195話 調査への旅路、夢巡る回廊④
ーー夢巡る回廊・表層第5層
「ギャアアアアァァァッ!!」
怒りに満ちた咆哮が、ダンジョン全体を激しく揺らした。
私を敵と認識したベヒーモスは、ミストルティン様から完全に視線を外し、その巨大な身体をこちらへ向ける。
黄金色の瞳が鋭く細められた。
次の瞬間――
ドォォォン!!
大地を踏み砕きながら、災害級の巨体が一直線に突進してくる。
「エレノア様!」
アランさんの叫びが響く。
「大丈夫です!」
そう言うと同時に、私は古代防御魔法を展開した。
次の瞬間、ベヒーモスの巨体が障壁へ激突する。
ゴォォォォン!!
凄まじい衝撃が周囲へと響き渡り、足元の岩盤に無数の亀裂が走った。
しかし――
透明な障壁は揺らぐことなく、その一撃を真正面から受け止める。
「ギャアアアアァァッ!!」
ベヒーモスは怒り狂ったように何度も体当たりを繰り返す。
一撃。
二撃。
三撃。
その度にダンジョン全体が震え、天井から細かな砂埃が舞い落ちる。
それでも障壁は砕けない。
「今です!」
私は振り返ることなく叫ぶ。
「ベヒーモスは私が抑えます!」
一拍。
「ミストルティン様の支援をお願いします!」
「ですが、エレノア様が!」
「早く!!」
その声には、普段の穏やかさとは違う強い意志が込められていた。
アランさんは一瞬だけ迷う。
だが――
「……総員!」
剣を構え直し、大きく叫ぶ。
「救助を最優先!!」
「ミストルティン様を援護しろ!!」
「「「はっ!!」」」
騎士たちは一斉に駆け出した。
その様子を確認すると、私は再びベヒーモスへ向き直る。
「ギャアアアアァァァッ!!」
怒り狂ったベヒーモスは、今度は巨大な前脚を振り上げる。
ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃が障壁へ叩きつけられる。
足元の岩盤が砕け、周囲へ土煙が舞い上がった。
それでも――
障壁は、なお揺るがない。
「やっぱり古代魔法はすごいな……」
『白銀の獅子』のリーダーが思わず呟く。
「感心している場合じゃありません!」
リュシアさんが鋭く言い放つ。
「今のうちです! 負傷者を運んでください!」
「了解!」
『白銀の獅子』の面々はすぐさま負傷者の元へ駆け寄る。
一方――
ミストルティン様は、既に巨大な転移魔法陣を完成させつつあった。
複雑な魔法陣が床一面へ広がり、淡い金色の光を放ち始める。
重傷者から優先して運んで!」
「こちら意識なし一名!」
「こっちは二名!」
次々と報告が飛び交う。
「詳細な診断は転移後よ! 今は搬送を優先して!」
「エレノア!」
ミストルティン様が私へ声を掛ける。
「もう少しだけお願い!」
「はい!」
私は短く返事をする。
その直後だった。
ベヒーモスは障壁を突破できないと悟ったのか、その巨体へ莫大な魔力を集中させ始める。
「……!」
嫌な予感が背筋を走る。
「あれは……」
『白銀の獅子』のリーダーの表情が強張る。
「まずい!」
アランさんも叫ぶ。
「あいつ、魔法を使う気だ!!」
ベヒーモスの口元へ膨大な魔力が集束していく。
周囲の空気が震え、床石に亀裂が走る。
「エレノア!」
「分かってます!」
私はベヒーモスへ真っ直ぐ右手を向けた。
「――魔法不可領域展開!」
その瞬間。
淡い銀白色の魔法陣が幾重にも重なり合いながら周囲へと広がっていく。
ベヒーモスの口元へ集まっていた膨大な魔力は――
音もなく霧散した。
「なっ……!?」
『白銀の獅子』のリーダーが目を見開く。
「魔法が……消えた?」
「消したんじゃありません」
私は静かに答える。
一拍。
「この領域では、魔法そのものが正常に構築できないんです」
ベヒーモスは困惑したように低く唸り声を上げる。
「ギャアォォォォォォォ!!」
怒り狂ったように前脚を何度も振り上げ、地面へ叩きつける。
ドォン!! ドォン!! ドォン!!
