で調査に応じられなかった者もいる。だが、それを差し引いてもこの数字だ」
「補足いたします」
そう言って医師会長が別の資料を私に手渡す。
「こちらが症状別にまとめた資料になります」
一枚目には年代別の感染状況。
二枚目には症状の発現割合が細かく記されていた。
「高熱や咳、咽頭痛といった呼吸器症状が多く見られる一方で、関節痛や筋肉痛などの運動器症状を訴える患者も少なくありません」
「さらに、強い倦怠感のみを訴える患者も一定数確認されております」
一拍。
「このように症状に一貫性がなく、患者ごとに現れ方が大きく異なることが、この感染症への対応を困難にしております」
「魔法調査によるウイルスの特定はできたか?」
「はい。三名の患者から採取した検体を解析した結果、同一のウイルスと思われる反応を確認しております」
一拍。
「ですが、王国医師会および衛生局が保有する文献を照合した限りでは、該当する記録は一切見つかりませんでした」
「そうか……」
ラグナード陛下は静かに息を吐く。
「原因となるウイルスを特定できても、未知のものであれば有効な対処法を見出すのは容易ではないか……」
「そのウイルスって私に見せていただくことは可能ですか?」
「エレノア様!?」
リュシアさんが勢いよく立ち上がる。
「いくらなんでも危険です!!」
「私も反対です」
アランさんも険しい表情で口を開く。
「そのような危険なものをエレノア様へ近づけるわけにはまいりません」
会議室に重い空気が流れる。
皆が私の返答を待っていた。
「ご安心ください」
私は小さく微笑みながら首を横に振る。
「直接触れるつもりはありません」
「魔法で観察するだけです」
「ですが……」
リュシアさんはなおも不安そうな表情を浮かべる。
「未知のウイルスなのですよ?」
「だからこそです」
私は静かに資料へ視線を落とした。
「文献にも記録がない以上、今ある知識だけでは原因の特定も治療法の確立も難しいでしょう」
一拍。
「幸い私は錬金術師でもあります」
「鑑定系の魔法であれば、通常とは違った角度から調べられるかもしれません」
会議室が静まり返る。
ラグナード陛下は腕を組み、しばらく考え込んでいた。
やがて、ゆっくりと医師会長へ視線を向ける。
「現在、検体は厳重に保管しているのだな」
「はい。王宮地下の隔離研究室にて、封印魔法を施した容器へ保管しております」
「安全に持ち出せるか」
「封印容器ごとであれば可能です」
医師会長は少し迷うような表情を見せた後、続ける。
「ただし、解析を行う際には万全の隔離体制を整える必要があります」
ラグナード陛下は静かに頷き、私へ視線を向けた。
「エレノア嬢」
「はい」
「危険だと判断した場合は、直ちに中止してもらう。それを約束できるか」
「もちろんです」
私は迷うことなく頷いた。
「命あってこその研究ですから」
その言葉に、会議室の空気がほんの少しだけ和らいだ。
「では、大至急持ってきてくれ」
「承知いたしました」
そう言って医師会長は一礼し、足早に会議室を後にした。
部屋の中は静まり返る。
誰もが未知のウイルスを前に、何をすべきか思案していた。
「本当に大丈夫ですかね……」
ぽつりと漏れた声に、私は視線を向ける。
ただ一人――
リュシアさんだけは、不安そうな表情を隠せずにいた。
「エレノア様は、危険だと分かっていても誰かを救える可能性があれば迷わず飛び込んでしまいますから……」
その言葉に、アランさんは静かに腕を組む。
「だからこそ、我々がいる」
短く、それだけを口にした。
「エレノア様の身は、何があろうと私たちが守ります」
その力強い言葉に、リュシアさんは小さく息を吐く。
「……そう、ですよね」
それでも、その表情から不安が消えることはなかった。
私は苦笑しながら二人を見つめる。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「危険だと判断したら、ちゃんと逃げます」
「……本当ですか?」
