199話 実りの準備、農地完成②
ーー王都郊外・農場
ゆっくりと扉へ手を掛ける。
そして、一歩外へ足を踏み出した。
「……」
思わず言葉を失う。
以前、この場所は広大な土地に緑が生い茂ったどこにでもある平原だった。
草木が風に揺れ一本の大きい木が木陰を作り、小川では心地の良いせせらぎが聞こえる場所。
それが今ではーー
「すごい……」
思わず声が漏れた。
目の前には、以前とはまるで別の場所と思えるほど綺麗に整備された農場が広がっていた。
区画ごとに丁寧に整えられた畑。
一直線に伸びる用水路。
各所に設置された井戸。
そしてーー
とても大きな田んぼが四面。
それだけじゃない。
作業用の道も綺麗に整備され馬車同士が十分にすれ違うことができるよう広めにスペースがとられている。
さらに、農具を保管するための小屋や休憩所、収穫物を一時的に保管する倉庫に家畜を育てるための小屋までもが整然と立ち並び、まるで一つの小さな村のような景色を作り上げていた。
「短期間でこんなにも綺麗に整備されるなんて……」
私は思わず感嘆の息を漏らす。
私が思い描いていた農場が、実際に形となって目の前へ広がると、その迫力は想像以上だった。
「私も初めて見ましたが、これは予想以上ですね……」
リュシアさんも目を丸くしながら辺りを見渡す。
私たちはしばらく言葉を失ったまま、その光景を眺め続けた。
風に揺れる草木の音。
用水路を静かに流れる水音。
最終調整を行う作業員たちの活気ある声。
まだ完成したばかりだというのに、この場所には既に”農場”としての息吹が感じられた。
「じゃあ、見て回りましょうか」
「はい」
私はリュシアさんの後ろについて歩き始める。
まだ作物は一本も植えられていない。
それでも、踏み固められた土からは新しい大地の香りがほのかに漂い、ここが間もなく緑豊かな農場へと変わっていく未来を自然と思い描いてしまう。
これから、この場所でたくさんの作物が実る。
そう思うだけで、胸が少し高鳴る。
しばらく歩くと、農地の一角に建てられた木造の建物が目に入った。
「ここが家畜小屋の区画です」
「結構大きくないですか……?」
目の前には、家畜小屋とは思えないほど大きな建物が建っていた。
屋敷ほどではないものの、外壁には美しい装飾が施され、入口の柱や屋根の意匠も妙に凝っている。
「私も同じことを思いました……」
リュシアさんも苦笑を浮かべる。
「『エレノア様の農場に、みすぼらしい小屋は似合わない』と言って、職人の皆さんがかなり張り切ってしまったそうです」
「王都の一般的な家より豪華ですよね……?」
「はい」
一拍。
「規模も装飾も、中小商会の商会長邸くらいはありますね……」
「家畜より人の方が住みたくなりそうです……」
私は思わず苦笑した。
「実際、そのような声もあったそうですよ」
リュシアさんも小さく笑う。
「ですが、家畜の健康状態はそのまま生産性へ直結しますからね」
一拍。
「陛下からも『建てるなら中途半端なものは作るな』と指示があったそうです」
「なるほど……」
確かに、病気になりにくい環境を整えられれば、それだけ安定して乳や卵、お肉を供給できる。
長い目で見れば、その方が王国全体にとっても利益は大きい。
「中も見てみますか?」
「はい!」
扉を開けると、ふわりと木の香りが漂ってきた。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
床は石畳ではなく、掃除しやすいよう緩やかな傾斜をつけた土間になっている。
壁には採光用の大きな窓が並び、天井付近には換気口まで設けられていた。
「夏場は風が抜けるようになっています」
リュシアさんは天井を指差す。
「逆に冬場は窓を閉めても空気が循環するよう設計されているそうです」
「すごい……」
さらに奥には、家畜ごとに仕切られた区画が並んでいた。
牛用。
羊用。
山羊用。
そして、少し離れた場所には鶏舎まで建てられている。
「最初からここまで準備されているんですね」
「はい」
リュシアさんは頷いた。
「もちろん、今はまだ空です」
見渡す限り、どの区画にも家畜の姿はない。
静かな建物の中には、これから始まる農場の未来を待っているような空気が漂っていた。
「家畜の導入は、エレノア様による最終確認が終わってからになります」
「なるほど」
私はゆっくりと建物の中を見回す。
「……放牧用の扉もありますしのびのび暮らせそうですね」
「ええ」
リュシアさんも穏やかに微笑んだ。
「建築に携わった職人さんたちも、『王国一の家畜小屋を作る』と張り切っていましたから」
「家畜小屋で王国一を目指す人たちがいるとは思いませんでした……」
思わず苦笑すると、リュシアさんもつられるように笑った。
「王命ですからね」
「それもありますが……」
一拍。
「エレノア様の農場だから、という理由も大きかったみたいですよ」
「……ありがたいですけど、少し気合いを入れすぎた気もしますね」
私は立派すぎる家畜小屋をもう一度見上げ、小さく苦笑した。