その衝撃だけでダンジョン全体が激しく揺れ、天井から砂埃や小石が次々と降り注いだ。
「ミストルティン様! これ以上は危険です!」
「やむを得ないわね!」
ミストルティン様は即座に巨大な転移魔法陣を展開する。
淡い光が負傷者たちを包み込み始めた。
だが――
「まずい!!!!」
ミストルティン様が叫ぶ。
ベヒーモスが暴れた衝撃で、転移魔法陣の有効範囲が僅かにずれた。
このままでは――
ベヒーモスまで転移魔法陣へ巻き込んでしまう。
「ミストルティン様! ベヒーモスが範囲内です!!」
「っ……!」
ミストルティン様もすぐに状況を理解する。
しかし、転移魔法陣は既に起動を始めていた。
ここで術式を止めれば、転移途中の負傷者たちの命が危ない。
かといって、このまま発動すれば――
災害級のベヒーモスまで安全地帯へ転移させることになる。
「エレノア!!」
ミストルティン様が私を見る。
「数秒だけでもいい!」
一拍。
「何としてもあの子を転移範囲の外へ押し出して!!」
「分かってます!!!」
私は即座に術式を組み上げる。
「魔力波展開!!」
瞬間。
私の前方へ、圧縮された膨大な魔力が津波のように解き放たれた。
轟音とともに、目に見えない奔流がベヒーモスへ襲い掛かる。
本来なら、このような場所で魔力波を放つべきではない。
ダンジョン内部で広範囲へ魔力を放出すれば、魔物が狂暴化する恐れがある。
だが――
今はそんなことを言っていられる状況ではない。
必要なのは、倒すことではなく押し出すこと。
衝撃波でも可能ではある。
しかし、ベヒーモスほどの巨体を一瞬で転移範囲の外まで弾き飛ばすには威力が足りない。
だからこそ私は、古代魔法によって術式を幾重にも増幅し、魔力波そのものの出力を限界まで引き上げた。
「お願い……!」
魔力の奔流は一直線にベヒーモスへと突き進む。
ベヒーモスの巨体へ真正面から衝突した、その瞬間――
グギャアアアァァァァッ!?
耳をつんざくような悲鳴とともに、災害級の巨体が大きく宙へ浮き上がる。
「なっ……!?」
『白銀の獅子』の面々が思わず息をのんだ。
次の瞬間。
ドゴォォォォォォン!!
吹き飛ばされたベヒーモスは転移魔法陣の外まで弾き飛ばされ、岩壁へ激しく叩きつけられる。
しかし、その衝撃は周囲にも容赦なく襲い掛かった。
暴風のような衝撃波がダンジョン内を駆け抜け、砂埃や瓦礫を巻き上げる。
「くっ……!」
隊員たちは咄嗟に身を低くし、その衝撃に耐える。
「今です!!!!!!」
私は叫んだ。
「こっちも準備完了よ!!!!」
ミストルティン様が即座に応える。
一拍。
「全員、その場を動かないで!!」
次の瞬間。
「――転移!」
眩い閃光がダンジョンを包み込む。
次の瞬間、ベヒーモスだけをその場へ残し、私たち全員の姿は消えていた。
ーー???
光が落ち着くと、室内ではあるものの全く見覚えのない場所へ転移していた。
部屋の周囲は、一か所の出入口を除いて本棚がぐるりと囲んでいる。
天井まで届くほど高い本棚には、年代も装丁も異なる本が隙間なく並べられていた。
古びた羊皮紙の匂い。
インクの香り。
そして、どこか落ち着く静寂。
「ここは……?」
私が辺りを見回していると、ミストルティン様が小さく息を吐いた。
「間に合ったわね」
「ミストルティン様、この場所は……?」
「神域にある私の領域よ」
「神域!?」
リュシアさんが驚きの表情を浮かべる。
「治療を安全に行うことができて、なおかつ屋敷以外だと、ここしかなくてね」
ミストルティン様は苦笑しながら肩をすくめる。
「ここなら魔物が入り込むこともないし、外から干渉される心配もないわ」
「なるほど……」
アランさんは安堵したように息を吐いた。
「確かに、この状況ではこれ以上安全な場所はありませんね」
「ですが……」
『白銀の獅子』のリーダーが周囲を見回す。
「本当に神域なんですね……」
天井まで届く本棚。
古びた魔導書や羊皮紙。
見たこともない器具や薬品。
どれも人の手では再現できないような、不思議な雰囲気を纏っていた。
「見学は後よ」
ミストルティン様が手を叩く。
「まずは負傷者の治療が先」