「本当です」
そう答えると、リュシアさんはようやく少しだけ表情を和らげた。
その10分後――
「こちらが患者から採取したサンプルです」
医師会長は両手で小さな透明容器を慎重に運び、そのまま机の中央へ置いた。
容器の周囲には幾重もの封印魔法が施され、さらに保護用の魔道具で固定されている。
「想像はしていましたけど……随分と厳重ですね」
「未知の病原体ですので、最大限の安全対策を講じております」
医師会長は静かに頷く。
「封印を解く予定はありません。このままの状態で鑑定をお願いいたします」
「分かりました」
私は容器の前へ歩み寄る。
封印魔法を一つひとつ確認する。
「この封印なら問題ありませんね」
そう呟くと、私はゆっくりと右手を容器へかざした。
「――鑑定」
淡い光が封印容器を包み込む。
私の視界へ次々と情報が流れ込んでくる。
「……やっぱり」
概ね私の想像通りだった。
【鑑定結果】
名称:アルファインフルエンザウイルス(仮称)
分類:ウイルス
危険度:極高
感染経路:飛沫感染・接触感染
特徴:インフルエンザA型に類似
備考:動物由来と推定される未知のインフルエンザウイルス。
強い感染力と高い病原性を有する。
高齢者や幼い子どもでは重症化および死亡の危険性が特に高い。
なお、既知の記録と一致するデータは確認できず、起源となった動物種は特定できない。
「何かわかったんですか!?」
医師会長が思わず身を乗り出し、私の目の前まで迫ってくる。
「ち……近いです……」
「あっ……」
ようやく我に返った医師会長は慌てて一歩後ろへ下がった。
「す……すみません」
「い、いえ……お気持ちは分かりますから」
私は苦笑しながら服の乱れを整える。
未知の病原体。
しかも、この国の命運を左右しかねない情報だ。
思わず前のめりになってしまうのも無理はない。
私は改めて皆の顔を見渡した。
「結論から申し上げます」
会議室の空気が一気に張り詰める。
「強毒性のインフルエンザA型と呼ばれるウイルスです」
その瞬間、会議室中に驚きが広がった。
「インフルエンザ……?」
「初めて聞く名前だぞ……」
医師会や衛生局を中心にざわめきが広がる。
ラグナード陛下は静かに頷いた。
「やはりそうか」
その一言に、会議室中の視線が陛下へ集まる。
「以前、エレノア嬢と会った際、この国で流行している病は『インフルエンザ』ではないかと話していた」
一拍。
「だが、その時は病名を聞いただけで詳しい説明までは受けていない」
陛下は私へ視線を向ける。
「改めて教えてもらえるだろうか」
「もちろんです」
私は会議室にいる全員を見渡した。
「まず、インフルエンザとはウイルスによって引き起こされる感染症の一種です」
「飛沫や接触によって感染し、一人から十人、百人へと瞬く間に広がっていきます」
医師会の面々は慌てて手元の紙へ書き込んでいく。
「そして今回確認されたものは、その中でも強い病原性を持つインフルエンザA型です」
「高熱、咳、咽頭痛に加え、関節痛や筋肉痛、強い倦怠感を引き起こします」
「症状に個人差が大きいのも特徴の一つです」
私は一度言葉を切る。
「さらに、このウイルスは動物由来です」
その一言に会議室の空気が再び張り詰める。
「動物……ですか?」
衛生大臣が息を呑む。
「はい」
「現時点では、どの動物を起源としているのかまでは鑑定でも判明しませんでした」
「ですが、人へ感染するよう変異したことは間違いありません」
医師会長がゆっくりと口を開く。
「つまり……人から人へ感染している現在では、動物だけを隔離しても流行は止められないということですか?」
「その通りです」
私は頷く。
「既に感染の主体は人から人へ移っています」
「これ以上の拡大を防ぐには、感染者の隔離だけでなく、手洗いや消毒、飛沫を防ぐ対策も同時に行わなければなりません」
会議室は静まり返った。
誰もが、この病の恐ろしさをようやく理解し始めていた。
「あと、以前陛下から資料を拝見した際に気付いたことがあるのですが――」
