206話 王都ユグアッシュ、新たな幕開け
ーーユグアッシュ王国・王都ユグアッシュ
ユグアッシュ王国へ入国してから一週間半が経過し、私たちはようやく王都へ到着した。
途中立ち寄った街や村は例外なく活気がなく、どこか沈んだ雰囲気すら漂っていた。
それは王都へ到着してからも変わることはない。
生活に必要な食料品店や薬屋、鍛冶屋などは営業しているものの、宝石店や高級料理店といった嗜好品を扱う店は軒並み店を閉めていた。
夜のお店と思われる客引きは見かけたが、それ以外に呼び込みの声はほとんど聞こえない。
「ここまでとは……」
思わず言葉が漏れる。
王都という国で最も栄えるはずの街ですら、この有様。
広く整備された大通りも、美しく建ち並ぶ建物も、人々の暗い表情によって本来の賑わいを失っていた。
感染症は人の命だけではなく、人々の日常や経済までも蝕んでいる。
その現実を、王都へ足を踏み入れた瞬間に思い知らされたのだった。
「これでは経済は壊滅ね」
「そうね」
ミストルティン様もパルシアも、どこか重苦しい表情で街並みを見つめている。
馬車の窓から見える光景だけでも、人々の営みが正常とは到底言えない。
営業を続けている店よりも、固く扉を閉ざした店の方が目につくほどだった。
「まもなく王宮へ到着します。ご準備をお願いいたします」
隊員さんの声に、私は馬車を降りる支度を始める。
「感染を防ぐため、防毒服も着た方がいいですかね……?」
「まずは謁見が先です。王宮側の判断を確認してからでも遅くはないかと……」
「それもそうですね」
謁見の場でいきなり防毒服姿というのも、外交上どう受け取られるか分からない。
まずは現地の状況を確認してから判断することにした。
やがて、王宮へと続く城門が見え、私たちの馬車はゆっくりと王宮内へと入っていく。
城門の内側には整然と並ぶ近衛騎士たちの姿があった。
街とは違い、王宮は秩序を保っている。
それでも、その表情には街の人々と同じように疲弊の色が滲んでいた。
王宮だけが安全というわけではない。
この国を支える者たちもまた、感染症との終わりの見えない戦いを続けているのだろう。
やがて馬車は王宮正面の車寄せへと到着し、ゆっくりと停止した。
隊員さんが扉を開けると、先に外へ降りたアランさんが周囲を警戒するように視線を巡らせる。
安全を確認すると、こちらへ向かって静かに頷いた。
「どうぞ、エレノア様。」
「ありがとうございます。」
私は馬車を降りると、目の前にそびえ立つ王宮を見上げた。
白を基調とした壮麗な建物。
精巧な彫刻が施された柱に、高く掲げられたユグアッシュ王国の国旗。
本来であれば、王都を訪れた者がその美しさに目を奪われるのだろう。
けれど今は違う。
王宮へ出入りする文官や騎士たちの足取りは慌ただしく、その表情に笑顔はない。
感染症という見えない脅威が、この王宮にも重くのしかかっていることが嫌でも伝わってきた。
「セレディア王国外交使節団の皆様ですね。」
一人の文官が私たちの前まで歩み寄り、丁寧に一礼する。
「国王陛下がお待ちです。謁見の間までご案内いたします。」
私たちも一礼を返し、その案内に従って王宮の中へと足を踏み入れた。
ーーユグアッシュ王宮・謁見の間
文官の案内で、私たちは明らかに他国の超重鎮を迎えるためと思われる控え室へと案内された。
「あの……お部屋、間違っていませんか……?」
「……?」
文官さんは、不思議そうに首を傾げる。
「ここ……それこそ国王様や皇族の方をお通しするようなお部屋ですよね……」
「間違いございません。」
文官さんは穏やかに微笑んだ。
「エレノア・フォン・レーヴェン様は、セレディア王国より派遣された特命全権大使であり、セレスティア伯爵でもあられます。」
「さらに、感染症への対応を目的としてお越しいただいた賓客でもございます。」
「この部屋へお通しするのが当然であると、陛下より申し付かっております。」
「私……伯爵位なので、明らかに場違いと言いますか……」
その言葉に、文官さんは小さく笑みを浮かべた。
「爵位だけを見れば、そう思われるのも無理はございません。」
