171話 冒険者の悩み、新たな挑戦③
「保存ですか......」
フィリアさんが顎に手を当てる。
「はい」
私は頷いた。
「お弁当そのものを作ることは難しくありません。」
一拍。
「ですが安全に販売するとなると話は別です。」
会議室の面々が真剣な表情になる。
先程までは商品の話だった。
だが今度は命に関わる話だ。
「食中毒を防ぐという問題は、一番難易度が高そうですな......」
商会の人も眉をひそめる。
実際問題、私がいた世界であれば食中毒で命を落とすケースはそこまで多くなかった。
もちろん重症化することはある。
だが衛生環境や医療が発達していたこともあり、多くは適切な処置で回復していた。
しかし――
この世界は違う。
食中毒は命を脅かしかねない重大な問題だ。
事実、以前鉄砲魚の調査で赴いた港湾都市バレンシアでも、鉄砲魚による食中毒で何人もの死者が出ている。
比較対象として適切かはわからない。
それでも危険なものであることに変わりはなかった。
特に危険なのは肉類と野菜類だ。
魚も危険ではある。
だが王都では魚は「家や店で食べるもの」という認識が強く、鮮魚そのものの流通量もそれほど多くない。
少なくとも、冒険者向けの携行食として考えるのであれば優先度は低いだろう。
問題は肉と野菜だ。
王都では露店文化が発達している。
串焼き。
煮込み料理。
簡単な軽食。
安価な食事の多くに肉や野菜が使われていた。
当然、冒険者達の食生活にも深く根付いている。
腹持ちを考えれば肉は外せない。
栄養バランスを考えれば野菜も欲しい。
だが、その二つこそが保存性という観点では大きな問題になる。
食事としての満足感を優先するか。
安全性を優先するか。
その両立こそが、今回最大の課題だった。
「錬金術で食中毒を防ぐ方法ってないんですか?」
メルが静かに尋ねる。
「ないですね」
私は即答した。
会議室が静まり返る。
「そんなに難しいんですか?」
フィリアさんが首を傾げる。
「難しいですね」
私は頷いた。
「理論上なら不可能ではないと思います」
一拍。
「ですが、その領域になると私の知識では実現が難しいですし、仮に出来たとしても原価が跳ね上がります」
「なるほど......」
商会の人達も納得したように頷く。
「それでは本末転倒ですな」
「はい」
私は頷いた。
「今回欲しいのは、一部の貴族しか買えない高級品ではありません」
一拍。
「冒険者や職人でも気軽に買える食事です」
もし錬金術で解決できたとしても。
それによって値段が何倍にもなってしまえば意味がない。
少なくとも今回の問題は、技術で無理やり解決するよりも、料理や保存方法そのもので解決するべきだろう。
私はそう考えていた。
「ですが......」
「ですが......?」
フィリアさんが首を傾げる。
「全く対策がないわけではありません」
その言葉に会議室の空気が変わった。
「本当ですか?」
「はい」
私は頷く。
「食材そのものの日持ちを劇的に伸ばすことはできません」
一拍。
「ですが、傷みにくくする方法ならあります」
会議室の面々が身を乗り出した。
「例えば梅干しやレモンです」
私は続ける。
「これらには食材が傷みにくくなる効果があります」
「ほう......」
商会の人達が興味深そうに頷く。
「もちろん何日も放置できるほどではありません」
一拍。
「ですが朝に作った物を昼まで持たせる程度であれば十分に効果を期待できます」
「なるほど......」
フィリアさんが感心したように呟く。
「つまり料理の組み合わせによって保存性を高めることができるのですね」
「そういうことです」
私は頷いた。
「他にも塩や酢を利用する方法があります」
一拍。
「工夫次第で食中毒のリスクはある程度下げられると思います」
その答えに商会の人は考え込む。
「その理論になってしまうと、結局普通の弁当と変わりませんね」
一拍。
「冒険者にとって乾燥肉や塩漬け肉といった物は飽きるほど食べられています」
さらに一拍。
「根本的な解決策とは言えないですね」
会議室の何人かも頷いた。
確かにその通りだった。
保存性だけを求めるなら既に方法はある。
だからこそ今まで誰も困っていなかったのだ。
問題はそこではない。
「美味しくないんですよね」
不意に隊員の一人が呟いた。
会議室の視線が集まる。
「食べられないわけじゃありません」
一拍。
「むしろ遠征では必須です」
さらに一拍。
「ですが毎日食べたいかと言われたら別ですね」
その言葉に多くの者が頷いた。
「確かに」
「私も新人の頃は嫌というほど食べましたな」
「今でも遠征用の荷物を見るだけで思い出しますぞ......」
苦笑が広がる。
「そりゃあ、ただの塩漬け肉と乾燥肉は美味しくないですよ......」
