202話 国家の覚悟、異例の提案
ーーセレディア王国・応接室
幾分か夏の日差しは和らぎつつある。
それでも暑さだけは未だ衰えを知らず、王都では今日も多くの人々が汗を流しながら慌ただしく働いていた。
そんな中――
王城の応接室では、この夏最大とも言える重要な協議が行われていた。
「セレスティア伯爵派遣時の護衛計画ですが、こちらを予定しております」
そう言って、ユグアッシュ王国外務大臣は一冊の書類を差し出す。
「拝見いたします」
セレディア王国外務大臣は静かに受け取り、一枚ずつ内容を確認していく。
部屋には紙をめくる音だけが静かに響いていた。
やがて、一通り目を通し終えると、書類を机へ静かに置く。
「……この護衛計画では、セレスティア伯爵を派遣することはできません」
外務大臣は資料から視線を上げ、静かに告げた。
その口調に迷いはない。
「現状、わが国で用意できる最高水準の護衛体制なのですが……」
「承知しております」
一拍。
「ですが、それでも不十分です」
「……理由をお聞かせいただいても?」
「セレスティア伯爵は、一国の伯爵というだけの存在ではありません」
外務大臣は静かに続ける。
「錬金術師として唯一無二の存在であり、我が国の医療、産業、さらには国家戦略そのものを支える重要人物です」
一拍。
「その方を国外へ派遣する以上、万が一の事態は決して許されません」
「ですから、この護衛体制のままでは承認できないのです」
ユグアッシュ王国外務大臣はその言葉に眉をひそめる。
「セレスティア伯爵を貴国が重要視するのは理解しております」
そう言って、真っ直ぐ視線を向ける。
「ですが、我が国もこれ以上護衛体制を引き上げれば、国内の防衛体制そのものへ影響が及びます」
一拍。
「これが、現時点でご提示できる最大限の体制です」
「……そうですか」
セレディア王国外務大臣は静かに頷く。
「では、一つ確認させていただきます」
「何でしょうか」
「この護衛計画は、通常の外交使節を想定したものですか」
「……ええ。その認識で間違いありません」
「でしたら、やはり承認はできません」
「……理由を伺っても?」
「理由は二つございます」
セレディア王国外務大臣は静かに答えた。
「第一に、エレノア様の重要性に対し、この護衛体制では明らかに不十分であること」
一拍。
「そして第二に――」
相手を真っ直ぐ見据える。
「貴国が、エレノア様を国家として迎え入れる意思を、この計画からは読み取ることができないことです」
ユグアッシュ王国外務大臣の表情が僅かに変わる。
「それは、我が国の誠意が足りないと?」
「いいえ」
セレディア王国外務大臣は静かに首を横へ振った。
「誠意を疑っているわけではありません」
一拍。
「ですが、国家間で重要人物を受け入れる以上、必要なのは誠意ではなく、誰が見ても十分だと判断できる具体的な安全対策です」
「では、貴国は何を求めるのでしょうか?」
ユグアッシュ王国外務大臣は静かに問い掛ける。
セレディア王国外務大臣は用意していた別の書類を机の上へ置いた。
「こちらをご覧ください」
「……」
ユグアッシュ王国外務大臣は沈黙する。
それもそのはず――
セレディア王国が示した書類には、護衛隊員への臨時拘束権限の付与や、国内と同等の活動を保証すること。
さらに、セレスティア伯爵に関する犯罪が発生した場合は、セレディア王国の法律に基づいて裁くこと。
そして――
全ての街道における事前警備及び定期巡回の強化。
主要都市への警備部隊の増員。
宿泊施設周辺の完全封鎖及び事前安全確認。
訪問先の事前調査。
緊急時に備えた魔導師部隊及び治療班の常時待機。
その内容は、一人の伯爵を迎えるには明らかに過剰とも言える警備体制だった。
「……これでは、国家元首をお迎えする以上の警備体制です」
ユグアッシュ王国外務大臣は静かに資料を閉じる。
「ご指摘の通りです」
セレディア王国外務大臣は否定しなかった。
「ですが、我が国にとってエレノア様は、それほどの重要人物なのです」
