163話 時季外れの風邪、水面下の異常
ーーユグアッシュ王国・王立市場
この国では、夏になると特産の果物や野菜が豊富に獲れ市場に彩を与えている。
だが、今は開いているお店はまばらで活気も皆無だった。
その影響は露店のおこぼれを頼りに生きる浮浪者や、残飯を漁るネズミや野良犬にまで及んでいた。
市場から食べ物が消えたことで、彼らもまた飢えに晒されている。
道端では衰弱した動物を衛生兵が回収する光景も珍しくなくなっていた。
「一体どうなってるんだ......?」
一人の兵がため息交じりに既に息絶えたネズミを掴みながら呟く。
「こんな時期に風邪が流行するとかどう考えてもおかしいよな......」
「一部じゃ薬師がばらまいたんじゃないかとか言われているみたいだぜ?」
兵士の視線の先には、普段はそこまで混雑することのない薬局があった。
だが今は違う。
「押すな!」
「まだ家族の薬を買えてないんだ!」
「頼む! 一瓶だけでいい!」
店の前には長蛇の列ができており、人々の顔には焦りと疲労が色濃く浮かんでいる。
その光景を見ながら兵士はため息を吐いた。
「……本当に風邪だけなのか?」
「知らん」
即答だった。
一拍。
「もっとも俺らは衛生兵ではあるが、医者じゃない」
そう言うと、男は肩を竦める。
「病気のことは医者に聞け」
「それもそうだな……」
兵士は苦笑した。
だが、その視線は再び薬局へ向く。
店の前では今も人々が列を作り、薬を求めて押し合っている。
風邪。
そう呼ばれている。
だが――
その一言だけで片付けるには、どこか違和感があった。
ーーユグアッシュ王宮・緊急対策本部
「医師会長! 現時点での感染者数はわかるか?」
王の問いに、医師会長は重い表情のまま資料へ目を落とした。
「現時点での感染者数は、王国全体で三百万人に迫っています」
一瞬。
部屋の空気が凍り付く。
「……三百万だと?」
「はい」
医師会長は苦々しく頷いた。
「確認できている人数だけで、です」
一拍。
「実際は受診しないものもいるので詳しい人数は......」
その答えに国王は静かに呟く
「国民の20%は最低でも感染しているということか......」
「はい」
医師会長が頷く。
「症状としては38度から39度までの熱と咳が中心で関節の痛みも報告されています。」
「現時点で他の症例は?」
「ありません」
一拍。
「ですが、死者数は感染者数に対して極めて少なく、致死性の高い疫病ではないと思われます」
その報告に補足するように、一人の医師会員が口を開いた。
「裏付けとして、セレディア王国をはじめとする近隣諸国では同様の症例はほとんど確認されておりません」
一拍。
「市場や街の様子も平常通りとの報告が上がっています」
「つまり」
国王が静かに問い返す。
「現時点では、我が国のみで発生している異常ということか」
「その可能性が高いかと」
「わかった」
国王は短く頷いた。
「薬剤師ギルド長。今の風邪薬の生産状況は?」
指名された薬剤師ギルド長は苦い表情を浮かべる。
「率直に申し上げます」
一拍。
「限界です」
会議室が静まり返る。
「現在、加盟薬局及び工房は通常時の五倍以上の生産体制へ移行しています」
「それでも足りぬのか」
「はい」
ギルド長は即答した。
「具体的に申し上げますと、既に流通網が機能不全を起こし始めています」
一拍。
「薬草の採集者、運搬業者、行商人。その多くが感染しており、原材料が十分に届きません」
会議室に重い空気が流れる。
「故に――」
ギルド長は資料へ目を落とした。
「現状の消費速度が続けば、二週間後には備蓄を含めた風邪薬が底を尽きます」
「ポーションはどうだ?」
「同様です」
錬金術師ギルド長も即答する。
「王国内の在庫は既に減少傾向にあります」
一拍。
「このまま感染拡大が続けば、いずれこちらも不足するでしょう」
国王が眉をひそめる。
