194話 調査への旅路、夢巡る回廊③
ーー青凪の大森林・『夢巡る回廊』入口
数日に及ぶ移動の末、私たちはついに『夢巡る回廊』の入口へと到着した。
地下へと続く石階段。
その奥からは、魔物が放ち続けたと思われる濃密な魔力が、冷たい空気とともに静かに流れ出している。
そして――
私にはもう一つ、別の違和感があった。
ごく僅かではあるが、エングラムが乱れている時特有の感覚が、この場所には確かに存在している。
「……やっぱり」
私は誰にも聞こえないほど小さく呟く。
まだ入口だ。
それでも、これだけの違和感がある。
「エレノアも気づいたようね」
ミストルティン様はいつと違い真面目な表情を浮かべている。
「はい……」
私は静かに頷く。
「先に言っとくわ」
一拍。
「この先覚悟しといた方がいいわ」
その場にいた全員を見渡しながら、はっきりと告げる。
「ミストルティン様……それはどういう意味ですか?」
アランさんが険しい表情で問い掛ける。
するとミストルティン様は、ゆっくりとダンジョンの奥へ視線を向けた。
「まぁ普通のダンジョンじゃないとだけ言っとくわ」
「……」
その一言だけで十分だった。
普段なら冗談ばかり口にするミストルティン様が、これほど真剣な表情を浮かべることなど滅多にない。
だからこそ、その言葉の重みは誰の胸にも深く突き刺さる。
「エレノア」
「はい」
「最悪の場合、手を貸して」
その言葉に、私は思わず首を傾げる。
「恐らくだけど、この先はもっと酷いことになっているわ」
一拍。
「緊急でエングラムの流れを修正しなければ、この一帯そのものが取り返しのつかないことになるくらいにはね」
「それって……私もエングラムの流れを修正するってことですよね……?」
「そうね」
その一言に、私は小さく息をのむ。
自分にできるのだろうか。
そんな不安が胸をよぎる。
すると、ミストルティン様はそっと私の頭へ手を置き、優しく撫でた。
「大丈夫よ」
その笑みは、どこまでも穏やかだった。
「エレノアは、私よりも魔力を繊細に操れるもの」
一拍。
「それに、私もいるわ」
優しく頭を撫でながら続ける。
「バレンシアでリリアを治療した時のこと、覚えてるでしょう?」
「……はい」
あの時も、不安だった。
生命としての理からはずれ、永遠に魔力を供給し続けるだけの存在となっていたリリアを救えるのかーー
本当に不安だった。
「私が補助して、エレノアが魔力を制御する」
さらに一拍。
「――あの時と同じようにやれば、必ず成功するわ」
「……はい」
私はゆっくりと頷いた。
不安が消えたわけじゃない。
それだけエングラムの流れを調整するということは責任重大で、普通の魔法とは桁違いの精密な魔力操作を必要とする。
だがーー
何もしなければ、それこそ取り返しのつかないことになる。
あの時だって難しい魔力操作を成功させた。
だから今、リリアは元気に笑っている。
今回も、きっと大丈夫。
確証があるわけではないが最初から失敗するという気持ちで挑んだところで成功するわけがない。
私は静かに息を吸い、ゆっくりと『夢巡る回廊』の入口へ視線を向ける。
「……いきましょう」
その一言を合図に、私たちはダンジョンの中へと足を踏み入れた。
ーー夢巡る回廊・表層第5層
ダンジョンへ突入してから数時間。
表層の魔物を討伐しながら慎重に進み、私たちは第5層へ到達していた。
私は特に攻撃することなく、時折負傷した隊員や『白銀の獅子』の方達の治療に専念していた。
ミストルティン様も同様であちらこちらでエングラムの流れを確認し原因を探っていた。
「やっぱエレノアのアトリエのポーションはすげーや!」
『白銀の獅子』の一人が感心したように声を上げる。
「ローポーションでも十分な効果だからな」
他のメンバーも感心したように頷く。
「だからと言って無茶をしていいわけじゃないですからね?」
私は苦笑しながら釘を刺す。
「耳が痛ぇ……」
そう言って頭を掻く姿に、周囲から小さな笑いが漏れた。
私はそんな様子を見ながら、ふと思う。
実際、『白銀の獅子』の普段の戦い方は知らない。
それでも――
隊員の皆さんと比べると、負傷する頻度は明らかに多い気がした。
「皆さん、いつもこんな戦い方なんですか?」
「基本そうですね……」
一拍置き、リーダーは視線を二人へ向ける。
「特に、こいつらは」
「あはははは……」
私は思わず乾いた笑いを漏らした。
「この人たちのせいで、毎回ポーション代が嵩むんですよね……」
ヒーラーの女性も呆れたように二人を見つめる。
「いやー、そんなに頼りにされてるとは照れるなー」
「「褒めてません!!」」
二人の声が見事に重なった。