一拍。
「感染が王都よりも南部や東部を中心に広がっていること」
「そして、最初の感染が確認された場所が港町であること」
私は机の上に広げられた地図を指差す。
「この二点を踏まえると、国外から持ち込まれた動物が感染源となった可能性が高いと考えられます」
「国外から……」
衛生大臣が小さく息を呑む。
「はい」
「動物由来のインフルエンザA型であることを考えると、輸入された家畜や野生動物がウイルスを保有していた可能性は十分にあります」
「その後、人へ感染し、人から人への感染へ移行したのでしょう」
医師会長は地図へ視線を落とし、小さく頷く。
「確かに……港町を起点として内陸へ感染が広がっています」
「これなら感染経路の説明もつきます」
衛生大臣も資料へ目を落とす。
「なるほど……」
「北部や西部と比べ、南部や東部で感染者数が二倍以上となっている理由も説明できますな」
「港町から人や物資の往来に合わせて感染が拡大したと考えれば、現在の分布とも一致します」
会議室は静まり返る。
誰もが地図へ視線を落とし、エレノアの推論を反芻していた。
やがて、ラグナード陛下が静かに立ち上がる。
「結論は出た」
その一言だけで、会議室の空気が張り詰める。
「衛生大臣」
「はっ」
「港町を中心に、現在も輸入されている動物を直ちに調査せよ」
「感染の疑いがあるものは隔離し、許可なく国内へ流通させることを禁ずる」
「承知いたしました」
「医師会長」
「はっ」
「各地の医療機関へ通達を出せ」
「感染者の隔離を最優先とし、手洗い、消毒、飛沫対策を全国へ徹底させよ」
「症状が確認された者は、可能な限り他者との接触を避けるよう指導するのだ」
「直ちに手配いたします」
ラグナード陛下はゆっくりと会議室を見渡した。
「この病は、もはや一地方の問題ではない」
「ユグアッシュ王国全土の危機である」
力強い言葉に、その場にいた全員の表情が引き締まる。
「王命を発する」
「国民を守るため、各機関は総力を挙げて事態の収束に当たれ」
「「「はっ!!」」」
力強い返事が会議室に響き渡った。
私はその様子を静かに見つめながら、小さく安堵の息をつく。
少なくとも、この国はまだ諦めてはいない。
ならば――私も、できる限りの力を貸そう。
「エレノア嬢」
「本来であれば、国を挙げて歓迎すべきであった」
ラグナード陛下は申し訳なさそうに微笑む。
「だが、事態は一刻を争う」
一拍。
「誠に申し訳ないが、明日より協力をお願いしたい」
「もちろんです」
私は迷うことなく頷く。
「そのために、この国へ参りましたから」
「感謝する」
ラグナード陛下は静かに頭を下げた。
「では、本日はゆっくり休んでいただき、明日改めて――」
「いえ」
私はその言葉を優しく遮る。
「休むのは後でも大丈夫です」
会議室中の視線が私へ集まる。
「鑑定で原因はある程度判明しました」
「ですので、今夜のうちに薬の候補をいくつか調合してみます」
「なっ……!」
医師会長が目を見開く。
「もう取り掛かるのですか!?」
「はい」
私は小さく微笑む。
「幸い、私の馬車はアトリエも兼ねていますから」
「必要な設備は揃っています」
会議室は静まり返った。
誰もが驚きの表情で私を見つめている。
「では皆さん」
私は軽く一礼する。
「明日までに、必ず何らかの成果をお持ちします」
そう言い残し、私はリュシアさんたちと共に会議室を後にした。
重い扉が静かに閉まる。
しばらく誰一人として口を開かなかった。
やがて、医師会長がぽつりと呟く。
「……あの方は、本当に十三歳なのでしょうか」
誰も答えない。
ただ一人、ラグナード陛下だけが静かに微笑んでいた。
「だからこそ、余はあの娘へ託したのだ」
王宮の外では、夕日がゆっくりと沈み始めていた。
その頃――。
王宮の中庭には、一台の白銀の馬車が静かに停まっている。
今宵、その馬車のアトリエでは、この国の未来を懸けた錬金術が始まろうとしていた。