「やはりか……」
「ですが」
錬金術師ギルド長は一枚の報告書を取り出した。
「こんな噂を耳にしました」
会議室の視線が集まる。
「噂? そんな噂を聞く余裕はないのだが......」
国王が眉をひそめる
「承知しております」
一拍。
「ですがこちらの噂はかなり我が国にとっても有益な情報と確信しております」
僅かに沈黙するーー
「わかった 聞こうではないか」
「では申し上げます」
錬金術師ギルド長は一枚の報告書へ目を落とした。
「セレディア王国にて、『エレノアのアトリエ』という工房が販売しているポーションについて調査を行いました」
一拍。
「発端は性能に関する噂です」
「異常な回復効果を有するポーションが流通しているとの報告が相次いだため、実際に入手し検証を実施しました」
「その噂の出所は?」
「大店や貴族が中心の富裕層です」
一拍。
「正直に申し上げますと、当初は誇張された噂話だと考えておりました」
錬金術師ギルド長はそう前置きした。
「希少な高級ポーションを手にした者達が話を大きくしているだけだと」
「だが違った、と」
国王が静かに言う。
「はい」
ギルド長は力強く頷いた。
「結果から申し上げます」
一拍。
「報告は事実でした」
その報告に周囲がざわつき始める
「おいおい……いくら功績を上げたいからと言ってそれは」
「流石ハズレ職を束ねるギルドだ。嘘も三流らしい」
「異常な回復量? そんなものがあるなら今頃どの国も真似している」
「そもそもポーションはポーションだろう」
会議室のあちこちから失笑が漏れる。
錬金術師ギルド長は反論しない。
ただ静かに資料をめくった。
その態度に、国王が声を荒げる
「沈まれこの馬鹿ども!!」
国王の怒声が会議室を震わせた。
ざわめきが一瞬で消える。
誰もが口を閉ざした。
「この非常事態に功績争いをしている余裕があるとでも思っているのか!」
低い声だった。
だが、その声音には明確な怒りが含まれている。
「三百万人だぞ」
一拍。
「国民の五人に一人が床に伏せっている」
誰も反論しない。
できなかった。
「薬は不足している」
「流通は止まりかけている」
「医療体制の崩壊だけならまだいいが下手すれば国が崩壊するんだぞ!」
国王は机を強く叩いた。
「その状況で、真偽も確かめずに他者を嘲笑う余裕があるのか!!」
重い沈黙。
先程まで嘲笑していた貴族たちも顔を伏せる。
「ましてや錬金術師をハズレ職などと言って嘲笑うなど言語道断!」
国王の声は鋭かった。
「職業に貴賤はない」
一拍。
「農民がおらねば民は飢える」
「商人がおらねば物は流れぬ」
「職人がおらねば国は成り立たぬ」
そして――
「錬金術師がおらねば薬も作れぬ」
静まり返る会議室。
国王はゆっくりと全員を見渡した。
「今この瞬間も、多くの国民が病に苦しんでいる」
「その命を救おうとしている者たちを侮辱することは、余の民を侮辱することと同義だ」
誰一人として反論できない。
国王の視線が会議室を射抜く。
「次同様の発言をした者は、この緊急対策会議から即刻退席させる」
一拍。
「場合によっては不敬罪で拘束することも視野に入れる」
国王の警告に空気が凍り付く。
「いいな!!」
そう釘を刺した。
「すまない 続けろ」
「はい」
錬金術師ギルド長は説明を再開する。
「一応こちらに実物と王国公認鑑定士の資格を持つ者からの証書もお持ちしました。」
そう言うと机の上に二種類のポーションと証書を置く。
「ローポーションとハイポーションです」
錬金術師ギルド長は慎重な手つきで二本の瓶を机の中央へ置いた。
透き通った液体が、室内の灯りを受けて静かに輝く。
「こちらがセレディア王国で流通している実物になります」
一拍。
「そしてこちらが、王国公認鑑定士三名による共同鑑定書です」
国王が書類を手に取る。
数行読んだところで眉が動いた。
「……共同鑑定?」
「はい」
ギルド長が頷く。
