205話 歓迎なき国境、静かな違和感
ーーセレディア王国・南部国境地帯
オスバルト伯爵の別荘を出発し馬車に揺られること1時間ーー
セレディア王国とユグアッシュ王国を隔てる国境に到着した。
馬車の横にはいつも以上に厳重に警備している騎士団の皆さんの他に商隊の馬車や乗合馬車が静かに私たちの通過を待っている。
「ユグアッシュ王国楽しみー!」
「遊びに行くわけじゃないんですからね?」
リュシアさんは苦笑交じりに言う。
「でも私もユグアッシュ王国は初めてなので楽しみではあります」
「エレノア様まで……」
その言葉に隊員さんたちから小さな笑いが漏れる。
そんな和やかな空気の中、国境の門がゆっくりと開かれた。
門の向こうでは、ユグアッシュ王国の騎士たちが整然と並び、私たちを待っていた。
先頭に立つ騎士が一歩前へ進み出る。
「ようこそ、セレディア王国外交使節団の皆様」
深々と一礼した騎士は、私へ視線を向けると穏やかな笑みを浮かべた。
「そして――ようこそ、セレスティア伯爵エレノア様。」
その合図と同時に、両脇へ整列していた騎士たちが一斉に剣を掲げる。
「歓迎いたします!」
凛とした声が国境に響き渡り、背後では楽団が歓迎の演奏を奏で始めた。
街道には歓迎の旗が掲げられ、国境の役人や兵士たちも一斉に頭を下げる。
「これは……」
思わず息を呑む。
ここまで盛大に迎えられるとは思ってもいなかった。
「さすがエレノア様ですね」
リュシアさんが小さく微笑む。
「いえ……私は何も……」
戸惑う私をよそに、歓迎の拍手はしばらく鳴り止まなかった。
「こういうものなんですか……?」
小声で尋ねると、隣を歩くアランさんが穏やかに頷いた。
「今回は国王陛下から正式に招かれた外交使節団ですからね。」
「さらにエレノア様のお名前は、こちらの国にも広く知られております。」
「国として歓迎の意を示す意味もあるのでしょう。」
「そうなんですね……」
外交とは、思っていた以上に大掛かりなものらしい。
「肩の力を抜いてください。」
外務大臣が優しく微笑む。
「歓迎を受けることも外交の一つです。」
「はい。」
私は小さく頷き、改めてユグアッシュ王国の国境へと目を向けた。
ここから始まるのは、セレディア王国を代表する外交。
決して失敗は許されない。
自然と気持ちが引き締まる。
「エレノア様! まだ肩に力が入ってますよ!」
声のした方を振り向くと、リュシアさんが両頬を引っ張り、目を寄せた何とも言えない変顔をしていた。
「……ぷっ。」
思わず吹き出してしまう。
「リュ、リュシアさん……何をしてるんですか……」
「ようやく笑ってくださいました。」
何事もなかったかのように元の表情へ戻るリュシアさん。
「外交は緊張するものですが、ずっと気を張り詰めていては疲れてしまいます。」
「適度に肩の力を抜くことも大切ですよ。」
「……ありがとうございます。」
少しだけ気持ちが軽くなる。
「そのくらいの笑顔の方が、エレノア様らしいですよ。」
「そうね。」
ミストルティン様も微笑みながら頷く。
「難しいことは大人たちに任せて、あなたはいつものエレノアでいればいいの。」
「はい。」
私は大きく一つ深呼吸をした。
「それでは参りましょう。」
アランさんの号令とともに、一行は国境都市グーヘロスへ向けてゆっくりと馬車が動き始める。
初めて訪れる異国の街。
どんな人々と出会い、どんな景色が待っているのだろう。
その時の私は、胸の高鳴りの方が大きく、これから目にする"小さな違和感"に、まだ気付いてはいなかった。
ーーユグアッシュ王国・国境都市グーヘロス
私たちがユグアッシュ王国へ入国し最初の休憩地点である『国境都市グーヘロス』へ到着した。
ここでは、物資の補給も兼ねており一泊するとのことだった。
「なんでバレンシアで補給しなかったんだろう......」
私が思わずそう呟くとーー
「折角ですしバレンシアよりもユグアッシュの食材を使用したほうがいいかと思いまして」
一拍。
「それに外交上そういった配慮も必要ですしね」
「なるほど……」
確かに、自国の食材を使えば相手国への敬意も示せる。
外交とは、そういう細かな積み重ねなのだろう。
「勉強になります」
「私も最初は同じことを考えましたよ。」
外務大臣は優しく笑った。