その一言で全員の表情が引き締まる。
「重傷者からこちらへ運んで!」
「了解!」
騎士たちと『白銀の獅子』はすぐに動き始めた。
私は倒れている冒険者の一人へ駆け寄る。
「意識は……ありませんね」
呼吸は浅く、顔色も悪い。
失血もかなり多い。
ミストルティン様は静かに容体を確認すると、小さく首を横へ振った。
「これはもう、今から治療しても無理ね……」
「そうですね……」
私も静かに頷く。
「回復魔法もポーションも、もう効果が及ぶ範囲を超えています」
「残念だけど、この人を助けるのは諦めましょう」
その言葉に、その場の空気が重く沈んだ。
だが――
誰も反論はしなかった。
ここで一人に時間を掛ければ、その間に助けられる命まで失われてしまう。
だからこそ、助けられる可能性がある人を優先する。
それが救護の現実だった。
ミストルティン様はすぐに次の負傷者の元へ向かう。
「こっちの人は五分五分ね……」
私は膝をつき、すぐに容体を確認する。
呼吸はある。
脈も弱いながら残っている。
「まだ助かります!」
私は空間収納から最高品質のハイポーションを取り出した。
「リュシアさん、この方の頭を支えてください!」
「はい!」
リュシアさんがすぐに駆け寄り、慎重に身体を支える。
私はポーションの栓を抜き、ゆっくりと負傷者の口へ流し込んだ。
だが、意識が戻る気配はない。
「回復魔法も重ねます!」
私はすぐさま負傷者へ手をかざし、治癒魔法を発動した。
淡い光が全身を包み込み、深く裂けた傷口が少しずつ塞がっていく。
「お願いします……!」
祈るような気持ちで魔力を流し続ける。
やがて、乱れていた呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻した。
「脈が戻ってきました!」
私は安堵の表情を浮かべる。
「ヒーラーの方、引き継ぎをお願いします!」
「はい!」
ヒーラーの女性はすぐに跪き、容体を確認する。
「……峠は越えました」
小さく息を吐き、私へ向かって頷く。
「ありがとうございます。ここから先は私が診ます」
「お願いします」
私は短く返事をすると、すぐに立ち上がる。
まだ、助けを待っている人がいる。
一人でも多く救うため、私は次の負傷者の元へ駆け出した。
「エレノア! この人、まだ助かりそうよ!」
ミストルティン様が一人の冒険者を指差す。
私はすぐに駆け寄り、容体を確認する。
「脈は弱いですけど、まだあります!」
胸部には深い裂傷。
出血量も多い。
だが、まだ間に合う。
「ハイポーション!」
私は迷うことなく一本取り出し、慎重に口へ流し込む。
続けて両手を傷口へかざした。
「高位治癒!」
柔らかな光が全身を包み込み、裂けた傷口がゆっくりと塞がっていく。
「もう少し……!」
私は魔力の流れを細かく調整しながら、治癒を続けた。
やがて――
「ゴホッ……!」
冒険者が小さく咳き込み、ゆっくりと目を開ける。
「よかった……!」
私は安堵の息を漏らした。
「誰か、ほかに回復魔法を使える方! この方をお願いします!」
「治癒でもよければ俺が見ます!」
『白銀の獅子』のリーダーがすぐに駆け寄る。
「構いません!」
私は頷く。
「容体に変化があれば、すぐ教えてください!」
「任せてくれ!」
そう言って負傷者を託し、私は次の重傷者のもとへ駆け寄った。
その間にも、ミストルティン様は冷静に周囲を見渡している。
「重傷者はこっち!」
「意識のある軽傷者は後回し!」
「歩ける人は壁際へ移動して!」
次々と的確な指示が飛ぶ。
混乱していた現場が、少しずつ整理されていく。
「トリアージ完了!」
ミストルティン様は短く告げた。
一拍。
「赤が六名、黄が十一名、緑が八名!」
「黒は……」
その言葉は最後まで続かなかった。
静かに目を閉じ、小さく首を横へ振る。
私はその意味を理解しながらも、口にはしなかった。
今、優先すべきなのは助けられる命だ。
「エレノア!」
ミストルティン様が私を呼ぶ。
「赤を優先して!」
「はい!」
私はすぐに頷き、次の重傷者へと駆け出した。
一人でも多く助ける。
その思いだけを胸に、私は治療を続けるのだった。