「あまりにも結果が常識外れだったため、一名では誤鑑定を疑われる可能性があると判断しました」
一拍。
そして自嘲気味に続ける。
「もっとも、最初に結果を見た私自身が信じられませんでしたが」
会議室が静まる。
「その結果は?」
医師会長が問う。
ギルド長はゆっくりと答えた。
「ローポーションは一般流通品を大きく上回る性能」
「ハイポーションに至っては、この国の総力をあげたとしても不可能な性能です」
「なっ……」
誰かが息を呑む。
「馬鹿な……」
「しかも」
ギルド長はさらに続ける。
「品質のばらつきがほぼ存在しません」
一拍。
「全て同一品質です」
その報告にまたざわつき始める
「おいおい......嘘だろ」
「だとしたらそいつバケモノだろ」
その声は、先程までの嘲笑とは違う。
純粋な驚愕だった。
それも当然である。
ポーションの製造技術は、各国で多少の差こそあれ、基本理論そのものは既に完成されている。
ローポーションに至っては、どの国で作っても性能差はほぼ存在しない。
ハイポーションだけは職人の技量や設備によって多少のばらつきが生じるものの、それでも数割の差が出れば優秀と言われる世界だ。
一拍。
それを――
個人で。
しかも国が研究機関を総動員してようやく辿り着くかどうかという領域へ到達している。
そんな話は、俄かには信じ難かった。
「製作者はわかるか?」
国王の問いに、錬金術師ギルド長は苦い表情を浮かべた。
「残念ながら不明です」
室内がざわつく。
「不明だと?」
「はい」
ギルド長は静かに頷いた。
「『エレノアのアトリエ』という個人工房であることまでは確認できています」
一拍。
「ですが、それ以上の情報が出てきません」
「出てこない?」
国王が眉をひそめる。
「明らかに個人店舗ですので調査を行いました」
資料を一枚めくる。
「しかし不自然なほど情報が存在しないのです」
「存在しない?」
「はい」
一拍。
「工房の評判はあります」
「購入者の証言もあります」
「性能を裏付ける報告もあります」
さらに資料をめくる。
「ですが、肝心の製作者に関する情報だけが綺麗なほど出てこない」
会議室の空気が少しだけ変わる。
「隠しているのか?」
誰かが呟く。
「わかりません」
錬金術師ギルド長は静かに答えた。
「ですが、市民や冒険者からは製作者と思われる名前は聞いております」
その言葉に視線が集まる。
「誰だ?」
国王が問いかける。
ギルド長は一度資料へ目を落とした。
「証言が正しければ――」
一拍。
「製作者は“セレスティア伯爵”という人物です」
その言葉に会議室が静まり返る。
「伯爵?」
「個人の錬金術師ではないのか?」
「そんな人物がいたか……?」
ざわめきが広がる。
だが、錬金術師ギルド長は首を横に振った。
「詳細は不明です」
一拍。
「確認できたのは名前だけです」
「ふむ……」
国王は机の上のポーションへ視線を落とした。
王国公認鑑定士による証書。
複数名による再鑑定。
そして実物。
どれも偽物とは考えにくい。
「少なくとも――」
国王が静かに言う。
「我が国は今、その人物の作ったポーションを必要としている」
誰も否定しなかった。
三百万人。
増え続ける感染者。
底を尽きかけている薬品備蓄。
時間がない。
「外交官はいるか」
その言葉に一人の文官が立ち上がる。
「はっ」
「セレディア王国へ正式な使節を送る」
会議室の空気が張り詰める。
「目的は二つ」
一拍。
「ポーションの安定供給」
そして――
「セレスティア伯爵との接触だ」
誰かが小さく息を呑んだ。
国王は静かに立ち上がる。
「噂が真実ならば」
視線が机の上のポーションへ落ちる。
「この人物は、今や一国の医療事情を左右できる存在だ」
重い沈黙。
誰も反論しない。
できない。
なぜなら。
その机の上にある小さな瓶が。
既にその証明になっていたからだ。