「ですが、その一つひとつが国同士の信頼関係を築いていくのです。」
「そういうものなんですね。」
話をしているうちに、馬車はゆっくりと街の中心部へ入っていく。
国境都市というだけあって、人の往来は多い。
荷馬車が行き交い、商人たちは店を開き、宿屋や飲食店も軒を連ねていた。
一見すれば、とても活気のある街。
……のはずだった。
「……?」
私は窓の外へ視線を向ける。
何かが引っ掛かる。
店は開いている。
人も歩いている。
それなのに――。
「静か……。」
思わず小さく呟いた。
「え?」
隣のメルが首を傾げる。
「活気がないんです。」
「皆さん、話し声がほとんど聞こえません。」
バレンシアなら市場中に笑い声や呼び込みが響いていた。
王都でも、人々の笑顔が絶えることはない。
けれど、この街は違う。
誰もが足早に歩き、必要以上に口を開かない。
子どもたちも走り回ることなく、大人の後ろを静かについて歩いている。
「気のせいじゃないかしら?」
ミストルティン様は窓の外を眺める。
「私もそう思ったんですけど……」
言葉にできない違和感だけが心に残った。
理由は分からない。
街は綺麗だ。
建物も整っている。
治安も悪くなさそうだ。
それでも、この街には――。
どこか息苦しさのようなものが漂っていた。
「前回来た時よりも悪化してますね……」
外交官が静かに呟く。
「やっぱり静かですよね……?」
私が尋ねると、外交官は重々しく頷いた。
「それだけ感染が広がっているということでしょう。」
「感染……。」
改めて窓の外へ視線を向ける。
確かに人はいる。
店も営業している。
だが、人々は互いに距離を取り、必要以上に会話を交わそうとしない。
店先に立つ商人も、大きな声で客を呼び込むことはなく、どこか諦めたような表情を浮かべていた。
「前回はもう少し活気があったのですが……」
外交官は寂しそうに街を見つめた。
「感染症が確認されてから、人々は必要最低限の外出しかしなくなりました。」
「市場も以前ほど賑わわず、宿屋や飲食店も苦しい状況が続いています。」
「そうだったんですね……」
私は静かに窓の外へ目を向ける。
確かに街並みは綺麗だった。
建物も道路も整備されている。
それでも、人々からは笑顔が消えていた。
行き交う人は皆どこか俯き加減で、会話も必要最低限。
店先に並ぶ商品も、以前より少なく見える。
感染症が一つの街からここまで活気を奪ってしまう。
その現実を目の当たりにし、胸が締め付けられる思いだった。
「……一日も早く収束するといいですね。」
思わず漏れたその言葉に、馬車の中は静かな空気に包まれる。
「エレノア様の手腕にかかっています。」
外交官が静かにそう告げた。
「えっ……?」
思わず声が漏れる。
「もちろん、全てをお任せするという意味ではありません。」
「ですが、感染症の治療や新薬の開発において、エレノア様ほどの実績をお持ちの方は他にいらっしゃいません。」
「この国の方々も、大きな期待を寄せています。」
その言葉に、自然と膝の上で手を握り締める。
期待されることは嬉しい。
けれど、それだけ責任も大きい。
「……期待に応えられるよう、精一杯頑張ります。」
私は窓の外の街並みを見つめながら、小さくそう答えた。
やがて馬車は一軒の宿の前へ停車した。
ここは外交使節団が宿泊するとともに、物資の補給も兼ねた休憩地点だ。
外交使節団の皆さんは宿へと向かう一方、私たちは専用馬車で休憩を取る。
馬車に備えられた設備だけで生活に必要なことは一通り行えるため、宿を利用する必要はない。
「補給が終わるまで、少しゆっくりしましょう。」
「はい。」
そう返事をしながら、私は窓の外へ目を向けた。
街には依然として静かな空気が流れていた。
「ちょっと街の様子を見てきてもいいですか……?」
「どうしてですか?」
リュシアさんが首を傾げる。
「初めての街を見てみたいというのもありますけど――」
一拍置いて、私は続ける。
「念のため、エングラムの流れも確認しておきたいんです」
「今回の感染症との関係は分かりません。でも、万が一ということもありますから」
私の言葉に、リュシアさんは少し考え込むように腕を組んだ。
「確かに、事前に確認しておいて損はありませんね」
「ですが、お一人では危険で」
「もちろんです」