「ですが、陛下がお迎えするのは伯爵位の方ではありません。」
「幾多の功績を成し遂げ、隣国を救い、そして今また、この国を救うためにお越しくださったエレノア様です。」
「そのようなお方を粗略にお迎えすれば、我が国の恥となってしまいます。」
「ですので、どうかお気になさらないでください。」
思わず言葉に詰まってしまう。
そこまで評価していただけるとは思ってもいなかった。
「エレノア様は、もう少しご自身の立場に自信を持たれてもいいかと……」
リュシアさんは苦笑を浮かべる。
「セレディア王国では見慣れてしまっていますが、エレノア様は他国から見れば国家賓としてお迎えするに値するお方です。」
「私には、まだそこまでの実感がなくて……」
「それがエレノア様らしいところでもありますけどね。」
リュシアさんが優しく微笑む。
その時、控え室の扉が静かに叩かれた。
「失礼いたします。」
先ほど案内してくださった文官さんが一礼する。
「陛下のご準備が整いました。皆様を謁見の間へご案内いたします。」
「分かりました。」
私たちは立ち上がり、服装を軽く整える。
大きく深呼吸を一つ。
これからお会いするのはユグアッシュ王国の国王陛下。
外交使節団として、そして感染症対策のため派遣された特命全権大使として、この国の未来を左右する話し合いが始まる。
「参りましょう。」
外務大臣の言葉に全員が頷き、控え室を後にした。
長い廊下を進む。
窓から差し込む陽光が磨き上げられた床に反射し、王宮の威厳を静かに物語っている。
やがて、一際大きな両開きの扉の前で案内役の文官さんが足を止めた。
扉の左右には儀礼用の鎧を身にまとった近衛騎士が直立不動で控えている。
文官さんが一礼すると、二人の近衛騎士がゆっくりと扉を開いた。
重厚な扉が音もなく左右へ開かれ、その先には赤い絨毯が真っ直ぐ玉座まで伸びている。
左右にはユグアッシュ王国の重臣や将軍、宮廷魔導師たちが整然と並び、私たちへ一斉に視線を向けた。
「セレディア王国外交使節団の皆様、ご入場です。」
静まり返った謁見の間に高らかな声が響く。
私たちは一歩、また一歩と赤い絨毯を進み、玉座の前へと歩みを進める。
「物凄い人物が来るとは聞いていたが……ここまで警備が厳重なのか?」
「護衛だけじゃない。あの方々……全員が只者ではないぞ。」
「先頭のあの子が……セレスティア伯爵?」
「まさか……。」
「おいおい……セレディア王国に担がれているんじゃないのか?」
「いや、話では王都を救った英雄だと聞く。」
「しかし、あれではまだ子どもではないか……。」
謁見の間のあちこちから、小さく囁き合う声が聞こえてくる。
その反応も無理はない。
十三歳という年齢で伯爵家の当主を務め、特命全権大使として他国へ派遣される者など、そういるものではない。
功績だけが先に広まり、実際に会えば年齢とのギャップに驚かれる。
それは、これまでも何度となく経験してきたことだった。
私は余計なことは気にせず、静かに玉座へと視線を向けた。
「静粛に。」
凛とした声が謁見の間に響き渡る。
先ほどまで小さく囁き合っていた重臣や貴族たちも、一瞬で口を閉ざした。
張り詰めた空気が広がる中、玉座の奥にある大扉がゆっくりと開かれる。
左右に控えていた近衛騎士たちが一斉に胸へ拳を当て、深く頭を垂れた。
やがて、一人の男性がゆっくりと姿を現す。
黄金の刺繍が施された深紅の王衣。
威厳を感じさせる堂々とした佇まいと、歴戦の王であることを物語る鋭い眼差し。
その一歩ごとに、謁見の間の空気がさらに引き締まっていく。
ユグアッシュ王国国王――ラグナード陛下である。
陛下は玉座の前まで歩みを進めると、静かに周囲を見渡した。
その視線が私たち外交使節団へ向けられる。
一瞬の静寂。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「遠路はるばるよく参られた。セレディア王国外交使節団の諸君。」
低く、それでいてよく通る声が謁見の間に響き渡った。
「特にセレスティア伯爵においては、久しぶりにお会いできて誠に光栄だ。」