「だから負傷率が高いんですね……」
私は納得したように小さく頷く。
「ようやく分かっていただけましたか……」
ヒーラーの女性は深いため息を吐いた。
「毎回こんな調子なので、本当に胃が痛いんですよ」
「いやいや、生きて帰れてるんだから結果オーライだろ?」
「その『結果オーライ』のために、誰が毎回治療してると思ってるんですか!!」
「……俺たち?」
「そうです!!」
一拍。
「正直、今日はセレスティア伯爵様がいてくださるので本当に助かっています」
さらに一拍。
「でも普段は、常に魔力が枯渇寸前なんですからね!?」
「「……」」
前衛二人は気まずそうに目を逸らした。
「少しは反省してください!」
「「は、はい……」」
私は苦笑しながら空間収納へ視線を向ける。
「私も結構な量のポーションを持ってきましたけど、無限にあるわけではないので、少しは自重してくださいね……」
「それ、エレノア様にもブーメラン刺さってません?」
リュシアさんが間髪入れずにツッコむ。
「刺さってますね」
今度はアランさんまで即答した。
「「「うんうん」」」
『白銀の獅子』の面々まで揃って頷く。
「えっ……?」
私は思わず首を傾げた。
「私、そんなに無茶してます?」
「「「「しています」」」」
見事なまでに声が揃った。
「またですか……」
私は小さく肩を落とす。
「エレノアは、あなたたちより強いんだから大丈夫よ!」
いつの間にか戻ってきていたミストルティン様が、いつもの調子で胸を張る。
「「「「そういう問題じゃありません!!」」」」
また見事に声が揃った。
「エレノア様が無茶をすれば、私に一番しわ寄せがくるんですからね!?」
リュシアさんが半ば叫ぶように言う。
「確かに、我々より魔法の才があることは認めます」
隊員の一人が苦笑しながら頷く。
一拍。
「ですが、護衛する立場としては胃が痛くなるんですよ……」
「本来なら我々が守る側ですからね」
別の隊員も遠い目をしながら続けた。
「護衛対象が一番強いという状況には、未だに慣れません」
「分かります……」
『白銀の獅子』のリーダーも思わず頷く。
「普通は護衛対象が前へ出ようとしたら止めるんだ」
一拍。
「でもエレノア様の場合、止めても止まらないし、実際に戦わせた方が強い」
「護衛とは一体……」
誰かがぽつりと漏らいた。
その場にいた全員が、何とも言えない表情で私を見つめる。
「えっと……」
私は困ったように頬をかく。
「そんなに困らせてました?」
「「「「はい」」」」
今度は間髪入れずに返事が返ってきた。
「うぅ……」
私は小さく肩を落とすしかなかった。
その時ーー
「ちょっと待って!!」
ミストルティン様が制止する。
「ミストルティン様......?」
アランさんが振り返る。
そこにいたミストルティン様の表情からは、先ほどまでの笑顔が完全に消えていた。
「全員、その場から動かないで」
静かな声。
しかし、その一言だけで場の空気が張り詰める。
「どうしたんですか?」
私が尋ねると、進行方向右手へと別れる分岐通路をじっと見つめる。
「......この先で誰かが戦闘しているわ」
一拍。
「それも相手はーー」
さらに一拍。
「本来このダンジョンにはいないはずの強力な魔物よ」
その直後――
ギャアォォォォォォォ!!
地鳴りのような咆哮がダンジョン全体へ響き渡る。
同時に、濃密な魔力の奔流が通路の奥から一気に押し寄せた。
「なっ!?」
アランさんは反射的に剣を抜き、全員へ警戒を促す。
「総員、警戒!!」
騎士たちも一斉に武器を構えた。
「この鳴き声って……」
『白銀の獅子』のリーダーが険しい表情で呟く。
ミストルティン様は目を細め、静かにその気配を探る。
そして――
「……ベヒーモスね」
その一言で、場の空気が凍り付いた。
「……は?」
『白銀の獅子』の一人が思わず聞き返す。
「ベヒーモスって……あの災害級の?」
「ええ」
ミストルティン様は短く頷く。
「上位個体ですか……?」
「そこまでは分からないわ」
一拍。
「ただ、エングラムの流れはあまり変わっていない」
さらに一拍。
「少なくとも、この子が異変の大本ではないわね」
「ベヒーモスが原因じゃないとしたら……」
私は思わず息をのむ。
「深層には、それ以上の化け物がいるってことだな」
私の言葉を引き継ぐように、『白銀の獅子』のリーダーが静かに口を開いた。
その場にいた誰もが言葉を失う。
災害級と呼ばれるベヒーモスですら原因ではない。
だとすれば――
このダンジョンの最深部には、一体何が待ち受けているというのか。
その事実に、私たちは言葉では言い表せない恐怖を覚えた。
「とりあえず、このままじゃ危ないわ」