「では、次に行きましょう」
そう言って私たちは家畜小屋を後にする。
「ここが一番のメインの田んぼと養殖スペースです」
「これがですか……?」
田んぼの区画と言われたが水が入っておらず普通の畑と同じにしか見えない。
「……これじゃ、お米は育ちませんよ……?」
「そうなんですか……?」
「はい」
私は即答する。
「まず、お米は常に新鮮な水を供給する必要があります」
一拍。
「お花のように水をあげれば育つ、というものではありません」
私は田んぼ予定地へ近付き、土を指差した。
「稲は生育する時期によって必要な水の量が変わります」
「変わるんですか?」
「はい」
私は頷く。
「田植え直後は苗を根付かせるために水を張りますし、その後も一定の水深を維持しなければなりません」
一拍。
「逆に収穫前になると、水を抜いて土を乾かす必要もあります」
「そんなに細かく管理するんですね……」
リュシアさんは感心したように田んぼを見渡す。
「だからこそ、用水路が重要なんです」
私は一直線に伸びる水路へ視線を向ける。
「ただ水を引くだけでは駄目で、水量を調整できる設備も必要になります」
「なるほど……」
「それに、常に水を循環させなければ淀んでしまいます」
私は苦笑する。
「お米作りって、思っている以上に水との付き合いなんですよ」
「確かに、畑とは全然違いますね」
「ええ」
私は頷いた。
「だから、このままではまだ『田んぼ』ではなく、『田んぼ予定地』ですね」
「では、改善対象リストに入れますので――」
リュシアさんが手帳を取り出そうとした、その時だった。
「簡単に修繕できると思うので、やってみます」
そう言って私は靴と靴下を脱ぎ、躊躇うことなく用水路へ足を入れた。
「水温もちょうど良さそうですね」
「エレノア様!?」
リュシアさんの慌てた声が飛ぶ。
「いくら男性がいないからってはしたないですよ!?」
「靴とかを濡らすわけにはいかないので……」
「そういうことじゃなくて!!」
一拍。
「お嫁に行けませんよ!?」
「相手がいないので問題ないです」
「そういう問題じゃありません!」
リュシアさんは頭を抱えた。
「エレノア様はもう伯爵様なんですよ!?」
「はい?」
「立場というものがあります!」
「でも、水の流れを確認するには入った方が早いですし……」
私は首を傾げながら答える。
「ほら、このくらいなら膝までしかありませんよ?」
「そういう話ではありません!」
リュシアさんの声が農場へ響き渡る。
「隊員の皆さんも見てるんですよ!?」
「……あ」
その一言で私は周囲を見回した。
護衛の隊員たちは一斉に別方向を向いている。
「見ていません!」
「何も見ておりません!」
「本日も天気がいいですね!」
誰一人としてこちらを見ようとはしなかった。
「……」
「……」
「余計に気まずいです……」
私は思わず肩を落とす。
「ですから最初から止めたんです!」
リュシアさんは盛大にため息をつく。
「帰ったらちゃんと替えの靴下を用意しますから、今は上がってください」
「あと少しだけです」
私は田んぼ側へ小さな取水口となる溝を掘り、用水路側へあまりにも大きすぎる石を静かに沈めた。
「とりあえず仮ではありますけど、これで水を引くことができます」
「石を置いただけでですか?」
リュシアさんが不思議そうに首を傾げる。
「はい」
私は頷いた。
「この石は流れを少しだけ堰き止める役割があります」
一拍。
「全部止めるのではなく、水位をほんの少し上げるだけです」
そう説明しながら、石の位置を微調整する。
すると――
さらさらと流れていた水の一部が、ゆっくりと掘った溝へ流れ込み始めた。
「わぁ……」
リュシアさんが小さく声を漏らす。
水は緩やかに田んぼ予定地へ流れ込み、乾いていた土を少しずつ濡らしていく。
「本当に流れました……」
「これが田んぼの基本ですね」
私は流れる水を見つめながら続ける。
「もちろん、これはあくまで応急処置です」
一拍。
「本来は水門を設置して、水量を細かく調整できるようにしないといけません」
「なるほど……」
リュシアさんは感心したように頷いた。
「最初からその設計まで考えていたんですね」
「はい」
私は田んぼを見渡す。
「お米作りは、水を制する者が制すると言っても過言ではありませんから」
流れ込む水を見ながら、私は改めて完成した農場へ目を向けた。
「ここから、本当の農場作りが始まりますね」
「とりあえず早く用水路から出てください!!」
「はい……」
私は名残惜しそうに用水路から上がる。
「本当に視察だけで終わらないんですから……」
リュシアさんは濡れた足を拭くための布を差し出しながら、大きくため息をついた。
「だって気付いちゃったんですもん」
「そこを我慢してください!」
「うぅ……」
どうやら”視察だけ”という約束は、開始一時間もしないうちに破られてしまったらしい。
ちなみに――
この後、私はリュシアさんから約一時間にわたって「伯爵としての振る舞い」についてお説教を受けることになるのだった。