その言葉に、静まり返っていたはずの謁見の間が再びざわめき始める。
「今……陛下は『久しぶり』と……?」
「まさか、お二人は以前から面識がおありなのか……?」
「セレディア王国の特命全権大使とは聞いていたが……まさか陛下と面識があるとは......」
「いや、それよりも陛下が自ら名指しで歓迎なさるとは……」
驚きと戸惑いが入り混じった囁きが、あちらこちらから聞こえてくる。
無理もない。
一国の国王が、十三歳の少女に対して『久しぶり』と親しみを込めて声を掛けたのだ。
それだけでも、私が単なる外交使節ではないことは誰の目にも明らかだった。
私は周囲のざわめきに気を取られることなく、一歩前へ出ると胸に手を添え、淑やかに一礼した。
「ラグナード陛下、お久しぶりです」
「エレノア嬢。以前、送っていただいた薬には大変助けられた」
「いえ、私にできることをしただけですので」
その言葉に、ラグナード陛下は小さく笑みをこぼした。
「ふっ……あの時と変わらぬな」
「どれほどの功績を挙げようとも、それを決して自ら誇ろうとはしない」
「それが、そなたの美徳なのだろう」
ラグナード陛下は穏やかな笑みを浮かべていたが、それも束の間だった。
その表情は静かに引き締まり、謁見の間にも再び緊張感が満ちていく。
「エレノア嬢には到着して早々で申し訳ないのだが、この後の会議に出席していただきたい」
「もちろんです」
「感謝する」
ラグナード陛下は小さく頷く。
「既に主要な文官、武官、そして医師たちを集めてある。現状を説明するとともに、そなたの見解も伺いたい」
その一言で、この国が置かれている状況がいかに切迫しているのかが改めて伝わってきた。
ーーセレディア王国・クラウゼル男爵家屋敷
エレノアたちがユグアッシュ王国へ出発してから、一週間。
セレスティア伯爵の出国は、特命全権大使派遣という国家事業である以上、王都の上層部では周知の事実だった。
特命全権大使として隣国へ赴く以上、その動きを隠し通すことなどできるはずもない。
そして、その事実を好機と捉えた者がいた。
クラウゼル男爵家当主――エルンスト・フォン・クラウゼル。
男は机の上に広げられた王都の地図へ静かに視線を落とし、その口元をわずかに歪めた。
「屋敷は通常規模の警備ではないものの、相変わらず侵入できるような隙はありません」
「誰かに尾行されていたり、監視されている兆候は?」
「確認した限りではございません」
「王城の動きは」
「特に変化はありません。セレスティア伯爵の出国後も、通常どおり業務を行っているようです」
「そうか……」
エルンストは椅子にもたれ掛かると、静かに目を閉じた。
しばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「今しかない」
その一言に、部屋の空気が張り詰める。
「計画を開始する」
部下は静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
「大至急、屋敷の者たちに準備をさせろ。必要な物資だけをまとめ、いつでも王都を離れられるようにしておけ」
「男爵家の皆様も、ですか」
「ああ。計画が始まれば、この屋敷へ戻ることはない」
部下は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を引き締める。
「承知いたしました」
そう言って使用人は深く一礼し、執務室を後にした。
扉が閉まり、室内には静寂が訪れる。
机の上の時計だけが、静かに時を刻んでいた。
「ふふ……」
エルンストはゆっくりと口元を歪める。
「ふははははは!!」
「どうやら重大な隙を作ってくれたようだな!!」
一拍。
「感謝するぞ! セレスティア伯爵! そして今に見てろよ!!」
この日を境に、水面下では静かに綻びが生まれ始めた。
それは誰にも気付かれることなく広がり、やがてセレディア王国の運命そのものを揺るがすことになる。
そのことを、この時まだ誰一人として知る者はいなかった。