一拍。
「急いで向かうわよ!」
ミストルティン様の号令とともに、一行は分岐通路を駆け出した。
「総員、防御陣形展開!!」
「魔法部隊は防御術式を維持しろ!」
アランさんが次々と指示を飛ばす。
「エレノア」
「何ですか?」
ミストルティン様は真っ直ぐ私を見つめる。
「向こうへ着いたら、時間を稼いでもらってもいいかしら?」
「構いませんけど……ミストルティン様は?」
「私は転移魔法陣を構築しながら、負傷者の救出もしなきゃいけないの」
一拍。
「それに、周囲のエングラムの流れも常に監視する必要があるわ」
さらに一拍。
「人命を最優先にする以上、これ以上並行して魔法を維持するのは危険なのよ」
「分かりました」
私は迷うことなく頷いた。
「時間はどのくらい必要ですか?」
「展開自体はいつも通りよ」
一拍。
「でも、救助する人数や状況次第としか言いようがないわね」
さらに一拍。
「だから、無理はしなくていいわ」
「……はい」
私は小さく頷く。
その言葉が、私を気遣ってくれているものだということは分かっていた。
だけど――
「皆さんの命が掛かっています」
私は真っ直ぐミストルティン様を見つめる。
「時間は必ず稼ぎます」
その言葉に、ミストルティン様は一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふっと優しく微笑む。
「……そういうと思ったわ」
小さく肩をすくめる。
「でも約束して」
一拍。
「絶対に一人で抱え込まないこと」
「はい」
私は静かに頷いた。
すると――
「我々もいます」
アランさんが一歩前へ出る。
「エレノア様お一人に戦わせるつもりはありません」
『白銀の獅子』のリーダーも剣を抜き、口元に笑みを浮かべる。
「三分だろうが十分だろうが、全員で稼げば怖くねぇ」
「ええ」
ヒーラーの女性も静かに杖を握り直した。
「誰一人、欠けさせません」
その言葉を聞いた私は、小さく微笑む。
「皆さん、よろしくお願いします」
「「「はっ!!」」」
全員が力強く返事をすると、一行は咆哮が響く通路の奥へ向かって駆け出した。
通路を曲がった、その瞬間――
「いたぞ!」
切羽詰まった叫び声が響く。
視界の先では、十数名の冒険者たちが巨大な魔物を相手に必死の防戦を続けていた。
「ぐあぁぁぁっ!!」
一人の冒険者が吹き飛ばされ、岩壁へと激突する。
周囲には、既に息絶えたばかりと思われる冒険者。
そして、今にも命の灯火が消えそうな重傷者たちが倒れていた。
「回復頼む!!」
「駄目だ! もう魔力が残ってねぇ!!」
「くっ……前衛が押し切られる!」
怒号と悲鳴が飛び交う。
誰がどう見ても、絶体絶命の状況だった。
「総員!! 戦闘配置!!」
アランさんの鋭い号令がダンジョン内へ響き渡る。
「魔法部隊は防御術式を展開! ミストルティン様とエレノア様の支援を最優先!」
「前衛部隊は二班に分かれろ!」
一拍。
「第一班はベヒーモスの足止め!」
「第二班は魔法部隊の護衛に回れ!」
「「「はっ!!」」」
騎士たちは一切の迷いなく動き出す。
『白銀の獅子』の面々も、それぞれ武器を構えた。
「俺たちは前に出る!」
「時間を稼げばいいんだな!」
「無茶はするな!」
リーダーの一喝とともに、Sランク冒険者たちが一斉に駆け出した。
その姿を確認すると、私は静かに深呼吸をする。
「ミストルティン様」
「ええ」
短い返事。
それだけで十分だった。
私たちは、お互いの役割を理解している。
「必ず、時間を稼ぎます」
そう言って私は、一歩前へ踏み出した。
「行きます!」
その合図とともに、ミストルティン様は一気に前へ飛び出した。
同時に巨大な転移魔法陣を展開し、負傷者や戦闘不能となった冒険者たちの救助を開始する。
当然、その動きを察知したベヒーモスはミストルティン様へ狙いを定め、大きく右前脚を振り上げた。
「風刃!」
私が短く詠唱すると、圧縮された風の刃が一直線に空間を裂きながら飛翔する。
ズバァッ!!
風刃はベヒーモスの腹部を鋭く切り裂く。
だが――
深々と傷を負わせたはずの一撃にもかかわらず、
巨体が怯むことはなかった。
「ギャアアアアァァァッ!!」
怒りに満ちた咆哮だけがダンジョンへ轟く。
ベヒーモスの巨体がゆっくりとこちらを向いた。
鋭い黄金色の瞳が、真っ直ぐ私を捉える。
「よし……」
私は小さく息を吐く。
狙いは成功した。
「ミストルティン様!」
「ええ!」
ミストルティン様は振り返ることなく救助を続ける。
「そのままお願い!」
「はい!」
私は魔力を練り直し、ベヒーモスと正面から向き合った。
「あなたの相手は――」
一拍。
「私です」