思わず本音が漏れてしまった。
会議室が静まり返る。
「......」
「......」
「......」
しまった。
そんな空気だった。
何人かがこちらを見ている。
特に冒険者上がりの商会員などは複雑そうな表情をしていた。
「いや、まあ......不味いですな」
「正直認めたくはありませんが」
「遠征中にあれ以外の選択肢がないだけでして......」
次々と頷く面々。
どうやら異論はないらしい。
私は小さく咳払いをする。
「その部分についても、一応解決策は知っています」
その瞬間。
会議室の空気が変わった。
「本当ですか?」
「はい」
私は頷く。
「そもそも塩漬け肉や乾燥肉が不味い理由は単純です」
一拍。
「味付けが皆無であることと、香りの問題ですね」
会議室が静まり返る。
「香りですか?」
フィリアさんが首を傾げた。
「はい」
私は頷く。
「保存食は長持ちさせることを最優先に作られています」
一拍。
「ですが、その過程でどうしても風味が損なわれます」
「なるほど......」
「それに塩漬け肉は塩味ばかり強くなりますし、乾燥肉も独特の臭みが出ます」
私は続ける。
「だから皆さんは不味いと感じるんです」
商会の人達が顔を見合わせる。
「確かに......」
「言われてみれば塩の味しかしませんな」
「乾燥肉も噛めば噛むほど口の中の水分が消えますし......」
次々と同意の声が上がる。
「ですが」
私はそこで言葉を区切った。
「逆に言えば、その欠点さえ補えば十分食べられる物になります」
会議室の空気が変わる。
「補えるんですか?」
「はい」
私は頷く。
「例えばスープに入れるだけでもかなり変わります」
一拍。
「逆に香草や塩で下味を付けた後、乾燥や燻製を施せば風味は大きく改善します」
商会の人達が真剣な表情で耳を傾ける。
「表面が固くなった部分を削ったり、薄く切ったりして食べれば十分美味しく食べられます」
「なるほど......」
誰かが感心したように呟いた。
私はさらに続ける。
「それと肉も魚も共通しているのですが、熟成という方法があります」
「熟成?」
フィリアさんが首を傾げる。
「はい」
私は頷いた。
「一定期間管理しながら寝かせることで、肉や魚の旨味を引き出す方法です」
一拍。
「適切に行えば味は大きく向上します」
会議室の空気が変わる。
保存するための加工。
美味しくするための加工。
彼らの中では別々のものだった。
だが私の知識では、その二つは両立できる。
少なくとも――
保存食は不味いという常識を覆すことは可能だった。
「でもそれだと、お弁当というイメージを覆すのは難しくないですか......?」
メルが静かに尋ねる。
「乾燥肉のイメージなら変わりそうですけどね」
私は苦笑しながら答えた。
会議室の面々も頷く。
「確かに」
「今の話は保存食の改良ですな」
「弁当とは別の話になっております」
その通りだった。
私は軽く肩を竦める。
「そもそも弁当と保存食は目的が違いますからね」
一拍。
「保存食は長期間持たせるためのものです」
さらに一拍。
「お弁当は当日中に食べることを前提とした食事です」
会議室が静まり返る。
「......言われてみれば確かに」
フィリアさんが納得したように頷く。
「私達はずっと同じ物として考えていましたね」
「はい」
私は頷いた。
「極端な話、朝作って昼に食べるだけなら何日も保存できる必要はありません」
その瞬間。
何人かの表情が変わった。
今まで皆、遠征用の保存食を基準に考えていた。
だから条件が厳しくなりすぎていたのだ。
「なるほど......」
商会の人が呟く。
「つまり求めるべき保存性そのものが違うのですな」
「そういうことです」
私は頷いた。
「まず考えるべきは冒険者が昼まで安全に持ち歩けるかどうかですね」
問題は少しずつ整理され始めていた。
「私としては、さっきの話にも関わりますけど、お米を使ってお弁当を作るのが一番適していると思います」
一拍。
「お米はともかく、梅干しの原料は比較的王都でも出回っていますので」
会議室に小さなどよめきが広がる。
「なるほど......」
フィリアさんが顎に手を当てる。
「保存性を高めながら腹持ちも確保できる、と」
「はい」
私は頷いた。
「少なくともパンだけよりは長時間お腹を満たせます」
一拍。
「その日中に食べるのであれば一番解決策としてはこれが近いと思います。」
会議室の面々が考え込む。
「なるほど......」
フィリアさんが静かに頷いた。
「保存性、腹持ち、価格」
一拍。
「少なくとも条件は満たしていますね」
「はい」
私も頷く。
「もちろん数日単位の遠征には向きません」