私は小さく頷く。
「ちゃんと皆さんと一緒に行動します」
「それなら問題ありません」
リュシアさんはそう言うと、護衛の騎士たちへ視線を向けた。
「街へ向かうのでエレノア様の護衛をお願いします。」
「はっ!」
騎士たちはすぐに周囲の安全を確認し始める。
「では、行きましょうか。」
「はい。」
私はリュシアさんたちと共に馬車を降り、ゆっくりと街へ足を踏み出した。
石畳の道は丁寧に整備され、建物もよく手入れがされている。
国境都市ということもあり、様々な国の文化が混ざり合ったような建物が立ち並び、見慣れない装飾品や看板が目に入る。
「綺麗な街ですね。」
「感染症が流行する前は、交易で大変賑わっていた街です」
外交官がそう説明してくれる。
「ここはセレディア王国とユグアッシュ王国を結ぶ重要な交易都市ですから、多くの商人や旅人で溢れていました」
「なるほど……」
私は周囲を見回しながらゆっくりと歩く。
店は営業している。
品物も並んでいる。
けれど、客足はまばらだった。
店員も必要以上に声を張り上げることはなく、訪れた客へ静かに対応しているだけだ。
「やっぱり、感染症の影響は大きいんですね……」
「ええ」
外交官は静かに頷いた。
「発熱や咳の症状が出た者は外出を控えますし、健康な方も感染を恐れて最低限の買い物だけで帰るようになりました」
「その結果、街全体の活気が失われてしまったのです」
私は胸の前でそっと手を握る。
病は人の身体だけではなく、人々の日常や街の活気まで奪ってしまう。
改めて、その重さを実感した。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に視界の端で、小さな男の子が激しく咳き込む姿が目に入った。
「ゲホッ! ゲホッ!」
男の子は苦しそうに胸を押さえながら咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
思わず駆け寄ろうとしたその瞬間――
「エレノア様、お待ちください。」
リュシアさんが静かに私の肩へ手を添えた。
「感染症の可能性があります。」
「あっ……。」
その一言で我に返る。
助けたい。
その気持ちは変わらない。
けれど、私まで感染してしまえば、助けられる人も助けられなくなってしまう。
「ごめんなさい……。」
私は一歩下がり、男の子の様子を注意深く観察する。
すると、近くにいた女性が慌てて駆け寄り、男の子の背中を優しくさすり始めた。
「大丈夫よ。ゆっくり息を吸って。」
「ゲホッ……ゲホッ……。」
女性の表情には心配の色が浮かんでいる。
その姿を見つめながら、私は小さく拳を握り締めた。
一日でも早く、この感染症を終わらせなければならない。
改めて、そう心に誓うのだった。
街を一通り見終えた私たちは、専用馬車へと戻る。
実際に自分の目で街を歩いたことで、この感染症の深刻さを改めて思い知らされた。
人々の笑顔は消え、街からは本来あるはずの活気が失われている。
それは統計や報告書だけでは決して伝わらない現実だった。
「エングラムの流れは、少なくとも私が確認した限りでは違和感はありませんでした。」
一拍置き、私は考えを口にする。
「症状だけを見ると、前世でいうインフルエンザによく似ています。」
「ですが、街の状況を見る限り、それよりも病原性が強い可能性が高いです。」
「やはり重症化しやすいということですか?」
「はい。まだ患者さんを診ていないので断定はできませんが、まずは詳しく診察して原因を調べる必要があります。」
原因が分からなければ、治療法を見つけることはできない。
そして、この病の原因を突き止めるためには、より多くの情報が必要だ。
「本格的な調査は王都に到着してからですね。」
「はい。患者の情報も医療資料も、王都へ集められています。」
私は静かに頷く。
今日見た街の光景は、決して忘れることはないだろう。
人々から笑顔が消え、活気を失った街。
その現実を目の当たりにしたからこそ、この病を一日でも早く終息させたいという思いは、より一層強くなっていた。
「まずは急いで王都へ向かいましょう。」
私のその一言に、皆が静かに頷く。
こうして私たちは翌朝の出発に備え、それぞれ束の間の休息を取るのだった。