「一介の伯爵に対して、ですか?」
「いいえ」
外務大臣は静かに首を横へ振る。
「一介の伯爵だからではありません。」
一拍。
「世界で唯一、新たな錬金術を実用化し続ける錬金術師だからです」
応接室の空気が張り詰める。
「我々が守ろうとしているのは爵位ではありません。」
「セレディア王国の未来であり、いずれ世界の未来をも左右しかねない存在です」
その言葉を受け、ユグアッシュ王国外務大臣は再び資料へと視線を落とした。
「今回の件は、ラグナード陛下より『私に一任する』とのお言葉をいただいております」
ユグアッシュ王国外務大臣は静かに資料を閉じた。
「ですが、さすがにこれほどの内容となれば、私一人の判断で決定できるものではありません」
一拍置き、セレディア王国外務大臣へ視線を向ける。
「一部は法改正を伴う可能性すらあります」
そう言って立ち上がる。
「大至急、魔道通信で確認を取りますので、少々お待ちいただきたい」
「承知しました」
ユグアッシュ王国外務大臣は一礼すると、控えていた秘書官へ目配せをする。
「通信室を。」
「はっ。」
秘書官は即座に扉を開き、二人は足早に応接室を後にした。
扉が閉まり、室内は静寂に包まれる。
セレディア王国外務大臣は慌てる様子もなく、静かに紅茶へ手を伸ばした。
「……予想通りですね。」
隣に控える随行員が小声で呟く。
「当然だ。」
外務大臣は小さく頷く。
「こちらが提示したのは、国家の主権にも関わる条件だ。一存で返答できる内容ではない。」
「ですが……」
「むしろ、この場で即答される方が困る。」
そう言って紅茶を一口飲む。
「それでは、本当に国家として検討したとは言えないからな。」
その頃――
隣室では、魔道通信装置が淡い光を放ち始めていた。
「ラグナード陛下へ至急接続を。」
「はっ。」
係官が魔力を流し込むと、通信陣がゆっくりと起動を始める。
ユグアッシュ王国外務大臣は、手元の資料をもう一度見つめ、小さく息を吐いた。
「……まさか、ここまでの条件を提示されるとは」
――20分後。
「お待たせしました」
そう言ってソファへと腰を掛ける。
その表情は先ほどとは異なり、どこか覚悟を決めたようなものだった。
「ラグナード陛下とも協議を行いました」
セレディア王国外務大臣は静かに頷く。
「結論をお聞かせ願えますか」
「はい」
ユグアッシュ王国外務大臣は資料を開く。
「まず、街道の事前警備及び定期巡回の強化、主要都市における警備部隊の増員、宿泊施設の事前調査及び警備強化につきましては、受け入れる方向で調整いたします」
「ありがとうございます」
「また、セレスティア伯爵専属護衛隊の活動につきましても、一定の範囲で認める方向で検討いたします」
そこで一度言葉を切る。
「ですが――」
応接室の空気が再び張り詰める。
「セレスティア王国の法律による裁判権の行使、並びに護衛隊への臨時拘束権限の付与につきましては、現行法では対応できません」
「予想通りです」
セレディア王国外務大臣は落ち着いた様子で答える。
「陛下も、その二点については最も難航すると仰せでした」
「ええ」
ユグアッシュ王国外務大臣は苦笑を浮かべる。
「国家主権に関わる事項ですので、一存で結論を出せるものではありません」
「ですが」
その表情が引き締まる。
「ラグナード陛下は、『エレノア殿を必ずお迎えしたい』とのお考えに変わりはございません」
「ですので、この二点については代替案をご提案したいと考えております」
セレディア王国外務大臣は静かに頷いた。
「お聞かせいただけますか」
「ラグナード陛下からの提案なのですが――」
そう前置きしたうえで続ける。
「エレノア様を、ユグアッシュ王国王族法に準ずる扱いとするというご提案がございました」
その一言に、応接室の空気が一変した。
セレディア王国外務大臣も僅かに目を見開く。
「……王族法に、ですか」
「はい」
ユグアッシュ王国外務大臣は静かに頷く。