「ですが朝購入して昼や夕方までに食べるのであれば十分現実的です」
商会の人達も資料へ視線を落とす。
「確かに日帰り依頼や短時間の探索なら需要はありそうですな」
「今の利用者層とも合致しています」
「売り切れで困っているのも主に王都周辺で活動する冒険者達ですからな」
少しずつではあるが、話が形になり始めていた。
だが。
「しかし、お米そのものはどうするのです?」
商会の人が疑問を投げかける。
「先程も話に出ましたが、王都では安定して流通していませんぞ」
「そうですな」
別の商会員も頷く。
「仮に人気が出ても供給できなければ意味がありません」
その言葉に会議室が再び静まり返った。
確かにその通りだった。
商品が完成しても、材料が手に入らなければ継続できない。
それでは商売にならない。
「でしたら――」
フィリアさんが口を開く。
「最初は試験販売にしましょう」
会議室の視線が集まる。
「輸入できる分だけ輸入する」
一拍。
「売れなければそこで終了」
さらに一拍。
「売れるのであれば、その時点で本格的な供給体制を考えれば良いのです」
商人らしい現実的な提案だった。
「なるほど......」
「それなら損失も限定的ですな」
「市場調査にもなります」
会議室の空気が少しだけ軽くなる。
少なくとも、全く実現不可能な話ではなくなったからだ。
そして。
「問題は何を作るかですね」
メルがそう言った瞬間。
全員の視線が、自然と私へ集まったのだった。
「え......私ですか?」
思わず本音がまた出てしまう。
「いやぁ......」
「エレノア様が最初に言い出したんじゃないですか......」
フィリアさんが頭を抱えている。
「まぁ簡単に量産できるという点で言えば、おにぎりと腸詰め肉を焼いたものあたりがいいんじゃないですか?」
会議室が静まり返った。
「......おにぎり?」
フィリアさんが首を傾げる。
「腸詰め肉はわかりますが、おにぎりとは何ですかな?」
商会の人も聞き返してくる。
「おにぎりって、エレノア様が錬金術で実験棟に籠もっている時に食べているあれですか?」
メルだけは知っていた。
「そう、それです」
私が頷くと、商会の人達が一斉にメルへ視線を向けた。
「知っているのですか?」
「はい」
メルは頷く。
「前に差し入れを持って行った時に見ました」
一拍。
「白いお米を三角形に固めた食べ物ですね」
「三角形......?」
「固める......?」
ますます困惑する商会の人達。
「しかもエレノア様、あれを片手で食べながら錬金術していましたよね?」
「してましたね」
私は素直に認めた。
「何なら資料も読めますし」
「危なくないですか?」
「危なくはないですけど、行儀は悪いですね」
苦笑しながら答える。
「すぐ出来ますし、試しに作ります......?」
会議室が静まり返った。
「今からですか?」
フィリアさんが聞き返す。
「はい」
私は頷く。
「材料なら全部実験棟にあるので、10分ぐらいでできますよ?」
その答えにフィリアさんが、また頭を抱えた。
「なんでそんなものが実験棟にあるんですか……」
――しょうがないじゃん。私の魂に刻まれた食事なんだもん。
もちろん口には出さない。出したら確実に話が長くなるやつだ。
「……ええと、趣味です」
「趣味で済ませるには物騒すぎますよ!?」
商会の人がすかさず突っ込む。
「実験棟ですよね? 錬金術の施設ですよね?」
「そうですね」
「そこに米と塩と具材が常備されてる理由を説明してください」
「……長時間作業の補給用です」
「錬金術ってそういう用途でしたっけ!?」
メルが横でこくこく頷いている。
「エレノア様、普通に便利なので私も否定はしません」
「味方がいるのが一番怖いんですが……」
フィリアさんが深く息を吐いた。
「とりあえず……ツッコんでも時間を消費するだけなので、実際に見せてもらっていいですか?」
「そうですね」
私は素直に頷いた。
「その方が早いです」
「最初からそうしてください!」
商会の人が即座に声を上げる。
「説明の段階で既に十分混乱してますぞ!」
「まだ食べてないのにこの疲労感は何なんだ……」
「会議とは……」
最後の一言は誰のものか分からなかったが、誰も否定しなかった。
メルがぱん、と手を叩く。
「では実験棟へ移動しましょう!」
「待ってください」
フィリアさんが手を上げる。
「本当に“すぐ出来る”んですよね?」
「はい」
「10分で?」
「材料があるので」
「……わかりました」
再び深い溜息。
「ではその10分を見届けます」
そして一同は、半ば警戒しながら実験棟へと移動することになった。
――なおその時点で、すでに“新商品会議”は完全に「おにぎり試食会」に変わっていた。




