閑話 束の間の平穏、その頃のアトリエ
ーー王都・エレノアのアトリエ
エレノアが『夢巡る回廊』の調査へ向かってから二日――
アトリエは今日も多くの客で賑わっていた。
いつもと変わらずパンは飛ぶように売れ、お弁当も昼前には完売する。
忙しいことに変わりはない。
それでも――
「なんだか、今日はいつもより穏やかですねー」
リナがぽつりと呟いた。
「エレノア様が留守の間の分まで事前に準備してくださいましたからね」
カイルは錬金術用品の棚へポーションを並べながら答える。
「まぁ……」
カイルはちらりとメルが切り盛りするパン工房の方へ視線を向ける。
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
情けない声が店内まで響いてきた。
「またですか……」
カイルは小さく苦笑する。
「メルさん?」
リナが首を傾げる。
「パンの販売と補充が追いついていないみたいですね」
「あー……」
リナも納得したように頷く。
「エレノア様が事前にたくさん仕込んでくださったとはいえ、売れる勢いまでは変わりませんもんね」
「むしろ最近はお客さんが増えていますからね」
カイルは苦笑しながら、空になった商品棚へポーションを並べていく。
「ほら! 私も手伝うんだからしっかりしなさい!」
パルシア様が焼き上がったパンを次々と店頭へ運ぶ。
「メル様! こっちも補充しました!」
リリアも空になった棚へパンを並べながら声を上げる。
だが――
「焼いても焼いてもなくなるんですよぉぉぉぉぉぉ!!!!」
メルは涙目になりながら生地をこね続ける。
「もう私のライフは0ですよー!!!!!!」
「「ダメだこりゃ……」」
パルシア様とリリアは苦笑を浮かべている。
「……まぁ、ここのところメル様のお店は本当にすごいですもんね……」
理由を考えれば至極当然の話だった。
最初はパンだけを扱う小さなお店だった。
しかし今では、お弁当やサンドイッチセットまで販売するようになり、王都でも指折りの人気店へと成長している。
そして、それらの商品は今や王国中で最も話題となっている商品だった。
サンドイッチセットに至っては「これなら真似できる」と考えた店も少なくない。
実際、王都では似たような商品を販売する店も徐々に増え始めていた。
だが――
『やっぱり、ここのサンドイッチが一番おいしい!』
『パンそのものの味が違うんだよな』
『真似するなら具じゃなくてパンを真似しろ』
そんな評判が瞬く間に広がり、お客が流れるどころか、むしろ新たな客を呼び込む結果となっていた。
つまり――
口コミが新たな客を呼び、その客がまた口コミを広げる。
そんな好循環が生まれた結果、メルの仕事量だけは増え続けていた。
「しかも最近は遠方から来るお客様も増えましたよね」
リナが店の外へ視線を向ける。
行列の中には見慣れない服装の商人や冒険者の姿も多い。
大きな荷物を背負った旅人らしき一団まで並んでいる。
「王都へ来た記念に一度は寄っておきたいそうですよ」
カイルは苦笑しながら答えた。
「そういえば、さっきのお客様もそんなことを言ってました!」
リナは思い出したように声を上げる。
『エレノアのアトリエに行かないまま帰ったら損だ』――そんな噂まで広まっているらしい。
「すごいですねぇ……」
「ええ」
カイルは小さく頷く。
「王都だけではなく、他領からのお客様も増えています」
一拍。
「最近では、お弁当を大量に予約される商会も珍しくありません」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
その言葉を聞いた瞬間、工房の奥から再び情けない声が聞こえてきた。
「メルさん、聞こえてますよー」
リナが苦笑しながら声を掛ける。
「聞こえちゃいますよぉぉぉぉ!!」
返事だけは元気だった。
「昨日だって百個焼いたと思ったら、お昼前には全部なくなっちゃったんですよ!?」
「今日はそれ以上ですしね」
カイルが淡々と言う。
「だから言ったじゃないですかぁ!」
メルは涙目で生地をこね続ける。
「パン職人は腕が二本しかないんですよぉぉぉぉ!!」
「増やします?」
パルシア様が悪戯っぽく笑う。
「増えたら増えたで仕事も増えるじゃないですかー!!」
「確かに」
リリアは妙に納得したように頷いた。
「それなら意味がありませんね」
「そういう問題じゃないですよぉぉぉぉぉ!!!!」
工房から響く悲鳴に、店内の客たちからも笑いが漏れる。
「今日も賑やかですね」
「ええ」
常連客の一人が笑みを浮かべた。
「このお店は料理も美味いが、この雰囲気も好きなんだ」
「分かります!」
別の客も笑顔で頷く。
「来るたびに誰かが騒いでる気がします!」
「否定できませんね……」
カイルは苦笑しながら、空になったポーション棚へ新しい商品を並べていく。
エレノアは今、この王都にはいない。
それでもアトリエは今日も笑顔と活気に包まれ、多くの人々で賑わっていた。