「王族法そのものを適用することはできません。ですが、エレノア様の滞在期間中に限り、警護、移動、宿泊、警備体制その他一切を、王族に準ずる基準で実施いたします」
資料を一枚めくる。
「これにより、街道警備、宿泊施設の警備強化、行動経路の秘匿、近衛騎士団による護衛など、多くの項目は自動的に王族基準で運用されます」
セレディア王国外務大臣は資料へ視線を落とし、一つひとつ内容を確認していく。
「なるほど……」
小さく呟く。
「確かに、この内容であれば多くの懸念は解消されます」
「さらに」
ユグアッシュ王国外務大臣は続ける。
「王族への危害は、我が国における最重要犯罪として扱われます」
「エレノア様に対する犯行につきましても、滞在期間中はこれに準じた捜査及び処罰を行うよう、特別勅令を発する予定です」
応接室は静まり返る。
ここまでの譲歩は、ユグアッシュ王国にとっても異例中の異例だった。
セレディア王国外務大臣は資料を閉じると、ゆっくりと顔を上げる。
「……ラグナード陛下のご英断に、敬意を表します」
その声音には、先ほどまでの厳しい交渉人としての色ではなく、一国の代表として相手国の決断を評価する真摯な響きがあった。
「では、この件につきましては、ご提案いただいた内容で合意したものと認識してよろしいでしょうか」
「はい」
ユグアッシュ王国外務大臣は力強く頷く。
「ラグナード陛下も、『エレノア様をお迎えする以上、それに見合う責任を果たす』とのお考えです」
「承知いたしました」
セレディア王国外務大臣は静かに資料へ目を落とし、一枚の書類へ印を付ける。
「それでは、この項目は合意済みとして記録いたします」
秘書官が速やかに書き留める。
応接室の空気は、それまでの張り詰めたものから、わずかに和らいだ。
しかし――
セレディア王国外務大臣は、まだ机の上に残された数枚の資料へ視線を向ける。
「……では、次の議題へ移りましょう」
その一言で、交渉は次の論点へと進んだ。
「次に、一番の問題となるのがエレノア様の滞在先です」
「そちらについてなのですが――」
一拍。
「エレノア様は、警備上の都合により、街道沿いに点在する宿泊施設は利用いたしません」
その言葉に、ユグアッシュ王国外務大臣は小さく首を傾げた。
「……だからこそ、大きな問題なのではありませんか?」
「一般的には、その通りです」
セレディア王国外務大臣は静かに頷く。
「ですが、その点につきましては既に解決しております」
「……解決、ですか?」
「はい」
セレディア王国外務大臣は短く答えた。
「エレノア様には専用の移動拠点がございます。」
「移動拠点……?」
「詳細は国家機密となりますのでお伝えできませんが、宿泊施設を利用せずとも生活できる設備を備えております。」
ユグアッシュ王国外務大臣は少し考え込む。
「つまり……宿の手配は不要ということですか。」
「その認識で問題ございません。」
「滞在中も基本的には専用の移動拠点を使用いたしますので、貴国には停車場所及び周辺警備をご用意いただければ十分です。」
ユグアッシュ王国外務大臣は安堵したように息を吐いた。
「それは助かります。宿泊施設の貸し切りとなれば、住民への影響も少なくありませんから」
「ええ。その点は我々も考慮しております」
セレディア王国外務大臣は静かに頷いた。
「……ただ、一つだけご理解いただきたいことがあります」
「何でしょうか?」
「エレノア様ご本人は、おそらくここまで厳重な警備を望まれません」
「……は?」
思わず素の声が漏れる。
「『皆さんにご迷惑をお掛けしますので、普通で大丈夫です』と仰るでしょう」
ユグアッシュ王国外務大臣は思わず吹き出した。
「……なるほど。」
肩の力を抜くように小さく笑う。
「一番の警備対象は、外敵ではなくエレノア様ご本人というわけですね。」
その一言に、応接室は一瞬静まり返る。
そして――
「否定はできません。」
セレディア王国外務大臣は苦笑交じりに答えた。
その返答に、その場にいた全員から小さな笑いが漏れる。
張り詰めていた空気は、その笑いとともに少しだけ和らいだ。




